2話 町中にて
「ああ、俺が『幽霊』で間違いないぞ」
自分に向かって話しかけてきた子供に向かって、少年は軽く腕を上げて手の甲を見せる。そこには確かに『幽霊』というハンドルネームが油性マジックと思わしき字で書き込まれていた。
それを見た子供は安堵した様子になり、かなり人見知り気味な調子で挨拶をする。
「あ……その、こんにちは」
子供は見知らぬ他人に対して酷く怯えている様で、少年に向かって挨拶をする時も決して目を合わせようとはしない。
ネット上で想像していたよりもずっと弱々しい子供の印象を受けて、少年は努めて明るく話をする事を決める。
「そっちは『セーフ』さんか? 『コバヤシ』じゃないよな」
「そ、そうです。えっと……あの……ごめんなさい」
手の甲に『セーフ』と書かれた子供が、静かに謝罪の言葉を口にする。
意味が分からず首を傾げた少年に向かって、子供は伏し目がちに言葉を続けた。
「僕みたいなの、想像してなかったですよね、期待させて、本当にごめんなさい……」
「いや、別に気にしてないけどな。むしろ現実じゃボディビルダーだった、とか言われた方が驚くしな」
驚く程に臆病な子供だという事を、少年は特に不快に思っていた訳ではなかった。
少年が想像していたよりも相手は子供だったが、彼は気に留めずに子供の肩を叩く。
「威圧感の漂うおっかない奴だったら正直、きついしな。君くらいの方が良かったよ」
「っひゃ……そ、そうですか……? えと、あの……嬉しいな」
肩の衝撃に子供が驚きながらも、嬉しそうに顔を緩ませる。引っ込み思案な雰囲気は変わらずとも、喜びを表す微笑みは子供らしい愛らしさが有る。
「ほら、気にするなよ。『セーフ』君、俺だって変な奴じゃないかって不安に思ってたんだからな、普通の奴で助かった」
少年の言葉からは気遣う様な雰囲気は無く、本心からの気持ちを口にしている事が分かった。
「あはは……ありがとうございます、嬉しいです。本当に……」
僅かに照れた様子で頬を掻き、子供は顔を俯かせる。やはり目を合わせようとはしないが、少しは緊張も和らいだ様だ。
空気が少し話しやすい物になった事を理解すると、少年は嬉しそうに笑う。それに次いで若干の好奇心を抱いたのか、少年は子供に質問をする。
「そういや、この町の出身なのか?」
「え、どうしてそう思ったんですか……?」
「駅から出てこなかったからな、あ、もしかして結構待たせてしまったのか?」
子供がこの町の住人ではないと知って、この暑い中で待たせてしまった、と少年は気まずそうな表情になる。
すると、子供は慌てた様子で手を振って、遠慮がちだがしっかりとした声音で話し出した。
「い、いえ! 色々と事前に準備がしたかったから、昨日から来てたんです……!」
「そうなのか。いや、分かった。早とちりだったな」
「は、はい。そうなんですよ。僕も昨日来たばかりなんですよ、本当に」
少年が納得した姿を見て、子供は安堵の籠もった笑みを浮かべた。
周囲は変わらず酷い暑さだったが、子供の態度からは依然として暑さよりも弱々しい人見知りが感じられる。少年に対しても、完全に受け入れた訳ではない様だ。
その証拠に、子供は一度も少年とは目を合わせていない。早く打ち解ける必要を感じて、少年は話を変える事を決めた。
話す内容は、此処で会う予定になっている、もう一人のチャット仲間の事だ。
「で、『コバヤシ』には会……」
「おお! 君らが『幽霊』と『セーフ』かなぁ! いやぁ暑い暑い、暑い空気が暑い! 熱せられた鉄板に乗せられた肉の気分が数割くらいは分かるかもしれないよ!」
少年がそのハンドルネームを口にした瞬間、少し離れた場所から騒がしいくらいに大きな声が聞こえてくる。
