過去の残骸 番外編 ー羽ばたく未来へー
その日、マイケルは目を覚まして、大きなベッドの広さと横ですやすやと眠る愛する妻であるローリエが、いつになく眉間に皺を寄せていることに気がついた。
その皺をそっと伸ばしながら、まぶたにキスを落とせば、ゆっくりとその皺も消える。
ーーディランが教えてくれた・・。
新たな命が、この皇帝の元に来てくれたのだ。マイケルには尊すぎる宝。
ディランとアーナの息子であるアキラが六歳になり、妹のシズネは三歳だ。そして、三番目の子供が、生まれるのは、今年。マイケルとローリエにも授かったこの年は、きっと素晴らしい年になる。
それはこれからも続き。これからもこの国は発展していく。
マイケルのその後は、歴史的には表舞台から去るまでの二年間の実務が、淡々と歴史書に残されている。
皇帝という帝位を終わらせるために、その後の地位の確立、公王という一人の王を支えるための周囲の配備。また、新たに創設された基金の覚え書き。
彼は公王というただ一人の主を支えるため、そして今後のこの島が永遠に続くための細々とした整備を行った。
公王が亡くなるその日まで、彼は誰よりも愛して止まない友のために、尽くした。そして、二年という月日の中で築いた皇帝の地位を。とてもあっさりと手放した。彼のその堅い意志で皇帝という玉座は誰も、それこそマイケルの子孫であろうと、座ることを禁じた。
遡ると長い月日の中で生まれた皇帝たちが、確かにいても良かった時と、いない方が良い時期があった。
王という器になり得ない者が座れば、乱れた世を立て直すために次に座する者が全ての理を変える。
それは王にとっての都合で、民は呆れ、意のままに動かない不動の存在を求めた。それが妖精王という王だ。妖精王を願い乞い、それがいくつもの作品に傑作が生み出される活力になった。
玉座などいらない。けれど、ある意味では、歴史と、物語が多く綴られた。
マイケルは、自分を愛している。母親がそうなるように育て、ディランがそれを望んだ。彼は、妻を愛し、娘と息子を愛した。変わらぬものを求め、ディランという王がいたからこそ、この世界に輝きをもう一度見いだしたのだと痛感した。マイケルの出生を誰かが知った時、誰かが嗤った。けれど、それをローリエが怒りの矛でなぎ倒したとき、おおいに笑った。あっけなく逃げ出す人よりも。自分を愛してくれる相手が本気で怒ったその様を、マイケルは嬉しくて笑ったのだ。
愛が訪れるなんて、誰が考えただろうか。マイケルがあの日、あの時。ローリエを愛した瞬間。彼女もまた。同じように視線を合わせて。
人の一生が短いか長いかを考えると、短くもあり、長くもあると。マイケルは、空を見上げる。自分の命の限り、愛している者達と共に歩むこと。そこにはたくさんの苦労があるだろう。きっと、一人で抱えきれないこともある。そんなとき、愛する者は無言でそれを手伝ってくれる。
何も言わず、抱えてくれる。
それが、愛。
ディランが話した言葉。
マイケルには、今もまだ答えを知るには大きな山があった。この山を越え、いつか王たる彼に、声をかけたい。
ーー貴方の愛は、山よりも高い。空よりも。あぁ。こんなに幸せを、私たちに与えてくれた。
マイケルの歴史は、とてもあっさりと残された書物が纏めてあるだけ。そのほとんどに、ディランという王の存在が描かれる。
彼が後世に遺したものは、ディランという王のために行ったという。
けれど、それは書物の中にあるだけのこと。
彼は最後の皇帝として、すべての民を幸福にするために、ありとあらゆることを行った。それこそ、足を使い、言葉を使い、そして時には酒場まで通い、民が求めることを聞いて回った。
歴代の王は、平民に声をかけに行かなかった。王城の兵士に声をかけるぐらいだ。
最後の皇帝だけが、全く異なった。けれど、誰もがそれを待ち望んでいた。マイケルがそうしたのは、ディランに倣って行うスタイルが最も効率的であると教わったからだ。
彼は王でありながら、ディランの配下の一人だった。それが、決定的に違うのだろう。例え同じ血が流れようとも、ディランの配下というたった一つのその違いが、王の見識を変え、彼の路が決まった。
ケミカルは、よくも悪くも王が二人いたのは変な話しなのだ、と言っていた。マイケルもそれは頷いた。
どこかで、マイケルは王という者の器が、その地位にいるならば、誰も迷うことのない灯台として稼働すれば良いのではないか、と考えた。けれど、人が動かすから灯台は動くのだ。
