表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/77

リトルプリンセスと美貌の騎士

時間軸が前回とは異なります

 朝食はいつもお爺様と二人きり。


「夏帆さん、最近はどうだい?」


 何、とは聞きませんの!お爺様が夏帆に訊ねるのは学校の事ばかりですもの。


「とても楽しいですわ!それに今日はお姉様もいらっしゃいますし」


 カチャリとフォークを置くと、タイミングよく琥珀色の紅茶の入ったティーカップが差し出される。

 添えられたレモンを一つ中に落とせば、色が変わって、まるで魔法みたい!


「お爺様には心から感謝しておりますのよ!お姉様の事を『特別な先生』として迎え入れてくださって、夏帆、とっても嬉しいですわ!」

「うんうん。それは良かった」


 お爺様は、同じタイミングで運ばれたティーカップに口に付け、中を覗いて少し困ったような顔。


「夏帆さんの買うお茶は、いつも不思議な味だねぇ」

「うふふ、お爺様には夏帆特製の健康に良いお茶ですの!お爺様、いつまでもお元気で長生きしてくださいましね!ではお爺様、行って参りますわ」


 メイドから鞄を受け取り、従僕に伝える。


「今日は歩いて行きますわ」


 今朝引いた占いカードは『幸運の極大』何か良い事が起こるはずですの!

 それに、念を押して『願いの叶うハッピーキャンディー』も舐めましたもの、完璧ですわ!


「まぁ、今日は少し肌寒いですのね」


 ぶるっと身震いをして見上げた空は高く、雲ひとつない快晴。それなのに冬を控えた町の空気は冷たい。


「あーあ!お姉様に寄り添って歩けたら暖かいのに……」


 空を見て思い浮かぶのは、お姉様の事ばかり。

 まるで雪球が急坂を転がりながら、大きくなるように、夏帆のお姉様への「好き」は毎日、募っていくのですわ。

 お姉様の事を考えるだけで胸が温かくなるんですもの。

 ……お姉様も夏帆の事を同じ位、思い浮かべて下さっていれば良いのに!


 家から少しだけ歩いて、大通りを抜けたら、学校はもう目の前。歩いているのは同じ制服姿の生徒ばかり。


「柊さん、おはよう」


 同じ緑のリボンの二人組み。


「ごきげんよう」

「歩きなんて珍しいね」

「たまには歩きますのよ」

「そうなんだー!でもちょっと残念かも!実は私たち、いつも運転手の人、カッコイイねって話してたんだよね」

「あら?では、そう伝えておきますわ」

「キャーッ、ダメダメ、本人には言わないで」


 二人組みはキャッキャッと騒ぎながら、次から次へと話しかけてきますの。


 同級生と話すのは苦手ですわ……。


 皆『友達になりたい』なんて近づいて来るくせに、夏帆が少し踏み込めば、距離を置いて去っていくのですもの。置いていかれる位なら、一人の方がずっと気軽でしたのに。

 それに「不思議ちゃん」なんてあだ名までつけられて……!

 ああ、お姉様!早く夏帆をお姉様の元に連れ出してくださいまし!


「わぁ、遠目で見ても綺麗」

「柊さん、あっちから来たよ、お姉様先生」


 二人組みが黄色い声を上げ、視線の先には……!


「お姉様ぁ!」


 たまらず駆け出していましたの。

 占いカードが当たったのですわ!それともハッピーキャンディーのおかげかしら?

 お姉様は白い手を優雅に振って、夏帆に微笑んで下さるのですわ。


「よぉ、夏帆」

「あ……柊さん、おはようございま……」


 七瀬先輩が頭を下げた拍子に、お姉様の肩にぶつかって「何やってんだ」と、お姉様が笑う。

 夏帆の前でお姉様とベタベタするなんて、酷いあてつけですのね!