男とも女とも取れない、声変わり前の少年の様な声である。しかし、声質など気にもならないくらいに喧しい物だった。
「……あー」
少年は困った様子で頭を掻いて、溜息にも似た息を吐く。そんな事には構わず、騒がしい声は続けられている。
「やあ、二人とも! 何時も三百六十五と二十四の間に居る『コバヤシ』さんだよ! 犬は大型の方が食用には適していると思うんだけど、どうかな?」
「犬派の俺に喧嘩を売ってるんだな」
「悪いな! 私は猫派なんだ! 大体、犬って大型とかになると……狼じゃないか、襲われるぅー襲われるぅー! 子犬でも怖いよぉお!」
適当な事を喚きながら、一つの人影が少年と子供へ接近した。その手の甲には明確に『コバヤシ』の名が肌に直接刻まれていて、とても痛々しい。
少年達にとって、それは明らかに『コバヤシ』だと分かる姿だった。いや、調子も話す内容の意味不明さも現実の方が凄まじいのだから、恐ろしい話だ。
「っていうか、『コバヤシ』って女だったんだな、てっきり男だと……ああ、失礼な事を言っちまったか?」
少年はじっと『コバヤシ』を見つめている。
『コバヤシ』は少女の物と思わしき童顔をしていて、髪の後ろの部分だけを少し束ねている。背丈は三人の中で最も高かったが、雰囲気は一番幼かった。上着が長すぎる為に丈の短いワンピースの様になっていて、ハーフパンツから伸びるスラリとした綺麗な足も『少女』という印象を助長する。
だが、少年の言葉を聞いた『コバヤシ』は見るからに眉を顰め、頬を奇妙なまでに膨らませて憤慨をアピールした。
「ほほう、失礼な失礼な。私は男だぞ、ボーイだぞ。ボーイという言葉は便利だよな、ボーイ! ボーっとしてる感じでも無く、イーって気分でもない! これは一体なんだろう! そもそもイーとは何だ、それはイースター島! そうだモアイ像はボーイースター……ボーイ・スター、そうかアイドルか! アイドルなんだな! この野郎私がアイドルみたいなルックスだって言うんだな! 褒めてくれてありがとう!」
「……意味分からねえ。でもお前が男だって事は分かった」
「大丈夫さ! 分かる必要も無いくらい私の気持ちは高揚してるんだ! ところで高揚って紅葉と同じ読み方なんだよな、紅葉! 秋、秋と言えば秋の空、女心とは秋の空! 山の天気より変わりやすいのだ! 私の心は男心だけどな!」
笑顔かと思えば怒りを放ち、訳の分からない事を口走りながら動き回る『青年』は強烈な印象を見せつけていた。
しかしながら、少年と子供の白けた視線を受け取った為に青年は表情を一瞬だけ完全に消し去り、ぞっとする様な笑みを浮かべて道化の様な一礼を決める。
「こほん、ともかく私は普通に異性と恋するお年頃なんだぞ。でもちょっと違う所が有るとすれば、ああそうさ、違うのさ。服装倒錯とかじゃないからな、女装癖でも無いからな」
ただ、口から出ているのは全く変わらず方向性の理解できない独り言である。
余りにも話が通じなかった為か、少年は思い切り溜息を吐いて明後日の方向を見つめた。
「……こいつを放っておいて、俺達だけで探索するか?」
「あの、でも……『コバヤシ』さんも友達で……」
「そうだぞそうだぞ、私と君は友達なんだ! フレンド! フレンズさ! 私だって会えたのが本当に嬉しいんだぞ!」
「こ、『コバヤシ』さん……そんなに騒いじゃ迷惑、ですよ……?」
余りにも青年が騒がし過ぎた為、子供は周囲の様子を伺いながら注意を口にする。
「おおっっとととっとっ! こりゃ悪かった、そうだよな、ご近所迷惑だよなご近所トラブルだよな! これは本当にすまなかった! 私の声のせいで殺人事件が起きてしまうかもしれなかった!」