では、その仕組みをこの国に作るのは可能ではないか、と。
いずれ、王という者も死ぬ。それは誰にも邪魔できない。生まれてすぐに命を落とすか、マイケルの歳まで生きるか。それだけだ。
「ディラン。貴方の話を聞かせてください。」
マイケルは、ディランとアーナ夫婦をよく城に招待した。そこには子供もついてきて、楽しそうに会話している。
「マイケルが考えるとおりだよ。私もアーナも同じように、考えている。この世界には王という存在がいる。そして、君のように、王はいらないと考える者も。事実、必要であり、必要ない。王なんて輩は椅子に座っていれば良いのだよ。その代わり、その王を支える者達を労い、幸せを考える。今の君のことだね。」
ディランは頷き、アーナは微笑んでいる。二人は自分たちの時間と、相手の時間をちゃんと理解している。
「ローリエ様は、今日も兵士に檄を入れにいったのですよね?素晴らしいことです。マイケル様が望んでいることではない。けれど。民のために動いていらっしゃる。」
「・・・。そうですね。ローリエがつまらないことでも、話しをして欲しいと言われて・・・。つい。」
「ふふふ。貴方の代わりに怒って。その後は兵士たちが自ずと彼女を姐さんみたいに慕っている。とっても良い雰囲気ですね。」
「家族というには、あまりにも大きいと思いませんか?」
マイケルはそれが、不安だった。
「どこが?ふふふ。わたくしの覚えのある限りでは、もっと大きい家族がいましたよ?この世で大きな家族は、国。この国の民。ねぇ?」
アーナがディランを見つめる。ディランはそんなアーナを見つめ、
「君のそういう感情はあの日に起きた出来事が関連するだろう。実際。私もアーナと同じ気持ちだ。皆が協力し団結する。もちろん、喧嘩もあった。それが、家族さ。私が一人で家族になれないのは当然だけど、家族って、たくさんのあつまりだからね。血筋は関係ない。・・・私は、マイケルと家族になれただろう?」
ディランの優しい眼差しが、マイケルにも向けられた。
「・・・。はい。私は貴方の家族の一人です。アーナ様。私が・・・。」
アーナの頬を流れる雫。きっと、もう時は進んで。
「アーナ。君を悲しませるつもりは・・・。」
ディランはアーナの頬の雫を優しくすくいあげる。
時間が戻るなら、公王が無理していただろう時に戻し、止められたなら。
一人の王の短い時間。誰もがそれすら気づかず。なくしていく重みを誰もが感じた。王が悪いのではない。民が悪いでもない。
この世の時の流れが、そうなっているのだ。
「・・・。貴方の葬儀はおそらく誰もが、参加する。」
マイケルは震える声で、呟いた。
「・・・あぁ。マイケル。泣くなら泣いた方が良い。私が生きているこの時に。」
「貴方は生き続ける。私の心の中に刻まれて・・・。行って欲しくないと誰もが思う・・・。」
「行って欲しくないって言葉は、だめよ。もう、ね。」
アーナは堪えきれずに言った。二度目の別れ。彼女の人生はまだ続く。
「子供達は、任せるよ。マイケル。お前の嫁さんは、お前のことを理解している。王位はもう手放しても、大丈夫。私も、周囲を整えておいたから。」
玉座という名は遺し、国ごと変わろうとしていた。
ディランの命は確かに尽きようとしていた。けれど。嵐の神は、まだ眠らぬように少しだけ意地悪く、本を読み聞かせていた。
ディランは、自分の一生を綴るために、書物を書いていた。それが書き終わったとき、彼は次の旅にでる。
アーナが泣くたびに、ディランは強く抱きしめ、言い続ける。
「必ず、もう一度君と出会う。必ず。探しに行く。どこへでも。」
***
ディランは、亡き母のために、自身の城の横に墓を建てた。そのまま、ディランは墓守としても生きると決め、墓を建てた場所を開放し、民の眠る場所へと広げた。人は必ず死に、その死を悼む者は墓の前で幸せな眠りを願うのだ。
彼は、それだけに留まらなかった。
海が開け、漁港が造られ、人々が交流し、そのために知らぬ者がいらぬ心配をしないよう、整備していった。港に街ができ、国が興り、それすらをもディランの笑顔の意志で交易の妨げにならないよう、王たちの勉強会を行った。
人々の記憶には、ディランという公王が、妖精王という名前から気高き頂の王、『レジェンド・オブ・キング』と呼ぶようになる。
王を訪ねよ、と言われ真っ先にディランの名が浮かぶ。それほどまでに、彼は唯一無二となった。
