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エピローグ 死体の異常な友情 または私は如何にして考えるのを止めて友達を愛するようになったか

「そんな、安寧が……?」


 三人の男達から話を聞いて、幽鬼は到底信じられないと声を上げた。

 しかしながら、三人の男達は現実を突きつける様に大きく頷いてみせる。


「ああ、確かな調査だ」

「俺達には直接の関係が無いから、隠蔽だけで後は放って置いたが」

「ま、流石に情報提供者の弟が狙われる、ってのは目覚めが悪いからな」


 無情にも、善意の欠片も無い言葉が向けられる。

 鋭い刃で引き裂かれる気分となった幽鬼が否定をしようと口を開いたが、言葉にはならなかった。

 哀れみを顔に浮かべて、男達が更に言葉を突き刺してくる。


「お前等が見た白骨な、あのガキがやったんだぜ?」

「証拠が見たいか?」

「見せてやらなくもないが……おい、泣きそうな顔をするな」


 幽鬼が苦しそうに俯いている事に気づき、男達が気まずそうな顔で口を噤んだ。

 明らかに辛い思いをしている幽鬼の肩を兄である連命が努めて優しく叩き、同情的な顔をする。


「ま、何だ。元気出せよな、友達が頭のイカレたサイコだったなら、逃げられて良かったじゃないか」

「良い訳無いだろうが……仲良くなれると思ったんだぞ、俺は……」


 唸り声の様な声で反応し、幽鬼は全身を怒りと混乱で震わせる。全く信じられないと言いたげだったが、否定し切れないのだ。

 話を聞くまでは安寧に微塵も疑いを抱いていなかった幽鬼だったが、今は心が疑念で埋め尽くされるくらいの気持ちが有る。

 底無し沼にでも落ちたかの様な姿を哀れと思ったのか、三人の男達も元気付ける側へと回った。


「まあ、何だ。生き残れたんだから喜ぼうじゃないか」

「そうそう、あのガキは俺達が何とかしておいてやるよ」

「な、元気出せよ。元気を出してくれよな、困るんだ」


 男達が揃って励ましの声をかけている。幽鬼の耳に届いた言葉は虚しく消えるかと思われたが、彼は何とか顔を上げた。


「あ、ああ。そう、そうだな。無事な訳だしな」


 幽鬼が自分に言い聞かせる様な言葉を口にする。しかし、その瞬間、今更ながら幽鬼は危険な事を思い出した。


「じゃあ、冶木が危険じゃないか……!」


 冶木が安寧と一緒に鞄を取りに行った事を思い出して、彼はとても焦った。

 騒がしい冶木の事は苦手だが、死んで欲しいと思った事は一度も無いのだ。即座に助けに行くと決心した彼は、すぐに三人と兄に話す。


「あの、皆さん! 冶木が大変だ、安寧が本当に『そう』なら、殺されるかもしれない!」


 言葉を発すると同時に、幽鬼は飛び出す勢いで廃ビルに向かって走り出そうとした。

 が、その途中で連命が腕を掴み、幽鬼の足を止めてくる。


「おい?」

「何だよ兄貴! 掴むな! 急がないと、今頃……!」


 叫びながら腕を振り払おうとした幽鬼だったが、振り向いた連命の表情が余りにも予想外の物であったが為に、思わず動きを止める。

 連命は、『意味が分からない』と言いたげに首を傾げていたのだ。

 何故、そんな表情をするのか。不可解さに幽鬼が疑念を抱いたが、連命の次の言葉で何もかもが吹き飛んだ。



「……冶木って、誰だ?」



 余りにも意味が分からない発言である。

 だが、連命はどこまでも本気で言っているのだ。弟である幽鬼は、それを理解する事が出来た。


「え……?」


 戸惑い、混乱、理解不能。そう形容すべき思考が幽鬼の頭に直撃する。

 そんな硬直に気づいているのか、連命は静かに首を傾げた。


「だから、誰だよ。お前等二人で此処に来たんだろ?」

「おい、何……何、言ってんだよ。あんな目立つ奴を覚えてない、なんて……」


 幽鬼が今までの全てが嘘だったかの様な、土台が崩れ落ちていく気分を味わった。

 連命は確かに冶木と会っている。ビルから逃げる間の僅かな時間だったが、それでも会っているのだ。少女の様な外見で奇異なる言葉を放つ存在を忘れるなど、そうある事ではない。