 七瀬先輩に取られないよう、お姉様の細い腕を両手でぎゅっと握る。


「お姉様!今日は夏帆に会いにいらしたのですよね?」

「続きを仕上げなくてはならないだろう」

「続き……?ですか?」

「なんでもありませんの!」


 鬼探しのポスターを作っている事は、二人だけの秘密ですわ。


「お姉様、お姉様」


 大好きな私のお姉様!

 毎日お姉様の事が好きになって、このままお姉様の事を好きになりすぎたら、夏帆はどうなってしまうのかしら……。


「お姉様」

「なんだよ、朝から煩わしいな」


 口調はぶっきらぼうでも、夏帆を見る目はとっても優しいのですわ。


「呼んでいるだけ、ですの!」


 お姉様は少し間をおいて、ちょっと困ったように夏帆を見る。でも、桃色の唇が笑みの形に変わって……・。

 ああ……あの唇が、夏帆に触れたのですわ。

 夏帆は、もう一度お姉様に口付けを頂きたいのに、お姉様は口付けも、その先もなさらないのですわ……。

 こんな事考えて、はしたない!


「わ!急に飛びつくヤツがいるか。危ねぇな」

「……柊さん、今日も元気ですね」


 うふふ!素敵な朝ですわ!きっと今日は良い日になりますわよ!

 空気は高く青く澄んで、隣には大好きなお姉様!

 暖かいお姉様の手を握り、夏帆より少しだけ背の高いお姉様にもたれて歩くと、お姉様の良い香に包まれているみたい。

 瞳を閉じて深呼吸。

 夏帆の中がお姉様でいっぱいですわ!


「お姉様先生ー!」

「お姉様先生、おはようー」

「おはよう。しっかり勉学に励めよ」

「はーい!」

「……」

「あ!お姉様先生!おはようございます!」

「……」


 パタパタと幾つもの足音がお姉様の周りに集まっては消えて、同じ数だけ苛々が募りますの。

 お姉様は夏帆のお姉様で、夏帆だけの先生ですのに!


「あの……リュウトさん、いつの間にか人気者になってないですか……?制服を着た先生なんておかしいのに……」

「フフン、この類稀なる美貌が小娘共を惹き付けてやまないのだ。俺を目当てに、入部希望の者がやってくるのだろう?」


 そうなのですわ。

 お姉様が魔術研究会の顧問になってから、毎日入部希望の子が現れますの!


「お姉様!夏帆は他の子とは違いますわよ!」


「一緒にしないで下さいましね」そう言って見上げると、お姉様の薄茶色の瞳の中に、夏帆が映って……心臓が止まりそう……。

 お姉様は何も言わず、夏帆の頭をポンポンと撫でてくれましたの!


 そうですわ、夏帆はトクベツですもの。


 お姉様が本当は悪魔で、悪い王子様に魔法にかけられて人間の姿をしている事は誰も知らないのですわ!

 それに、七瀬先輩も知らない夏帆だけが知っている秘密もありますもの。

 お姉様はお姫様プリンセスに生まれたのに、心は王子プリンスなのですわ。


「穂積……お前はもう少し俺へと羨望の目を向けるべきだと思うがな」

「充分向けてますよ……毎日必要以上に驚いていますから」


 ……あーあ!

 七瀬先輩のお家じゃなくて私の家にお姉様が来てくだされば良いのに……!七瀬先輩を睨んでも、先輩からは会釈が返ってくるだけですわ。


「あら?七瀬先輩、今日は髪に素敵な編込みを入れてらっしゃいますのね」


 七瀬先輩の髪には綺麗な編込みが入っていて、いつもと同じように束ねているだけなのに、まるでアレンジを加えているよう!