子に恵まれ、それだけでなく彼は精力的に動いた。それは、彼が彼のことを一番理解しているからだろう。彼は無限の命を持ってはいない。だからこそ、生きる者達に、これから生きる者達にも、自分の手で、できる礎を築こうとしていた。
マイケルとローリエの二人は、皇帝と皇妃という姿を改める動きを、ディランという唯一無二の存在から考えた。
皇帝はむしろ、今後のこの国とこの島のために、玉座を退く、という考え。帝位といものは、争うことが多い。ディランが産まれる以前は、国の争いなど日常茶飯事だった。
マイケルの母も、その中で攫われた。
悲しみの中で国の為に、その地位を保つのではなく、国が瓦解しないように新たな形式を考えていく。
そこに、ディランという公王だけでなく、この国を、未来を考える一人の男性だけで背負わせることが、マイケルには出来なかった。
この国、この島は一つの伝説が生み出した。けれど、歩いて耕したのは、人だ。共に歩ける、人だ。
二人が望んだ姿は、ディランにも説明した。他の七長老にも話しをした。それこそ、他国に赴き、語り合った。
この島の未来を。この先まで続く、世界を。
王たちは、一つの王になることを止めようと語った。この島の一つ一つの国に王という存在は置きつつ、その一方で島を守るために組織を作った。
『平和の宴』
後に、その初代党首として、亡くなったディランの名が刻まれた。この組織が正式にできる七日前。
ディラン・ジェクシムは永眠した。享年は齢40にすら届かない、短くて儚い、けれど濃厚で、誰もがうらやむ家族に恵まれ、友に愛され、そして、民に愛された。
彼の死は、島だけに留まらず、諸外国の伝説がその死を悲しみ、やってきた。姉のみどりが弟の死を弔うためにわざわざ宵の国から現れた時は、大勢の人々がディランが蘇ったと錯覚したほどだった。
ディランは死ぬ前に、五人の子供と、アーナを前に伝えた。
「私は、死ぬんだ。きっと皆が悲しむだろう。」
「・・・。」
アーナは衝撃と共に、ああやはりと。自覚した。
「私よりも、先に逝ってしまうのは、前回と同じなのね。」
アーナの瞳に湛えられた美しい雫を、ディランが必死で拭った。
「けれど、責めないわ。だって、次も必ず貴方と生きる。そして、また追いかけるの。」
「もちろんだよ。私はいつだって、君を探し、絶対に見つける。どんな魔法よりも、私は君を見つけることが得意なんだ。」
「えぇ、そうね。きっと。私は貴方が見つけてくれるのを知っているわ。私だって、必ず、貴方の待つ場所に行く。」
親の会話を聞きながら、五人の子供達は、それぞれが次の座る場所を話し合った。父親が全員に振り分けた仕事。各々の個性を完全に見極め、彼らは仕事を与えられ、国の為に、玉座という場所を空けた。玉座は、もう誰も座らない。意味の無いその椅子は、飾りとして、象徴として残された。
レジェンドが座った席は彼よりも優れた王がいないという証明になった。
こうして、長い長い、ディランの旅が一度、いや、三度。終わった。
国の歯車は壊れないように、ディランも含め、大勢の人々が回して、回して。
繋がっていく。
時の流れは、やがて海原を越え、新たな物語を紡ぎ始める。
『トゥバレ』
その場所には、今はまだ、伝説の姿を知る者はおらず、帰ってきたことすら知らない。この最果ての島では、王がおらず、けれども五つの特色をもつ民が、のんびりと暮らしていた。
一つ。赤き炎を司る民。
一つ。青き泉を司る民。
一つ。翠の風を司る民。
一つ。黒の山を司る民。
一つ。白き砂を司る民。
民の長たちが一度も知ることのないその伝説を見た時、この島は主を忘れていたことを思い出す。
遥か彼方に置き忘れた、嵐の神の言づて。最後の帳が降りたことを知らず、彼らには真実すら掴めぬままに。
さぁ、始めようか。
今宵は、この世界のカーテンコールに付き合って欲しい。
公王がいなくなった、ずぅぅぅっと、あとの物語。
もしかしたら。
貴方の知っている誰かが、新たな主人公になっているかもしれない。
***
その日は、明るい話題で持ちきりだった。幼い子供は、祖母に連れられ、婚姻式のテーブルに座った。
幼い子供も、祖母にもいくらかの花弁が渡され、幼い子供は着飾った女性と、いつもにまして笑顔の祖母を見比べた。
華やかな婚姻式には、友人と、家族と、親戚。集まった人数は多いようにも少ないようにも感じられる。けれど、祝う気持ちは人数など関係ない。
ーーねねはどうして笑っているのかしら?