子供の言葉に反応しつつも、青年はあくまで騒がしく喋り続けている。外見は背の高い可憐な少女の物だが、中身は余りにも酷い。
破壊的なまでに馬鹿な言動に、少年は強く肩を落とした。
「ああもう、どうでも良いや。それよりさ、自己紹介しようぜ。互いの本名を知らないとな」
青年の事は気に留めない事を決めたのか、少年は子供にだけ声をかけた。
「え、あ。そうですね。そうしましょうか……ええっと」
子供もまた、側で馬鹿らしく騒ぐ青年を無視している。子供は何かを思い出しているのか、僅かに口元へ指を置く。
「その、あの、近くに小さい喫茶店を見つけたので、そこで話しませんか? あっ……ごめんなさい。嫌ですよね、僕みたいな奴が見つけた店なんて……」
勝手に落ち込みながら、子供は今にも泣きそうな顔をする。どこか罪悪感を刺激される姿に、周囲の空気が冷たい物を帯びた。
少年は居心地が悪そうに身じろぎし、子供に向かって苦笑する。
「……現実のお前って本当に臆病なんだな」
「ごめんなさい……」
「怒ってないから謝らないでくれよ、な?」
軽く肩を叩き、少年が子供を元気付けようとする。
隣では少女の様な青年が謎の不気味な笑い声を上げていたが、二人とも無視を決め込んだ。
「ま、いいさ。だが俺の名前だけは先に知っておいて欲しいな」
子供の瞳から涙が無くなった事を確認すると、少年は空気を変える様に不敵な笑みを浮かべる。
初対面の相手への礼儀の意味も有って、少年は帽子を脱ぎ、努めて怖がられない様に名乗った。
「俺は、三島幽鬼だ」
微妙に怖い名前を聞いて、子供が喉の奥から悲鳴の様な物を上げた。そんな気がしたが、少年は聞こえなかった事にした。
+
手歪町の片隅に、小さな喫茶店が存在する。テーブルの席が幾つか有るだけの、見るからに個人営業だと分かる店であり、店員は老人が一人座っているだけで、何人かの客に飲み物を持ってくるだけで倒れてしまいそうだ。
店の壁には、駅前の木と同じ様な張り紙が付けられていた。
老人の目はしっかりと客を見ている。視線だけで相手の実体を見抜かんばかりだ。
「……あ、上手いコーヒーだ、これ」
居心地の悪さを感じて、三島連命はコーヒーを楽しむ事を決め込んだ。
彼は、恐ろしく鋭い目をした高島に連れられてこの町に来ていた。何故、こんな田舎町にまで連れてこられたのか、それすらも分かっていない様子だ。
顔は赤くなっていて、猛暑に耐えかねて喫茶店に入らなければ今頃は気絶していただろう。
そんな彼を辟易させる声が、対面席から響いてきた。
「禁酒法時代にはバスタブで作った工業用のアルコールを酒として出す奴も居たらしいが……味はどうだったんだろうな?」
「さ、さあ」
「あの時代には『民衆の敵』って映画が有ったけどな、俺としては『社会の敵』であって『民衆』の、じゃないと思うんだよ……ああ、『パブリック・エネミーズ』と『パブリックエネミーNo.1』は関係無いからな? 面白いけどよ」
「そ、そうなんですか」
「そうなんだよ」
高島は独り言の様な声で喋り続けていた。
三島にとってはどうでも良い話なのだが、高島の鋭い刃の様な雰囲気が言葉を止めさせない。
「何だ。さっきから聞いてるだけだな? まさか、俺が話題に出した映画を見てないって事なのか?」
相槌を打ちながらコーヒーを飲むだけの三島に向かって、高島の不思議そうな視線が向けられる。自分の話が全く通じてないとは思っていないらしい。
「あの、いえ……」
「まあ、良いけどな。『ゴットファーザー』くらいは見てるだろう?」
「……」
「本当に見てないのか、それはまた……まあ、世代差も有るか。仕方ないのかもしれないな」
