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悪魔リュウトと境界の美少女生活  作者: おかゆか
悪魔リュウトと夜の蝶々
24/77

悪魔リュウトと夜の蝶々-2

 

 思いもよらぬ場所で知った顔があった。

 清潔感のある白いシャツに、黒いベスト。きちんとしたその身なりは、普段とはまるで違ったが、背筋を伸ばし、狭いバーカウンターの中、真剣な眼差しで、きびきびと働くその姿。間違いようがない。


「誠司」

「はい?」


 氷を割る手を止め、俺を見下ろしたのは中森誠司。

 少し緊張したその端整な顔は、今にも初めましてと、言い出しそうだ。

 いたずら心を出し、しばらく黙って見つめてみたが、いつまでたっても、目の前の女が俺であると、気がつかず、とうとう「何かありましたか?」と、人当たりの良い笑顔を向けたので、人違いをしているのは俺の方かと、不安に思えてきた。


「おいおい、俺だよ」

「な……!リュウト?」


 目を剥き、過剰に仰け反って驚いた誠司に、安堵しながら「すぐに気がつきやがれ」と罵ったが「なんでこんな所にいるんだよ!」と、今度は無礼にも人差し指を突き出し、詰め寄ってきた。

 いつも穏やかな誠司にしては珍しく、慌てている。


「遊びに来たように見えるか?仕事だよ。仕事」

「あ……!もしかして、ママが連れてきた女の子って……?」


 誠司が鋭い声を出す。


「ああ、そうだとも!よく見ろ!フフン、こんな美女には、そう滅多にお目にかかれまい」


 胸を寄せ色気のあるポーズを取るって見せると、さすがの誠司も目を逸らし「僕は、いつものリュウトの方が清楚で良いと思うけど」と、拗ねたように悪態をついた。

 まったく審美眼のない奴だ。俺はこれほど女を美しいと思った事はないと言うのに。

 そして誠司は「あー……心臓が止まるかと思った」と、ぼやき「全然気が付かなかった」と息を吐いたのだ。


「しかし、驚いたな。お前がここで、働いていたとは」


 誠司が学業のほかに仕事を持っていることは聞いていたが、まさかこんな事があるなんて。


「僕は人手が無い時とか、たまに手伝っているだけだから。……っていうか驚いたのはこっちの方なんだけどさぁ」

「お前も分かっているだろう、今は逼迫した緊急事態。人間界で生きるには金が必要なのだ」


 これまでよく、子供の小遣い程度で生活できていたと言えよう。


「事情は昨日聞いたけど、だからって何も、こんな所で働かなくったって……」


 誠司の言う昨日、とは穂積と誠司、そして俺とで夕食を囲んだ昨晩の事だ。

 けして俺たちは、気の会う仲間同士、どちらからともなく誘い合い、和気あいあいと肩を並べ 食事に出かけたわけではない。

 思い出す、昨晩の絶望感。





 *****





 夕刻五時過ぎ。日はかろうじてあるが、明るくはない、この時間。

 穂積より先に帰宅した俺は、その帰りを待ちわびていた。


 ――腹が減って今にも倒れそうだ……。

 めぼしい物は無いと分かっているのに、時折、何か見落としは無かったか?と、冷蔵庫を何度も開けては、ため息をこぼしている。

 時計を見る。いつもなら、穂積が台所に立ち夕食の準備も中盤と言った頃だ。

 穂積が俺に断りも無く帰宅が遅くなる事など、今まで一度だって無い。

 居ても立っても居られず、一度は穂積を探しに外へも出ても見たが、民家から漂う調理中の料理の香りに、刺激され、道一つ渡る事無くひき返して来た。空腹は次第に苛立ちへと変わって行く。