幼子は、小さな頃から慕う姉が、笑顔で、祖母にも幼子にも話しをする。幼子はその笑顔が偽りなど存在しない、尊いものだと知っていた。この場にいる全員が、喜んでいる。
「ねぇ、ばば。どうして花弁をもらったの?」
幼子が尋ねる。
「えぇ?それはねねにあげるんだよ。」
祖母は笑った。
「お花を?」
「それはね。『笑顔、楽しさ、悲しさ、お別れ』の喜びをあげるために用意された、器だよ。」
「・・・お別れも?」
「そうだよ・・。ばばも、ね。いずれはお別れする。その時に喜んでもらいたい。だから、すべてひっくるめて、『喜び』。お前が大人になったとき、誰かにもう一度聞いてごらん?」
幼子はまだよく分からない。けれど、祖母は別れを悲しんで欲しくないと思ったのだと、それだけは理解した。
幼子は、何かよくわからないほどのものが、溢れてくるようだった。
そうして、婚姻式は終わった。
式の直後、幼子はやはり泣き出した。何故こんなにも苦しいのか。何故、こんなにも切ないのか。
自分の中に存在する不思議な気持ち。溢れるような記憶。零れ出す涙。
『最後は、きっと。』
幼子の涙は、ベッドの中でようやく落ち着くのだった。何故、あんなにもつらいのかを思い出せず、悲しみの中で夢に、落ちていった。
ようやく、一息ついた。何故そう思ったのか。ペンを走らせ、職務についてからは無駄に身体がこわばる。
どれほどの月日をこうしてペンを握り、身体を酷使してまでこの国に尽くしたか。誰も見ないし、知ろうともしない。だからといって、無意味に怠慢なことをしたいとも思わない。
この世は有限だ。そして、自分の命も。
『ディラン様が亡くなってからずいぶん経った・・』
声が反響し、幼子の耳に響く。
「・・・!」
それは、とても短い言葉だ。けれど、幼子には十分すぎた。
「ここは・・・?」
目覚めた場所に、尊敬する存在はいない。けれど、この島に伝説はいるはず。直感的だった。何かが自分の中で行動するべきだと言っている。
「・・・。俺にもできるだろうか?」
幼子の口調は、あの時の彼と同じ。エイドだった頃の。
記憶があるということが、幼子を飛躍的に変えた。周囲は困惑した。けれど、彼は他の人々とは異なっている、という事実を、どういうわけか誰も不安視しなかった。
エイドには、不思議と周囲を巻き込みつつも、彼は周囲の配慮をしていた。それが当然ではなかったのだが、それを当然のように行ったこと。それだけが周囲を納得させるに至ったのだ。
幼子は、自立しようとしていた。それを周囲は助けることなどしなかった。しようとするたびに、本人が嫌がった。
我が儘なようで、一番前を見つめる幼子に、徐々に周囲は何かが変わろうとしていることに気がついた。
あの日、あのとき。ディランという立った一人の王が示した未来。その先に例えあの偉大な存在がいなくても。
エイドは、この世界の生きる意味を知った。だからかもしれない。自分に与えられたものが、与える側になった時、どう動けば良いのかを理解していた。
あぁ、そうだ。妖精様がおらずとも、この世界の王を探しに行ける。これは、エイドが一人で行うこと。
前を向こう。
明日、嘆き悲しむくらいなら、今日は大いに笑い、大いに叫ぼう。
それが、継承されたもの。心の底に眠る熱き魂。エイドが持っていて、彼が目覚めさせた。
これは、王すらいない世界で前を向いて笑顔でいるために歩く、エイドの新たな人生。きっと誰よりも孤独で、誰よりも前を向いた。
エイド、もといこの島に転生し、新たな人生を歩むことになった、幼子、ラフィ・マルク。彼はマルク家の八番目の子供だった。民の色は白で、ラフィが生まれた直後から、その島ではおかしなことが起きていた。