肩を竦めると、高島は自分のコーヒーカップの中身を一気に飲み干した。
「でも、何か見てないのか? 映画くらい見るだろ。ちょっと外れるが……『カクタス・ジャック』はどうだ?」
「その、犯罪物は全然見てないんで」
三島が怖がりながら返事をすると、高島はあからさまに落胆した様子でカップをテーブルへ置く。
しかし、次の瞬間には鋭い目へと戻っていた。
「まあ……映画の話をしに来た訳じゃないしな。本題の方が優先か、今度、山ほど映画を見せてやるよ」
「は、はは……」
高島の目は間違いなく本気だった。三島がどう逃げようとも捕まえて、不眠不休で山ほどの映画を見せ続ける事だろう。間違いなく拷問である。
三島は乾いた笑い声を出して恐怖を誤魔化そうとしたが、全く無意味な事だった。
「それで、お前は犯人を見たんだな?」
ようやく高島は本題に入り、三島へ質問をする。
それは偽証をすれば殺されてもおかしくない顔付きだったが、ようやく映画話から解放された三島は安堵すら抱いて答えていた。
「まあ、その通りです。犯人の顔も、見ればすぐに分かると思いますよ」
三島は空になったカップを置いて、やっと真剣な話が出来る事を喜んでいる。
「そうか、やっぱり嘘じゃないよな。なら話は簡単さ、さっさと奴らとは話を付けて、手早く犯人の姿を聞かないとな」
老人がコーヒーを継ぎ足してくる姿を捉えつつも、高島はカップを撫でながら呟いた。
そんな言葉の意味が分からず、三島は内心の不安を口にする。
「あの、この町で何を……?」
「知り合いに会いに行くのさ、とても危険で、重要な知り合いにな」
ニヤリと意味深げに笑い、高島はじっと三島を脅かす様な事を言う。
「それまでは拘置所に居ようが自宅に居ようが、俺の側に居ようが安心は出来ないぞ?」
幾ら悪戯っぽい顔をしていたとしても、言葉自体は善意も悪意も感じられない忠告である。
恐ろしい雰囲気すら無い、単なる言葉なのだ。その事が余計に三島の恐怖を煽っているのは、狙っての事なのだろうか。
「さて、上手いコーヒーも飲んで涼しくなっただろ。そろそろ行こうぜ」
高島は笑いながらコーヒーを飲み干し、立ち上がった。隅に掛けてあった山高帽を被ると、そこには映画の中にしか存在しない『ギャングの様な物』が居た。
「じゃあ、俺も行きます」
「ああ、一つ言っておくべきだな」
相手が動いた事に合わせて、三島もまた同じ様に立ち上がる。すると、高島は鋭い刃を思わせる表情で彼に声をかける。
ただ、声の調子はそれほど深刻な物ではなく、世間話に近い雰囲気があった。
「今から会いに行く相手は、俺よりもずっと映画の話が長い、覚悟しておいた方が良いぜ」
それを聞いた三島は、盛大に顔を歪ませた。
二人の男が店から去ってから、数分後。店の中には老人しか居なかった。老人はひたすらに同じ場所を見つめていて、何処か不気味な雰囲気を纏っている。
滅多に客の来ない店内は静まり返っていて、何らかの音楽すら流れていない。ただ、空調の音だけが響いていた。どう考えても利益になっているとは思えず、店は何時閉店してもおかしくない状態にある。
そんな店の扉が唐突に少しだけ開かれて、小さな子供の声が部屋の中へと響いた。
「あの、このお店は開いてますか……?」
一人の子供は隠しきれない怯えを瞳に宿しながら、店の中へ顔を出した。
+
町中には幾つかの田畑が広がっている。
持ち主と思わしき人物が余り丁寧に手入れをする気が無いのか、雑草が若干生えているが、それでも栽培されている物は存在するだろう。
そんな田畑の間に、一件の廃ビルが建てられている。緑の広がる場所に佇む汚れた灰色が、随分と違和感の有る光景を作り出していた。