 冗談と考えるにしても、今がそんな状況ではない事は明らかだった。

 ならば、正しいのは幽鬼ではなく。


「え?」


 思い出した様に、冶木に対する疑問が沸き出す。

 名前、彼の名前もそうだ。病院の広告が張られていた。『医者』『検査』『治療』という単語を含む広告が、『木』に張られていたのだ。

 喫茶店の料金が二人分なのも、あるいは当然の事だろう。見えない『誰か』に茶を振る舞う、さぞや恐ろしい姿に違いない。

 老人が少年達の事を殆ど見なかったのも、地海蒼空が少年達に戸惑いを見せていたのも、つまりは『見えない誰か』と喋り、笑い合い、怒鳴っていたから。

 そうなのではないだろうか。


 そういう事、なのではないだろうか。









「……え?」



+



 安寧が違和感に気づいたのは、唐突だった。


「……あれ?」


 何とか立ち上がって見せる冶木の姿、何時死ぬのかと見守っていた安寧は、気づいてしまったのだ。

 それは例えば言い様の無い不安感や不審さであり、理解の及ばぬ恐ろしい何かを見た安寧の感情が暴走したのかもしれない。言葉には出来ない『何か』を見てしまった気分だ。


「あれ、あれ? どう、して?」


 ただ、その中で一つ。言葉にするのが簡単で、なおかつ楽に認識が可能な事が存在する。そう、それはつまり……


――血が、一滴も出ていない。


 立ち上がった冶木の身体には、一滴の血液も付着していなかった。身体に鋭い鋏が入っている『だけ』で、他には何も無いのだ。

 本来なら、血を流して倒れている筈の存在が、血を流さずに立っている。安寧の心に不気味な違和感と不安が押し寄せてきた。


「え? え?」

「あはは、言ったじゃないか。『相手が実際に存在しているかなんて、分からない』って」


 冶木が不気味に笑うと、まるで最初から刺さっていなかったかの様に、鋏が床へ落ちる。刃先にも何かを貫いた後が存在しない。

 自分の見た光景が信じられず、安寧は大きな鞄を落としてしまう。


「嘘……」

「嘘じゃないんだよね、これ」


 平気な顔で腕を広げて、冶木は自分の身体に傷の一つも入っていない事を見せつけた。

 少女の様な顔をした、少女の様に見える少年。奇妙な発言しかしない変な奴。そんな程度の評価だった冶木が、とてつもなく化け物に見える。


「何、冶木さん。一体、誰なの?」

「本当は分かってる癖に、言わなくても良いんじゃないかな? 沈黙の掟なんか無いから安心しなさいな」


 変わらずヘラヘラと笑う姿が余りにもおぞましく、吐き気すら覚えてしまうだろう。その姿自体は今までの物と何ら変わらずとも、生き物には見えなかった。


「……あ」


 サイコパスの殺人鬼として、立鳥安寧は理解した。三島幽鬼が理解するより少し遅れての事だったが、それでも分かったのだ。


 目の前に居る筈の医査冶木は、この世には居ない。


 彼らが会った者達の視線は、決して冶木に向けられた物ではなかった。『何も無い所』に怒鳴る幽鬼を、異常な物としてみていたのだ。

 それを理解してしまった安寧は、怯えて一歩退く。しかし、同じ様に冶木が一歩進んだ。


「もしも君が私や幽鬼君に何もしなかったなら、ちゃんと帰してあげたのにね」


 悲しそうな声を吐きつつも、冶木はまた一歩安寧へと近づいた。

 悲鳴を上げた安寧が、鞄から護身用、あるいは殺害用の道具を取り出し、次々と使う。


「こ、来ないで!」

「折角、助けてあげたのに」


 全ての道具は、空を切る様に冶木をすり抜ける。そして、冶木はまた一歩近づいている。

 冶木の全身から、呪われたかの如き血が流れ出した。


「残念だよ」

「ひっ……」


 ヘドロの様にすら見える赤い血が、意志を持った様に迫り来る。意味の有る言葉を口にする余裕を失い、安寧はまた一歩逃げ腰になっていた。

 しかし、それだけで許される筈が無い。冶木は心から悲しそうに、寂しそうに安寧へと、後数歩の距離まで迫る。

 安寧はまた一歩下がろうと動いたが、そこはもう壁だった。


