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1話 バック・トゥ・ザ?



 廃工場の中で、一人の男が走っていた。

 男は顔に大量の冷や汗を浮かべて足を動かし続けていて、その動きからは必死な様子が強く伝わってくる。

 元々は機械部品か何かを扱っていたのか、廃工場の中には様々な用途不明の機械の残骸が転がっている。男の体はそれに隠れる形となっていた。

 男は全身から吐き出す様に呼吸をして、壁に手を置いて必死に周囲を見回す。

 すると、何かを見つけてしまったのか男は再び走り出した。

 目元の涙や恐怖の表情を見れば、男が『何か』から逃げ出している事は明らかだろう。危機感から来る駿足は陸上選手すら追い抜く程だ。

 しかしながら、男を追いかける『何か』は足の速さなど関係無く近づいているのだろう。男の表情はどんどんと恐怖に染まり、息を詰まらせながらも足を止めない。

 『止まれば、殺される』

 男のあらゆる挙動から、そんな思考が感じられた。

 

 廃工場は大きい物だったが、速すぎる足は男に工場を一周させる。

 一周回って同じ場所に戻ってきた男は暗闇の中で必死に隠れる場所を探したが、何に潜り込んでも無意味だと男は分かっていた。追っ手は、確実に見つけ、殺すだろう。

 だとしても、死にたくない一心で動き回る。視野が狭まっていた為か、男は足下に転がる物で躓いた。

 慌てて、男は自分の足に絡まった物を見る。それは、機械の残骸などではなかった。


 そこには、白骨死体が幾つも転がっていたのだ。


 明らかに数人分の死体であった。頭蓋骨と思わしき部分が男を嘲笑するかの様に見つめていて、何とも不気味な雰囲気を漂わせている。

 白骨死体が転がっていた事より自分の未来を想像し、男は震え上がって後ずさりをする。

 腰が抜けてしまったらしく、立ち上がる事は出来ない。肋骨の破片が男の足に絡まっていたのだが、冷静さを失った男にはそれを解く思考は無かった。

 逃げられないまま、男は涙を流し続ける。しかし、慈悲は与えられなかった。

 ゆっくりと、ゆっくりと殺意が近づいて来る。一つの音が聞こえる毎に男は恐怖で声すら無くし、口を何度か開け閉めする。

 殺意の接近は余りにも恐ろしく、白骨死体ですら逃げ出す程の恐怖が工場内部の全てに襲いかかってくる。

 お願いだから、来ないでくれ。そう言わんばかりに男は失禁しながら信じた事の無い神に祈った。だが、そんな祈りが叶う筈も無く、殺意は遂に現れた。

 姿を現した殺意は、歪んだ笑みの様な物を浮かべて近づいていく。

 犬の遠吠えが何処かから聞こえて、男の未来を暗示しているかの様だ。




 男は、声にならない悲鳴をあげた









+







 どこかの片隅に、一つの繁華街が有った。夜だというのに人々は元気に歩んでいて、店先では何人かが勧誘をしては断られている。

 見るからに嫌な空気の店も有れば、とても居心地の良い店も有った。

 どちらにせよ、料金は恐ろしく請求されるだろう。それでも人々は店を利用する。利用されていると知りながら、利用するのだ。



 その繁華街で、一人の男が逃げていた。

 人通りの多い場所を行く男は、周りを行く通行人の事など一切気にも留めず、恐ろしい形相で人の間を走っている。


「はっ……はぁっ……畜生……退けっ!」


 男は悪態を吐いて、怯えながら通行人を退かす。余りにも必死すぎるからか、人々は男の顔を見ない様に歩いていた。

 助けが入る様子は無く、彼は全力で逃げている。彼は何らかの特徴が有る見た目をしている訳ではなく、何処にでも居る真っ当な人間だった。

 Tシャツとジーンズという格好は全く目立つ物ではなく、彼が必死な顔をしていなければ誰も気に留めないに違いない。

