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乙女の花園-7

 

「もう、リュウトさんとは一緒に寝ませんから」


 穂積がそう高らかに宣言したのは、明かりを消し、俺が寝台に足を掛けたその時だった。

 聞き違えか何かだろう。気にせず布団に潜り込もうとすると、穂積は重みのあるその足で、俺を掛け布団と共に床に落として見せた。

 そんな馬鹿な。


「おい、一体なんのつもりだ!」

「悪いですから」


 誰に、とは聞かない。夏帆に。と言う事だろう。

 俺と穂積は学校より一緒に帰宅はしたが、なんとなく気詰まりな空気が抜けず、会話らしい会話が無かった。そして、ようやく口を開いたと思えばこれだ。

 愕然と穂積の丸い背を睨み付ける。


「まだ怒っているのか?あれは、誤解だと言っただろ。俺はあの女に薬を飲まされて、お姉様だなんだとおかしな事になっていたんだぞ」


 自分より大きな女に抱きつき、時には抱きつかれて寝る事など、男の姿では叶わない。自分よりわずかに大きく、手ごろな厚みのある穂積の体は、どこに触れても心地良く、共に寝る事が、一日の疲れをねぎらう最高の癒し。

 不便な女の姿になってからの数少ない楽しみが、今奪われようとしている。


「でも……柊さんはリュウトさんの事、すごく慕っているみたいだし……悪いです。それにどうして柊さんのお家に行かなかったんですか?彼女の家、有名な大豪邸ですよ 」

「夏帆の事など、お前は気にするな」


 夏帆は俺に言ったのだ「魔界に帰るまで、良かったら、うちの客間を使ってくださいまし」と。それを断ったのは、穂積という肉枕を失いたくないからに他ならない。

 それを正しく伝えたならば穂積は怒るだろう。


「穂積、よく聞けよ」


 一呼吸おき、今から重要な事を話すぞ。そんな間合いで寝台の下から穂積に語りかける。

 さすがの穂積もこちらに向き直る。ゆったりとした寝衣の上からでも分かる豊かな胸の膨らみ。必要以上に手を出すつもりは無いが、側に置けなくなるのは耐え難い。


「穂積は俺にとって大切な友人だ、お前にとっての俺もそうだろう?」

「まぁ……違うとは言い切れないですけど」


 随分と、ふてくされたような言い方だ。


「友を床で寝かせるか?」

「……じゃあ私が床で寝ます」

「あのなぁ、俺は友を床で寝かせる程、無粋な男じゃねぇよ」


 穂積が急に表情を固くさせた。睨んだり怒ったりする素振りは見せず、ただ真剣に俺を見た。

 何を言いたいのかは痛いほど良く分かる。


「……女じゃねぇよ」

「本当は男なんですか?」

「……女だよ?」


 男だと言ったら穂積は、絶対に俺と一緒に寝ないだろう。


「まぁ、そんな事はどうでも良いではないか。俺は悪魔だからな、人間とは常識が違うんだ。昼間に会った悪魔の男もおかしかっただろう。あれはカリガネと言うのだが……ああ、そうだ。あの男の話をしてやろうか」

「良いんですか……?」


 穂積がおずおずと好奇心を前に出してきた。昼間、あの夏帆の主催する珍妙な部活動の部室で、カリガネが消えた後、二人はカリガネと俺との関係に興味を持っていたのは分かったが、俺が聞かせる隙を与えなかったのだ。


「フフン。お前も恋の話や人の噂話で盛り上がりたいとは思わないか?枕を寄せ合い語り合ってはどうだろう。親しい間柄の女達がするように、だ」


「どうだ」と顎を上げる。穂積の心は、かなり揺さぶられたようだが「どうしようかな、柊さんに悪いし」と、まだ夏帆を引き合いに、わざとらしく、ぼやいてみせた。


「あれはカリガネと言って、我らゼスモニオ帝国の皇子でねぇ」

「王子様……ですか?言われてみれば、そんな感じがしました……」


 小出しの餌に穂積が食いつく。

 カリガネは第一皇子。立ち振る舞いから政治、魔術に剣術と随分と特別な教育を受けていたようだ。

 俺は王弟の子供で、同じ皇子と呼ばれはしても、父王は寵姫の産んだ子。学ぶ事が多すぎると言ったアイツに「継承権が遠くて良かった」と、俺が茶化すと「僕にリュウトほどの魔力があれば逃げ出してるさ」と、自虐的に笑ったあの姿が思い浮かぶ。

 それに釣られ、昼間、俺に愛を囁いたあの顔を思い出し、無意識に眉根と鼻に皺を寄せていた。

 ためらいながらも俺を覗き見るような穂積の目と合う。


「入れてくれるよな?」


 穂積は黙って頷いた。最初から素直に招き入れたなら良かったものを。

「よしよし」と寝台に上り、穂積の懐に入り込むと、ふわりと石鹸の香りが鼻をくすぐる。さりげなく穂積の二の腕に触れた。筋肉も骨も感じさせない、火に炙ればとろけそうな弾力、最高だ。この腕を敷いて眠るのは、穂積が眠りに落ちた後のお楽しみだ。


