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4話 永久に横たわる死者

「ああ、此処か……」


 自分達が尾行されているとは気づかないまま、幽鬼は廃工場の前に立っていた。

 手歪町には工業などが発展した形跡は無い。だが、それでも昔は何らかの製造業を行っていたのだろう、廃工場は如何にも過去の黄金時代に建てられた風情の物で、今となっては虚しくも恐ろしい雰囲気を漂わせている。

 怪談や幽霊の目撃スポットとしては、かなり分かりやすく邪悪な場所であった。


「それっぽいな……うん、期待出来そうじゃないか、なぁ?」


 期待と満足感を覚えながら、幽鬼は小さく呟いた。その言葉は側に居る冶木と安寧に向けられた物だったが、二人は聞いていなかった様だ。

 安寧はどう見ても背丈の少し高めな少女に、疑惑の視線を向けている。


「あの……あなたって本当に男の人、なんですか……?」

「ふふふ、何だ、疑っているのか疑っているみたいだね。そうかそうか、確認してみたいんだね、この変態さんめ! でも、見たいなら、見せてあげようじゃないかっ……恥ずかしいけれど、仕方ないなぁ……!」


 疑問を投げかけられた冶木は頬を紅潮させ、見方によってはスカートに見える服の裾を摘み上げる。恥じらう姿や躊躇いの有る指使いは、何をどこから見ても可憐な少女そのものだ。

 ただ、本人の言葉を信じるなら、少女ではないのだが。


「あう、え……えっ!? や、やめてっ」

「へへへ、恥ずかしがるんじゃないよ。私が一番恥ずかしいんだから……」


 予想だにしない動きだったのか、安寧はすぐに自分の顔を覆い、冶木から背を向ける。

 それでも、冶木は悪ふざけに近い態度で裾を僅かに捲り続ける。見かねて、幽鬼が眉を顰めて止めに入った。


「止めろよ変態。こっちまで恥ずかしくなる」


 膝上まで丈が有るだけの単なる服なのだから下着が見える様な事は絶対に無く、そもそも冶木は男である。

 だが、それでも幽鬼は止めた。

 それを聞いた冶木は摘んでいた服の裾から手を離し、『ニヤリ』と言うべき邪悪かつ強烈な笑みを浮かべて騒ぎだす。


「変態する昆虫か……成る程、私は蛹を作るんだね。蝶々か蛾か、蝶々みたいな蛾と蛾みたいな蝶々って同じ物だと思うんだよね。いや、生物学とか昆虫学とかは無視するとして、だな、何も知らない人にとっては外見で判断する訳だ! 印象とは外見から始まる! ああ、なんて悲しくも愛おしいんだろう! 人間は、生き物とは! 視界に広がる世界とはそうだ、そうだったのか!」

