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地味な男

作者: 竹仲法順

     *

 ずっと書斎でパソコンのキーを叩き続けている。作家の俺は一際地味なのだった。もういつだったか忘れたのだが、晴れて直木賞を受賞し、文壇で認められてからも来る仕事は少なかった。元々俺自身、そういった書き手なのだ。来る仕事が少なくて、何かとこの業界では干されてしまっているような感じである。少ないオファーを引き受け、今、月刊の文芸雑誌と週刊誌に合計で四本の連載を持っていた。作家としては少ない方だろう。俺の方から要求することはほとんどない。単に直木賞作家という肩書きがあるだけで学歴は高校中退なのだから……。変わらずにずっとキーを叩き続けていた。パソコンに切り替わる前のワープロの時代からずっとマシーンを使って執筆している。手書きすることはほとんどなかった。俺ももうじき四十代後半から五十代の大台に乗る。そういった時期に差し掛かっていて、何かと疲れているのだった。朝から夕方まで眠り、夜起き出して明け方まで書く。そして軽く酒を飲み、眠りに就くのだった。健筆ということはない。単に書き物屋として仕事をするだけだった。今のマンションに住みながら、わずかな原稿料と印税で貧乏暮らしをしていて……。

     *

野間原(のまはら)さん。いつもお世話になります。永享出版(えいきょうしゅっぱん)の春日です」

 ――ああ、春日さん。……何かご用件で?

「ええ。今度弊社で作家特集と題しまして、出版物を売り込む企画があるんです。どうでしょう?参加しませんか?」

 ――いいですね。だけど、僕にまともな作品が書けるかな?

「是非書いていただけるとありがたいのですが」

 ――うーん。……でもあなたも知ってますよね?私が派手に出る方の作家じゃないのを。

「ええ。ですが、野間原さんは長年この世界におられますし、ずっとお書きになってるでしょう?」

 ――まあ、そうだね。私もスランプを経験したことはこれまで一度もないから。

「出来れば長編を一作書き下ろしてくださいませんか?四百枚ぐらいの作品を」

 ――分かりました。じゃあ出来上がり次第、メールで送りますから。また後日。

 担当編集者の春日と電話で話をしていた。編集者はやけに気位が高いので疲れてしまうのが現実だったが、致し方ない。俺もずっと紙の本を出し続けていたが、これと言ってヒット作はなかった。確かに今の若手でも凄いヤツは大勢いて、足元を掬われてしまうようなことがあったのだが、俺の場合、長編だと基本的に年間三作ぐらいで大丈夫だと思っている。書き下ろしの単行本はその程度のペースでよかった。別に急ぐわけじゃない。単にキーを叩き続けるのが、俺の商売だとも思えていたので。ワードを立ち上げ、原稿を作り始める。俺は本名の野間原憲一郎で作家活動をしていた。理由は簡単である。いいペンネームを思い付かなかったからだ。別にそれでいいのだった。キーを叩きながら原稿を作るのが俺の仕事である。春日は俺の起き出す夕方の時間帯を狙って電話を掛けてくるのだ。ちょうど気付けのコーヒーを一杯飲んでいるとき、書斎の固定が鳴り出す。大抵掛けてくるのは各出版社の編集者や出版企画部の人間などだった。俺もコーヒーの入ったカップをいったん置き、子機を手に取って右耳に押し当てる。慣れていた。年齢も五十に達するときは大抵何でも怖くないと思えていたし、実際そうだ。

     *

 家族と決別し、沖縄の実家から今住む東京の街へと出てきた。二十代で公募新人賞を獲って作家デビューを果たし、それからずっと書き続けている。確か賞の賞金の一部で旧型のワープロを買ったのを思い出す。俺も当時まだ文筆だけじゃ食べられなかったので、昼間働きながら、合間を縫って書き続けた。一定の文章修行はしてきたつもりである。確かにいろんな職場を転々としながら、だったが……。新宿の街でホストをやっていたこともあったし、バーテンダーや探偵事務所職員、それにきつくて体力を消耗するドカタをしたこともあった。貧乏に変わりはなかったのだが、豊かな人生経験が俺の作品に密度を作ったのは事実である。俺自身、そんな過去の苦い経験を思い出しながら、半ば体験談を披露する形で文章に書き綴っていった。特にセールスポイントなどない。単に地味というだけだ。

 春日に送る原稿は今書き続けている。特に捻りを入れる必要はなかった。俺の作風は完全に確立されている。これと言って妙なことをするつもりはない。ずっと昔から続けてきたのと同じように淡々と書いていくだけだ。俺もキーを叩きながら、ずっとそんなことを考え続ける。とりわけ変化はないままに。五十代を前にして起死回生のヒット作が出ることはもうないだろう。俺の本は大概、三版とか四版ぐらいしかされないし、絶版になったものもある。売れない作家なのだが、仕方なかった。直木賞を獲った割には一般受けする物を書けずにいるのだ。大衆文学なのだけれど、文体はなぜかしら純文学のようなものを使っている。よくこれで直木賞を獲れたなと思うぐらい、文体の面でも作品のクオリティーでも他作家とはまるで違っているのだった。ずっと地味に書き続けてきたのである。今でも出版社から依頼などがあれば、三十枚とか四十枚ぐらいの短編はすぐに書ける。俺の作風は安定しているのだった。書く際に余計なことを考えないからである。淡々と書き綴る。それでお金をもらっているということもあるのだし……。

     *

 十日後、春日のアドレス宛にメールで完成して推敲まで済ませた長編の原稿を入稿する。一仕事終わり、疲れていた。寛ぐためその日は冷水シャワーを浴びて、掻いていた汗を洗い流す。風呂上りにビールを飲んだ。アルコールフリーで、ダースで買い込んでいる。明け方、夜食を適当に作って食べながら一缶きっちり飲んだ。ゆっくりと一日が終わっていく。朝方なので俺には寝る時間だ。昼夜逆転の生活がずっと続いていたのだが、こういった不健康な生活にも慣れてしまった。俺自身、ずっとこういった生活を送り続けていて別に他人に迷惑が掛かったことなど一度としてないのである。ただ、朝になってデータを保存し、原稿を打つのに使っていたパソコンを閉じると、ゴミを出しにマンション外へと出る。火曜日と金曜日が可燃ごみの回収日だった。俺もそういったときぐらいしか、同じマンションの住人と接することがない。単にあちらにしてみれば、貧乏している直木賞作家がマンションの三階に住んでるなというぐらいの認識で。それに俺もがむしゃらに原稿を書くことはしない。連載に穴を開けないのと、書き下ろしの単行本を書くのぐらいがせいぜいだった。それで十分満足している。その日もゴミを出し終わり、ゆっくりと部屋へ戻っていき、手を洗って眠前に軽くグラス一杯の水を飲んだ。そして布団に入り込む。これから夕方まで眠り、また起き出して書き物だ。俺のペースは変わらなかった。それに夜間に原稿を書くというスタイルも。スゥーと眠りに落ち、あっという間に夢の中だ。その日の夕方起き出し、パソコンを開くと、春日からメールが入ってきていた。<ご入稿ありがとうございます>と。俺も次の仕事に取り掛かる。いくら寡作の直木賞作家でも、いろんな社と契約して仕事をしている。これは昔から文人にとって変わりのない事実だった。文筆を生業とする人間にとっては。だが、やはり俺自身地味なのである。文壇にいても華がない作家として通っていた。これが天から与えられた俺の生き方なのかもしれないと、つい最近感じるようになってきている。それだけ年齢を重ねたということなのかもしれない。いい意味でも、逆にそうじゃない意味でも。

                                  (了)


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