煉獄ゼロ・イチ-5
大きな衝撃が全身を貫いた。
視界が白熱し、瞬間的に意識が途切れた。その中で自分の意識の深い場所、何かが砕けていくのを感じた。
ぼんやりと意識に流れ込んできたのは、光差す花の庭園。
幼い少女が、手の中の草冠をクシャッと潰し、悔しさを持て余すように泣いていた。
『――タ……もう、お別れじゃ』
幼い日の闇姫だ。
煉獄の正装、民族を象徴する、丈の長い絹の服を身に纏い、幼いながらに化粧を施されたその姿は、何か特別な日なのだと感じさせる。
黒に紫の混じるその髪は、肩上で切り揃えられ、今よりずっと活発な少女に見えた。
『これより先、我の魂は縛られ、自由は奪われるのじゃ』
そうだ……闇姫に禁術が封じられる前……。
これは十年前の記憶。ここに居るのは八歳の闇姫。
『泣かないで、闇姫。ずっと、手を繋いでいてあげるから』
そして、少女がもう一人。
闇姫の指先を、白い両手で包み込むように握っていた。
上品な白いドレスに花飾り。その背には小さく華奢だが、成長を期待させる漆黒の翼を有した、悪魔の少女。
腰まで伸びた柔らかな甘栗色の髪は、陽に透けてキラキラと輝き、薄茶色の瞳は今に泣き出しそうだ。
『……我がいなくなっても、忘れないでくりゃれ?』
『絶対に忘れないよ! 闇姫は大切な友達だもの』
まるで夢で見たかのような、既視感。
若草の香りと共に蘇る、泡沫の記憶。
この記憶の蓋を開けてはならない。それだけを強く願っていた。
しかし俺の意思とは関係なく、それは強引に、頭の中に鮮明に蘇ってくるのだ。
『ねぇ! 闇姫! わたしが大人になったら強い悪魔になるよ! 闇姫に自由をあげられるくらい強くなる! 絶対に、絶対にだよ』
額が、全身が、割れるように痛い。
やめてくれ! 消えろ!
しかし目の前に在る少女たちの幻影は消えない。
――これ以上見たくない! いや、見てはならない。俺が俺として生きていた全てを否定されかねないのだ!
『ありがとう……』
闇姫が長い睫を濡らし、慈しむ様に呟いた。
『……リンネロッタは頼もしいのう』
もう、やめてくれ!!
ありったけの力を振り絞り叫んだ。
少女たちに俺の言葉は届かない。手を取り合ったまま、お互いを励まし合い、ポツリと言葉を落す。
『わたしが男の子だったら良かったのにね……』
曖昧だった記憶に輪郭がつき、色を帯びていく。
流れ込んでくる過去の、俺の記憶。
『そしたら闇姫と結婚して、ずっと一緒にいてあげられたのに』
『ふふふっ! もしかしたら我はリンネロッタのことを「背の君」と呼んでいたかも、しれぬのじゃな』
ありえない、例え話だと笑う少女たちの声に、心臓が掴まれたように苦しくなってきた。
そう、闇姫と俺は許婚であった。
煉獄に姫が産まれ、我が一族に男児が産まれたなら。と交わされた約束。
故に、一族に産まれたのが女児であれば、約束は反故される。
しかし、産まれたのは男児である俺だ。何故、闇姫との許婚は解消されたのか……。
皇位に卑しい俺の一族にしてみれば、闇姫との縁談は、喉から手が出るほど欲しかったはずだ。
皇位の継承権の遠い、妾腹の王弟の息子でも、禁術を担う姫君を娶れば王になれたのだから……。
しかし、それを逃しても、一族に悲観した様子はなかった。
煉獄よりも欲しい物。
『あーあ! 闇姫と結婚したいのに、殿下のお嫁さんになるなんて、嫌だなぁ!』
唇をきつく結んだ少女は俺だった。
***
「お嬢ちゃん、どうしたの?」
何者かの声で我にかえった。
人間界、縁日の夜。そこで、ぼんやりと立ち尽くしていた。
意識が無くなっていたのはわずかの間だったのだろうか……。
しかし、何かがおかしい。大きく違う。
巨人の国に紛れ込んだかのように、何もかもが大きく見えるのだ。
「大丈夫? 迷子かな?」
俺の顔を覗き込んだ中年の女が、やけに優しく手を差し出してくる。
その手を受け取った時、違和感の正体に気が付いて絶句した。
「なんて事ら……!」
口から出た声は子供のものだった。
そんな馬鹿な……。
記憶と共に姿も過去に遡ったのだ。
呆然とする俺の手を、中年の女が引いていく。




