乙女の花園-5
「七瀬ー!」
嫌なものを見つけたような口ぶりで、穂積を呼んだのは、美とはかけ離れた容姿の二人組。髪の短い太った女と、背が高く鶏がらのように痩せた女。まるでゾンビとゴブリンのような組み合わせを連想してしまう。
呼ばれた穂積が肩を硬直させ、受け入れがたい相手なのだろうと見て取れた。
夏帆が、立ち止まった私の服の裾をそっと引くけれど、その場から立ち去る事は出来なかった。
「ねー七瀬ぇ、眉毛見せてよー、ミーナが書き足したって言ってたんだけどさー」
「……もう洗って書き直したから」
「えーじゃあウチラがまた、書いてあげるー」
「ゴルゴにしようよ、ゴルゴ」
「マジで?うけるー、ねぇ七瀬の眉毛今どうなってんのー?」
穂積は体をかがめ「やっ……」と顔を伏せるが、二人は笑いながら、穂積の前髪に触れようと手をかけた。
それを見た途端、かーっと頭に血が上っていく。
まるで拾い損ねた猫が、未来に良い事は起こらないと想像できる悪ガキに、さらわれて行く瞬間に立ちあったような不愉快さ。
後で残骸を見つけ、あの時自分が拾って置けば良かった。なんて、後悔するのは、性に合わないのよ。
「嫌がっているじゃない」
飛び出し、穂積と二人の間に体ごと割り入れ、穂積の細いとは言えない腰に後ろ手を回した。
「リュウトさん……」
「誰ー?七瀬の友達ぃ?っていうか七瀬、別クラに友達居たの?見たこと無いんだけど、ねぇー何組の人?カワイイー」
太った女の馬鹿にしたような言葉に、背後で穂積が緊張したのが分かった。悪い子にはおしおきが必要ね!
スカートの裾をそっと捲り、腿へと手を忍ばせる。水棲獣の皮の、冷たくしっとりとした感触が手に当たる。
「あ……!リュウトさん!」
穂積が慌てて私のスカートを上から押さえてきた。
「ナイフ持ってきちゃ駄目だって言いましたよね……?」
「今がその時じゃない?」
「だ、駄目ですよ!……何しようとしたんですか!」
「指の一本でも落としてやろうかな、なんて……」
穂積は絶句し、大きく息を吸ってから正すように「絶対やめて下さい」と力強く言った。
「なになにー?どうしたのー?」
囁くように口論をしていた私たちに、痩せた女は妙に可愛らしい声で、擦り寄るように声をかけてきた。
穂積に絡んでいる所を私に止められたと言うのに、彼女らには、ばつの悪そうなそぶりも無く、人当たりが良さそうな笑みすら浮かべている。
もちろん指が繋がっている事に感謝する事もない。
「貴女たち、穂積に悪戯するのは、やめて」
「あー!もしかしてイジメとかと勘違いしてる?」
「やだぁ、私たち友達だし。ねぇ七瀬。」
「え……うん」
穂積が言葉を詰まらせながら頷いた。
「キャハハ、そうだよねぇ。七瀬いじられキャラだからさ、でも愛があるんだよ、愛が。イジメじゃないから」
太った女の言葉に、痩せた女が笑った。
「嘘ばっかりですわ」
夏帆が吐き捨てるように言ったのが聞こえた。その通りね。一方的な暴力を愛だなんて耳障りの良い言葉で誤魔化して!
愛の無い暴力で、人相が変わるまで殴ってやりたいわ!
再び腿に手を伸ばすと、穂積がさっと手を伸ばして止めた。
「ねぇ、穂積の眉を落としたのはどっち?」
「リュウトさん……」
「あー、あれはウチラじゃないし」
二人は顔を合わせて「ねぇ」と笑う。
「お姉様ぁ、こんな人達お相手する事ないですわ。行きましょうよ」
夏帆が退屈そうに私の手を引き、それを見た太った女が「一年の不思議ちゃんだ」と、呟いた。
「ウチラが悪者みたいになってるわけ?やだー」
「七瀬、否定してよー」
「あ、あの……」
「先輩方、不愉快ですわ。大方、七瀬先輩を苛めていれば、自分に火の子が掛からないって思ってらっしゃるんでしょ?。でも、次に七瀬先輩の立場に立つのはお二人ですわね。だって、七瀬先輩にはお姉様がついてらっしゃるんですもの。それが、どう言う事がお分かりになります?」
「な、何よ?」
夏帆の余裕のある視線に、太った女が頬を緊張させた。
「私がつくと言う事ですわ」
夏帆は、息が止まりそうなほど可愛らしい笑顔を二人に向けた。
しかし、実際に息を止めたのは私ではなく、二人の女の方。夏帆は権力者の孫である。と、穂積が言っていたのを思い出す。
「夏帆……」
肩をそっと抱き寄せると、夏帆はぴったりと寄り添ってきた。
感謝の言葉を告げたかったのに、感動が声にならない。
「リュウトさん、柊さん、もう良いよ。有難う。二人ともお昼ごはん食べる時間なくなっちゃうよ?佐々木さんと田中さんも、大丈夫だから、もう行って」