「今日の夜はハンバーグで良いですか?」


 今朝の穂積の言葉が、耳に蘇る。

 この空腹の先に、ハンバーグがあるのだと思えば、まだ耐えられる。が、この仕打ちは酷い。

 「楽しみにしている」そう、言った俺の言葉をこの同じ空の下どこかに居る穂積は、忘れては居ないだろうか。

 空腹しのぎに、飴玉をいくつか口に放り込み、うろうろと狭い部屋を歩き回り、テレビ(魔界で言う、コアギュムレス装置と似た仕組みであるらしい)の電源を入れ、良くある政治屋の汚職事件、国同士の小競り合い、殺し合い、変質者が急増と言った、ほほえましいニュースを流し見る。

 町で女子高生が倒れたと言う物騒なニュースが報じられる事は無かった。


 遅い……。

 重力に抗う気力も消え、寝台に横になっていた。虚ろに見ていた先代モモリンのアニメもいつの間にか次回予告となっている。

 結局、穂積が帰宅したのは、夜の闇が町を完全に包んでから、暫く立った頃だ。




「リュウトさん、お腹空きましたよね。すぐ作りますから……」


 穂積は遅い帰宅を言い訳する事なく、すぐさま台所に立ち、制服の上からエプロンをかけ、髪を高い位置に括り直すと、小ぶりな鍋に水を張っていく。

 その手際の良さには感心したが、一つ、気になる事があった。


「……お前が今、手にしている食材、俺の目には肉に見えんが、目の錯覚か?幻か?」


 散々待ちわびた俺に、穂積は残酷な現実を突きつけた。


「今日はモヤシです」


 そう言って、貧相で色素の薄いまるで根のような野菜を振って見せたのだ。


「おい穂積!自分で言った言葉を忘れたのか」


 思わず激昂した声を出し、詰め寄ってしまったが仕方が無い。

 俺は今日一日、ハンバーグの事を片時も忘れる事は無かった。学校で夏帆に、魔界文字の読み方を教えていた時も、町に出てホズミを探していた時も、心の底から楽しみにしていたのだ。


「事情が変わったんです……。モヤシだって美味しいですよ。焼肉のタレで焼けば、お肉の雰囲気が出ますから」

「穂積よ、つまらない冗談はよせ」

「……冗談じゃなくて、本当です……うちにお金が無いので、当分お肉は買えなくなりました」


 後ろめたさは感じているのか、ぷいっと、横を向く。

 納得できるはずが無い。今朝はハンバーグだと言ったのに、金が無いからと覆す事が許されるだろうか。


「今朝は金があったのだろう?何に使った?」

「……私がお金を何に使おうが、リュウトさんには関係ないじゃないですか……とにかく、当分おかずはモヤシです。決定事項なので、これ以上この件に関しては何も言わないでください」

「な……!」


 穂積はむすっと言った後でさらなる追い討ちをかけてきた。


「それと……明日からリュウトさんのお昼ご飯代も出せないので、私がおにぎりを握ります。……お米はあるので安心して下さいね」


 冷静に告げた横顔は、まるで天の使いのように残酷だ。

 思いつく限りの悪意を持って、罵ってやりたいが、穂積の金。俺には口が出せない。

 だが、今日はハンバーグだと言われ、一日をわくわくした気持ちで過ごした俺の思いは、どこにぶつけたら良いと言うのか。

 悔しすぎて吐き気すら催してくる。

 思い起こせば昼飯時の事「いつもので良い?」そう、俺に訊ねたのは『出来立て弁当タカハシ』の店主、高橋だ。

 俺は鼻をならし「ハンバーグ弁当は食わないぜ。うち今夜ハンバーグだからな」と、その気さくな問いに答えたのだ。

 高橋は「お、リュウちゃん良かったね、それならカツサンドにしなよ、揚げたてだから美味しいよ!パック牛乳サービスでつけてあげる」と、笑顔を向けた。

俺はそんな気の良い高橋を欺いた事になる。

 そして、暫くは、高橋と高橋の妻の作る弁当もお預けなのか……?