 男は人通りの多い道をあえて逃げ惑い、追っ手を振り払おうとしていた。


「クソ、クソォ……! なんでこうなるんだよぉ……!」


 泣き言を漏らし、男は足を動かした。

 疲労が溜まっているのか、肩で息をしながら走っている。限界は既に越えているだろうか、走り続ける姿は無様ですらある。

 今にも息が止まりそうな顔をしているが、心配する者は一人も居なかった。関わらない様に遠くから噂話をする者が精々で、誰も手を伸ばそうとはしない。

 非情だとは誰も思わなかった。むしろ、男の様子を見た者は皆当然の事だと言わんばかりの顔をする。

 恐らくは、男が無銭飲食の類でも行ったと思っているのだろう。

 しかし、それは間違いだ。男は自分へ向けられる軽蔑や嘲笑を感じて、否定を叫びたい気分になった。


「薄情者どもめ!」


 それだけ言うと、男は逃げ足を速める。周囲に居た視線の主達は皆、すぐに男を見失ってしまった。

 誰も男を探す様な事はしない。どうでも良い人間が視界から消えて、ただ興味を失うだけだ。







 男は繁華街の路地に入り込んでいた。素早く飛び込んだ為、男が路地に滑り込んでいった事を目撃していた者はまず居ない。

 狭い路地であったが、逆に言えば追っ手も簡単には入り込めないという事だ。

 それほどの努力を重ねたからか、男を追いかける存在は既に見えなくなっていた。


「……ふぅっ、ふっ……ここまで、ここまで行けば……」


 男は肩で息をしながら、背中を壁に預ける。

 安堵に溢れた表情からは先程までの張り詰めた必死さは感じられない。男の安心を保証するかの様に、追っ手が来る気配は無かった。


「よし、よし……何で、何で俺が追われるんだよ……」


 男は顔に浮かんだ冷や汗を拭い、その手を壁に叩き付けた。力が抜けていた為か、壁に軽い音を立て、隅を走っていた鼠や虫が驚いて逃げていくだけだ。

 


「……っ!?」


 自分が立てた音に驚いて、男は路地の表を見る。通行人以外に怪しい者は居なかった。

 神経質になっていた事を理解すると、男は大きく肩の力を抜く。


「……あんな場所に行くんじゃなかったぜ、クソが……」


 言葉は、自分に向けられた者だった。

 この男が何故、こんなにも必死で逃げているのか。彼自身はそれを知っている。『勘違いされている』のだ。加えて言うなら、『勘違いを説く暇を与えてくれる相手』では無いのだ。

 そう、男を狙う存在は、単なる悪人の類ではなかった。もっと恐ろしく、逃げ出したくなる様な相手なのである。

 曲がりなりにも逃げ切れた事に安堵を覚えるのは仕方の無い事だろう。男は体の力を完全に抜いて、座り込むと同時に息を吐く。


「……あー……」

「数日前、この付近で一人の人間が行方不明になった」

「……っ!?」


 響いてきた声に、男は飛び上がる勢いで立ち上がった。

 声は何処か遠くに響く物だったが、同時に繁華街を行く通行人の耳には入らない様な小さな音でもある。


「行方不明になった人間は、我々の仲間だった。恨みを買う覚えは幾らでも有るが、いわれの無い事で殺される気は毛頭無い」


 恐ろしい程の圧力が、声だけでも男を押し潰そうと迫っている。それは、何百回という練習を繰り返す事で手に入れた声だと分かる物だった。

 酷く怯えた男は、首が千切れ飛ぶ程の勢いで路地の様子を窺い、男がその場に居ない事を理解する。


「ど、どこだ。どこに居る!?」

「此処に居る」


 男の言葉に声が返って来た。

 それと同時に何者かが路地に着地する音が響き渡り、男は勢い良く音のする方向へ目を向けた。

 そこに居たのは、僅かに怪しげな雰囲気を纏った男である。追われていた方の男よりは年上で、中年と呼ばれる一歩手前くらいの体格をしている。だが、男は帽子を目深に被って瞳を完全に隠している為、正確な年齢を把握する事は出来ない。