「お似合いですわ」

「あ、ホントですね……髪がボコボコしてます」


 七瀬先輩は不思議そうに、後手で髪を撫で「いつの間に」と表情を硬くして、お姉様を見た。

 お姉様は「くそ、見つかったか。絶対に取るなよ」と、その手を払う。


「……お姉様が七瀬先輩の髪を?」

「フン。いつもボサボサだからな。今日は見かねて寝ている内にやったのだが、この女、髪もとかさず束ねるものだから、今まで気が付かなかったのだ。信じ難い事だろう?」

「きょ、今日は時間が無くて……!それに私なんかがお洒落したって変わらないじゃないですか……」

「……」


 ずるいですわ!

 七瀬先輩は本当にずるい!

 いつもお姉様が隣にいるのが当然のように振舞って!

 それに七瀬先輩は馬鹿が付くほど鈍いのですわ。お姉様が折を見て、教室に先輩の様子を覗き見に行っている事にも、きっと気づいてなんて無いのでしょうね。

 下駄箱に入れられたゴミが減ったのも、お姉様のおかげですのに。


 ……夏帆と先輩、何が違うの?

 どうすれば夏帆も七瀬先輩のようにお姉様に守っていただけるのかしら……?


「そうだ、後で夏帆の髪も編んでやろう。魔界風にしてやる。手入れされた綺麗な髪だ。きっと似合うぞ」


 お姉様は「柔らかく良い髪だ」と夏帆の髪に手櫛を入れ「良いだろ?」なんて夏帆の顔を覗き見て……。


「……七瀬先輩よりずっとずっと、綺麗に編んでくださいましね!」


 凄く悲しくて嫌な気持ちが、一気に幸福な気持ちに変わって……お姉様もずるいですわ!

 怒りの気持ちが伝えられないのですもの!


「あの……柊さん、顔が赤いみたい。熱があるんじゃないですか?」

「熱なんて!大丈夫ですわ!」


 頭がぼーっとして、のぼせそうに身体が熱いのは、お姉様が隣に居るからですもの。


「確かに赤いな」

「お姉様……!」


 お姉様が夏帆の額に手を当てて……。


「熱いぞ、無理してるんじゃないか?」


 そんな心配そうに見つめられたら、もっと身体が熱くなってしまいますわ!


「夏帆は元気ですの!きっと熱が出たのはお姉様のせいですわ」


 お姉様は「なんでだよ」と鼻で笑って「無理するなよ」と微笑んでくださいますの。

 優しい優しいお姉様!

 今日は一日ずっと一緒ですのね!


「じゃあな穂積、しっかりやれよ。何かあったら部室に来い」

「うん、でも大丈夫」


 部室棟への入り口で、七瀬先輩とはお別れ。さようなら、ですの!これからは夏帆とお姉様二人の時間ですわ!

 お姉様とお茶をして、一緒にポスターを描きながらお喋り……!

「夏帆といると、楽しさに時間も忘れてしまう」なんて言われてしまうかも、ですわ。

 お姉様の長い足がピタリと止まると甘栗色の長い髪が、サラサラと揺れて綺麗。


「夏帆、お前も自分の教室で授業を受けて来い」

「どうしてですの?嫌ですわ!夏帆はお姉様と居ます!」


 夏帆はお爺様から学校にさえ言っていれば、何をしていても良いって特別に許可を貰っているのですもの。

 それは魔術士修行に外国へ行こうとした夏帆を止める為に、お爺様が出した提案で、夏帆は仕方なく飲んだのですわ。

 だから魔術研究会が夏帆の教室ですもの。


「勉強はしていますわ!家庭教師がついていますもの、問題ないのです!」

「学友と仲を深めてこそ、学生だろう」

「夏帆はお姉様との仲を深めたいのです!」


 お姉様の腕にしがみ付いて「離れませんわ」と抗議をすると、お姉様は「困ったヤツだな」と鼻に皺を寄せる……でも、お姉様は夏帆の手を無理に振り解いたりはしませんの。

 優しいお姉様、大好きですわ!