「もういいから止めろ、いや止めてください」


 夢中になって謎の内容を語り出す少女の様な青年に向かって、幽鬼は殆ど頭を下げる勢いで話を止めさせる。

 何とか冶木は口を閉じた。それを見た幽鬼は大きく安堵の息を吐いて、呆れと怒りの混じった声を発した。


「お前って奴は本当に……」

「あの、僕、怒ってませんから……でも、脱ぐのは止めてください」


 安寧は遠慮がちにでも言葉を紡いで、幽鬼を宥めようとしていた。

 弱気ながら気持ちの籠もった言葉には幽鬼も抵抗出来ず、彼は表情を緩めて笑みを作り上げる。


「分かってるって、仲良く、だろう?」

「そうそう、仲良くしようじゃないか。でも、私は普通に男なんだけれどなぁ……うーん、分からない物だ」

「分からないと言いたいのは俺の方だよ。アニメか何かから出てきた奴みたいだぞ、お前」


 幽鬼は心から呆れ帰っていたが、安寧が心配そうに見ている場所では怒る事も出来ないのだろう。僅かにも怒気を感じさせず、冶木に対して困った人間を扱う目を向けている。

 幽鬼が怒りを抱いていない事を敏感に感じ取ったらしく、安寧は軽く息を吐いて廃工場の方へ向き直った。


「さ、さあ。行きましょう……えっと、ちょっと待ってくださいね……ほら」


 安寧は不相応に大きな鞄を漁り、中から何らかの道具を取り出して冶木と幽鬼に渡すと、彼伏し目がちに口元へ小さな笑みを浮かべて見せる。

 渡された物を見た幽鬼は思わず口笛を吹き、安寧への賞賛を口にした。


「へえ、用意が良いんだな。冶木、お前何か準備してきたか?」

「いいやぁ、ぜぇーんぜん。正直、夜目は利く方でね。別に必要無いかと思ってたよ。そい言う君は?」

「ぜぇーんぜん……いや、撮影用のカメラは有るか」


 幽鬼は自分の鞄からカメラを取り出して見せつつも、もう片方の手で安寧の渡した物を握り締めていた。

 筒状のそれは明るい光を放っていて、建物の影を照らしている。そう、それは懐中電灯であった。暗闇を照らす事に優れたモデルで、光の色合いが目に良い物となっている。

 大きさや長さ、形状などが全て握りやすくデザインされた物であり、安物だとは思えない。安寧の配慮を感じさせる物だった。

 準備の良さからも、安寧が今日という日を楽しみにしていた事は明らかだ、幽鬼は思わず彼の頭を撫で回していた。


「うん、有り難うな。本当に助かるよ、工場探索をするなら必要だよな、こういうの」

「……へへ、ありがとうございます、嬉しいですっ……」


 子供扱いされた事を怒らず、安寧は幼子よりも嬉しそうに撫で回されている。幽鬼もまた、安寧の髪がサラサラとして触り心地が良い為か、頭から手を離そうとしない。

 そんな姿を見て何を思ったのか、冶木は空気を読まずに渡された懐中電灯を振り回す。

 

「……さぁ、どうする。どうしちゃうのかな? 私としてはさ、ほらほら……つまり、早く入ろう! 死体がきっと私達を待っている! 今にも腐乱しつつある肉体は我々の侵入によって動き出し、病的かつ混沌として肉を貪らんと襲いかかるのだ! ……なのかもしれない!」