 それでも、瞳が怒りの類を宿している事は明らかだった。


「……面倒をかけさせてくれたな。仕方の無い奴め」


 帽子を被った男は声の中にも怒りを含ませて、ゆっくりと男へと近づいていく。

 隠す気も無く殺気を噴出する様は、まさしく化け物と呼んで差し支えの無い物だ。


「ひっ……」


 追われていた男が喉の奥から声を上げて、数歩後ずさる。それでも意を決した様に彼は一歩前に出て、声をあげた。


「お、俺じゃない! 俺は犯人を見ただけで……」

「ああ、そうだろうな。分かってるよ」

「じゃ、じゃあ」


 鷹揚とも取れる様子で頷く姿を見て、男は安心した様に頬を緩ませる。

 単純極まる反応を受けて、帽子を被った男は瞳の奥の恐ろしい物を数倍に強めた。


「だが、関係者は殺す」


 極めて残酷に、男は恐ろしい言葉を放った。

 追われていた男は息を飲んだが、殺されない様に震えながら言葉を紡ぐ。


「なっ……! で、でも俺は関係者なんかじゃ……」

「目撃者だ、関係者の一人だろう? 俺に言わせれば、目撃するだけで助けなかったんだからな。お前は黙認する事で殺人を助けたのさ」


 怒りと殺意が混じって凄まじい事になった雰囲気で、帽子の男は更に近づいていく。狭く薄暗い路地という状況が更に恐怖を助長する。

 追われていた男は理不尽とも取れる相手の言葉に心底から恐怖を覚え、逃げようとする。だが、体が気圧された様に上手く動かず、走る事すら出来なかった。


「む、無茶苦茶だ。そうだよ、俺はアンタの仲間とやらを殺した奴を見たんだ、情報なら……」

「そんな情報は何時でも調べられる。今はお前に対する報復を行う事だけが重要だ」


 怯える男が口を開く毎に、帽子の男の殺気は強くなっていく。最早、羽虫ですら避ける圧倒的な雰囲気である。

 一歩、一歩、帽子を被った男は足を進めていく。刃物の類は持っていない様だが、男の腕はそれだけで十分に凶器と呼べるだろう。

 追われていた男は逃げようとして、転けてしまう。彼は這い蹲ったまま、死に瀕した四足歩行の動物の様な遅々とした動きで路地から離れようとした。


「逃がさないぞ」

「や、あがっ……!」


 彼の手が、帽子の男によって踏み付けられる。彼は身動きの取れなくなり、心のへし折れた顔を上げた。

 命乞いをするのだ。涙と鼻水を垂らしながら情けない面を晒す姿は滑稽で、哀れみを誘うだろう。


「頼むよ、助けてくれ。お願いだ、この通りだよ。何でもするからさ、誰かを殺してこいって言うならやってくるから」

「……」


 無様な命乞いを聞いて、男の手を踏みつける力が少しだけ緩む。

 しかし、それは更に強烈な力を籠められるまでの僅かな準備時間に過ぎなかった。帽子の男は足を少し上げて、顔面へ足を持っていった。


「お前に殺して欲しいのは……お前自身だけだよ」

「や、やめてくれ。やめてくれぇ!!」

「駄目だな」


 死刑宣告にも等しい言葉を乗せて、帽子の男が全力で足を振り降ろす。受ければ顔面が変形するだけでは済まない程の強烈な一撃が、男の頭蓋骨を粉砕するかと思われた。


「まあ、待てよ」


 だが、その寸前で帽子の男は足を止めた。

 男を静止させたのは、たった一つの言葉だった。それは虚空から響き、路地という空間を一瞬で戦場の様な殺伐として場に変えている。