 *****




 キュッキュッ

 俺の走らせるペンの音だけが、この薄暗い部室に響いていた。

 キュッ


 ――我ながら良く書けている。しかし、ホズミはもっと間抜け面だ。ここはこう直して……と。


 キュッ

 座る俺の腰に、もたれかかるように抱きついている夏帆の退屈そうな顔が目に入った。


「……だから言っただろう、自分の教室に行けと」

「嫌ですわ!」

「これが終わったら相手をしてやる。学生は学生らしく学びに励んで来い」

「夏帆は、お姉様の側でこうしているだけで幸せなのです!」

「そうは見えんな」

「気にしないで下さいまし」


 聞こえるようにわざと、深いため息を付き、また画用紙へと向き直った。

 夏帆のふわりとした髪も、今は俺がまとめてやったので少しは大人びて見えるが、子供は子供なのか。

 普段から「お姉様、お姉様」と纏わり付くが、今日は度が過ぎている。


 これでは、王宮で侍らせていた女と、同じ時を過ごしているようだ。


 女が俺の気を引こうと肌を露出するように、夏帆も時折、俺の食いつきそうな話「魔法の店」と「モモリン」の話題をふってくる。

 今は忙しい。付き合えない。黙るよう伝えても、時が立てば、また振り出しに戻るのだ。

 そして、高揚したように頬を赤らめ、潤んだ瞳で俺を見る。

 その様子から、俺は男に戻っているのでは?と、錯覚したが、華奢な指先を見る度に女であったと自覚させられた。


 ……人間の娘の性癖も分からないものだな。


 キュッ……


 救いを求めるような瞳が俺の集中力をそいでいく。寝ていてくれた方がいくらかマシだ。


「ハァ……どうして欲しい。言ってみろ」

「側に居るだけで……」

「もし具合が悪いのなら保険室に行け」


 夏帆の大きな瞳が涙で濡れていく。

 思わず「またか」と、口からこぼれそうになるのを飲み込んだ……女の涙は苦手だ。


「迷惑ですのね……」


 そうだ。とも、違う。とも言わなかった。だが、それは肯定した事と同語だったのだろう。

 夏帆は鼻をすすり、ぽろりと涙を落とした。

 今日の夏帆は、どうしてこうも情緒不安定なのだ。


「まったく面倒な奴だな。前にも言ったが、俺は姿こそ女だが女では無い。お前が理想のお姉様像を求めても、俺はそれには答えられんぞ」


 夏帆は何も言わず、瞳を潤ませ俺を見ている。


「俺の姉上方は、よく二人で花を愛で刺繍に興じ、詩を読み暇を楽しんでいた。お前はそれを俺としたいのだろう?」


 夏帆はコクリと頷いた。


「無理だな。俺がお前を楽しませてやれる事と言えば、魔界史や文字、剣の振り方の手解き位だ」

「……お付き合いいたしますわ」

「フン。とにかく今は無理だ。教室に戻るか、魔術の本でも読んでいろ。本の真意が知りたければ、聞いて来い。いつでも教えてやる」


 夏帆は何も言わず、頬を膨らませ、ぷいと横を向いて見せた。

 このまま構わずに居ると「こんなに近くに居るのに、お姉様との距離が遠い」と、また泣くだろう。


 魔界の女のように疲れさせ黙らすという訳にもいかない……。

 いや……その作戦で行くか?