「ちょっと、リュウトさん……!泣かないで下さい……人参は甘く煮てあげますから……」

「泣いてねぇよ!」

「な、泣いてるじゃないですか……」


 穂積は、まるで子供を慰めるかのように、俺の頭をぽんぽんと撫でるが、俺の気は治まらない。何度、妄想しただろうか。あのハンバーグの味をだ。

 今夜、俺は絶対にハンバーグが食いたいのだ。それ以外は舌が受け付けない。

 空腹を耐え抜いた胃も、納得するはずが無い。


「よし、夏帆の家に行って肉を調達して来てやる!」

「や!止めて下さいよ……そんな、恥かしい」

「恥かしい事あるか!俺を止めるな。俺は絶対にハンバーグが食いたいんだよ!」


 切実だった。大悪魔である俺の姿を知るものが聞けば、情けないと悲鳴を上げるかもしれない。だが、そんな事など今の俺の眼中ではない。


「やーめーてー下さいー」

「お前は大人しく家で待っていろ!」


 俺を止めようと肩に手をかけ、ぎゃーぎゃーと騒ぐ穂積を引き摺りながら、じりじりと玄関へと歩く。

 狭いこの家、台所から玄関までの距離は僅か二歩と半分。


「ハンバーグ!絶対にハンバーグを食うんだ!」


 ドアノブに手をかけ、ぎゅっと握り締めた、その瞬間『ピンポン』と機械音が室内に響き、穂積の動きを止めた。

 そして、ドアノブがガチャリと、俺の手と一緒に下り、ふいに開けられた扉のせいで、俺はそのまま通路に引きずり出されてしまった。                                                                   


「うわ!」


 バランスを崩し、外へと倒れ込んだが、地面に突っ込む事にはならなかった。俺の腹を筋肉質で骨ばった腕が、俺を軽々と支えたからだ。


「ごめんリュウト。開けちゃった」


 見上げた先に居たのは、誠司だったのだ。

 そして誠司は、俺の頬から涙を拭うと「ハンバーグ食べに行こうよ、三人で」と歯を見せて笑ってみせたのだ。





 *****





 洋食三森のハンバーグは、穂積の作るハンバーグと比べると少し甘いが、肉厚で外はカリカリ、中はふわふわ。凝縮されたかのように肉の味が濃い。

 空腹に耐えた甲斐があった。俺が望んでいたのはこの味だ。

 口の中に残るその油の余韻に、心も体も大きく満足していた。

 男であったらなら、もう二皿は余裕で食えるだろう。だが、女の体は油物に対しては特に低燃費だ。


「あー、食った、食った。実に美味かった。朝から楽しみにしていたハンバーグは格別だなぁ。モヤシとは比べ物にならん。誠司のおかげだ、感謝しよう」


 穂積は俺の嫌味に無言で答え、フォークを握り黙々と咀嚼を繰り返していた。俺と誠司はすでに食べ終えたというのに、穂積の皿には、まだ半分以上も残している。


「こんなに喜んでもらえたなら、誘った甲斐があったよ」


 少し気取ったように頬杖をつき、誠司は俺へと笑顔を向けた。穂積の部屋の壁は薄く、俺がハンバーグだと騒ぐ声がずっと聞こえて居たのだと言う。

 困窮した住宅にも感謝せねばならない。


「フフン、礼に、またデートの一回でもしてやろう」

「本当に?ハンバーグでリュウトが釣れたなら安くついちゃったな」


 誠司は「手を繋ぐ権利も付けてよ」と、にやけ顔だ。


「お前は、餓死寸前の俺を救った救世主だ。手の一つくらい預けても良いだろう」

「やった!言ってみるもんだね」


 俺たちのやり取りに、穂積は眉一つ動かさず、皿と向かい合っている。

 嫌悪感が、すぐ顔に出る穂積にしては、不可思議な事だ。

 穂積が誠司に対し、僅かながら憧れを抱いている事を、俺は知っている。何故なら「中森君が電球を取り替えてくれた話」と「中森君と同じ大学に行きたいと思っている話」は、口数がそう多くない穂積から二回も聞かされているからだ。それが恋心であるかは不明だが、悪くない感情を持って居るのは確かだろう。