島の名前が『トゥバレ』と呼んだのは、赤き民の長。名はラルフク・フィンヴァ。ラルフクが生まれたのはラフィが生まれるずっと前だ。すでに亡くなっており、有能な人としていまだに尊ばれている。
ラフィにも敬愛して止まない主を持ったことがあったから、そう言う名のある人が好かれることに少しも違和感はなかった。
なんなら、ラルフクという人物について、多少は記憶に残っている。彼が当時命の虎の島までやってきて、交易をしたいと直談判したご老体。それを相手にしたのは他ならぬ自分だった。
彼の話す島はとても遠いとだけ理解はしていた。名前も聞いた。そして名前の由来も聞いた。
『遙か遠き場所に造った島だからです。わしがここまで来るのに、どんだけかかったか。』
老人は疲れたように言葉を紡いだ。
あれから転生という思いも寄らない事態をこの身で実感し、名の知る島で生まれた。
まるで運命だと感じるのは、ラフィの想い。
失った人を追い続ける人が多かった。エイドも同じように失った悲しみを受け止める何かが欲しかった。
そんなもの、この世にはない。
一人の人生が終り、大多数の人間は立ち直ろうともがき、苦しみ、時間が解決していく。
誰もが、時間を巻き戻したいと考える。けれど、アーナ公妃だけが違った。
『時間は巻き戻すのではなく、進ませなさい。歩むことを恐れてはいけない。亡くなった人が貴方を未来で待っています。わたくしは、夫のために前を向き、進みます。誰も、止まらないで・・・!』
泣きながら演説した彼女の姿は、まるで逆だった。本当は足を止め、夫の後を追いたい。そう言っているようだった。けれど、彼女は顔を上げ、皆に語りかけた。
それは、公妃が望んで、公王が望んでいること。
胸が締め付けられるほどの言葉。
死してなお、人の記憶にも、人の魂にも残り、語り続ける。
前を向け。進むんだ。
だからラフィは前を向く。周囲はかき乱されていた、はずだった。いつの間にか彼の言葉を聞いた。話しをして、頷いた。
ラフィは自分の言葉で、大人にも、子供にも、語りかけた。
やがて、ラフィは島の最も大きな泉がある青き民のもとに向かった。その場所が、ラフィの調べた場所へと続くと確信できたからだ。
「あんたがマルク家の八番目か?」
青き民の一人、ドゥバレロ・アルクセンが待っていた。彼の髪は黒く、長い。顔には焼けただれたような跡が遺されている。文様の一族と呼ばれている。ラフィは彼の一族が何者かを知っていた。
『兄さん、もう少し落ち着いて欲しいかな。』
公王のお言葉を完全に無視して楽しそうにはっちゃける男性。エイドには何故そんな風にしていられすのか不思議だったが、今ではもうとても懐かしい。
あの頃は、彼がよくかき乱して、不安な気持ちもいつのまにかばらされて、でも心は軽くなった。不思議な家族を持っている公王を酷く嫉妬してしまった。
それをあの男は根拠もないのに言い当ててくる。最初は怒っていたのに、今でも何故かもう、笑ってしまって。
懐かしい。
「えぇ。俺は八番目のマルクです。」
ラフィは笑顔で頷く。それを気まずそうにドゥバレロが詫びる。
「そういうつもりで言ったんじゃなくてな・・。なんか、悪いな。俺はドゥって呼んでもらっていいから。あんたの名前はラフィだろう?うーん・・・。エイドって呼んでもいいか?」
ドゥは悩んで尋ねる。ラフィはかなり驚いてしばし黙ってしまう。
「あぁ、うーん。混乱した、よな?俺も、驚いていて。ただ、あんたのこと、知っているんだ。その、生まれ変わったら、っていうやつかな?」
ドゥは真剣な面持ちで語る。
「俺たちの先祖、知っているはずだ。それは、俺たちも。いずれは、お前のような・・。生まれ変わってやってくる奴が来るって。ずうぅぅぅっと前に決まっていたことで、きっとそれはエイドに間違いないって。なんでかは、知らない。でも、あんたが望まれてやってくる奴なのは知っている。エイド。俺らの先祖は、あんた達と約束したって。だから・・・。」