「……まあ、良いか。安寧、行こうぜ」

「はいっ!」


 いい加減に反応する事が面倒になって、幽鬼は冶木を放置して廃工場の中へ入っていった。

 工場は廃止されても扉は施錠されていない。いや、何者かが壊して入った形跡が存在する。そんな所も怪しい雰囲気が存在した。


「もう少しゆっくり歩いた方が良いですよ?」

「ああ、分かってるって。分かってるよ、へえ、面白いなあ畜生」


 幽鬼は好奇心が刺激される事を抑えきれず、安寧の注意を聞き流しながら早足で歩みを進めていく。


「おおっと、私を置いていくの? 止めて欲しいな怖いし、恐怖心が私の心を埋め尽くすのだから、お願いだよ放っていかないで」

「置いていかないから、付いてこいよ」

「……あれ、幽鬼君が優しい?」


 振り返って手招きをする幽鬼に向かって、冶木は小首を傾げて見せた。

 それを気にせず、幽鬼はただ冶木を呼び寄せながら先へ進む。。


「良いから、付いてこいって」

「おお、これが優しさ! 感動するね、うん。お言葉に甘えようじゃないか!」


 感涙らしき物を瞳に溜ながら、冶木は幽鬼と安寧の背中を追いかけて行く。どう見てもか弱い少女にしか見えずとも、彼は素早く二人の居る場所へ簡単に辿り着いた。









 そんな幽鬼達の姿を、男はしっかりと監視していた。

 男は疑念で表情を一杯にしながらも、油断無く気配を殺している。少年達に存在を悟られる様な愚かな失敗はしていない。


「こんな工場に……奴ら、一体何を……クソ、どうする……」


 ともあれ、男は少年達の狙いが掴めず、悔しそうな顔をした。

 その間にも、少年達は工場の中へ入っていく。迷っている暇は無いと判断して、男は軽く息を吸う。


「……よしっ」


 工場の中に何が有っても動揺しない様に、男は重く息を吐いた。

 それは強く覚悟を決めた目であり、誰も止める事は出来ないだろう。男は素早く少年達の小さな背中を捉えて、物音一つ経てずに工場へ入っていく。

 この廃工場は、まるで人を喰う獣の様に男の姿を飲み込んでいった。しかし、誰もその姿を見ては居なかった為に、彼を止める者は居なかった。



+


 それから一分も経たずに、工場の前には二人の男が立っていた。


「……先客が居るな」


 工場の入り口付近を一瞥すると、男、いや高島はそんな事をはっきりと断言する。

 完全な確信が籠められていて、微塵も疑いも感じられない。だが、それを聞いた隣の三島連命は首を傾げていた。


「そんな事まですぐに分かるんですか?」

「まあな、だが……割と練習をしないと無理だ。真似をするなよ?」


 高島は廃工場の入り口付近に散らばっている足跡や土の状態を眺める。それだけで、彼は何事かを理解した様子で頷いた。


「足跡が新しい。これは……五人か? 一人はもう出たみたいだな……」


 彼は廃工場に入った人間の数を『正確に』言い当てて見せた。続いて工場の外観を眺め、内部が入り口以外は完全に密閉された空間である事を彼は見て取る。

 工場全体からは見る者を嫌な気分、嫌悪感を覚えさせる雰囲気、と言うべきだろうか。そんな『何か』が広がっていた。


「……ふん、嫌な気配を感じるな」

「え?」


 高島が呟くと、何も気づいていない連命が聞き返してくる。

 単なる一般人に等しい連命は、単なる廃工場にしか見えなかった様だ。高島は内心で舌打ちをしつつも、決して工場から視線を外そうとはしなかった。


「間違いなく、此処で何か『マズい』事が起きているんだよ。あいつ等、本当の事を言っていたらしいな」


 それを聞いて、連命は顔を青くする。


「え、あ……? それは、つまり? この工場の中で殺人をやってる奴が居ると……?」

「確定じゃないが、俺の直感は危険だと思ってる。ちなみに外れた事は無い」


 鋭い目を工場に向けたまま、高島が剣呑な雰囲気を滲ませる。無意識の内にか、彼の足は工場の内部に向かって一歩進んでいた。

 それを見た途端、連命は圧倒的かつ力強い存在感に呑まれつつも、何とか提案をする事が出来た。


「あの、警察に言った方が……」

「田舎町」


 連命の提案を聞いた瞬間から高島は困った様に笑い、連命の耳にも届く声量で呟いた。

 その言葉の意味は連命には欠片も理解の及ばない物だったが、しかし、連命の背筋は形容出来ない様な恐怖によって凍り付く。

 そんな反応は無視して、高島は虚空を見つめながら続けた。


「警察内部で動く事が出来る殺し屋。しかも、堂々と店を構えている」

「……」

「何となく分かるだろ? この町じゃ、警察は滅多な事じゃ動けないんだよ」

「……!」


 公権力が、この町には殆ど及ばない。それは連命に恐怖を覚えさせた。普段は滅多に手を借りる事は無い警察だが、こういう時は一番に頼りたくなる相手である。

 最後の寄る辺を無くした様な気分になったのか、連命は目を見開いたまま固まっていた。

 そんな連命に付き合い続ける気は無いのか、高島は工場の目の前で考え込む。


「さて、どうす……!?」


 何事かに気づいた様子で、高島の目が見開かれる。

 それと同時に連命も体を硬直させるのを止めて、すぐに高島へ声をかけた。


「高島さん……? 今、ガキの声が聞こえた様な……っ」


 連命は途中で声を止めて、言葉にならない驚きを表した。声に対して高島は返事をする事は無く、凄まじい勢いで工場の中へ飛び込んでいたのだ。


「待っ、どこに!?」

「工場の中だ、お前はそこで待ってろ!」


 慌てた連命の声を背に、高島はすぐに工場の奥へ消えていこうとする。重そうなトレンチコートが彼の動きを阻害する様子は無く、まるで動きやすいスポーツウェアでも着込んでいるかの様に高島は身軽だ。