 人間とは思えない程の力強い気配を感じたのか、帽子の男は何時の間にか手にナイフを持って警戒を行う。

 すると、繁華街から目立つ格好をした男が入り込んできた。


「まあ、待てよ。そいつを殺すのはお門違いさ」


 先程と同じ様な言葉を繰り返し、その男は二人の間まで歩いていく。

 それは茶色のトレンチコートを着込み、山高帽を被っていた。何処か古めかしい雰囲気の服装であり、まるで映画の中から出てきたギャングの様だ。

 鋭すぎる目や、全身から漂う剣呑な空気がそんな印象を更に強めている。

 追われていた男は目を見開いて体を硬直させたが、帽子を被っていた方の男は相手を知っているのか、静かに相手の名を呼んだ。


「……高島さん」

「よう、久しぶりだったか。中鳥」


 高島と呼ばれた男は、何処か気取った様な挙動で挨拶をした。

 口振りには危険人の要素など全く無かったが、立ち回りには一切の隙が存在しない。それだけでも高島が凄まじい実力者だという事が伝わってくる。


「お前の所のプリンマニアは相変わらずバケツプリンを食ってるのか? あの映画マニアは今はどの監督が好きなんだ? そうだ、陰謀論者も居たよな」

「……」

「黙っているのは良くないぜ。何か喋っておいた方が良い」


 帽子を被る中鳥という名の男は、高島から逃れる様に数歩退いた。何も言わなかったが、中鳥のあらゆる挙動には高島への警戒と敬意が含まれていた。

 中鳥が追っていた相手から離れたのは、譲歩の現れなのだろう。それを見た高島が軽く頷き、諭す様に帽子のへ話しかける。


「コイツは犯人じゃねえよ。それは確かだ、俺が保証してやる。正気に戻った方が良いぜ、そんな状態じゃ出来ない事の方が多いだろ?」


 這い蹲った男を指さし、高島は首を振った。

 それを見た中鳥はじっと高島を見つめて、少し薄くなった殺意と共に口を開く。


「……証拠は」

「お前に見せてやる必要は無いな」


 あっさりと、馬鹿にした様子も無く高島は答えた。

 本来なら怒りを覚える所なのだろうが、中鳥は静かに戦闘体制に入り、何時でも邪魔者を排除出来る様にしている。

 しかし、高島に比べれば中鳥は弱々しく感じられた。


「大体、お前じゃ俺には勝てない、例え百人で襲いかかってきてもな」

「……」


 傲慢とも取れる高島の発言を聞いても、中鳥は腹を立てずに唾を飲み込む。むしろ、その反応が当たり前だと言わんばかりだ。

 それでも何とか襲い掛かれる姿勢を保っていたが、そんな中鳥へ高島は追い打ちをかけた。


「どうせ、分かってるんだろう?」


 強烈な力を感じさせる、たった一つの言葉。それだけで、中鳥の心はへし折られた。


「……クソッ」


 中鳥は悪態を吐き、負けを認めた様に高島から背を向ける。今まで追っていた這い蹲っている男への未練を断ち切ったのか、逃げ出す様に動き出している。

 だが、その足が少しの間だけ止まった。


「……こいつ以外の犯人の情報を、俺は持っていないがな」

「ああ、後でお前の所に向かわせて貰うさ」


 ほんの僅かに振り向いた男へ、高島は力強く笑って見せる。

 這い蹲っている男は、唐突な出来事に訳も分からず鼻水と涙を手を拭っていた。

 