ドゥは徐々に早口になる。早口になる時は、いつだって右頬をかいていた。照れている時の仕草。
「貴方は、すぐる様の子孫なんですね。」
「・・・!あぁ・・・。」
ドゥは笑った。笑顔まで受け継いだみたいに。懐かしい顔は頭に張り付いている。敬愛して止まない王の兄。すぐるは有名だったし、誰もが懐っこい彼を愛した。不思議な因果ですぐるとよく仕事をするようになったエイド。彼の横での仕事はいつも忙しい。せわしない。そして明るい。
横にいれば騒ぐから、黙らせようとしているうちに、何故か仕事は終わった。すぐるはあんなに溌剌で活発なのに、仕事も一流で、さささと終わらせる。才能があるから、エイドの側で働いていたのかもしれない。
彼は時折、エイドの仕事も行ってしまうし、それをあとから何か言おうとしても、無駄なのだ。彼は、エイドを気に入ったし、仕事ばかりだと、剣が鈍ると言われてしまい、何も言えぬままに剣の鍛錬を行った。
聞いた話しでは、難しいものほど彼がやっていたし、そういうときは必ずエイドを剣の鍛錬に連れて行った。
エイドも剣に集中すると、色々忘れてしまうからだと、彼は知っていたのだ。
すぐるが静かにエイドの鍛錬を見ていたことがあった。気がついて、声をかけると、静かに尋ねられた。
『人ってのはさ、なぁ、エイド。自分が思っている以上に、恵まれた才能があるんだよ。あんたは、いつか、俺の望むことに力を貸してくれる。あんたの才能は、あおいが目覚めさせたかもしれない。でもな。それを使いたいのは俺なんだ。あんたが、いつか・・・。いつか、俺の国に来て、俺らの伝説を叩き起こして欲しい。今は分からなくても、な。』
彼はそのあと、いつも通りに飄々としていた。
あれは、このことを言ったのだ。けれど、ラフィには才能なんてものはないと考えている。唯一今でも出来ることは、剣の鍛錬ぐらい。
けれど、彼の言う通り、彼が望むことをしてあげたい。あの当時、彼が何を求めたかはまだ分からない。そして、今も心のどこかで思うこと。
伝説はきっと二人の王ではない。彼がどこの世界の王を望んだのか。彼がどうしてこの島に辿り着いたのか。
謎の多い島、『トゥバレ』。
ラフィの冒険は始まったばかり。島の伝説が、エイドの知らないもう一つの世界の扉を開けようとしている。
十七の伝説とは異なる、もう一つの世界『宵の世界』がひっそりと開いた。
***
ラフィが青き泉へ向かったあとのこと。
黒の民の一人、サンデ・ラグスはふとしたことで、彼もまた、旅に出ることになる。
彼はある山を管理する一族の一人だ。山の上に居座る魔物たちを統制できる、不思議な力があった。
特にサンデには、その力が強くあり、魔物と会話することも出来たのだ。彼は自分が何者かを知ってはいなかったが、ある魔物とよく会話していた。
『へぇー?つまり君はこの山の中では後から来た魔物なんだ?』
『おう。だから信じられないんだよ。この島は隔離された島だろう?閉ざされているって。俺は外から来たのに!』
サンデはその話がちらほらあることは、知っていた。だが、彼は確かにまったく別の魔物だ。
『それに不思議な話だったから驚いているんだ。俺が外部から来たこと嘘だと言うんだぞ?俺の事を見たことあるかって聞けば、ないって。』
サンデは頷きながら、ふいに尋ねる。
『外の世界の行き方を知っているの?』
『おうさ!行ってみたいか?』
サンデはその会話をした後、こっそりと山から離れた。気づかれないように出立して、目指したのは、外との境界線だ。
不思議な事に、魔物は嬉しそうにしていた。まるでこの島が本当に隔離されていたみたいな口ぶりだった。
民は一定の場所から離れたりしない。ある一定の距離以上を歩けば、何故か元来た場所に戻る。