廃ビルの内部は特に言うべき所の無い部屋が幾つか有るだけで、『古い雑居ビルだった物』と形容するのが一番正しい。
しかしながら、このビルの一階から入る事が可能な『地下』には、奇妙な場所が存在した。
廃ビルの中において、地下の部屋だけは掃除が行われていた。DVDとそのプレイヤーが部屋中に散乱しているが、それでも最低限は掃除がなされているのだ。
転がるDVDは全て映画の物である。部屋の持ち主の趣味を表すかの様だ。
そのパッケージを弄びながら、部屋の中で三人の男達が会話をしていた。
「プリンと冷蔵庫と映画は人類が生み出した発明品の中でも指折りの存在だよ」
何やらよく分からない言葉の主である男は、バケツ一杯に詰め込まれたプリンを大きなスプーンで掬い、口へ運んでいる。
カラメルソースが大量にかけられたそれを見て、隣に居た男が余りの甘さに目を逸らした。
「……俺はイルミナティとフリーメーソンと映画だと思うね」
「『ダヴィンチ・コード』万歳って事か?」
「『天使と悪魔』も好きだぜ」
「聞いてねえよ」
とても適当に会話を交えながら、一人の男がDVDの山から一本の作品を取り出す。それを見せつけつつ、男は他の二人に得意げな顔をする。
「お前等分かってないな、タランティーノとビデオ屋とパルプ雑誌こそ三大発明だろうが」
「そりゃお前が『パルプ・フィクション』のファンってだけだろ。というかタランティーノは人間じゃねえか」
「ブルース・ウィリスの情けない感じの演技って妙にハマるんだよな。『ダイ・ハード』とか傑作だぜ、素直にアクションスターやってるよりずっと似合うんだからな」
「サミュエル・L・ジャクソンが一番だろ……」
「『シン・シティ』のウィリスはすげえ良かったし純粋にカッコ良かったぞ、映画自体の演出とか色彩も漫画っぽい拘りが有って最高だったしな」
「あの映画だと俺はミッキー・ロークの方が好きだけどな」
三人は映画の話が始まった途端、機嫌良く馬鹿らしく雑談を始める。
バケツプリンを食べている者、目の書かれたピラミッドのネックレスを付けている者、そして映画のDVDを宝石の様に撫でている者と、色々な意味で目立つ面子だったが、三人とも映画の事は楽しげに話していた。
「……ともかくウィリスはカッコいいんだよ。あの日本刀のシーン見たか? カッコいいじゃねえか」
「いや、タランティーノの映画だとハーヴェイ・カルテルが良いと思ったね」
「ああ、確かに。色々出てるよな、タランティーノと競演する時もあったっけ」
「サイコ野郎とか言ってたな」
「おお、覚えてる。あの映画は面白かったよ。冒頭の飯食ってるシーンなんて、まさにタランティーノ! って感じでよ」
「ああ、その辺りは『デスプルーフ』なんか凄かったよな。無駄話が長すぎて鼻血が出たぜ。一時間はやったっけな?」
「あー……俺、元の『グラインドハウス』はまだ見てないんだよな。今度DVD取り寄せてみるか?」
「『グラインドハウス』と言えば、『マチェーテ』も見ないとな。セガールが悪役やるんだぜ、沈黙とかローマ字表記じゃないんだぜ。まあ、セガールのハマり役はK.C.ライバックだけどな」
「『グリマーマン』とか有るじゃねえか」
「いや、セガール主演の映画は主人公の名前がセガールで良いだろ」
「まあな」
「だよなぁー」
最早、誰がどちらと喋っているのかも分からない。たった三人だというのに、混沌とした声が入り交じっている。三人は慣れた様子で互いの声を聞き取り、反応したい物にだけ返事をしていた。
数秒間だけ三人は互いの顔を見つめ、黙り合った。バケツプリンを凄まじい勢いで食している男のスプーンの音だけが響く。