 それなら俺も楽しめる。


「夏帆、膝に乗れ」

「え……?」


 ペンを置きソファに深く腰掛け、背をもたれ「ここだ」と自分の腿を叩いて見せた。


「来い」


 夏帆の軽く小さな尻が、遠慮がちに膝に乗る。


「椅子じゃないんだ。逆だ逆、俺に跨がれ」

「こ、こうですの?」


 スカートが捲り上がり、滑らかな二人の脚が、しっとりと重なる。

 女の肌と肌、男ではけして味わえなかっただろう。

 俺を見下ろすその顔は、戸惑いと期待に揺れ、頬をバラ色に染めていく。

 スカートの上から、薄い腰に手をかけると夏帆の太腿がピクリと弾み、力が入ったのが伝わってきた。


「ど、どうなさいましたの?」

「……」


 華奢な骨格、軽い体、小動物でも乗せているようだ。

 穂積を膝に乗せたのなら、こうはいかないだろう。柔らかで極上の抱き心地の穂積だが、重いのだ。

 暫く夏帆を膝に乗せ、向き合ったまま何もせず過ごした。

 校庭で球技に励む娘達の声と二人の息遣いだけが、静かな部室に響く。

 次第に期待に満ちていた夏帆の瞳に、不満の色が見え始めた。


「あ、あの……お姉様?」

「……側に居るだけで良いのだろう?」


 ふてくされたように唇をキュッと結んでみせた。髪を撫でると安堵の色を見せ、子犬のように俺の手に頬を寄せる。


「お、お姉様が何をなさっても、夏帆は怒りませんわ!」


 その瞳は真剣で、意を決した一言だったのだろう。しかしその子供っぽいセリフが可笑しく、口元が緩んだ。


「しないよ」

「な、どうしてですの……!」

「俺は、何もしない」


 言葉の意図を察したのか、夏帆の顔に緊張が走り、無意識なのか「うぅ……」と唸った。


「さぁ、夏帆。どうする?」


 夏帆が俺の手をギュッと握った。


「夏帆はお姉様に、キスいたしますわ!」


 口調こそ強気であったが、手は汗に濡れ、僅かに震えている。

 夏帆は荒い息をついて胸を上下させながら、俺への距離をゆっくりと詰めて来た。湿った甘い吐息が、俺の産毛を濡らす。

 冗談だ、と笑ってやり過ごすつもりだったが、この距離が頭の芯をのぼせさせる。

 恋に焦がれ魔法に夢見る少女も、いずれ大人になり、こんなお遊びなどに動じなくなるのだろう。

 それどころか、人懐こく好奇心が大盛な夏帆は男を手玉に取るようになるのかもしれない。

 そう思うと、俺の手で蕾みの内に花を散らしてやりたくなる。


 ……だが、以前とは違う。夏帆を面白半分に弄んでは後々面倒だ。

 唇が重なるその寸前で、俺は夏帆を強く引き抱きしめた。


「悪かったな」

「お姉様……」


 緊張から開放され、操人形の糸が切れたように、夏帆の体から力が抜けた。

 頬を上気させた夏帆と目が合う。


「が、我慢できませんの」


 夏帆はとろんとした瞳を揺らし、唇を押し付けてきた。

 柔らかな唇が互いの唾液で湿っていく。


「ンッ……ンァ」


 夏帆は息を吐くように短く声を漏らし、大胆に冷たい舌を俺の口腔へ深く奥へと這わせる。

 いやに積極的なその様に動揺を隠せない。

 次第に冷たいと感じていた夏帆の舌も、俺の体温と重なり合い、まるで一つに溶け合っていくように錯覚する。

 ヂュッと立った下品な音に、興奮するのか夏帆が悶えた。


「ン……ン……」

「ちょ……」


 夏帆は俺を求め続ける。


「しつこいぞ」

「アッ……お姉様ぁ、止めないで……」


 身を引いても、夏帆は子犬のように俺の唇をペロペロと舐めてくる。


「いや、れふ、もっとして下さいまし」

「お、おい」


 夏帆に押し倒され、ソファに沈み込んだ。

 夏帆の小さい手が俺の胸にふんわりと沈んでいくが、のぼせていた俺の頭は逆にスーッと冷えてきた。


「お姉様ぁ……夏帆にエッチな事を教えてくだはい」


 夏帆は、口元からだらしなく銀色の糸を垂らし、うつろな瞳を潤ませていた。


「……こんなに濡れていますのよ」