ずっとそうだったので、誰も不思議に思わなかった。
サンデだけは、魔物と会話することで、不自然に感じ、動くことができた。彼は自分の祖先を忘れているのだ。彼の出自が彼の路を決めた。
サンデと魔物がいなくなったことに気づいた者は何人かはいた。けれど、それだけだった。ラグス家には、去る者については何も言わないしきたりがあるからだ。
昔から魔物に惑わされていなくなる。だから、誰も追わない。追ったところで、彼らが行き着く場所は同じ。
二日ほど歩き続け、サンデが辿り着いたのは、大きな泉だった。島の方向を間違えたわけではない。何故か泉に辿り着いた。魔物が言う。
『この先さ。俺たちがいたところは。』
サンデは足を止めることにする。
『?どうした。』
ここが何なのかを知る前に、彼は気づく。大昔に伝え聞いた。何かがここで眠っている。
『ここは・・・』
サンデは頭の中に響く何かを呟いた。
帰って。貴方は帰るの。ここは・・・
誰なのか。どうして、帰るのか。
彼のまぶたには懐かしくも楽しい、光景が、走馬灯のように流れていた。
頭が痛い。痛い、いたい、いたい、いたい・・・。
サンデの心の底に降り積もる、別れと、いつまでも待つという言葉。
ケロベウロスはようやく、理解した。愛する女性が死ぬ間際の言葉。自分は、彼女を追いかけてしまった。けれど、帰るように言われて、そして、この島は封じられた。
宵の世界を切り取った、孤独の島『トゥバレ』。
この島が孤独なのは、自分が行った過ちの、せい。サンデは泣きながら謝罪する。
「すまなかった、みどり!私は、貴方を失いたくなくて・・・!」
叫びが木霊したが、それが彼女に届かないのは、知っていた。
失った悲しみは、彼がまだ生きているから。魂が、生きていたから。
魔物だった彼が自分の子供達と共に暮らした。生きていたみどりは今も昔も可愛らしくて。
命が、消えていくとき。ケロベウロスは、自分も一緒にと、手を伸ばして、しまった。命の虎が、それを許さず、記憶が消えるまで、閉じ込めると決めた。
何度も思い出してはこの泉に辿り着いて。
いない悲しみよりも、消えていく記憶に絶望した。ケロベウロスが願ったのは、会いたいことではない。会うことよりも、記憶の中に留めたい。記憶の中から消えていく、去って行く。それがしたくないから、人間になりたかった。存在よりも、記憶の素晴らしさを知って、失った後の、たくさんの宝物が欲しくて。
サンデは、もう一度、その泉を見た。立ち上がりそして、叫んだ。
『貴方が許すまで、私は貴方を失うのは、もう、嫌だーーー!!』
魔物は、小さく笑う。
「許されたいなら、彼を探しなさい。」
サンデははっとした。その魔物は、じっとサンデを見つめ、やがて霧の向こう側へと消えていった。
サンデは、我に返る。彼、とは。
霧が晴れるまでには、もう少し時間がかかる。
夢が夢のままなら、現実は現実のまま。痛みも、苦しみも、喜びも。その先にある全てを掴むために、生きる。
サンデが、人となれるかどうか。あるいは、人が何を指すのかを知るまでは、きっと、永遠の中で夢の中にいただろう。
目が覚めた瞬間にあっけなく思うだろう。人と魔物は同じ。自分が誰かを知っているなら、どの姿であろうと、自分なのだ。
鏡が真実を映すというなら、いったいどの真実をうつすのか。過去なのか、未来なのか。はたまた、自分が本当は魔物なのか。
サンデは、まずは探すことにした。『彼』を。
***
翠の民の一人、スフラ・ビウルギは、いつもにまして、とても楽しい気持ちでいた。彼には一人娘がいるのだが、その娘がようやく嫁ぐことになったのだ。もちろん、スフラの妻がもういないという理由で、婚姻はかなり遅れた。娘は誰よりも優しい性格で、夫となる男性が受け入れた理由はそこにあるという。
「シェイ。婚姻おめでとう。」
