煉獄ゼロ・イチ-1
縁日の夜。
露店を楽しみ、賑わう人間の群、その頭上に不名誉な声が響いた。
『ピンク色のワンピースを着た、アクマ・リュウトちゃん。十八歳を保護しております。お連れ様は至急、社務所横、迷子預かり所にお知らせください』
「……」
耳を疑いたくなるような屈辱的な内容の放送に、今の俺は飴玉を咥え、膝を抱えて耐えるしかなかった。
*****
放送より数分後、飛び込むようにして現れた夏帆は、驚くよりも先に、俺の全身を見て賛辞した。
「お姉様? とっても可愛らしいですわ!」
そして、俺の身に起きた不思議が気になるのか「どんな魔法を使ったのか、教えてくださいまし!」と懇願し、激しく肩を揺すってくる。
たまらず逃げると、今度は誠司に捕まり、ぐしゃぐしゃと頭を撫でられた。
「また迷子になったら困るから、人混みにさらわれないように、肩車してあげるよ」
大真面目に言った誠司だが、笑いながら現れ、さらには人の姿を見て、泣くほど笑った後だ。
目尻を涙で濡らし、緩んだ口元は今にも噴出しかねない。
「ニャッニャッニャ」
だが、ホズミに比べればマシだ。従者の立場を忘れ、主人の危機にいつまでも笑い転げているのだから、猫の分際で性質が悪い。
「……あの……リュウトさん。ですよね? それ、大丈夫なんですか? どこか痛い所はないですか?……あの……どうして?」
この者らの中、心配するそぶりを見せただけ、穂積が唯一の良心か。
「よく、迎えに来てくれたな」
その体に、ぴったりと抱きついた。肉厚な体がより大きく感じる。
穂積もまんざらではないのか、優しく抱き返してきた。
「ごめんなさい、まさか迷子預かり所に居るなんて思わなくて……」
「あなたがお母さん?気をつけてあげて下さいね。目を離したら危ないですよ」
“迷子預かり所”の女の一言に、その良心の顔が凍りつく。
十七歳のうら若き乙女が、俺の母に間違われたのだ。さぞ心外だったであろう。
慌てて訂正する。
「この者は、母上であない」
「そうなの?じゃあ、お嬢ちゃんのお父さんとお母さんはどこかな?」
「……」
穂積と目が合うが、名乗り出るか躊躇っているようだ。
「僕が父親です。すみません、ご迷惑おかけしました。リュウちゃん!パパの手を離したら駄目だぞ!」
迷子預かり所の女の、疑うような目が誠司に向けられた。
地味で野暮ったい穂積と比べ、若く、はつらつとした風貌の誠司は、一目で学生だと分かるのだろう。俺の父親と言うのは無理があるようだ。
だが……仕方がない。乗るしかないのだ。
「あい、父上。お手をわずらわせまちた。お姉たん方、お世話になりまちた」
誠司の大きな手をちょんと握り、頭を下げると「可愛い!」と黄色い声があがる。そのうちのニつは穂積と夏帆だ。
くそぉ!舌が回らないのだから仕方がないだろう。
「まぁったく、この俺が保護されるとあ!ひどい目にあったであないか」
迷子預かり所と表記された看板を、苦々しく睨む。
「名はリュウト、歳は十八歳である」そう、アナウンスさせるのに、どれほどの労を要したか! 「本当のお名前は?」「お歳は?」と、しつこく尋問され、危うく涙が出るところであった。
「あの……リュウトさん。どうして子供になってるんですか?」
「そうですわ! 夏帆でも子供になれますの?」
「悪い魔女のせいら」
「魔女ですの!?」
思わず自らの手へと視線を落とす。小さく、ぷにぷにとした可愛らしい手だ。
「こんな事になるとあ」ため息がこぼれた。女の姿になり、およそ一ヶ月近くが経つが、この身にそれ以上の最悪な変化が起きるとは、思ってもみなかった。
「俺は、はっしゃい(八歳)位には見えるらろうか?」
尋ねると三人は困った顔を作り、真剣な顔で俺を見下ろした。
「……四歳?」
「五歳くらいに見えるな」
「六歳よりは下ですわね」
……そんなに小さくなったのか。
「ニャッニャッ」
横を歩くホズミとの距離が、こんなにも近い。
「いつまで笑ってる? 主人を笑うとあ。立場をわきまえろ!」
「ニャッ」
「コラ!猫ちゃんをいじめちゃ駄目じゃないか」
猫の尻尾を掴むと誠司に、たしなめられた。まるで子供に道徳を教える親の立場のようではないか。
「子供あつかいは、よちてくれ」
「……子供じゃないですか」
「ふ、ふん!」
「小さいお姉様はお人形みたいで可愛らしいですわよ!」
夏帆が、はしゃぐように声を上げ、手を叩いた。
当然だ。幼少期の俺は、並の可愛さを遥かに凌駕し、魔界一と噂された美幼児であったのだから!
