あれは魔界での出来事-3
「よし、行こう」
荷物はホズミの背に全て括り付けた。恨めしそうな視線を寄越すが、俺には持つ事が出来ないのだから、仕方が無い。
腰に挿した二本の剣と小袋。これだけで足枷のように重いのだ。
「火は俺が持ってやる」
手燭を持ち上げた途端、縛り付けた火が大きく形を変えた。消える! と、咄嗟に火の精霊を口寄せしたが当然のように術は結ばれる事は無かった。
荷物にしかならんな。この体は!
全く恨めしい。
火が落ち着いたのを見届け、安堵したのも束の間もう一度火が大きく揺れる。
冷たく渇いた風が頬を撫でた。
「風?」
ホズミの言葉に大きく頷く。ここから地上は遥かに遠い。
吹くはずの無い風が一陣、岩の隙間から音を立てて抜けていく。
「リュ、リュウト様ぁ……」
長年、染み込んだ条件反射なのだろう。ホズミが俺の背に回り込んで来た。
「俺に頼るなホズミ。俺は今や、か弱く美しい乙女だ」
「は、はいぃぃ」
「静かにしろ……! 何か来る」
ホズミの震える肩を両手でガッチリ掴んで矢面に立たせる。
「ひゃ……! せ、先頭ですか……!? わ、私が?」
「行けホズミ。ワキを締めて腰を落とし剣先を上げて構えろ、さぁ俺を守れ」
「ふぇ、頑張ります」
風が吹き込む方へと体を向けた。目の前には大きな岩が二つ並びその先に見えるのは暗く深い闇だ。
俺はホズミの背後から手燭を差し入れ、明かりを取る。
暗闇から何かが飛び出してくるかと思うと、楽しみで胸が躍ってしまうのは悪い癖だ。今の力では倒せやしないのに。
「ホズミ、何か見えるか?」
「暗くて分かりません~……リュウト様ぁ、もう少し明かりを近くに下さいませ~」
ホズミは恐怖心からか、大きく肩を上下させ、まるでナメクジの歩みのように地面をこすり、道に足跡付けながらジリジリと進んでいく。
風は術を起動させた時の旋風に似ている。獣ではない、俺達以外の人がこの岩窟に居ると確信させた。
「はぁぁぁ、怖いです~、この影の先に何かあるのかと思うと……ふぇぇ、でも命に代えてもお守りいたしますよぉ~むぅ……でも足がすくんで動かないぃ。なんででしょう……」
へたれた声が気に食わない。
「ええぃ! お前を見ているとイライラしてくる。俺が見て来る!」
手燭を押し付け、ホズミの錆びた剣を奪い取る。軽い剣だが今の俺にはちょうど良い。大きな岩陰に身を隠し息を整える。
暗闇に感じる人の気配。
コツコツと規則正しく靴音を岩窟に反響させながら、悠然と何者かが歩いてくるのだ。
息を殺し、剣を握るその手に力が入る。
コツ、コツ……。
来る。
狙ったタイミング通り。人影は風と共にゆらりと岩の間を縫う様に現れた。
俺も同時に腕を振り上げたが、俺の剣は的を捉える事無く地面に叩き落とされてしまう。
「くそッ! 使えない腕だ」
丸腰となった俺に何者かが、黒い影となり覆いかぶさってくる。
「くっ、誰だ! 苦しい……放しやがれ!」
腰はガッチリと掴まれ、後頭部は押さえつけらてれる。
細身の男だが、今の俺には抵抗できないほどデカイ。
「おい! やめろ!」
まるで抱きしめられているような、屈辱的な姿勢に鳥肌が立つ。
「カ、カリガネ様……!」
ホズミが驚きの声を上げる。
「なにぃ! カリガネだと?」
力を振り絞り顔を上げると、至近距離に見知った顔があった。
湖の底のような深い碧色の瞳が俺を見つめ返してくる。
俺を胸に抱いているその男は、物静かで知性の塊のような優男、ゼスモニオ帝国第一皇子カリガネ。
銀色の髪が柔らかに俺の頬へ垂れた。
「なんだよ! お前かよ。驚かせるなよ……!」
ふーと大きく息を吐き、胸を撫で下ろす。随分早く来たじゃないか。
「はぁ……助かった! 見ろよこの姿! 最低だろう? 力を付けて戻るつもりがこの有様だ!」
「あぁ……まるで美の化身だ」
「はぁ?」
カリガネはより強い力で俺を抱きしめ、歓喜の声をあげた。
「素晴らしい……!」
「お、おい! どこ触ってんだよ」
まるで品定めをするかのように、カリガネの手が縦横無尽に俺の体を這っていく。
「ちょ……! おい、やめろ! 気色悪ぃ! 女の体なんてお前には珍しくもないだろうが!」
「あわわわ、カリガネ様ぁ……お気を確かに! その女性は美しいですがリュウト様ですぅ」
「いや、僕の追い求めた理想の女性だ」
カリガネの湿り気を帯びた吐息が耳にかかり、あまりの不快感に身の毛がよだつ。
「ふざけんなよ!」
隙を見て逃げ出そうとした俺の手首を、カリガネは片手で掴み上げた。
華奢だと感じていたカリガネの手も腕も、今の俺とは比べ物にならない程に力強く逞しい。
「おい! カリガネ!」
抵抗すればする程、持ち上げられた肩が抜けそうに軋む。
ホズミが必死で俺をカリガネから引き離そうとしているが、軽くいなされ転がっていった。
「くそ! 離せって! おい、カリガネ……! 正気になれ! 俺が美しいのは分かるのが早まるな! ガキの頃から一緒だっただろ、俺だ! リュウトだよ馬鹿!」
「ああ、ずっと一緒だ、これからもな」
「な……」
カリガネの恍惚にも似た表情と、絡みついた視線の先を思えば本能的に逃げないとヤバイと思わせた。
真剣なその顔は俺へと吸い寄せられるように近づき、頬には手が添えられた。
「カリガネ! よせって! 俺だよ! 俺!」
「きゃああ! 駄目です!その方はリュウト様ですってばぁ」
「この阿呆が! やめろ! 早まるな!」
咄嗟に目を閉じたが、現実からは逃れられなかった。俺の唇へとあてがわれたその感触は……表現したくも無い。