片割れの黄金比-5
マツムシを探す事など、怒りでどうでもよくなっていた。
とにかく、今は一刻も早くリンネの傍から遠ざかりたい!
「そう、怒る程の事では無いだろう?」
「……ついてくるな!お前の事を信用した俺がバカだ!」
しかし、どんなに大股で踏み出そうとも、リンネの一歩に及ばず、歩く速度を上げてもリンネを引き離せない。
「あれは挨拶代わりのようなものだ」
「そうだろうな!だが俺は今、俺に失望しているんだ!」
ピタリと足を止め、ぜいぜいと乱れる息を整え振り返ると、汗一つ掻いていないリンネの呆れ顔が隣にあった。
今すぐこの場で張り倒してやりたいが、無残な結果になる事は分かっている。
実際、平手を飛ばしたその手が、頬へと着地する前に握り締められたのは、数分前の出来事だ。
せめて、怒りが伝わるようにと指を突きつけ、大げさに捲くし立てた。
「俺の容姿に惑わされるとは!なんて好色で、みだりがましい男だ!よくも、この俺に……!」
感覚を思い出す前に慌てて口元を拭い、身震いした。
飛ぶための手段とは言え、抱き合う形でリンネにしがみ付いたのは俺の落ち度だが、まさかあんな破廉恥行為に及ぶとは!
俺の姿が鼻先にあればと、気持ちは分かるが実行するなど許せない。
「逃げ場のない女に対する傍若無人な振る舞い!許されると思うな!」
「フン、くどいぞ。大騒ぎする事ではないだろう。それとも、美しさに敬意を払ったとでも言えば満足か?」
リンネは悪びれもせず、呆れたように鼻を鳴らしてみせた。
魔界での日常なら「もう、リュウト様ったら」と甘い声で許されただろう。
だが、相手を考えろ。俺だぞ!
「それよりお前が空で大暴れしたせいで、マツムシが見つからなくなった事については、どうしてくれる?」
「俺への謝罪が先だ!」
「謝罪だと?この俺がか?」
「当然!許可なく乙女の唇を奪った罪は重い!」
「フン、たかが口付けの一つでこの悪魔リュウトが謝罪などするものか」
「俺がリュウトだ!」
「お前が本物だという証拠は無い」
わざとらしく嫌味な言葉を並べているのだと分かっているが、悔しい!
睨み付けたリンネの顔が、じわりと涙で滲んでいく。
罵倒の言葉を口に出そうと思えば思うほど、感極まって声が上擦り言葉が出ない。
女になってからと言うもの、感情の高ぶりで簡単に涙が出るのだ。そう訴えてもリンネには分からないだろう。
リンネは「俺がこんな事で泣くとは思えん、やはりお前が偽者だ」と、せせら笑っているのだ。
男であれば剣を取り、腕力で争う事もできるというのに!
怒りに任せて地面を蹴ったその足がじんと痛い。
「ああそうか。お前が俺だと言うのなら、その体は俺の物だ。ならば俺が俺の体に何をしようが俺の自由だと思わないか?」
「そんな道理が通るものか!」
俺を煽り見るようなリンネの視線に、ゾッとした。まるで父王に瓜二つではないか!
そして腕を組み「どうした?」と、急かすように指先でトントンと腕を打つリンネの仕草は、より強く父王を連想させる。
動き喋る自分の姿がこうも不愉快に感じるなんて……。
「貴様の、そのいかにも王家の血族といった悪魔にありがちな鼻持ちならない尊大さと傲慢さ……恥を知れ!」
「ほう、俺を侮辱するのか」
「俺がせずに誰がする!リンネ!貴様は速やかに非を認め謝罪し、この俺の可憐な身を汚すような真似は二度としないと誓え!」
「ハッ、まずはお前が俺を侮辱した事を謝罪しろ。さすれば、やぶさかではない
なんて高圧的な態度!
魔界では大悪魔と畏怖され、異名を名乗り、あらゆる者からチヤホヤともてはやされた挙句、選民意識を基本に人格が形成され、まるで己は他人に対し何をしても良いと思っているのだ。
他者の目を借りれば、ずいぶんと滑稽なものに映って見えた。
「どうした?早く謝罪しろ、出来ないのか?なら俺からの謝罪もなしだな」
……この手の手合いには、悔しくはあるが、へりくだっているのが賢い選択だろう。
とうとう、俺があの‘策’を使う時が来たようだ。
だが、あれは捨て身、諸刃の剣……失う物は大きい。
わずかに躊躇していたが、リンネが「俺が涙を拭ってやろうか」と小バカにした笑みを見せた事で、吹っ切れた。
今すぐ貴様を懺悔の淵へと叩き落してやる!
ふっと小さく息を付き、まるで祈るように胸の前で指を組み、上目遣いにリンネをじっと見つめた。
「ねぇ……どうして、そんなに酷い事を言うの……?」
おごり高ぶり人を見下げたようなリンネの瞳の中に、濡れた子猫のように打ち震える俺が写る。
どうだリンネ、俺はとてつもなく可愛らしいだろう!