「……おお、そうそう。話がズレちまったな。ええと、確か……ああ、『レザボア・ドッグス』の話だったか。あれのサイコ野郎って台詞は好きだって所からだな」
DVDを撫でていた男がパッケージを見つめ続けると、思い出した様に話を再開した。
「……ロバート・ブロックの小説が原作のヒッチコック映画か? あの有名なシーンが頭に浮かぶぜ」
「それは関係無いだろ。俺達が言いたいのは……」
言葉を止めて、男達の一人が部屋の隅へ目を向ける。すると、残りの二人も一斉に同じ場所を見る。
楽しげに雑談をしていた三人の瞳に、何処か険しく恐ろしい物が含まれていた。
「サイコ野郎に仲間を殺された挙げ句、逃げてきた屑は一体何処のカスだっけな、って事だ」
そこには、一人の男が縮こまった状態で座り込んでいて、俯きがちに三人の様子を窺っていた。
「その……」
男は三人の目を受けて、苦しそうに目を逸らす。
申し訳無さと情けなさ、そして恐怖の籠められた顔をしている。それを見た男達は軽く冷笑を浮かべた。
「おいおい、俺達はカイザー・ソゼじゃないんだ。そんなに怖がらなくても良いじゃねえか」
「ああ、もしかしてハンニバル・レクターみたいにお前の肉を喰うと思われていたりするのか? 残念ながら、俺の好きな食い物はプリンだ」
「俺達の顔はメイクで真っ白になってるのか? 口が裂けてやがるのかよ?」
三人は思い思いの言葉を一人の男に投げかけている。ふざけている様にしか聞こえないが、目は本気だ。
映画の話で盛り上がる所はごく一般的な人間を思わせたが、その様子は真っ当な道を行く者の雰囲気では無かった。
「……」
男は自分を恥じる気持ちや恐怖を覚え、視線を更に下へ落とす。
彼は、三島連命を追っていた男だった。高島の登場で一時的に退いた彼は、高島の言葉を伝える為に『三人のボス』の元へ戻ったのだ。
『三人のボス』は常識を突破する程の変わり者だったが、男にとっては信頼の利く相手である。
「……罰は何であっても受ける所存です」
男は殺される覚悟すら決め込んでいた。
男は真剣に自分を責めていた。仕事仲間が殺されたというのに、高島が現れた事で逃げ帰ってきてしまったのだから。
どんな罰でも彼は文句を言わないだろう。それを見た三人はすぐに空気を緩め、冷ややかな笑みを引っ込めた。
「……まあ、高島の奴が庇ったんなら仕方ないがな。お前にあいつと戦え、なんて無理な話だ。無駄死にさせるだけだろうよ」
「あいつは殺さないだろ」
「細かい所は良いんだよ」
細かい所を指摘した仲間の言葉を、男はプリンを貪りつつ受け流す。彼らは部下を心から責めるつもりなど無い様だ。
その横では、奇妙なペンダントを身につけた男が真剣な様子で指示を出している。
「まあ、とりあえず引き続き犯人を捜せ。高島とは久しぶりに話してみたいしな」
「……分かりました、俺への処罰はどうなりますか?」
DVDを持つ男とプリンを喰う男が二人で雑談をしている事を極力視界に入れない様にしながら、部屋の隅の男は『ボス』に尋ねる。
そんな言葉を受けると二人の男達は雑談を止め、一瞬だけ目を合わせた。
「まあ、いいんじゃねえの。別に殺したくなる様なミスをやった訳じゃないんだからよ」
「闇の権力の陰謀かもしれないぞ」
「無い。それは絶対に無い」
奇妙なペンダントの男がこの状況ではふざけているとしか思えない発言をしたが、他の二人は聞かなかった事にした様だ。
今度は映画のDVDを持った男が前に出て、部屋の隅で縮こまる男を元気付ける様に肩を叩いた。
「まあ、俺達はお前を罰する気なんて無いって事だ。別に失敗した訳じゃないしな。だが、次は俺達の部下を殺した奴の情報か、出来れば死体を持ってこい」