「ふ、ぅぅ…………」


 中鳥と呼ばれていた男が去っていくと、追われていた男が緊張から解放されて地面へと突っ伏した。

 土や砂が体中に付着するが、それでも命の危機が去った事への安堵は止まらない。


「安心するのはまだ早いんじゃないか?」

「は、はいっ!」


 何処か悪戯っぽい笑みを浮かべて、高島は男に声をかける。

 余りにも圧倒的な雰囲気を抱いている為か、男は上官の命令を受ける部下の様に慌てた。


「オーバーな奴だ、嫌いじゃないけどな」


 大げさな男の反応に、高島はゆっくりと穏やかな声をかける。驚異の感じられない言葉で、相手の警戒を解こうとしている事は明らかだった。

 それを理解していても男は高島に抱いていた強烈な警戒を緩め、思い切り頭を下げる。


「た、助かりました……その、ありがとうございます」

「ああ、お前の為さ。気にするなよ」


 感謝の言葉を軽く受け取り、高島は軽く手を振って見せる。友好的な雰囲気ではあったが、その外見は映画の中の古めかしいギャングそのものだ。

 鋭い目は生まれついての物だからか、一切変わらない。見つめられただけで、大口径の銃弾で打ち抜かれる様な気分にさせられるだろう。

 明らかに『真っ当な道を行く善人』の類ではない。助けられた男は少し不審に感じて、恐る恐る高島へ質問をする。


「あの、高島さん……でしたっけ?」

「ん、何だ? 答えられる範囲で答えるぞ」

「あなたは一体、どうして俺を助けてくれたんですか?」


 真っ当でも善人でもない男が、何故自分を助けたのか。男の顔にはそう書いてあった。

 そんな質問を予想していたのか、高島は一瞬だけ目を瞑り、すぐに答えた。


「そうだな、お前に頼みが有るから、と言うのはおかしいか?」

「頼み……ですか?」

「ああ」


 男が思わず聞き返すと、高島は軽く頷いて見せる。男の顔に疑念が浮かんでいる事を理解したのか、そのまま話を続ける。


「お前は、確かに『あの殺人事件』の犯人を見たんだな?」

「は、はい」

「それだよ。それを使って、俺に協力して欲しいのさ」


 高島は頼もしげな顔をすると、男へ向かって手を差し出した。


「とある町に行くのさ。詳しい事はそこで話そうと思うんだが……行くよな?」


 口振りは協力を要請している風だったが、鋭い目は男の顔を貫く様に捉えていて、半ば強制的な雰囲気すら感じられる。

 気楽そうな態度だったが、高島は間違いなく男を逃すまいとしていた。


「……ええ、と。それは……」

「お前の無実と安全を保証するんだよ。嘘じゃない、信じろ」


 戸惑いを見せる男へ、高島は逃げ場を封じる様に話しかけている。

 思わず男は目を泳がせ、警察へ駆け込む事を考える。すると、それを読んでいたかの様な言葉が届いてきた。


「警察には行かない方が良いぜ。さっきの奴の仲間は色々な場所に居るからな……そう、色々、な」


 恐ろしい表情になって、高島が忠告の様な事を口にする。

 相手の瞳に強制力を感じて、男は諦めの息を吐いた。


「わ、分かったよ」

「そうか、分かってくれた様で何よりだよ」


 男が頷くと、高島は嬉しそうに手を掴んで握手の形を無理矢理に作った。その強引さは辟易する物が有るだろうが、相手の機嫌を損ねない様に男は大人しく握手を返す。


「自己紹介が済んでなかったか? そうだな、俺は……高島だ」

「え、あ。俺、三島連命です。連なる命と書いて、れんめい」


 握手をしたまま、二人は自己紹介を済ませた。

 男、いや三島は怪しい人物に自分の名前を口にしてしまった事を悔いながらも、友好的な笑みを絶やさない様にする。敵だと思われた場合は命が無い。そんな確信が三島の心を駆け巡っている。

 ともあれ、三島は高島の格好が気になっていた。


「……ん、どうした?」

「いや、その……」


 三島の奇異の視線を高島が訝しげに見つめる。

 寒い日であればトレンチコートも良いだろう。しかし、今は夏である。異常に似合っているが、季節感は全く無い。


「あの、その格好は……趣味、なんですか?」

「ああ、ギャングスターになるのが夢でな。この格好も一つの自己暗示さ」

「へ、へえ……そうなんですか」

「そうなんだよ。似合ってるだろ?」


 三島が思わず心理的な距離を取る。それには気づいていないのか、高島は得意げな顔で自分の格好を見せつけた。

 似合っているが、ひたすらに異様である。『本職』の人間ですら裸足で逃げ出す様な強さを感じさせているのだ。


「……まあ。はい。似合ってます」

「そうだろうな」

「……」


 あるいは、本当に『本職』なのかもしれない。頭の片隅で、三島はそんな事を考える。

 映画の中のギャングに見られる高島の格好は、あからさまに危険だった。



 そして、二人は田舎町へ向かう。


+





 田舎町の駅の前で、一人の少年が携帯電話を取り出す。

 そこには、チャットのログが写っていた。


セーフ:こんばんはー

幽霊:こんばんは

コバヤシ:いやぁ、挨拶って本当に良い物ですね。こんばんは、こんばんは

セーフ:映画解説者のネタ? いや、分かりますよ。そうじゃなくて、今日来たのはこの間話した事の続きです。

幽霊:今度、現実で会おうって話だったか? 何処で会うかで止まってたよな

セーフ:そうそう、それですよ。場所なんですけどね、ちょっと通行料が必要でも良いですか?

コバヤシ:通貨の流動性を高めるのか! 旅行客の呼び込みか! でも今回は俺達が旅行客だ! 海外からの旅行で外貨を得るのは難しいぞ! 俺達は海外に住んでる訳じゃないからな

セーフ:……いや、そういう事じゃなくて。

幽霊:コバヤシさんは相変わらずアレだよな。それで、遠出って言うと?

セーフ:手歪てわい町っていう場所なんですけど……知ってます?

コバヤシ:手歪町……手で、[ピー]を[ピー]なんて凄く卑猥だ!

セーフ:勘弁してください。

幽霊:いい加減にしろ。後、今調べたよ。結構な田舎みたいだな

セーフ:そうなんです! でも、最近は怖い怪談が流行ってるみたいなんですよ、此処。

幽霊:具体的に言うと?

コバヤシ:行方不明! 一杯の行方不明! サスペンスの香り!