「穂積も一緒に行きたいか?」

「そうだね、七瀬さんも一緒に行こうよ。両手に花だな、僕は。車でも借りて遠出するのも楽しいかもなぁ」


 誠司は手をひらひらとさせ、爽やかに言ったが、穂積は「遠慮します」と、首を横に振った。

 ……オカシイ。

 いつもの穂積であれば一度は素直に「良いんですか?」と、目の色を変え「……でも邪魔になりますよね」と、冷静になり顔色を伺ってくるはずなのだ。

 もしや、また学校で嫌な事でもあったか……?いや、今日は平穏に、いつも通りに一人ぼっちで過ごしていたように見えたが……。

 家では、空腹と絶望感から穂積の事を思いやる気持ちなど、微塵も沸かなかったが、帰宅が遅かったのには理由があるに違いない。

 そして堅実に生活をしている穂積が、想定を超えた出費をする事も考えにくい。


「なぁ穂積、今日は随分と帰りが遅かったが、つまらない事に巻き込まれたわけではないだろうな。何かあったのなら言ってみろ、聞いてやる」


 穂積は俺の優しい問いかけに、顔も上げずに「何も無いです」と、だけ答えた。

 横から覗き込むと穂積は、さっと顔を逸らす。


「私だって、たまには寄り道くらい、するんです!リュウトさんも黙って遅く帰って来る日、たくさんあるじゃないですか……」


 穂積は、うんざりだと言いだけに肩を上げ、ため息を付くと、ハンバーグの切れ端にフォークを突き立てる。


「……私の事は放っておいて下さい。中森君とデートの約束の続きでも、話していて下さい……」

「何、拗ねてんだよ。俺は心配してやってるんだぞ」

「拗ねてなんて無いです……それに別に心配して貰わなくても大丈夫です……!リュウトさんが思っているような事は、何も無いですから!」

「言えよ!お前、普通じゃないだろう」

「……私は普通です」


 いつになく生意気な態度だ。


「何に金を使った?」

「……言いたくありません」


 俺のような悪魔がこんなにも気をかけてやっているのだ、荒野の魔女でも心を開くぞ。それとも、俺に力が無いと見くびっているのだろうか?

 学校でもそうだ。夏帆の部室に居ると告げてある。それなのに夏帆に遠慮してか、会いにも来ない。一人が好きなわけではないだろうに。


「おい、誠司」


 誠司は頬杖をつきニコニコと笑って俺たちを交互に見ていた。


「ごめん、可愛いなぁと思って」

「可愛いだと?見とれるなら後にしろ」

「怒ってるリュウトも可愛いけど、いや、そうじゃなくって……そのやり取りが微笑ましいというか。七瀬さん良かったね、リュウトが居て。凄く明るくなったよ」

「明るい?この暗い女がか?」

「前と比べたら、表情が見違えた。甘えられる相手が出来たからかな?でも、七瀬さん。八つ当たりしたらリュウトが可哀相かも」


 穂積は気まずそうに、フォークに刺したハンバーグの切れ端を、ちまちまとソースに絡めている。

 なるほど、そういう事か。

 穂積はすでに、俺を頼り、甘えているのか。

 それも不機嫌と言う態度で。


「フフン。甘えるのなら、もっと可愛げのある甘え方をしろ、不器用な女だ。俺が手取り足取り教えてやろうか、ん?」


 するりと穂積の鼻先に近づき、フォークを持つ手を取った。

 髪を撫でると、驚いた穂積が体を大きくの仰け反らせる。


「……な、なんですか。あ!私のハンバーグ!」

「食われたのがハンバーグで良かったな」

「あはは、何するのかと思って、見てるこっちがドキドキしたんだけど」


 誠司の言葉に穂積は「リュウトさんは距離が近いんです」と、顔を赤くさせた。


「穂積よ、俺がいつまでもここに居ると思うな。俺は魔界に帰るぞ。助けを乞うのなら、聞いて欲しい事があるのなら、俺が居る間に素直に言え。その気が無いのなら態度にも出さず一人で抱え込んでいろ。タイミングは逃すなよ、同じ日は二度と来ないのだからな」