俺は日々の鍛錬によって、己の姿が最高に可愛く、さらに美しく見える角度を知り尽くしているのだ。
「!?」
「うっ……ひっく……うぅ……」
「な、何のつもりだ!今更そんな泣き落としが通用すると思うなよ」
手首を掴まれ、短い悲鳴を上げると、リンネは慌て、その手を引っ込めた。
リンネが俺であるのなら、情けないが女の武器を使うのが尤も効果的!
「やっ……触らないで!」
「な……!悪ふざけは止めろ!今更そんな演技に騙されるものか」
「怖い……怒鳴らないで……」
「お、おい」
フハハハハ!リンネ。動揺しているな!
まばたきのタイミングで、目の端に溜まっていた涙がポロリと落ち、リンネは後ずさりをしたが、視線は俺の一挙手一投足に釘付のようだ。
「謝って……!」
目を伏せ悔しそうに爪を噛んで体をよじって見せた。
涙に濡れた長い睫毛はさぞ儚げに見える事だろう!
「お、お前、冗談にしては悪趣味だ!男のプライドは無いのか……!」
「……ショックだった。リンネがあんな事をするなんて……うぅ……」
「な……!」
俺の思惑通り、リンネは明らかにうろたえ、態度を軟化させていく。
我ながら、なんと単純なのだと危惧さえ感じるが、愉快だ!
「フン、衝動的に触れた事について、謝罪の気持ちがないと言えば嘘になる、だが、お前なら分かるだろ?俺は素直じゃないんだ」
ふて腐れた表情が気取って見える。そして、リンネの腕がすっと俺へと伸びた。
偽の愛情を示し、なんとか女の機嫌を取りこの場を乗り切ろうと無意識に体が動くのだろう。
冗談じゃない。
「キャッ!」
両手が俺の肩に触れようとした瞬間、再び悲鳴を上げ肩をすくませてみせる。リンネの手は空を掴んで固まった。
「キャッ?って、お前、なっ!どう言うつもりだ!」
俺を誰だと思っている。
「……カリガネに、無理やり蹂躙された岩窟での恐怖が蘇って……怖いの……」
「カリガネにだと……?」
「ふぇっ……ぐすっ……うぅ」
「な、泣き止めよ……!」
人通りの少ない小道だが、時折ある好奇な視線を浴び、リンネは居心地を悪そうにしている。
その翼は外套で隠してあり、人間の男女がただ痴話喧嘩をしている様にでも見える事だろう。
「ぐすっぐす……謝罪も無く悪びれもせず……うぅ……傷ついた心は深く抉られ……」
「おい、もう勘弁してくれ!」
肩を落とし、叱られた犬のようなリンネの顔が視界に飛び込み、慌てて顔を両手で覆い、噴出しそうになる笑いを堪えた。
その姿が、すすり泣いている様に見えたかリンネは「ああもう!厄介だ」と、ため息をついた。
「リュウト、俺が悪かった!どう許しを請えば良い?」
「では、二度としないと誓え……!」
「ああ、すまなかった……。誓う、むやみに触れない」
「愚かだった」
「……ああ、俺は愚かだ」
額に手を当て天を仰ぐリンネの姿が、顔を覆った指の間から見えた。
腹の底から込上げてくる笑いを、息を殺して耐えていたが、もう限界だ!
「プッ、アッハハハ!てめぇ言ったな!最初から素直に謝ればよかったんだよ!あー!はぁー!ひぃ、今の顔、最高!おもしろ……うっ、うぉ……!」
リンネは困惑したように眉根を寄せ、俺の腕を強く掴んだ。
「ちょっ……!」
その手が震えているのは怒りからだろうか。
「お、怒るなよ!お前が悪いのだからな、それに触れないと誓ったばかりだろうが!放せ」
リンネの顔が見る間に赤みを帯びていく。
「今の顔……」
「あン?」
「弾けるようなお前の笑顔が、俺の胸を刺した」
「はぁ?」
「俺自身も驚いている。教えてくれ。お前の事は俺だと理解しているつもりなのだが、胸の高まりが抑えられない、何故だ……?」
「お、おい……」
「溢れるこの想い……!こんな気持ちが俺の中にあるとは……!生命を受けた事の意味を感じずにはいられん」
「何を大げさな事を――」
一歩後ずさりするが、リンネも一歩と詰めてくる。
「お前、冗談はよせよ!」
「冗談など!まるで青天の霹靂だ」
「ちょ……俺が悪かった、悪ふざけが過ぎた!」
リンネが俺であるのなら俺の容姿に焦がれるのは当然。だが、まさか笑顔が仇となるとは!
真面目な顔で距離を詰めて来るリンネには、恐怖すら感じる。
「想いを詩へと、したためたくなるような、この気持ち。初めてだ。目閉じてもお前の笑顔が浮かんでくる」
「……わ、分かる、その気持ちは分かるがリンネ、ちょっと待て」
「分かるのか?」
リンネが頬を綻ばせた。
違う、そうじゃない。
「この美しい女に心を奪われない方が不自然だ。だが、俺には選ぶ権利がある!それ以上、俺に近寄るな……!」
どん、と背に衝撃を感じ振り返った。
見上げれば、人好きする面差しが動揺に揺れていた。
「せ、誠司……!」
なんてタイミングで現れたんだ……。
慌てて涙の跡を拭ったが、遅かった。誠司は俺の顔を見るなり表情を硬くさせ、リンネを睨み付けた。




