片割れの黄金比-8
紅葉した木々に見下ろされたベンチに深く腰をかけ、肩を落とし息を吐いた。
ボールを追いかける子供達が目の前を駆けていく。
「……そう簡単には見つからないな」
「闇雲に捜すのは無謀だったか」
隣に座ったリンネは、大きく腕を伸ばすと、そのまま俺のひざの上に倒れ込み、心地よさそうに目を閉じた。
「お前なぁ……」
自分の生首を膝に抱いているようで気味が悪いが、リンネを押しのける気力は無い。その頬をペシリと叩いたが、リンネは目を閉じたままだ。
「少し休ませてくれ、眠くてかなわない」
「どうせ徹夜で遊んでいたのだろう」
リンネは「ああ」と静かに笑い「アルドバガブルを倒すのに時間がかかった」と欠伸交じりに答えた。
モン・ドンに現れる架空のモンスターの名だ。大きな泡を吐き出す魔物の姿が思い浮かぶ。
アルドバガブルは倒しても、倒してもその子供が湧き、倒しきるまで、時間がかかるのだ。
「寝るのは構わないが、俺の膝を枕代わりに使うな」そう、言い切る前にリンネは寝息を立てた。
「まったく……」
しかし、その寝顔はひどく疲れて見え、顔色はかなり悪い。邪険にするのも可哀相かと情けをかけ、暫く膝の上で寝かせていたが、次第にその重さに耐えられなくなってきた。
だが、ここで音を上げるのはどうにも悔しい……。
男の頭の重さなどに屈する俺ではないのだ。詰まる所、これは自分との戦いか。
しかし、足先までしびれてくるとは想定外だ……。
一人悶々と圧と戦う俺に向け、通りすがりの老夫婦が微笑ましそうな視線を送ってくる。
随分と仲睦まじく見えているのだろう、俺の小規模な闘いなど知らぬ婦人は「あらあら、うふふ」と笑いながら「お天気が良くて気持ち良いからねぇ」と、道すがら声をかけてきた。
枯葉が若葉だった頃でも思い出しているに違いない。
年長者に敬意を払い、仕方なくそれに苦笑いと会釈を返したが、老夫婦が去ったのを見計らい「いい加減にしろ」と、リンネの鼻を指で弾く。
「……なぁ、考えたのだが――」
「お前、起きてやがったのか!」
睨みつけたが、リンネの瞳は閉じられたままだ。
「俺は国に殺されたかな」
「あン?突然、何を言い出すんだ」
腿を大きく上げると、さすがに居心地が悪くなったのか、リンネはようやく半身を起こし、寝ぼけた顔で俺を見た。
圧からは解放されたが、足の先までじんじんと痺れ感覚が鈍い。そして次第に感覚が冴え、敏感になってくる気配に身構える。
絶対に足に触れてはならない。と本能的に察した。
そんな俺の葛藤をつゆと知らずリンネは話を続ける。
「都合よく行方不明になった俺を、処分した事にすれば、イフリアも納得し開戦の理由は消えるだろう?戦には金もかかるしなぁ……。その上、右腕であった俺を極刑に処したとあれば、他の家臣への抑止にもなる。さらに言えば、男の俺は社会的に抹殺しておいた方が都合が良い。誰もが知る悪魔リュウトを女に変え妻に据えるとは、さすがのカリガネも公表したくは無いだろう」
リンネの言う事には概ね同意できる。
カリガネに一矢報いたかと思ったが、上手く利用されたのかもしれない。
「なるほどなぁ」と、感情の乗った相槌を打った事に気をよくしたのか、リンネが座る間を詰めて来た。足を触れられてはたまらない!と、少し仰け反ったその時――。
「!!!」
針で突かれたような衝撃が足を貫いた。
「スミマセーン」と複数の少年の声と共に、目の前をボールがコロコロと転がっていく。それを声にならない声で見送る。
「やられたな」
「あー!俺に……触るな……!」
再びビリビリとした痛みが体を走る。有ろう事かリンネが俺の脛を擦ったのだ!