「……リュウトさん」

「まぁ、お前が俺と一緒に魔界へ来るというのなら、その日を指折り数え、ただ楽しみにしていれば良いがな」


 穂積は顔を伏せ「行きません」とだけ呟き、誠司も何か考え深げに腕を組んだ。


「はい!デザートのサービス」


 穂積の皿がようやく綺麗になったのを見計らい、エプロン姿の店主、三森がやって来た。

 恰幅の良い男で、この店の肉料理は美味いのだろう。と思わせる立ち姿をしている。


「わぁ!アイス!ありがとうございます」


 穂積が目の色を変え、アイスにスプーンを差し入れた。

 三森は頬肉に埋まった細い目をさらに細め、うんうんと頷くと「リュウちゃん、鬼の子見つかった?」と、俺に訊ねた。

 鬼の子とは勿論ホズミの事である。厳密には鬼の子ではなく、小鬼族であるが。


「いや、まだ見つからないんだ」


 俺が答えると誠司が、訝しげにこちらを見て口を開いた。


「もしかして、あのポスターってリュウトが作っているの?」


 誠司が指差したのは、店内のガラス窓『インコのピーちゃんを探しています』の隣に、それは貼ってあった。左の側頭部に角が一本。ざっくりと編んだ赤毛の三つ編みが二本、どんぐりのような大きな目が爛々とした間抜け面。服装はよくある冒険者風。俺が描いたホズミの絵だ。

そこに、身の丈およそ百四十センチメートル、小鬼探しています。と、書いてある。

 ちなみに、俺の書く人間の文字は古風すぎて読めない。と、文字は夏帆が書いた。


「なんだよ、今頃気が付いたのか」

「最近、この商店街でよく見かけるから、どこかの子供が描いてるのかと思った」

「……私も良く見るなぁって思っていました。小学生の文化祭の宣伝か何かかと……」

「まったく失礼な奴らだな!」


 俺はいくつかの店にこの人相書の掲示を頼んで回ったのだ。

 大きな店では、冗談だと思ったのか中々取り合ってはくれなかったが、個人商店、それも男の店主がやっているような店は、俺が微笑みかければ、二つ返事で貼ってくれた。女店主の店も制服姿で泣き顔を作れば、大抵許される。

 連絡先は夏帆がメールアドレスなる物を用意し、それを記載してあるが、店主の男から随分と個人的な連絡が来る程度で、これと言った情報は入っていないようだ。


「見つかると良いね」


 三森はそう言ってさらに目を細めたが、その口調から察するに信じてはいないのだろう。


「ホズミさえ見つかれば、魔界は近づいたも同然だ」


 穂積と誠司へ目を向けると二人は、なんとも言えない表情でうなずいた。

 ホズミの角、一本折るのも二本折るのも大差ない。見つけ次第、角を折って退屈な門を呼び出してやるつもりだ。





 *****





「ご馳走様でした」

「世話になったな」

「うん。楽しい食事だったよ、近いうちにまた行こうね。じゃあ、僕これからバイトだから」


 つられて口角が上がってしまうような、爽やかな笑顔を見せ、誠司は「またね」と、手を上げ、俺たちと反対側、駅の方へと去っていく。


「あれは良い男だな」

「良い人ですよね」


 その、後ろ姿を見送りながら、どちらからともなくそう呟いていた。

 伴侶に選ぶなら、俺のように勇ましい男か、あのような気配りのできる男を選ぶが良い、そう言おうとして口を噤んだ。

 俺の方が良い男に決まっている。

 ふと天を仰ぐと、澄んだ空に丸い月が浮かんでいるのが見えた。


「見ろ、良い月だ」

「……本当ですね、お月様。久しぶりにちゃんと見た気がします」


 月明かりと街灯に照らされたその横顔は青白く、陰気だが、出会った頃に比べると少しはマシに見えた。

 確かに誠司の言うよう、明るくなったのかもしれない。


「穂積、下ばかり見ず上を見ろ。前は見なくても良い。前なんて見ずとも勝手に進むのだ。そして、金は無くとも、美しい物を良いと思う感性は忘れるな。お前はいつも余裕が無い」