「そんな無茶な! 殺人鬼が居るかもしれない場所で一人は嫌だぞ!」


 そのままでは置いていかれる。そう考えたのか、三島連命は必死で高島を追いかけた。

 工場の中は不安になる程に暗く、とても走り難い。彼は、高島の背中を見失わないので精一杯だった。


 そして、自分の弟が同じ工場に居る事など、彼は全く知らない。







+







 時間は、少しだけ戻る。


 廃工場の内部は完全な暗闇であった。劣化しているが、屋根や壁の板は一枚も剥がれていない。中は猛暑の為に蒸し暑いが、まだ太陽が差し込んでいないのが幸いだろう。

 それでも、三人の少年達は工場の中を進んでいた。暗闇を僅かな懐中電灯の灯りで進む姿は、冒険家の類を連想させるだろう。

 彼らの手にはスポーツドリンクが握られていて、首には凍る程に冷やされたタオルが巻かれていた。それが暑さを防いでいるのだが、その道具を準備したのはこの中で一番小さな子供であった。


「いや、用意の良い奴が居なかったら俺達は蒸し焼きだったな。本当に助かったぜ」

「そう、ですか? そんな風に思って貰えるなら、僕、頑張った甲斐がありますっ」


 感謝と賞賛の言葉を受けて、俯きがちな安寧の顔に強い喜びが宿る。

 それだけで、幽鬼は周囲の殺人的な暑さが緩む様に錯覚した。安寧の内向的な子供らしい雰囲気が一種の清涼剤になっているのだ。

 そんな気持ちになるのも当然と言えるだろう。何故なら、その隣では今も冶木が楽しげに騒ぎ続けているのだから。


「私としてはこの暑さこそ当時の状況なのだと思うね。きっとかなり酷い労働条件だったに違いない。死体が転がってても不思議じゃないね! 我々もすぐに後を追う事にんりそうだから!」

「あの……この工場が作られたのは多分……えっと、労働条件がある程度改善された後だと思うんですけど……」

「気にしない気にしない! 歴史的背景は大事だけど、世の中には例外だって有るさ! 工場で死んだ奴が私達を呪い殺しに来たって、それは不思議とは言わないね!」


 安寧の小さな指摘も軽く流し、冶木は騒いでいる。

 彼も安寧から体を冷やす道具を幾らか受け取っているが、それにしても騒ぎ続ければ倒れてしまいかねないだろう。しかし、冶木の顔色は間違いなく良好である。


「はぁっ……お前は平気そうで良いな。暑くないのかよ」


 全く堪えた様子の無い冶木に対して、暑さで頭がおかしくなりそうな幽鬼は若干の羨みを籠めて話しかけていた。

 蒸し風呂に匹敵する暑さの中では幽鬼の声がよく響き、冶木は汗一つ流さずに返事をする。


「平気さ! きっと君達も大丈夫、慣れればきっと大丈夫!」

「……はぁ」


 笑いながら喋る姿はまるで踊り子の様である。同じ人間とは到底思えず、頭痛を覚えた幽鬼は軽く頭を押さえて溜息を吐く。

 その姿を見て心配の一つでも覚えたらしく、安寧が不安そうな表情で幽鬼の顔を覗き込んだ。


「あの、大丈夫ですか?」

「……ああ、いや、大丈夫さ。心配してくれて嬉しいよ」


 努めて軽く首を振ると、幽鬼は薄く笑みを浮かべて周囲を見回した。

 話題を変える為の材料を探しているのだ。懐中電灯が照らす工場の中には機械らしき物が色々と転がっていて、どれも錆びている。


「それにしても、色々と機械部品が転がってるよな。此処、昔はどんな工場だったんだ?」

「えっと……詳しくは分からないんですけど、小型の部品とかの工場だったらしいです。時代的には……自動車部品、かな?」


 頭の端から引っ張りだしたかの様に安寧が囁いてくる。冶木の様に騒ぐ気力は感じられず、額には健康的な汗が浮かんでいた。

 安寧の体調は悪い物ではない様だ。その事実を見て取りつつも、幽鬼は感心した様子で頷いていた。


「へぇ……やっぱり歴史が有る物なんだな」

「おお人類の英知よ! 機械文明に幸多かれ!」

「……相手はしないぞ。暑くてそんな気になれねぇ」

「正直、僕も同感です……」


 大声で喋る冶木を放置しつつ、安寧と幽鬼は足を進め続ける。黙っていると暑さが余計に酷く感じられるのか、二人は口を閉じない。


「そうだ、その鞄の中……他には何が入ってるんだ?」

「……えっと、催涙スプレーとか……結構鋭い鋏とかも有りますよ」

「ああ、護身用か。そういうのもしっかり用意しているんだな」

「はいっ、やっぱり子供一人は怖いですから」


 二人はそれなりに朗らかな様子で会話を楽しんでいる様だ。

 とても今日会ったばかりの関係とは思えないくらいに打ち解けて話が出来ているのは、何も冶木が騒がし過ぎて話し相手にならない事だけが原因ではないだろう。安寧の弱気に幽鬼の強気が合致している様だ。