「フハハ、そんなに痛かったのか?涙目になっているぞ」
「な……!誰のせいだと思ってんだよ」
「俺は何もしていないっと」
リンネは立ち上がると、足元のボールを子供達の方へ蹴った。ボールは大木を超えるほど高く上がり、子供達が「すっげー」と歓声を上げる。
それに満足そうに目を細めたかと思うと、リンネは真剣な表顔を作り俺を見た。
話の続きが、まだあるらしい。
「そこでマツムシの存在だ。魔界で死んだはずの俺を使い、謀反を起こそうとしているとは考えられないか?」
「……まさか。あのマツムシにそんな思想や野望があるとは思えない。そんな危ない橋、奴は渡らないさ」
マツムシは処世術に長けている。学生時代はカリガネに取り入ろうと必死で俺の従者を気取り、ちょろちょろと付きまとっていたような男だ。
「例え権力者の下に隷属していても、過ぎた野望からは逃げ出すだろう」
マツムシと改革は結びつかない。
「まぁ、それもそうか……ならば、マツムシの後ろには誰がついていると思う?」
「あの男の事だ、益者と判断した相手だろう。だがリンネ、それより俺にはお前の存在が一番不可解だ」
「ああ、その事だが――」
リンネが言いかけた言葉を、黄色い声が遮った。
「お姉様センセェ!」
向かいの砂場の先からだ。幼さの残る少女達が三人、パタパタと駆け寄って来た。
制服の襟元には穂積と同じ赤いリボン。名は知らないが見た事のある顔だ。
「お姉様先生?」
「俺の事だよ」
夏帆が俺を「お姉様」と、呼ぶせいで学校では「お姉様先生」などと、ふざけた名で呼ばれているのだ。
少女達の情報伝達の速さは恐ろしく、あっと言う間に呼び名が広がった。
「お姉様先生の彼氏ですか!?ヤバイ!めちゃカッコイイ!」
一人が興奮した様子で声を上げ、後ろの二人がキャーと叫ぶ。実際、叫んでは居ないのだが、その奇声にも似た声は、俺の耳には叫び声にしか聞こえない。
リンネを「彼氏ではない」と説く声も奇声に飲み込まれていった。
「お姉様先生の私服、すごいカワイイ!どこのショップのですか?」
俺の服を見て少女が賞賛の声をあげる。誠司に貰ったこの薄桃色のワンピースは、俺の可憐さを十二分に引き出した。リンネが俺の横で、恋人面をして睨みを利かせていたにもかかわらず、異性からの視線はいつも以上に熱く感じた程だ。
少女たちは「無理だよ、うちらじゃ似合わないよ」「可愛い系じゃないし」「足も、ししゃもだしね」と矢継ぎ早に言葉を並べ「キャハハ」と笑っている。
「お前たちは部活か?」
「今日、大会でー」
少女が手にした円柱の袋を持ち上げて見せるが、それが何の部活動を示すものか、俺には見当がつかない。ただ、短く切りそろえた髪と活発そうな少女達の言動から、運動部なのだと見て取れた。
「ねぇ、お姉様先生!不思議ちゃんの変な部活だけじゃなくて他の部にも来てよ、皆、お姉様先生と話したいんだよ」
「そうそう!」
少女達は師ではなく友との会話のように、気安く囃し立ててくる。
だが、異性であるリンネの事は気になるらしく、声をかける事は無いが、時折視線を送っては、目を合わせられずに俯いてみせる。
その様子に気を良くしたリンネが、ニコリと形良く笑って見せた。
「お姉様先生と慕っているのか?」
少女たちは、リンネに声をかけられると、頬を染め、誰がリンネと会話をするのかと探り合うよう、顔を見合わせた。
これが年頃の少女にあるべき可愛らしい姿なのだと思う。穂積や夏帆とは違う。
「お姉様先生、美人なのに偉ぶらないし」