自分で言っては虚しいが、カリガネが恋心を抱くのも分かり得る。
「それにしても……子供になるなんて。体は大丈夫なんですか?」
穂積が俺の目線まで体を傾けたので、服の襟元から胸の谷間が大きく露出した。
……今は、このような事に喜んでいる場合ではないのだが、この目線で見られる事はそうない。
これを機にじっくりと凝視してやろう。
うっすらと汗ばんだ谷間が、祭りの赤い照明の下、いやに刺激的に見える。
しいて言えば、もっと色気のある下着を身に付ければ良いものを、実に惜しい。
「あー!! 何をゆす ぶれいもの」
誠司にひょいと持ち上げられ、肩に担がれてしまった。
「とりあえず、人の多い所から離れよっか」
「ええ、お姉様がまた迷子になったら困りますわ! 魔女の事、じっくり教えてくださいまし」
「だえが、迷子になんてなうものか」
「……なっていたじゃないですか」
「フン! はぐれたのは、お前たちの方ら。祭りに浮かえて、散り散りに消えやがって!お前たちの方が、子供らな」
「リュウトだと分かってても、生意気な子供だなぁ」
「なんあと……!」
ポカリと目の前にある誠司の頭を小突く。
だが、正直な気持ち、肩車も悪くない。上から眺めるのは好きだ。遠くまでよく見通せる。活気付いた色とりどりの提灯に、夜空も明るく照らされていた。
この場に来て早々、一人で彷徨うはめになり、祭りを楽しむ余裕は無かったが、露店がひしめき、人々が群がる、この雰囲気は嫌いじゃない。
ひどく楽しげな物に映って見えるのは、童心という物があるからだろうか。
しかし、男の楽しみを無残にも奪われたのだ。熱心に整えたのだと想像のつく、誠司の髪の毛を、ぐしゃぐしゃと鷲づかみにしてやった。
誠司が「あー」と情けない声を上げ、俺を非難する。
「いたずらな子には、こうだ!」
「あわわ……やめお!」
視界が激しく上下し、大きく揺すられる。誠司が跳ねる度に、尻がふわりと浮き放り出されそうだ……!
目をぎゅっと閉じる。そして、必死に誠司の首にしがみ付き耐えた……。
俺が相応の年齢の時は、気取って振舞うくせに、子供の姿に惑わされやがって!
「な、中森君」
「やりすぎですわよ!」
「ふぇぇ……ううううぅ……」
「え! ごめん、リュウト泣いちゃったの?」
「ふぇぇ……! 泣いてなど……! 泣いてなど……」
涙は出ていない。ゆえに泣いてなどいないのだ!
「リュ、リュウトさん……」
「ほじゅみ……!」
手が差し伸べられ、誠司の背から逃げるように穂積の胸へと収まった。
「誠司きらい……」
「え!?」
「お姉様!お可哀相に!野蛮な方ですのね!」
「ごめんって」
真摯さに欠ける物言いである。俺がどんなに怖い思いをしたか! 子供になった俺は、三半規管が未熟であるのだぞ。
「詫びう気持ちがあるのなら、あえを買ってくれ」
モモリンと仲間たちの肖像が描かれた色とりどりの袋。それを、ところせましと店先に吊るした露店を指差す。
袋はパンパンに張り詰め、中に何が入っているか確かめてみたい!
「……あれって、パッケージがモモリンなだけで、中身はただの綿菓子ですよ?」
「ほお、菓子か! 良いであないか!」
「わたあめなんて、食べた事が無いですわ」
その言葉に、穂積と誠司が仰け反って驚いてみせた。どうやら綿菓子は、祭りの露店の中では、定番にありふれ、口にした事のない夏帆は、少数派のようだ。
「ゴスロリちゃんって、お嬢様なんだっけ?」
「変な名前を付けないで下さいまし」
夏帆は頬を膨らませ、ぷいと横を向く。
ゴスロリとは、どうやら夏帆が身に纏っている、フリフリとした服の名称らしい。
女だけで祭りに行くのは危険だと、護衛のつもりで誠司を連れてきたが、夏帆はそれが気に入らず、機嫌が悪い。
「じゃあ僕、わた飴買ってくるから、境内の階段にでも座って待っててよ」
誠司が俺ではなく、夏帆に言ったのは気を使っているからだろう。
「七瀬さんも食べるよね」
誠司は穂積の答えを待たずに、人の波間に消えて行く。
面倒な事にも、気の回る器用な男だ。俺には到底、真似が出来ない。
夏帆は綿菓子が楽しみなのか、頬を緩ませ誠司の消えた方向を見つめている。
「良かったな」そう、声をかけてやりたかったが、どうにもまぶたが重い。
穂積の豊かな胸に抱かれ、ゆらゆらと揺らされているせいで次第に心地よく、眠たくなってきたのだ……。
体が子供だからか?
ざわざわとした喧騒すら、耳に心地よい。
鉛でもぶらさげているかのように、瞼は硬く閉じ、意志では開かない。あぁ……緩やかに闇へと落ちていく。
夏帆が「寝ないで下さいまし」と体を揺すり、穂積に「綿菓子食べられなくなりますよ」と励まされるが、まるで気にならない。
駄目だ……眠気に抗えない……。
……まったく、闇姫のやつ……なんて事をしてくれたんだ……。