「ちょっと待て、ど、どこ触らせる気だよ」


 色ボケしているとしても、普通じゃない。


「……お前、変なもの食ったな……」


 ハァハァと息を切らす夏帆から、漂う甘い香――知っている。


「媚薬か?」


 淫魔の香に良く似ていた。


「お姉様ぁ……体が熱いの……夏帆、おかしくなって……は、恥かしい……で、でもぉ」


 涙目で訴える夏帆を抱きしめた。


「バカだなぁ」


 しかし、こんな物が人間界に出回っているとは……。

 淫魔の香を模した媚薬は欠陥品。魔界の者にはまず効かない。

 しかもその媚薬の効果は、愛情の深さでかかり方が違うというのだ。

 つまり愛の無い相手にはその効果は得られない。


 俺がこんなにも夏帆に愛されているなんて……。


 しかし、相思相愛の者が使うには大きな欠陥があるのだ。


 仕方が無い。と深いため息をついた。

 泣きながら俺を求める夏帆を宥めるように、軽く口付けをした。


「夏帆、愛してるよ」


 淫魔の媚薬は愛を囁くと、その効果が切れるのだ。


 夏帆の瞳は驚きに揺れ、静かに閉じた。




 *****




 キュッキュッ


 陽射しが瞼に透けて、眩しい。

 部室の窓、お姉様が開けたのかしら。

 でも、温かくてふわふわなこの感触……!


 キュキュ


「やっと起きたか」


 頭の上から声がして……!


「お、お姉様のお膝で寝ていましたの?」


 はしたない!飛び起き、そして、口元が濡れているような感覚に慌てて拭う。


「涎を垂らして寝ていたぞ」

「そんなぁ……!」


 お姉様は「フフン」と笑って「冗談だ」と優しい目。

 白い肌が陽に溶けてキラキラと輝いているみたい!


「夏帆、お姉様の夢を見ていましたわ」

「いやらしい夢だろう」

「ち、違いますわ!」


 でも、少し本当ですの。

 恥ずかしくて、顔が合わせられないですわ!

 だから、書庫から一冊本を取り出して魔術のお勉強。

 鬼探しのポスターを描くお姉様の隣で、本を読んで過ごせるなんて、幸せな時間ですわ!


「お姉様、この術札、魔界の鬼を呼び出すって書いてありますわ」


 石鹸の香のするサラサラな髪が夏帆の肩に触れて……ドキドキで息が止まりそう。


「これは偽物だな」


 お姉様は素っ気無く言って、又ポスターと向き合う。


「偽物ばかりですのね」


 大きなバツ印を書き加え、パタンと本を閉じる。

 こんな分厚い本なのに、本物の魔法があったのはたった一頁だけ、それも野菜を長持ちさせる陣だなんて!


「なぁ、変わった物を食べなかったか?」

「変わった物ですの……?」

「甘い香の飴玉とか」


 お姉様が「これ位の物だ」と、指で丸い輪を作る。


「食べましたわ!願いの叶うハッピーキャンディー!朝からお姉様に会えるように願いましたの」


 お姉様は「そうか」と深くため息をついてから、少し気まずそうに笑う。


「お姉様?」

「いや良い。帰ったら、すぐに捨てろ」

「どうしてですの!」

「大切なものを無くすぞ」

「大切なもの……?」

「返事は?」

「は、はいですわ!」

「それから、爺さんに変な薬を飲ませるのは止めろ。お前も口にするなよ。もし道を踏み外したら助けてやるが、この腕では限界がある」

「……お姉様、夏帆の事も守ってくださいますの?」


 お姉様の凛とした真直ぐな瞳が夏帆を捕らえて……。


「当然だろ、守ってやる」


 そして少し照れたように、はにかみながら、ペンを握りなおしてテーブルに向ってしまう。


 ああ!……目が回りそう!


「本当ですの?お姉様、夏帆の事を守って下さいますのね」

「そうだと言っただろ、煩わしい。何度も聞くなよ」


 お姉様!私の大好きなお姉様!

 お姉様は悪魔でお姫様で王子様で騎士様なのですわ!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