「ひゃ、ああ……!!」


 悲鳴は何処にも届かない。ビルの主である三人の男は、幽鬼と話をしている。

 だから、誰も助けない。もっとも、知った所で安寧を助ける者が居るのかは、疑念では有るのだが。

 ともかく、安寧は誰も助けに来ない事を知り、必死で哀れみを誘った。


「たす、やめて……助け、助けて……っ!」

「残念だけど、駄目だよ」


 赤い血を床に垂れ流しながら、冶木は安寧の希望を全て奪い尽くす。

 それでも生有る者から命を奪う事への喜悦の類は一切見られず――ただ、ひたすら残念そうだった。


「本当に、残念だ」


 友好的な意志と、この世の物ではない不気味な気配。言葉に乗せられたそれ等が、間違い無く安寧の魂を崩壊させた。


「あ、あぁぁぁぁぁぁっ!!」


 安寧の精神が壊れ、彼は必死になって部屋から飛び出した。一心不乱に走り、走り、向かう先すら考えない。

 ただ、その足は自然と自分が死体を置いた場所、廃工場へと向かっていた。







 そして、話は冒頭へ戻るのだ。


+





「くぅーん、くぅーん、わん! わん!」


 わざとらしい犬の鳴き声が、町中に響く。逃げ惑う安寧の心を押す様に、冶木に向かって元気付ける様にしているのだ。

 その鳴き声の主は、一見した所は普通の柴犬と呼ぶべき物であった。

 柴犬は鳴き声を上げ続けて、何語とかの意志を伝えようとしている様だ。


「わん! わーん!」


 周囲が動いていく中で、柴犬だけは立ち止まって世界を見渡しているかの様だ。

 その態度は通常の犬の物では断じて無く、例え幾度のトレーニングを行った犬であっても此処まで『別の何か』になる事は無いだろう。


「くぅーん、わん!」


 そんな一匹の犬はひたすら静かに鳴き、逃げる安寧と追う冶木の姿を見送る。すると、犬の様子が完全に変わった。


「わんわん! わん! ……残念だったね、医査冶木。友達が出来たと思ったのに」


 安寧の姿が見えなくなると、柴犬は突然人間の言葉を喋り出した。

 これこそが、この町に潜む不可解な『言葉を話す犬』である。犬は静かに佇み、状況を見守っている。


「冶木君、折角助けたのにね。悲しいよね」


 安寧が人質になっていた時に、何処から聞こえて来た遠吠え。その正体はこの犬であり、それを頼んだのは冶木だったのだ。

 だからこそ、犬は悲しんでいる。友を欲した冶木は、安寧に刺されてしまった。

 柴犬は人間には分からない表情の変化を作ると、続いて道に現れた人物に向かって、機嫌の良い声を上げる。


「ああ、でも、あの子はまだ君を友達だと思っているかもね?」


 そこを走っていたのは、幽鬼と呼ばれた少年だった。

 後ろに数人の男達が着いていたが、犬は一欠片も気に留めない。


「……さあ、どうなるんだろう。頑張りなよ? ふふ、楽しっ!」


 柴犬は気分の良い様子で人々の人生を見守っていた。彼らが今後、どうなるのかも分かっている様にすら見える。

 機嫌の良い柴犬は、大きな遠吠えをした。

 それは確かに町の全てに広がり、埋め尽くす。この鳴き声は犬らしい物で、人の言葉を喋るとは誰も想像しないに違いない。





 そして犬は、虹色に光る首輪を着けていた。












 廃墟の中の一室に、写真が置かれている。

 それは、喫茶店の中で幽鬼と安寧と冶木の姿が写った物である。

 何時の間にか現像された写真には、安寧と幽鬼と、真っ赤な血に染まった冶木の――とても幸せそうな笑顔が、写っていた。

 きっと、それだけは真実なのだと思わせる様に、決して劣化しない思い出として


 ずっと、ずっと――

タイトル元ネタ

『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』


さて、エピローグというわけで終了です。本作は最速記録15日で書き上げた作品で、執筆時の疲労は『キラーハート』と並ぶくらいでした。

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