幽霊:バカな事を言うなよ

セーフ:……大当たりです。

幽霊:……え、本当に?

セーフ:はい。えっと、この町は凄く閉鎖的で、遊びに来た奴が殺されて食べられてるとか食べられてないとか。一種の秘境ネタみたいな感じです。

幽霊:へぇー。聞いてみると、面白そうだな。都市伝説好きとしては興味が結構有る……ん、今見た感じ、『喋る犬』の都市伝説も有名らしいな

コバヤシ:いいね、凄い良いじゃん! 行こうぜ今すぐ明日にでも、行かないなら呪い殺されるかもしれねえよ、ああ怖い怖い俺は怖い。みんな死にたくないんだ俺も死にたくないんだ遊びに行こう逝こう嬉しい幸せが楽しくて!

幽霊:意味が分からん。まあでも、その町は良さそうだな。細かい予定とかは?

セーフ:ええっと……まず、今度の……






セーフ:じゃあ、駅前に大きな木が有るらしいので、そこで! 目印は、手の甲にハンドルネームを書き込んでください!

幽霊:OK、それで良い

コバヤシ:じゃあ、こういう話は知ってるかい? チャットに霊魂が紛れ込んでいて、オフ会で友達を『自分と同じ場所』に引きずり込むって……

幽霊:これから会おうって時にそんな話するなよ、怖くなるだろうが

セーフ:現実で会わないと、相手が存在しない場合も有りますからね。





 そこまで読んだ少年は、飽きた様に携帯を鞄に仕舞い込んだ。

 年齢は十代の後半くらいだろうか。気の強そうな印象を受ける釣り目以外は特に強い印象を与える物は無く、服装も目立たないが夏の暑さに対応した半袖Tシャツと膝下までのジーンズを着ている。帽子を被っていたが、顔はしっかりと見る事が出来た。


「暑っ……」


 少年は帽子を深く被って光を遮ったが、町の気温は我慢が出来ない程に強烈だった。

 雲一つ無い快晴の為か、陽光は強く照りつけている。日差しが余りにも強すぎて、町中には通行人が一人も居ない。少年の存在は殆ど孤独に近い状態だ。


「ここが……」


 人が居ない事は気にとめず、少年は周囲を見回す。

 駅の周囲だというのに、そこには店らしき店が殆ど無い。売店らしき物は存在するが、余りの暑さに耐えかねたのか、『都合によりお休みさせていただきます』の張り紙と共にシャッターが降ろされている。

 それ以外には古い民家が並んでいるだけで、何の変哲も無い田舎と言える。特徴が有るとすれば、駅前に佇む一本の樹木くらいだろうか。

 チャットで話した通り、そこには確かに木が存在した。


「あ、あの木か」


 少年はじっと木を見つめる。そこには幾つかの張り紙が有った。商店街の方向や、医者の場所などが書かれている。何故か、『検査・治療承ります』と病院としては当たり前の事が強調されていた。


「……ん?」


 それなりに視力の良い少年は、更に変わった張り紙を見つける。

 『殺人、承ります』そんな事が冗談の様な字体で書かれていた。どう考えても質の悪い冗談としか思えず、少年は鼻で笑った。

 

