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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ゆめにうつつを

作者: 深山瀬怜

前に別名義で掲載したものを再掲載しました。高校生くらいのときに書いた作品。

 その人の髪は闇のように黒いのに、眼だけは金色に爛々と輝いておりました。人は鬼と怖れるその眼が、私にとってはこの身を照らす唯一の太陽でありました。いいえ、今でも()の眼は私の日輪であり月詠であります。その目に見つめられているときだけ、私は命を取り戻すのです。

 その人の名は朱瑛(シュエイ)といいました。それが真の名かはわかりません。ですが、朱瑛様がそこにいらっしゃるだけで私は満たされるのです。抱きしめられるときなどは、もうそのまま死んでしまうのではないかという気持ちにさえなります。

 私の全てはもはや、朱瑛様なのです。

「――今日は月が美しいな、(リン)

「そうですね」

 既に丑の刻は半ばを過ぎ、草木も眠るという時が近づいて参ります。しかし私達の短い逢瀬は、そのような刻限に行われることが多いのです。それは朱瑛様が高名な武家の御子息でいらっしゃるのに対し、私がしがない刀鍛冶の娘であることに起因しているのでしょう。でも私には時間の制約など関係はありません。ただ朱瑛様の美しき立ち姿を拝見するだけで満たされるのです。

 ――――たとえ朱瑛様が、鬼と呼ばれ蔑まれるほどに沢山の人を葬り去った方だとしても。

「琳の父上が鍛えた刀はとても美しい。切れ味も申し分ない」

 ふと、朱瑛様が思い出したようにおっしゃいました。私は静かに朱瑛様の金の眼を見つめます。

「昨日新しい脇差を鍛えてもらったんだ」

 朱瑛様はいつもの逢瀬に使う、あばら家に足を踏み入れながらおっしゃいました。私はただ黙って朱瑛様に寄り添います。とく、とく、と心の臓が声をあげるのがわかります。私はこの瞬間に、命を取り戻すのです。

「ほら、見てごらん。刀身の反りも刃紋もとても美しい」

 朱瑛様は父上が鍛えた脇差がとてもお気に召した御様子で、私にそれを見せて興奮気味にお話しになります。こういうときに、朱瑛様が何を考えているのかは痛いほどにわかるのです。私は帯を解き、白い肌を月の光の下に晒しました。

「――お好きなように染めてくださいませ、朱瑛様」

 朱瑛様は金の眼を少しだけ細めて笑い、私の胸に刃先を滑らせます。傷が浅いのでしょう、刹那の間を置いてから赤い珠が浮かび上がりました。朱瑛様はそれを美しい、とおっしゃいます。私も痛みの中で、朱瑛様の瞳が光るのを美しいと思うのです。

「――琳」

「はい……」

「私はもう一度死んでみたいと思うのだよ」

 そう言って微笑なさる朱瑛様に、私の体は熱く、赤くなります。朱瑛様はそれをさらにひどくしようとでも言うように、私の傷を増やしていきます。その間にも、まるで唐綾のような声は言葉を紡ぐのです。

「あかく、そなたを染めて……その隣で私は逝きたいのだ」

 いいだろうか、と聞く声に逆らえるはずはありません。私はゆっくりと頷きました。

 朱瑛様が私の首筋に脇差をあてます。ああ、これは父が鍛えた刀。それで私は恋い焦がれた朱瑛様に命を奪われようとしているのです。この深き不孝をお許しください。先立つことに、毛ほどの心の痛みも感じない私をどうかお許しください。私はこうなる運命――朱瑛様に壊されるさだめだったのです。

「さあ、そなたの一番美しき姿を……見せておくれ」

「はい、朱瑛様」

 脇差が引かれ、血が畳を濡らしていきます。霞んで白くなる世界の中で、私は朱瑛様が金の眼を優しく細めるのを見ました。

 ――――嗚呼、美しい。

 人は朱瑛様を鬼と呼びます。確かにそうなのかもしれません。逢瀬はいつも丑の刻――魔性のものが動くときです。でも、それでいいのです。朱瑛様が鬼であろうとそうでなかろうと、不吉なほどに美しきその姿に私は惹かれてしまったのです。

 彼の与える痛みが、私の全てなのです。

「ああ、朱瑛様……」

 体は喜びに充ちています。朱瑛様は私の髪を撫でてから、その白き首筋を切り裂きました。紅い血が私の視界を染めて、いつしかそれが世界になるのです。

「愛しています、朱瑛様……」

「私も愛しているよ、琳……」



 次の日――――

「私の娘を返せ!」

 琳の父上が私に刀を突きつけて叫ぶ。私は無造作にその刀を折り曲げた。

「私のおかげで村は繁栄しているというのに……何と愚かな」

 だが琳は一人娘だった。悲しみの深さは鬼である私にも理解できる。ただ解せぬのは、今までの誰とも違う琳の愛であった。

「人の心は不可解なものだな」

 私が村の娘を喰らうことを赦し、鬼の力で戦を勝ち天下を統一せんとする主も、それまで私のことを称賛しながら、いざ娘が殺されてみると怒り狂う琳の父上も、全てが解らない。

 琳の心も解らないが、他の人間のように、解らないことで不快にはならない。その理由も私には解らなかった。

 琳についてわかるのは一つだけだ。

 私はその者の理想の姿となり、夢に入り込み魂を喰らう夢魔である。しかし琳の夢の私は、私そのものだった。その事実だけは私にもわかる。

 だがその理由は、皆目検討がつかないのである。喰らってみればわかるかと思っていたが――――

「そなたの魂は実に美味だったぞ――琳」

 わかったのは、それだけであった。


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