心ある場所-2
「可愛くて強いなんて……お姉さま、最強ですのね!」
瞳をキラキラと輝かせ、身悶えたのは夏帆だ。
「光の魔法で自由を奪うなんて……あぁ……ゾクゾクしますわ」
普段より幼く見えるのは、明るい色のふわりとした髪を、高い位置で二つに結んでいるせいだろう。
「お姉さまとお揃いですわ」と、はにかんで見せたが、俺がモモリンを真似ている事を夏帆は知らない。
「……魔法が使えなければ今頃、どうなっていたか――」
こと新しい武勇伝を語りながら、目の前に置かれた琥珀色のお茶をスプーンで掬い、足元のホズミに舐めさせた。
白塗りの壁に、品のある調度品が整然と並べられたこの部屋と、あの悪趣味な学校の部室とは、雲泥の差があるが、どちらも夏帆の部屋。油断はできない。
ホズミの瞳孔と、息づかいを確認する。
……普通のお茶のようだ。
「でも、気をつけてくださいましね? お姉さまは今、小さな子供ですのよ! 一人で出歩いては危ないですわ。よろしくて? お姉さまが誘拐なんてされたら夏帆……」
夏帆は額に手の甲をあてて、大げさに仰け反った。倒れてしまう! と、態度で示したらしい。
「フン! 相手は、まず変質者には見えない美女だったからな。さすがの俺も油断をしたのだ」
美しい女が変質者を兼ねるとは、人間界も奥が深い。
「ん? ずいぶんと香りの良いお茶だな」
ティーカップに口をつけると、洗練された甘い花の香りが鼻腔をくすぐった。
猫に舐めさせるには、贅沢すぎたかもしれない。
「衝動を抑制する癒しの香りですわ。西洋で調合された魔法のお茶ですの」
「ブッハ……!」
「まぁ、お姉さま! お口から噴き出すなんてお行儀が悪い」
夏帆は悪びれもせず、手早くハンカチを取り出し、俺の口元を献身的に拭った。
「懲りないヤツだな……!」
「うふふ! 冗談ですわ。真に受けないで下さいまし。夏帆だって反省しておりますのよ?」
「……悪い冗談だ」
無自覚だが、心を不思議な物に囚われた夏帆も、ある意味では変質者なのだ。
もしや薬物の乱用により、脳が損傷を受け、判断能力に支障をきたしているのではないか……? いや、どちらにしろ、変態に変わりない。
抗議のつもりで、睨んでみても「怒ったお姉さまも、可愛らしい」と夏帆は頬を染めて見せる。
闇姫も扱いにくい女だが、夏帆も同じように性質が悪いのだ。
「俺が見たところ、お前の入手した魔道具は、ろくでもない物ばかりだが、今までに好転した事はあったのか?」
「もちろんですわ! お姉さまが、夏帆のお姉さまになって下さいましたもの!」
夏帆は「幸運のお守りのおかげかしら」と微笑んだ。
「ずっと夢でしたの。魔法の使えるお姉さまが欲しい! って」
たまらず深い溜息をついて頭を抱えた。
夏帆が俺と出会ったのは、闇姫のせいだろう。
あの俺に会いたいと綴った札が、俺を呼んだと踏んでいる。
効力の無い簡易的な魔法の札だが、闇姫の血液を使い書かれたとすれば、話は別だ。効果が無いとは言い切れない。
「そうも魔法に憧れるものか?」
「当然ですわ! 子供の頃の夢は“世界征服”でしたのよ! うふふ」
夏帆は両指を胸の前で組み「今のお姉さま位の頃ですわ」と、余計な一言を付け加え、懐かしむような目つきで俺を見た。
「だが、世界征服と魔法がどう結びつく?」
「だってお姉さま。魔法が使えたら、誰もが皆、夏帆の言いなりになるでしょう? 魔法で世界を征服するつもりでしたの」
夢を叶える為、魔法について調べているうち、世界より魔法の方に興味を抱いたのだと、夏帆は微笑む。
「悪くない発想だ。人間は魔法に耐性が無いからな」
例えば、空一面に魔法で炎を敷き「従わなくば、町に炎を落とす」そう宣言するだけで、人間は降伏するだろう。
人間界には、魔法を制御する力を持つ兵団も、炎を水のように好む種族も無いのだから。
だが、人間に魔法は使えない。所詮、子供の夢なのだ。
「お姉さまは、夏帆の夢を笑いませんのね」
人懐っこい笑顔が向けられた。
「何を笑う。夢に取り組み、魔法を探求し、結果、闇姫の店にたどり着き、知らずとはいえ魔界と人間界を行き来したのだから、たいしたものだと思うが?」
命知らずとも言うべきか。
「それに、俺の夢も魔界の制圧だったんだ」
「まぁ! お姉さまと夏帆の夢が一緒だなんて、運命的ですわ!」
「フン。泡沫の夢だ。仕えていた王に裏切られたのだからな」
だが、手の届かない夢ではなかった。指先程度には触れていただろう。
カリガネを王に据え「帝国に賢人の真理あり」そう、魔界に名を馳せる……。幻の栄誉が脳裏によぎり、ブンブンと頭を振って打ち消した。
……どうしてこうなった?