 それを理解しているのか、幽鬼は笑みを絶やさない。暑さの中でも安寧との出会いに喜びを覚えている事は明らかだった。


「そうですね、今の都市伝説としてはやっぱり……うーん、その手の話だとUMAやUFOとかの話も長いですよね」

「ジョージ・アダムスキーの話とロズウェルは長く続くな。本当に……コンタクティーの証言も終わる気配が無い」

「あ、エイリアンクラフト説ってどう思います?」

「……少なくとも、テレビスペシャルのUFO特番で言われる内容は信じるべきじゃない。UMAもそうだが、世間の話題に上がると目撃情報が増えるのが信頼出来ないだろ。アダムスキー型の前は葉巻型が流行ったしなぁ」


 楽しげに肩を竦めながら、幽鬼は暑さを忘れる様に話を続けた。夢中で話し続けている為か、蒸し殺される暑さも軽く無視する事に成功している。

 そのままでも話を延々と続ける事も可能だろう。安寧も好きなジャンルの会話だからか、オドオドとした態度がかなり薄れていた。

 そんな時、何かが幽鬼の足に引っかかった。 


「んっ……」

「どうしました?」

「いや、ちょっと待ってくれ」


 足に掛かる違和感の正体を確認しようと幽鬼がしゃがみ込んで、落ちていた物を拾い上げる。

 そこに懐中電灯を当てると、幽鬼は思わず首を傾げた。それは薄汚れていたが、確かに白い塊だ。機械部品や木の枝ではないだろう。


「……っと、これは……ん? ……んっ!?」


 その物体をじっと見つめて、幽鬼は驚愕に目を見開いた。そんな大きさの物を現実に見る事は滅多にないが、それが白い色をしている事は誰もが知っているだろう。

 それは棒状であり、堅い感触が存在する。つまり、骨格のある生き物は基本的に持ち合わせている物体だ。


「……白骨……なのか!?」


 持っていた白い骨を思わず取り落として、幽鬼は顔を凄まじい勢いで歪める。

 廃工場の中に転がる、白骨らしき物体。それは幽鬼の心を揺らすには十分過ぎた。幽鬼は動揺のままに懐中電灯を床へ向けて、他に転がっている物が無いかを確認した。


「っ!」


 光が照らした先を見て、幽鬼の喉の奥から悲鳴が上がった。

 そこに転がっていたのは、明らかに人の物だと思われる頭蓋骨だった。眼球の無い空洞が幽鬼達の姿を呪う様に見つめているのだ。


「これって……」

「見るな!」


 安寧が頭蓋骨の明確な形を捉えようとしている事に気づいて、幽鬼は反射的にその目を覆った。


「え……あの……」

「見るな。見なくて良い。大丈夫、大丈夫だからな」


 幽鬼は自分に言い聞かせる様に安寧の耳に向かって囁き、動揺を押さえ込みながら白骨の形を確認する。

 床に幾つか転がった骨の数々は、どう見ても人間の白骨死体であった。それは廃工場の内部で何者かが死んだ事を如実に表していた。


「クソ、そうか……噂じゃなかったのか、畜生が」


 二人の男女からの忠告を信じなかった事を、幽鬼は心から後悔した。

 しかし、悔いても幽鬼を助ける存在が現れる事は無い。何とか心の動きを封じ込めて、幽鬼は安寧の目を隠したまま白骨に背を向ける。


「よし、逃げよう。これは都市伝説とかじゃなくて……本当だったらしい」

「え、あ……はい、でも……」


 視界を閉ざしたまま、安寧は幽鬼の発言に反応する。怯えや戸惑いより、何か言いたげな様子だった。

 ともあれ、幽鬼には安寧の声を聞いている余裕など無い。白骨死体を視界に入れてしまった為に、感情が麻痺している。それでも幽鬼は安寧を守る様に後ずさりをした。


「おい、冶木……?」


 そこで、幽鬼は冶木の様子がおかしい事に気づいた。冶木は工場の暗闇をじっと見つめて、一瞬も顔を動かそうとしないのだ。


「冶木。一体、どうしたんだよ」


 冶木の異常を感じて、幽鬼が言葉と共にその顔を見つめる。