「へ……冗談にしちゃ面白くないな、つまらなすぎて寒くもならねえ」


 少年は肩を竦め、日差しを手で遮る。


「アニキに何も言わずに出てきたのは不味かったかな……いや、大丈夫だよな。アニキだって急に居なくなったし」


 僅かに顔色を曇らせていた少年だったが、数秒考えて開き直った様に息を吐いた。

 息は誰の耳にも届かず、虫の鳴き声にかき消される。その中には、カエルの声も聞こえる。


「うーん、田舎だなぁ。都市伝説のベースになる事件とかも無さそうだし……」


 どう見ても、何の変哲も無い単なる田舎である。それを感じた少年が若干の落胆を顔に浮かべた。

 少年が此処に来たのは、怪談や都市伝説に興味が有るからだ。

 彼のチャット仲間の話では、この町で行方不明者が続出しているらしい。だが、実際の町並みは行方不明どころか強盗すら遠い世界の物語になってしまいそうな状態だ。

 首を傾げて、少年は駅前の風景を眺める。


「……うーん」


 駅前の風景をしっかりと眺める為に、少年は風景を見たまま駅の改札口にまで下がる。

 すると、後ろを見ていなかった為か、駅から出てきた何者かと衝突した。


「わっ!」

「おっ……っと、すいません」


 聞き取りやすく女性の物だと分かる高い声を聞いて、少年が反射的に振り返って謝罪の言葉を口にする。


「ああ、いいえ……大丈夫よ」

「ははっ、気にするなって」


 そこには二人組の男女が居た。二人とも気にする必要は無いと軽く手を振っており、怒っている様子は微塵も無い。

 この様な田舎の駅から出てくる者がチャットの仲間の他に居るとは思わなかった少年は、事前に話した通りに相手の手の甲を見る。


「……」

「ええっと……私の手がどうかしました?」

「はは、君の手が綺麗だから見とれてるんだろうな」


 戸惑う女に対して、隣に居る男がからかい混じりに声をかける。

 二人の手には、特に何も書かれていなかった。不躾かつ失礼な事をしたと考えた少年は軽く頭を下げて謝罪する。


「すいません、待ち合わせの相手かと思って」

「そう? 残念だけど、私は誰かと待ち合わせた覚えは無いの、勘違いさせたみたいね」


 女は困った様な表情をして、少し申し訳なさそうにする。どこか優しげな人格が感じ取れて、少年は心の中の緊張を解く。

 彼女は、本当に待ち合わせの相手ではないのだ。


「ごめんなさいね、私達も用事が有って此処に来たの。あなたは?」

「仲間内の集まりで、この町に行こうって話になったんです」

「へぇっ……いえ、でも……」


 少年の返事に女が口元を押さえ、大げさに思える様な驚きを見せる。それに続いて、女は若干の険しさを感じられる表情で少年を見つめた。


「あの……?」

「え、ええ。そう。ねえ、悪い事は言わないわ……」


 女の様子がおかしい事に少年は心の中で疑問を抱く。こんな田舎町で集まるのは確かに珍しい事だが、女の表情から伺えるのは好奇や奇異ではない。

 それは、紛れもなく危険な物から人を遠ざけようとする顔だった。


「おい、坊主」


 少年が女の様子に若干の好奇心を覚えた時、隣に居た男が険しい顔付きで少年の肩を叩く。

 それは少年の人生で一度も見た事の無い様な恐ろしい表情であり、真剣な危機感の籠められた物だった。


「……はい?」

「さっさと帰った方が良いぜ。この町は危ないんだ」


 冗談の様な言葉だったが、顔はどこまでも本気だった。本当に、危険な物がこの田舎町に存在すると言わんばかりだ。

 少年が驚きと混乱で目を見開く中、男は忠告を済ませると同時に駅前を歩いていく。


「分かったか、じゃあ。俺達は行くからな」

「ええ……本当に気をつけてね? 出来れば、帰った方が良いと思うの」


 女は心配そうに少年へ注意を促す様に言い、深刻な足取りで男の少し後ろを着いていく。

 二人の男女の動きを見る限り、警戒を怠っていない事は明らかだった。










 二人の男女が見えなくなると、少年はやっと正気を取り戻した。

 嵐の様に現れて、帰れという忠告をした二人。その姿は嘘の様に駅前から消えていて、その存在を示す物は少年の五感と記憶だけである。

 そんな彼女らを頭に浮かべ、少年は小さな息を漏らす。


「……綺麗な人だったな、旅行か? 新婚旅行……うーん」


 少年は、二人の男女の言葉を殆ど信じていなかった。

 いや、ある意味では違う方向に信じてしまったのだろう。『都市伝説・怪談好き』である少年の顔に浮かぶのは隠しきれない好奇心の光である。


「俺が知らないだけで、色々と都市伝説って奴は有ったんだな。こんな所で同類に会うなんて思わなかったなぁ」


 大げさなまでに危険を説く姿を見て、少年は二人を自分と同じ『怪談好き』の類だと考えていたのだ。

 少年は嬉しそうに拳を握る。

 退屈そうな田舎町の中で楽しげな話を聞いてしまったのだ。そんな様子になるのも無理はない。勿論、『実際には事件など起きている筈などない』という危機感の欠如した決めつけが存在しているが故に、そんな発想に至るのだ。