プニプニと柔らかで可愛らしい両手をぎゅっと握り、うな垂れた。
鏡面塗装された、白いテーブルに映るあどけない顔は、脅威や畏怖とは、まるでかけ離れ、似合う言葉は、無垢に純真。
多少は成長したと言え、子供なのだ。当然か……。
悪い夢でも見ているのかと、つねった頬は暴力的な程、柔らかい。
すべては策略の内。カリガネの手の中で上手く転がされ、俺もまた夏帆と同じく、幼稚な夢を見ていたのだ。
叶った夢があるだけ、夏帆の方が立派だろう。
「フン。追いかけた夢は儚く、後味の悪さだけが残ったな」
「まぁ……悲しい事を言わないで下さいまし……!」
夏帆は困ったように微笑むと、何かを思いついたように手をパンと打った。その音に驚いたホズミがピンと耳を立て、顔を上げる。
「お姉さまが魔界の王になれば良いのですわ! お姉さまは強いんですもの! 世界征服の夢、簡単に諦めては、なりませんわ!」
「……俺が王だと?」
「ええ! お姉さまが魔王ですわ! うふふ! 夏帆は魔王の妹ですわね!」
さらに夏帆は「女王様がお似合いですわ」と、しっくりと来ない言葉で煽り、やがては「足を組んでふんぞり返ってくださいまし!」と、ほくそ笑む。見当違いだが、夏帆には夏帆のイメージする魔王像があるようだ。
「……それにしても、目が覚めるような思いだ」
いや、今まで気が付かなかった事がおかしい。そう、俺のように高貴で崇高な大悪魔こそ、王にふさわしい! 俺は片腕に使われる存在ではないのだ!
同じ夢を見た友も、もういない。
次に見る夢は、過去の夢より壮大な方が良いだろう。
手っ取り早く、煉獄の王の座を得て謀反を起こすか? 俺の魔力、それに闇姫の禁術があれば……。
「くふ……」
妄想に緩んだ口元から笑みが漏れた。
「ニャーニャニャニャ!」
ホズミは俺に何か言いたい事があるようだが、情けない顔を見れば分かる。己の身の上を案じているのだ。
「あぁ。俺が王になれば、くそ猫。お前は、お払い箱だな」
「ニッ!?」
「小鬼を従者に持つ王など、笑いものだと思わないか?」
「ニャニャニャ! ニャニャッ」
「なんだ? 王となる主人にケチを付けるとは、性根の悪いヤツだ」
「ニャニャー! フギャッ!」
小豆色の手が、風のように素早く、俺の可愛らしい脛を小突いた。
「貴様! 主人を殴ったな! ハイソックスで守られていなければ、どうなっていたか!」
「ニャッ! ニャッ!」
「爪は立てて無いだと? 当然だ!」
反射的に作った握り拳は引っ込める。ホズミの額にゲンコツを落とし、ダメージを受けたのは遥か過去の事。
拳の代わりにマジカルステッキを振り上げた。
「成敗!」
素早く術を結ぶと、ピシャッと小さな稲妻が起こり、ホズミの頭に硬貨程の大きさの、ハゲを作った。
「ニャー!?」
「フハハハハ! マヌケ面には似合いのハゲだ!」
「ニャッ! ニャッ」
ハラリと抜け毛を撒き散らしながら、涙目のホズミは跳ね上がり、テーブルに登ると、俺に向って手を伸ばし、ゆっくりと腰を落として構えた。鋭利な爪が光って見える。
俺の体に傷を付けようというのか!?
同じく、ホズミの前にマジカルステッキを突き出して構える。
ホズミは猫の皮を被った猛獣。本気で来るとすれば、この子供の体、大きな傷を負いかねない。
「ニッ……」
眼光鋭いホズミが腰を上げ、尻尾をしならせる。
「もう一つハゲが欲しいのか……」
ジリジリと間合いが詰まり、緊張感が漂った。どちらが先に仕掛けてくるのか、タイミングを計る。
ホズミになど負けてたまるか……!
「お止めになって!」
夏帆が大声と共に緊張の糸を断ち切った。
「あっ夏帆! 裏切ったな!」
「ニャン」
夏帆はホズミをすくい取り、胸に抱いてしまったのだ。
まさか、夏帆がホズミ側に付くとは!
「喧嘩はいけませんわ!」
夏帆は屈んで、俺と目線を合わせると、まるで諭すように「仲直り」と無理やりホズミと握手をさせてくる。
「な……!」
抱き上げられるよりはマシだが、子供に子供に扱いされたような、腑に落ちない感情が沸いて出た……。
俺の事を、お姉さまと呼ぶくせに、子供のようにあしらいやがって!
しかし、悔しさに嘆く俺ではないのだ。
「……フン。くそ猫。貴様の無礼は許してやろう。俺は魔界の王に相応しい悪魔なのだ! 猫と喧嘩などしている場合ではない!」
背丈が合わず、ぶらぶらと揺らしていた足を止め、椅子からぴょんと降りた。
「どうなさいましたの?」
「フン。目の冷めるような刺激的な魔法を見せてやる! 庭を貸せ」
「お庭? ですの」
「ああ、俺は魔界へ帰って魔王になる!」
「ニャッ!?」
目を三角にして怒っていたホズミが「魔界」と聞いて目の色を変えた。
「この体が育つのなら、いずれは見合った魔力が戻るだろう。だが、そうなれば魔界へは戻れない。帰り道を探すなら、早い方が良いのだ!」
手中に感じる魔力は、確かな成長を予見させている。
帰れなくなってからでは困る。俺が欲しいのは人間界では無い。魔界なのだ!
削ったエピソードを閑話を活動報告に乗せました。お時間ありましたらご覧下さい