「お前も王子様に憧れはあるのか?例えば素敵な王子様が迎に来るだとか、そんな夢物語にだ」

「……それは、やっぱり無いよりはあった方が良いです。人間の女の子は憧れますよ、プリンセスって」


 岩窟でのホズミとのやりとりを思い出し、ふいに笑みがこぼれる。


「フッ、女の子の夢と憧れねぇ……。まぁ、人間だけじゃないさ、小鬼だって憧れていたよ」


 女の子の夢というよりは庶民の見る夢か。


「リュウトさんは憧れないですか?お姫様」

「フン。お姫様にされないように逃げ回っているんだよ」


 穂積は「なるほど」と、何を納得したのか曖昧な相槌を打った。


「お姫様なんてものは、外から来ても中から出ても堅苦しく哀れだ。姉上方も政略結婚に地方へ出され今や籠の鳥」

「お姉さんがいるんですか?」

「ああいるよ、腹違いだが二人。血統の割りには魔力も弱く、美しさだけが取り柄のような女でね。まぁ、今の俺も人の事は言えないか……」


 いや、魔力が無い分、姉にも劣る。しかし、全く皮肉なもので、ある時期の我が家の大人達は、二人の姉のうち、どちらかをカリガネに嫁がせようと躍起になっていた。結果的にその目論みはついえたが、まさか一人息子の俺が見初められるとはな。

 しかし、俺はといえば家督を継ぐ気も無い道楽息子、カリガネが欲しいと言えば諸手を挙げて差し出すのが、目に見える。

 ふと、自分の記憶が刺激され、曖昧な過去の記憶が思い起こされるような予感があった。

 少女のようだった幼少の俺。正しい現象に戻したと言ったカリガネの言葉。自分でも感じた違和感。


 ――始めまして、可愛らしい姫君。僕はカリガネ――


「リュウトさん?どうしました?」


 その声で、ふっと肩を落とした時、自分が息を止めていた事にようやく気が付いた。

 呼び起こされそうな、その記憶が蘇る前に、蓋をし掻き消そう。

 俺は俺として生き、誰の物でもなく、誰かを喜ばす為にある存在ではないのだ。


「いや、なんでもない大丈夫だ。そうだ、お前に兄弟は?」


 俺の質問に穂積は苦々しく「居ます、妹が」と答えた。

 その反応の悪さから、面白くない相手なのだと伝わってくる。とりわけ穂積の妹に興味はなく、これ以上聞く気もなかったが「私とは似てなくて優秀で、顔も可愛いです」と穂積が続けた。


「お前もそう悪くは無い。自信を持て」


 そう言ってさりげなく、体勢をかえながら穂積の豊かな胸に腕を忍ばせる。

 何より体が良い。心から言えば寝台より蹴落とされかねない。


「そうだ。お前さえよければ魔界に連れて行ってやろう」

「え……?魔界って人間も行けるんですか?」


 穂積が「まさか」と言うような声を上げた。


「人間は魔力という障害が無いからな。よく魔界へ迷い込むが、大半はすぐに命を落とす。魔界の虫に刺され致命傷になったりなどと、弱い者には試練が多いのだ」

「……怖いじゃないですか」

「俺が魔界に戻り、魔力を取り返せば守ってやる事も助ける事もできる」


 穂積に、ぎゅっと抱きついた。

 この少し高めの体温と、柔らかな感触。魔界に持ち帰りたい。


「望むならお姫様のような生活も現実の物としてやろう。よし、そうしよう。身の回りの世話はホズミにさせる」


 俺も皇子様の端くれ。夢を叶える事が出来るのだ。


「え?え?あの……?」

「ああそうか、俺の従者の名もホズミと言うのだ。頭は悪いが気の良い奴だ。きっと仲良くなれる。すっかり忘れていたが、ホズミもどうやら人間界に居るらしい、早く見つけてやらないと」

「リュ、リュウトさん?」

「案ずるな、何も心配することは無い……」


 名案だ。当の穂積は「でも……」だの「怖いし」と何やら喚いている。

 今日という一日は得る物も失う物も多く、何より精神的に疲労したが、魔界への土産が一つ出来たと思えば、そう悪くなかったと思えてきた。

 穂積の柔らかな肢体が、俺の「まぁ、いいか。なんとかなる」そんな信念を吸収し眠りへと誘うのだ。


「リュウトさん明日は学校へ来ないでくださいね」


 穂積が遠くで言うのが聞こえた。


「ああ、言い忘れていたが……俺、夏帆の部活専属の顧問になったんだ……毎日は行かないが……堂々と入れる……」


 穂積の狼狽する声がさらに遠くで聞こえ、肩を揺すってくるが、穂積が動く事で、また新たな感触が腕に触れ、心地よく意識は遠のいていく。


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