片割れの黄金比-9
草木が群がり茂る藪を抜け、わずかに開けたその場所に廃寺はある。
数日前に穂積と夏帆と見つけた棺も、今や焦げ炭となって朽ちていた。
見慣れない何かが、草の間で陽の光に反射している。
「これは……」
散乱した赤い破片。見るだけで陰鬱な気持ちにさせられる。カリガネのあの仮面だ。
周りを見る。
雷にでも打たれたように大きな亀裂が入った木々、不自然な大穴の開いた社の屋根、抉れた大地。
争いの形跡だ。
リンネを見ると、満足そうに片眉を上げた。
「ここで一晩、狩をしていたと言うわけか?」
「明かりに群がる羽虫のように湧いて出たぞ。全て叩きのめしてやったが、まるでアルドバガブルだ。カリガネはよほど俺が憎いらしい」
「フン。カリガネは女の俺に固執しているんだ」
破片を一つ拾い上げ、放り投げる。ホズミが「ニャア」と一度鳴き、足に背を擦り付けた。慰めているつもりなのだ。
「相棒だと思っていたのは俺だけか」
リンネは自虐するように笑い「安心しろ。あの指輪は遠くの海に捨てて来た」と仮面の破片を踏みつけた。
少女が見たと語った“向い山の悪魔と人影”とは、リンネが仮面の者と戦っている姿だったのだろう。
「なぁリンネ。一つ確認させてくれ、子供の頃の事だ」
「子供の頃?」
「ああ、カリガネと出会った頃だ。この姿になってから記憶が曖昧になることがあるんだが……」
口に出し、言葉にしてしまう事で疑問が真実になってしまうような恐怖を感じ、一時躊躇したが、リンネが顎を上げて続きを促した。
「過去、自分が少女であったと錯覚する事がある。すっかり忘れていたが、お前のその名、正しくはリンネではなく、リンネロッタと少女の名ではなかったか?」
リンネは少し考える仕草をすると「まさか」と眉をしかめ首を左右に振った。
「確かに、力も弱く小柄な子供であったが、女だった記憶は無い」
そう断言する口調は強く、自己を肯定されたような安堵を覚えるが、リンネが俺ならば結局正しい答えは出ないのかもしれない。
リンネは幼子でも宥めるように、俺の髪を撫でつけ目で笑った。
「案ずる事は無い。堂々としていろ。お前は、お前こそが悪魔リュウトだ。他の何者でもない」
「ん?やけに素直じゃないか」
リンネのその手を払いのけたが、俺を見る目は真剣だ。
「早く言わなくて悪かった。いや、分かっていても、信じたくなかったと言うべきだろうか?本物の記憶があって意思を持って動いているのに。まさか、と思うだろう――」
リンネは肩を上げ、言いにくい事を伝えるように息を吐いた。
「自分が人工生命体であるとは」
「なっ……!ホムンクルスだと?」
リンネは「ああ」と微かな笑みを浮かべると、棺の方へ向って歩いていく。パリッと乾いた音が鳴った。リンネが棺の木片を踏んだのだ。
「この破片よく見てみろ。小さな文字が書き加えられているだろう?どうやらこの木箱全体が術札となっていたようだ」
リンネの指し示す通り、術らしき陣や文字が書き込まれた形跡が僅かに見える。しかし、その殆どは焼け焦げて読み取れない。
「俺がもう一人と増える前に燃やしてやったよ、次々と量産されてはたまらん」
「しかし、どうやって」
夏帆のホムンクルスを作った時のように血液や髪といった元となる生物の一部が必要なのだ。
「服に付着した髪から、とは考えられないか。俺が着ていたあの金獅子の肩掛けあれは俺の物だっただろう」
「ああ、なるほど」
魔界でホズミに預け、人間界でリンネが着ていたあの衣服や装飾……。
「だが、信じがたい……自立したホムンクルス。それも複製を作り出すとなれば、かなり高度な術だぞ。しかも、その完成度。人間界で成り立たせるなんて、よほどの術者だ」
魔界でも指折りの術者だろう。リンネを改めて眺める。どこを取っても俺である事に相違ない。
「完成度?そう高くもないさ。はじめは俺も自分が作り物であると、確信できずにいたが、これを見ろ」
リンネが外套を脱ぎ捨てると、ホズミが「ニッ」と悲痛な声をあげた。
あるべき漆黒の翼、それがリンネの背には無かった。変わりにあるのは白く流木のようにひしゃげた骨格だけだ。
「泥のように翼が溶けていったよ」
悪魔の翼は象徴であり誇り。己の無残なその姿、その衝撃に胃の中の物が逆流し、声も出せずただ口元を押さえた。