穂積は、剣呑な雰囲気を払うよう間に入った。どちらが佐々木で田中だか、分からないが「今日のところは勘弁してやるよ」と、でも言い出しそうな、ふてぶてしい態度で「最悪――」「信じられない」と、助けられた事に感謝する事無く、穂積へ愚痴を吐き、立ち去った。
しかし、その後ろ姿を見送りながら沸いてくるのは怒り。彼女達にではなく、それも自信に対しての憤り。
「穂積!私、悔しい……」
「え?」
「穂積を助けるって約束したのに、何の力にもなってない……。夏帆が居てくれたから一矢報いる事が出来ただけで、私に出来るのは暴力くらいなんだわ……!」
悔しいけれど、女との口喧嘩で勝てる気もしない。
「お姉様……」
夏帆が私の両手を取り、きらきらとした瞳を向ける。
「お姉様は素敵でしたわ!それよりも、七瀬先輩が毅然とした態度をとらないから、あんな連中に良いように言われるんですわよ」
夏帆がキッと穂積を睨みつけた。
「そうですよね……私が頑張らないと駄目なんですよね」
穂積は自分に言い聞かせるように呟くと、まっすぐに私を見て頭を下げた。
「リュウトさん、有難うございます。私、リュウトさんが止めに入ってくれて凄く、凄く感動しました……」
「穂積のくせに生意気よ……」
「リュ、リュウトさん……?な、泣いてるんですか!」
「泣きたくて涙がでたんじゃないの、勝手に目から出てきたの」
「お姉様ぁ……ぐす、ぐす」
夏帆は私の胸にしなだれ「優しいお姉様」と、小さな肩が震わせた。それを黙って抱き寄せる
「柊さんまで?な、なんで?……ちょ、ちょっと二人で止めて下さい、人が見てますって……」
「夏帆……不甲斐ないお姉様を許して頂戴」
「お姉様ぁ……!」
私の胸に抱きついていた夏帆が顔を上げる。宝石箱に閉じ込めたくなるほど涙が輝いて見えた。
大きな瞳に涙が溜まり、瞬きのたびに一つ、また一つと宝石が零れ落ちていく。
涙を拭おうと、柔らかな頬に手を当てると、胸がきゅんと締め付けられた。
「泣き顔まで可愛いなんて……!」
思った事が口に出ていた。
「っ!もう、リュートさん……!」
穂積は堪えられないと言った様子で、笑顔をこぼれさせた。
「何なんですか、それ。うふふ、変ですよ」
それを見たら、私もつられて微笑がこぼれた。
「誰のせいで泣いていると思っているの?笑うなんて酷いわ」
「はい!分かっていますって」
穂積は一度だけ弾けるような笑顔を見せた。
しかし、それは一瞬の間に固まり、笑顔はまるで闇に飲まれるように、すうっと引いていった。
穂積の視線の先に目をやる。ガラス窓の向こう、渡り廊下の先に小奇麗な三人の少女達。
襟には同じ赤いリボン。三人とも目を引く容姿をしていたが、その中でも穂積が誰を見ているのか、すぐに分かった。
その少女は際立っていた。背が高く、肩上で切りそろえられた黒髪。その髪型のせいか、大人びた印象でその目元は涼やか。清楚な美人だ。口元に上品な笑みを浮かべ、ゆったりと歩いている。
「綺麗な子ね」
私が言うと夏帆は間髪いれずに「お姉様の方が断然美しいですわ!」と、口を添えた。
穂積は口を一文字に結び、彼女たちが、こちらとは反対の角を曲がるのを黙って見送っている。
確かに美しさでは俺が勝る、だが、女として過ごした時間の圧倒的な差。隙の無いあの優雅な身のこなしは俺には無い。
勝っているが負けている。
少女達の姿が視界から完全に消えると、隣の穂積が大きく息を吐いた。息を止めていたのかもしれない。長い呼吸だった。
「あれが一番悪い奴?」
俺が穂積に尋ねると、穂積は静かに「違うけど、そう」と、一言だけ吐き出した。
「川上エミ。市議会議員の娘でミス清桜ですわ、私、あの人、大嫌いですの」
夏帆は俺の腕に絡みつき「七瀬先輩って、随分とやっかいな人のおもちゃになってしまったんですのね。確か前の子は転校したはずですわよ」と、一瞥をくれた。
前の子……。その言葉に穂積を見ると唇をかみ締めていた。
「そうだね。でも頑張らなきゃ」
穂積は一呼吸だけ置いて、時計を見る。
「私……行くね、二人とも有難う」
穂積は去った。が、俺は呆けて動けずにいた。涙で濡れていた瞳をぐいっと拭う。
「あれ?」
「どうしましたの?お姉様?私たちも行きましょう、お昼、終わってしまいますわ!」
深海の海から水面に飛び出し、陽を浴びたかのように、急に頭が冴えて来た。
乙女だった思考もだんだん薄れていく。
きょとんと目を丸めた夏帆に、俺は聞きたい事を何一つ聞いていない。
……お前、俺に何を飲ませた?




