あれは魔界での出来事-4
最悪だ……!
吐き出しても吐き出しても嫌悪感は消えない。
「てっめぇ!何てことを!」
「リュウト……!結婚しよう。幸せにする」
その言葉に、足の先から頭のてっぺんまで、肌が泡立ち眩暈すら覚える。
「何言ってんだ!気が触れたか」
「カリガネ様!リュウト様は男性ですぅ」
「……リュウトは今や女ではないか」
嘲笑するように吐き捨てたその顔は、至って真顔。いつもみせる友の顔だ。
「それ、本気で言っているのか?」
「リュウト、僕の冗談を聞いた事があるかい?」
全身から血の気が引いていく。
「お前、俺がこうなる事を知っていたな……!」
冷え切った岩窟の中にもかかわらず、尋常ではない勢いで背中に汗が滲み、力の抜けたひざが震えた。
胸の内にあるのは怒りか絶望か、感情を適切な言葉で並べられないほど混乱しているが、全身でカリガネを拒絶をしているのだ。
「……ああ、そうだよ。結果は思った以上だ。美しい女性になったな、リュウト」
涙すら滲ませた瞳は、宝物を見つけた子供のように純粋なものに見える。
「あの薬を見つけた時は心底震えたよ、これでリュウトを女に出来るかもしれないってね」
「おい、カリガネ、悪ふざけが過ぎるぞ」
「リュウト、僕はね、ずっと君が女であれば良い。そう、思っていたんだ」
「はあ?」
カリガネの瞳の中には、嫌悪に顔を歪める美しい一人の女が写っているのが見えた。そして、それが俺であると理解するのに、時間はかからなかった。
「……リュウト、僕らが初めて会ったのは、もう十年以上も前だね。僕は君を一目見た時、なんて美しい少女なのだと、まるで稲妻に打たれたような気持ちになったよ。しかし……聞けば男だと言うじゃないか。あの時の僕の落胆、分からないだろうなぁ。まるで天から地に落とされたようだったよ。でも、ね。僕はその日から君を女にする方法を探す事にしたんだ」
人形に話しかけるように、俺を拘束しながら淡々と話し続ける。
「それからの日々は辛い物だったよ。僕を唯一の友だと呼ぶ愛らしい君は、どんどん成長し男の姿になっていくのだから……!せめて少年のまま時を止めてしまおう!そう、何度も思ったが……君の魔力は憎たらしいほど強くてね。誰も手が出せなかったよ。何度も暗殺されかけた事に覚えがあるだろう?」
「そんな!」
悲鳴にも似た非難の声をあげたのはホズミだ。
俺は感情が高まりすぎたのか、声が出てこない。罵倒してやりたいのに、口は餌をねだる鯉のように空気を呑むだけだ。
「……でも殺さないで良かった。あの日の少女が大人になって僕の元に帰って来てくれた……。お帰り、僕のリュウト」
言っている事の全てが理解を超えた。一語一句耳に届いているのに、意味が認識でき無いと言う事があるのだろうか。
脳のどこかが停止しているのかもしれない。焦燥感が体を揺らし鼓動を早くさせる。
震えているのは怒りだ。
心を許してきた存在が崩れる。全てが偽りだったというのか。
うかつに何か喋れば、胃の中の物全てを吐き出しそうな気配がある。
「それに僕は今、とても驚いているよ。その姿を見た時、再び僕の心は大きく動かされたのだからね。少女だった君と今の君、二人の君に僕は一目で恋に落ちた……そう、愛してるんだ」
そして、カリガネは「やっと思いを伝えられた」と、感極まったように言葉を詰まらせた。
カリガネの瞳の中の女は鼻に皺を寄せ、怒りに震えている。
「冗談じゃねぇ!俺は男だろうが」
「もう女だ」
一蓮托生の友として過ごした時間全てが仮初だったか!
「カリガネ様!こんなの酷いです!ずっと騙してらしたのですか!」
「騙す?ホズミ、騙すなんて人聞きの悪い事を言わないでくれ。正しい現象に戻したのだから」
「リュウト様はカリガネ様の事を本当の兄弟のように慕ってらっしゃいました……それがこんな仕打ち……!」
ホズミは何度も俺をカリガネから引き離そうと、俺へと手を伸ばすが軽くあしらわれてしまう。
「キールングの丘に城を用意してある。リュウト、后として、国獲りをする僕を支えてくれ。魔界制圧だ。いつも言っていた通りだろう?ホズミも従者として連れて行く」
決まりきっていたスケジュールを当然のように言い渡すその口調も、冷静ないつものカリガネだ。
「お前の思い通りになると思うなよ、俺は大悪魔リュウトだ。それを忘れるな!」
「リュウト、自分の置かれた状況をまだ理解していないね、僕の片手で容易く拘束されているのは誰だ?城に着いたら君を監禁する。絶対に逃げ出せないよ」
カリガネは俺を掴むその手の力を強めた。
「おいホズミ!カリガネを刺し殺せ」
ホズミは地面に落ちた剣を拾い上げた。言われて反射的に拾ったのだろう。
向けた剣先は大きく震え、涙が顔を濡らしていた。