「ほかの先生と何か違うしねぇ?」
「……なるほどな。君たち、大会があったと言ったが――」
リンネは、わざとらしく気取った声で、少女達に話しかけはじめた。
少女達の、はにかむような笑顔は、例え「先生」と慕われていたとしても、同性の俺にはけして向けられる事は無い。リンネに向けられる懐かしい感覚は羨ましくもある。
ため息混じりでそれを眺めていたが、少女の一人が思いもよらない事を口にした。
「お姉様先生の彼氏さん、向い山の悪魔に雰囲気が似てる気がするー!」
「向い山の悪魔だと?なんだ、それは」
向い山とは、たしか廃寺のある場所の通称だ。リンネと無関係とはまるで思えない。
リンネを見ると、明らかに何か顛末を知っているような顔をしていた。
少女たちの話しによると昨日の晩、向い山の上空を幾つかの人影が旋回し、それをかなりの数の人間が見たと言うのだ。
そして、空を飛んでいた者らの内の一人に、黒い羽根の男が一人居たらしい。
横目でリンネを見ると「俺も見たかった」と、口端を吊り上げている。
少女たちが立ち去った後「一体どう言う事だ?」と、リンネを睨むと、少年のような素直な笑顔を見せ「丁度、良い時間だな」と俺の手を取り歩き出した。
「お、おい!触れないと誓っただろう」
「忘れた」
「なんだと!」
「ハハハ、まぁ良いじゃないか。堅苦しい事は言うなよ。疲れているだろ?俺が手を引いてやる」
「フン、冗談じゃない」
リンネの手を振りほどき、心地の悪さからその手をスカートの裾に擦りつけた。
*****
覚えのある、獣道。
廃寺へと向う登り道だ。
リンネが腰に携えた剣がカチャカチャと音を立てている。
「息が上がってるな、おぶってやろうか?」
「フン。寝起きには良い運動だ」
「上まで飛んで連れて行ってやりたいが……今、お前を抱き締めたら俺は衝動を止められるか分からない」
「気色の悪い事を言うなよ」
寂しげに笑うリンネの横顔が気に掛かる。
廃寺に何があると言うのだ。
「あの人間の娘」
思い出したようにリンネが口を開き、空に手でひょうたんを書くような仕草を作った。穂積の事だろう。
「随分と素直にお前を受け入れていたが、何か弱みでも握っているのか?」
「フン。まさか。あれは、ああいう性格なんだ。良くも悪くも自分を抑えるような生き方をしてきたせいで押しに弱い」
そして、望み努力すれば手に入る可能性も諦めている。そんな少女だ。
「……良い体を、していたな」
「な……!」
「フフン、見る所は同じだろ?」
「俺が寝て居る間に手を出しては無いだろうな」
リンネはせせら笑って見せたが、穂積の様子から察すれば何も無かった事は分かる。
視線の先、背の高い草が左右に揺れ、鈴の音と共に小豆色の頭がにょきっと、地を這うように飛び出してきた。
「ホズミじゃねぇか」
「ニー」
「夏帆は?」
「ニャッ」
ホズミが首を振った。いない、という事だ。
「ホズミは俺が呼んだ」
リンネはホズミの首根を掴むと、ぶら下げ「猫の方が似合いだと思わないか」と笑った。
「無駄口を叩かない分、静かな猫の方がマシだろう」
「ニー!」
「ホズミ、誰も来なかったか?」
ホズミは得意げな顔で「ニャ」と一度鳴く。どうやらリンネと組んでいるようだ。
「一体、何だって言うんだ?向い山の悪魔さんよ」
リンネは何も言わず、憂鬱そうな笑みを浮かべ、ただ俺の手を取ると黙々と緩やかな登り道を歩いていく。
絡められたその指は冷たかった。
廃寺の屋根に交差して伸びる板木が木々の間に見えた。道の終わりだ。