 穂積が何か言いだけに、こちらを見た。説教くさい事を言った己が恥かしくなり「……なんてな」と付け加える。


「……リュウトさん、ごめんなさい」


 何に対して謝罪を受けているのか、すぐに思い浮かばなかった。穂積も、その先は言いづらいのか、何とは言わず、黙って家の方向へ歩き出している。

 住宅地へと抜けるこの道は、人通りも少なく、今は冷たい空気の中、コツコツと俺たちの足音と虫の音だけが聞こえていた。

 人間界の虫は小さく気色が悪い。どうか飛び出して来ないように。と、願い木や草の側は避けて歩く。


「あの……いろんな味付けで飽きないように作りますから」


 思い出した。

 今現在、腹が満たされている事で、過酷な運命の事など、頭からすっぽり抜け落ちてしまっていた。

 明日からはモヤシ。

 その、謝罪だったのだ。


「妹が……妹に会ったんです。今日の放課後」


 まるで独り言のようにポツポツと、闇に吸い込まれそうなほど小さな声で話し始めた。

 穂積の話によると、金は妹に渡したのだという。

 それなりに裕福な家に生まれた二人きりの姉妹、落伍した姉とその期待を一身に受けた妹、瑞穂みずほ

 姉である穂積には、金と住む場所を与え、親としての責任は放棄し、妹は徹底的に管理下において、可愛がっているが、自由には紐が付いている。

 穂積の言葉を借りれば「妹の犠牲に今の生活が成り立っている」


「好きなバンドのライブに行きたいって。うちの両親、そう言うのは、きっと許さないから」

「それで、お前が工面してやったのか?」

「……うん。瑞穂と友達の分。チケットとか交通費とか……私、ライブなんて行った事が無くて、金額を聞いて驚いちゃったんですけど、妹の力になってあげたくて……」

「力を尽くしたか?その割には随分と不機嫌だったな」


 穂積は自虐のような笑みを浮かべた。


「……中森君の言った通り、八つ当たりなのかな……。ごめんなさい。苛々してて……。羨ましかったんです。妹が。いろんな話をしてくれたんですけど、友達に囲まれて、好きな人もいて、私が出来なかった学生生活を送っていて……困った時に手を差し伸べてくれる人もたくさんいて……なんだかキラキラと輝いて見えてました。私たち同じに育ったのに、なんでこんなに違っちゃったんだろう……」


 そして穂積は「ちょっと悔しいです……」と、顔を伏せた。

 姉妹でもお互いに嫉妬などするものなのだろうか……。

 俺も姉たちの事は分からない。だが、噂はある。長女より次女の嫁いだ家の方が、家柄は悪いが金回りは良い。長女は不幸だ、金も無いのに気位が高い連中に良いようにされて。と。もちろんその逆も聞く。

 血も繋がりも薄い姉弟であったが、魔界に戻ったら顔でも見に行ってやるか……。そんな気になってくる。

 そして、弟である俺がカリガネに見初められたと言えば、やはり嫉妬をするのだろうか。


「リュウトさんには悪いと思っています……。ごめんなさい。貯金も少し崩しちゃったので、次の仕送りまで少し苦しいですけど……なんとかしますから」

「俺が何とかしてやる」

「え?」

「金は俺が工面してきてやる」


 俺の言葉に、穂積は神妙な面持ちで「犯罪だけは起さないで下さいね」と念を押してきたのだった。



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