「安心しろ。こんな惨めな姿、他の誰の目にも晒してはいない」
リンネは見せつけるように肩を上げ、変わり果てた翼を広げて見せた。
「……フン、骨だけになっても美しいじゃないか、俺の翼は」
吐き捨てるように告げると、リンネは「そうだろう」と笑った。
翼が姿を変えたその時、リンネは冷静でいられただろうか、その表情からは絶望は読み取れない。
いや……リンネが俺であるように、俺もリンネなのだ。
耐えられぬ苦痛なんてない。
「なぁ。この翼、宵闇の悪魔を思い出さないか」
地図を広げ冒険を夢見る少年のような顔で、リンネが懐かしい名前を口にした。
宵闇の悪魔。
銀髪で碧眼の美しい悪魔で、俺の師とも呼べる大悪魔の異名だ。
悪い遊びは、宵闇の悪魔から教わったと言っても過言ではない。
「あれは胸を打ったなぁ」
「ああ、あの蒼く燃える翼、本当に美しかった」
宵闇の悪魔は、殺した女への贖罪に自らの翼を炎に投じ、双翼を今のリンネのような骨翼へと退廃させたのだ。
ゆらゆらと舞う炎。
翼を宵闇の色に染め、叫喚を上げる宵闇の悪魔。
目の前で起きた狂行は刺激的で美しいものだった。
「しかし、カリガネも同じように狂っていたか。やはり血は争えないな」
俺とリンネは秘密を共有しあう子供のように笑った。
そして宵闇の悪魔はカリガネの兄だ。
宵闇の悪魔は常軌を逸して狂っていたが、最期は正気に戻り野垂れ死んだ。
カリガネが平静を装いながら狂っていたのだとしたら。
その口から兄を語る事は無かったが、似ていると感じた事はあるのだろうか。
「……こんな馬鹿げた術を誰が起こしたのか、この手で突き止めてやりたかったが、残念だが時間切れのようだ」
時間切れ。
夏帆のホムンクルスが数分で命を終えたように、リンネに残された時間は長くない。
翼と同じように身体の至る部分が崩れていくだろう。
「俺は命を賭けて戦い、カリガネからお前を守れたのなら、命を落としても後悔などしない。だが、術が切れ、物のように朽ちるなど、悪魔リュウトとしてのプライドが許さない。そうだろう?俺は自分で自分の人生の幕を閉じてやる」
リンネの言葉に暗さは無かった。挨拶でも交わすような気楽さだ。
薄茶色の瞳が交わる。
「ニャーニャニャ……」
「猫になっていたとしても最期に会えてよかった。だが悲しむな、この俺は居てはならぬ者だ」
「悪くない人生だったな」
「ああ、上等だ」
リンネの両腕が俺の身体を強く抱く。別れの挨拶だ。その背を強く抱き返した。
「愛などくだらないと思っていたが、こんなにも胸を満たすのだと知った。お前も恋をしろ、ただし、報われる相手とな」
「こんな良い女、他にいないが、まぁ努力してみるさ」
「フフン。カリガネにだけは奪われるなよ」
「それは約束しよう」
リンネは薄く笑うと、剣を手に取り、刃を首筋にあてた。野望に満ちた瞳を揺らすその顔は端整で美しいものだった。
はなむけに最高に美しく見えるよう、リンネに微笑みかけた。
男の俺と、再びの別れだ。
リンネはまっすぐ俺を見据え、満足そうに目を細めると、その手を横へ引いた。
どさり、と呆気ないほど簡単に頭が落ちる。
そして体は操り人形の糸を切ったように、ぐしゃりと倒れ崩れた。
地に残ったものは生物の死体と呼べる物ではなかった。人の形すら残さず、あるのはただの血肉の塊と身に付けて居た衣服。それだけがリンネが立っていた場所にある。
翼の骨格は砂のように朽ち、サラサラと風に乗って消え去った。
「誰が何の意図で俺の複製を望んだ?」
剣を拾い、かつてリンネと名乗った肉塊に突き刺した。
リンネが言ったように、国に謀反を企てる者が居るのだろうか。
「ニャー……」
リンネの痕跡をしげしげと見つめ、うな垂れるホズミを抱き上げ、胸に抱いた。
「お前が俺の服を失くしたせいで、無駄な喪失感を覚えるはめになったんだぞ」
「ニー……」
ホズミは力無く鳴き、片方しかない耳を伏せた。
*****
「大丈夫ですか?」
顔を上げる。穂積だ。
いつしか陽も傾き、辺りは群青。
「あの、実はリンネさんが、リュウトさんが夜までに戻らなかった、ここに来るようにって……」
「……そうか」
「リンネは?」
誠司が後ろから顔を出した。
「……いるよ」
そう言って自分の胸を親指で指し示したが、二人の返事は無かった。この血肉の塊を見て、二人は何を思っただろうか。