物騒な事を言いながらも、男はとても緩い表情をしていた。笑いながら人を殺せる類の人間とは、こういう者を言うのだろう。
「はい、分かりました!」
部下である男は立ち上がり、『三人のボス』に向かって心からの敬意を籠めて思い切り頭を下げる。
いてもたっても居られなくなったのか、男は命令を遂行する為に動き出した。廃ビルの地下から飛び出していく姿は活力に満ちた物だった。
「行ったか……」
三人の男達は、飛び出していった部下の背を脳裏に刻み込んでいた。
部屋には幾つかの電話が設置されている。鳴る様子は無かったが、仮にそれらが音を発すれば、彼らの表情は一変する。
彼らが何者なのかは、実際に見た者でも信じられないだろう。こんな田舎の廃ビルに堂々と住み込んでいる、凄まじい違法行為を依頼される組織が存在するという事は。
それでも逮捕されていないという事実は、彼らが様々な方面に手を伸ばす事が出来るという証拠だ。
「ま、俺達みたいな奴らが殺されるのは仕方ないかもしれないがな」
「お返しはしてやらないといけないよな」
「やってやらないとな。絶対に許しちゃいけねえよ」
三人は僅かに殺気を滲ませる。それだけの事で室温が体感的にはマイナスまで落ち込んでいる。
そんな態度からも、仲間や部下を大事に思っている事は明らかだった。
「あいつ、大丈夫かね」
「さあなぁ、まあ……腕はそれなりだしな、大丈夫さ」
「ああ、信じてるぜ」
軽い調子で信頼を口にしつつも、彼らは思い思いの事をしている。全員が享楽的な趣味人の雰囲気を漂わせていて、真剣な表情はもう殆ど無い。
しかし、この場で人を殺した事が無い者は居なかった。だが、それは当然の事だろう。人を殺す職業に就いているのだから。
つまり、彼らは『殺し屋』だった。
時代も国も拠点の場所も、そして三人の雰囲気も。あらゆる面でそんな仕事とは無縁に思えるだろう。しかし、だからこそ彼らは恐ろしい仕事を安全に行う事が出来ている。
彼らの態度からは、危機感が足りない様に思えるかもしれない。襲撃を仕掛ければ簡単に全滅させられるだろう、そんな気持ちにさせられる程だ。
しかしながら、彼らは今もこの廃ビルの中で『殺し屋』を組織する一方で、趣味に溺れる生活を続けている。それこそが、『簡単に全滅させる事が出来ない』証拠だった。
「……で、最近どんな映画を見たよ?」
「ああ……それなら『スモーキン・エース』だよ」
「面白いのか?」
「面白いぞ。ちょっとバイオレンスな感じと群像劇の組み合わせが良い」
話は終わりだったのか、三人はすぐに馬鹿らしい様子で雑談を再開する。
三人は映画の話をしながら、別々の趣味を楽しんでいる。一人は二つ目のバケツプリンを食べ始め、もう一人は表紙に『真実 闇の権力と陰謀の……』などと書かれた本を読みふけり、最後の一人はDVDのパッケージをジャンルごとに分けていた。
危険人物だと思わせる所は全く無く、少し趣味に使う時間が多いだけの男達に見えるだろう。仲間や部下に対して思いやりが感じられる所も、好感を得られる筈だ。
しかし、どんな人間であれ彼らの職業は『殺し屋』である。他者の人生を金で粉砕し、終わらせるのである。
どんな趣味や性格だろうと、結局の所、彼らは悪党でしかなかった。
廃ビルの中で、微かな物音が響く。
三人は一気に顔を上へ向けると、静かに顔を見合わせる。そして、趣味としている物を机に置くと、静かに声を上げた。
「高島、来たぜ」
タイトル元ネタ『渚にて』
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