 声を聞いても顔を動かす事は無く、冶木は微動だにしないまま笑い声を上げた。


「ふふ、気づいてないんだ。二人とも……案外、鈍感なんだね」

「えっ……!?」


 そんな言葉に釣られて、幽鬼と安寧の顔が暗闇に向けられる。そこに居る者を見た二人の目は一気に見開かれ、瞳の奥に警戒心が溢れ出す。

 暗闇の奥底には、誰かが立っている。鋭い目で少年達を見つめる様は、とても危険そうだ。


「逃げろ!」


 危険を理解した幽鬼の口から声が勝手に漏れ出し、それと同時に暗闇の無い方向へ走り出す。

 工場の構造など知らなかったが、幽鬼は全く考えずに逃げ出していた。


「こっち、こっちです!」


 がむしゃらに逃げようとした幽鬼の手を強引に掴んで、安寧はしっかりとした凛々しさすら感じさせる表情で引っ張った。

 微かな怯えすら見て取れない背中は、幽鬼にとっても頼もしい物だ。


「道を知ってるのか!?」

「事前調査はしっかりしていました! 見取り図くらい持ってますよ!」


 安寧は自分を誇るでもなく、ただ幽鬼に向かって逃走経路へ飛び込んでいく。

 不思議と、背後の『何者か』が追いかけてくる気配は無かった。







+







 気づかれた。必死に逃げ出した少年達を見て、彼らを尾行していた男は自らの不覚に顔を歪ませる。

 怪しげな少年達が白骨死体を発見した事を、この男も理解している。少年達が殺人鬼ではない事は、工場での会話を聞けば明らかだった。

 一方で、少年達が狂っているのではないかと男は感じていた。この暑い中で、工場に入っているのだ。到底正気とは思えない。

 正気とは思えない少年達は、例え言葉で何を紡ごうとも信頼出来る物ではない。しかし、何にしても少年達が逃げている事は現実として存在するのだ。

 白骨死体の正体や出所は男にとっても気になる対象だ。この町で何かが起きれば問題になるのは彼らの所属する『殺し屋』なのだから、死体の扱いは慎重にしなければ、流石の彼らとて警察を抑える事は出来ないだろう。

 しかし、少年達を放っておく訳にもいかない。男は彼らの去り行く背中を追いかけようと、足を踏み出す。

 彼の足であれば少年達を掴まえるのは簡単だ。そういう自信も籠められた最初の一歩だったのだが、結局の所、次の一歩が踏み出される事は無かった。

 男は、何者かの気配に足を止めた。長年の経験から、体が少年達よりも遙かに警戒すべき『何か』の存在を掴んだ様だ。


 天井に、何かが居る。男の直感はそんな風に告げていた。


 どれほど殺気と恐ろしい気配を感じようとも、暗闇は相手の姿を隠してしまう。しかし、視界を封じられたくらいで止まる男ではない。彼は相手の挙動を見切る為に、目を細めた。

 あらゆる攻撃に対応出来る様に、男の全身が準備をする。しかし、男の凄まじい反応すら既に遅かった。彼が上を見た瞬間、『最初から』天井に居た何かが落ちてきて、足らしき物が男の首を絞める。

 何とか首を守って抵抗しようとしたが、あらゆる行動は遅過ぎたのだ。


「ぅ、おごぁっ!」


 声にならない声が男の口から漏れる。

 首がへし折れる音が聞こえると共に、彼の意識は一瞬で途切れ、二度と覚めない闇の奥へと落ちていった。

 男を殺した存在が浮かべているのは、残酷でおぞましい、『精神が行ってはいけない場所に行った』者の笑みであった。


 そして、それは『地海蒼空』と呼ばれていた――女だった。



元ネタ『ネクロノミコン序文(其は永久に横たわる死者にあらねど~)』


作中で名前が出た実在の人物

ジョージ・アダムスキー氏(コンタクティー・UFO愛好家?)

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