「面白くなってきたな」


 愉快な笑みを浮かべ、少年は小さく呟いた。危機感などまるで無く、そこには未確認動物などを調査する様な興奮が見て取れた。

 そんな少年の耳に、小さく、一応は届く程度の声が聞こえてきた。


「あ、あの……」


 大きめな鞄を持った子供が民家を通って少年へと近づいている。十代の前半、それも小学校に通っているくらいの年齢の様だ。

 人見知りをする性格なのか、子供は怯えと遠慮の感じさせる足取りで少年の側まで行き、おずおずと口を開いた。



「あの……『幽霊』さん、ですか?」




+



 少年と子供が出会っていたのと同じ頃、二人の男女は凄まじい暑さに耐えかねて、民家の影で涼んでいた。


「あっついなぁ、一体どうなってんだこれ」


 男はワイシャツの襟を緩め、額の汗をハンカチで拭う。 男は特徴の無いオールバックに夏仕様のスーツを着た典型的な会社員と言うべき姿をしている。これで名刺でも取り出せば、ステレオタイプのサラリーマン像そのままだ。

 だが、異常な暑さに対して殺意にも似た忌々しい気持ちを抱いているのか、外見に反して圧迫感が有る程の殺気を必死で抑え込んでいる事が分かった。

 その隣で、女もまた余りにも酷い猛暑に眉を顰めている。


「本当に、暑い……今年の夏は本当に酷い物ね」


 女も同意を口にして、首筋の汗を男から借りたハンカチで拭き取っていた。

 こちらはかなり動きやすい格好で、爽やかな赤色を配色した半袖のTシャツに布製で膝小僧辺りまでのズボンを履いている。背も男より若干高く、可愛らしさより凛々しさの有る顔立ちが背丈や体格の印象と完璧に合致する。

 ショートの赤毛が汗を弾いていて、どこか艶やかな光が見て取れた。


「暑いなぁ、おい。死ぬぞこれ、何もしなくても熱中症で死ぬぞ」

「かもしれないね……ああ、これは酷い」


 二人は何処かで買ったと思わしきペットボトルに口を付けて、酷すぎる暑さに口を漏らす。

 現状は特に危険な雰囲気を纏っている訳でもなく、恋人同士が田舎の町に遊びに来ている、と言っても納得が行く姿だった。


「まあ、何だ。こんなに暑いんだ。『奴』も家に籠もってるだろうさ」

「……そうね」


 しかし、男が『奴』という単語を意味深げに口にした瞬間、女は態度を一変させる。

 今までの暑さに辟易していた女の顔は既に無く、そこにいは暗く恐ろしい感情を身に纏った怪物の様な人間が立っていた。

 凄まじい豹変に男が一瞬だけ息を飲む。しかし、彼はすぐに正気に戻って話を続けた。


「……俺の調べによると、既にこの町に『奴』が入り込んでるって話だ。お前の友達を殺した、あのサイコ野郎がな」

「絶対に、正しい情報なんだろうね」

「ああ、勿論だ。間違っていたら『俺がお前に』殺されるかもしれないからな、やれやれ。危ない橋だぜ」


 物騒な言葉を口にしながらも、男の態度は軽い物だった。危険など問題ではない、そう言いたげですら在るのだ。 

 しかし、言葉を聞いた女の反応は決して軽い物ではない。全身から放たれる恐ろしい殺気だけでも悪鬼ですら逃げ出す程の物で、口元に浮かぶ残酷な笑みがより一層恐ろしく見えた。


「あのサイコパスは、私が絶対に見つけてみせる……そして、私が殺す」

「そうしようぜ、蒼空」


 『蒼空』と呼ばれた女は、自分の意志を胸に刻む様に胸元に両手を置いている。

 そんな彼女に同意して頷く男からは、友情や愛情の類は一切感じられなかった。相手の事を自分の武器か、手駒程度にしか考えていない事が分かった。


「俺の為にも、な」


 男が静かに呟いた言葉を、空はしっかりと聞き取っている。しかし、特に文句を言う訳ではなく、静かに頷いている。


 『友達を殺したサイコパスに復讐する』


 彼女の胸に有るのは、その一念のみなのだ。その為であれば、情報を持っている男に利用されても構わないと考えている。

 夏の凄まじい暑さに抵抗出来る程に二人の関係は冷たく、感情の無い物だ。

 

 それがこの二人――地海蒼空ちかい・そらという女と、浅井雨中あさい・うちゅうという男の関係であった。

タイトルの元ネタ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』

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