娘の晴れ姿をみようと、新婦の部屋をノックした。部屋には、シェイと夫になるフリク・ダルブと、見たことのない女性がいた。
「・・っは。ビウルギ殿。今回の婚姻は諦めてもらっていいか?」
フリクが小さく鼻で笑い、続けて詫びすら入らない言葉を吐く。
「・・・。どういうことですか?」
「俺とあんたの娘だと、釣り合えない。俺が望んでいる以上に、駄目だったよ。」
フリクはニヤニヤと笑った。それは、スフラが一人親だからだと言っていたのだ。シェイは唇を噛み締め、黙っていた。
「・・・。そうですか。ならば、この婚姻は白紙で。」
フリクは大笑いして、部屋を出て行く。
「片親でなかったらなぁ!」
大きな独り言を吐いて。
静かになった部屋。シェイは黙ったまま。スフラは何かを言おうとして、諦めた。父親失格。それだけではない。
娘が、助けて欲しいときに、何もできないまま時が流れた。今も言葉ではいくらでも婚姻を白紙になんてしないと言えた。
言わないままなのは、スフラが手放すことの出来ない大切な娘だから。
「お父さん。あたし、もう・・・。」
ようやく、吐き出すように言う。
「お前が、拾ってきた娘だから。すまない。」
シェイがスフラに拾われたのは七歳頃。どこのどの場所に住んでいたのか。流れ着いたのが、スフラの家だった。スフラには妻がいて、その妻と不仲になった直後のこと。
シェイを引き取ってから、スフラは妻と見切りをつけ、シェイを育てることに手一杯になった。性格的にもスフラは妻が自分とは別の男性と懇意であることを嫌った。翠の民は好き嫌いの激しい民で、何人もの女性や男性がいるのは当然のようなしきたりだった。
彼らはその時好いた相手と共にいるという風土の人々。
スフラにとっては、大きな負担であった。シェイを面倒みているうちに、自分自身がそういったことを好かないという事実に気づいた。
いつのまにか、娘だけはまっとうな男性と暮らせるように、婚姻相手をちゃんと見定めようとした。
そうして、フリクという婚姻相手を見つけたが、結局は同じだった。
「シェイ、ここにいても・・・。」
「スフラ!」
シェイが唐突に声を荒げる。
「・・・!」
スフラは、驚く。
「あたし、もう、大丈夫。スフラがいなくても、大丈夫。あたし、自分のいた場所に戻る・・・。」
シェイの決意は、父親と呼ぶことを止めた時点でも分かった。それが間違っていないことも。
シェイの生まれは今も分かっていない。だから、本当は探すところから始めるべきだった。しかし、スフラには。もう、スフラには家族と呼べる相手がシェイしかおらず。
ずっと昔からスフラはシェイを拠り所にしていた。生きるために必要な存在を見つけた。そう、思っていたのはスフラだけ。独り善がりで、なんとも女々しくて。
「・・・、そうか。一緒に、一緒に行ってもいいだろうか?」
シェイは首を振る。
「お願い、スフラ。貴方の人生は、ちゃんとある。探して欲しい。」
スフラが肩を落として、けれど惨めな自分が悪いのだと分かっているから。沈黙は、答えだった。
シェイは家を出た。スフラは、家の中で何かを思い出して、立ち上がった。家の隅に置かれた、一冊の書物。シェイが好きで読み続けていた。
その本を大事そうにスフラはページを捲った。
一人の青年の一生を描いている。その物語は、冒頭、こう書かれている。
『誰もが迷う。不安になる。だから、心配するな。それが、どんなに素晴らしいことか。無くしたことを恐れて、足踏みすることは、悪いことではない。けれど、一歩踏み出すことも、意味のあることだ。私は、愛する者と出会い、これからも生きたいと思った。この紙の終りが、私の終りだ。泣くな。前を向け。私はこうして、前を向くんだ。だから・・・』
勇気を与える言葉が羅列する中、自分を鼓舞するかのような文章も見られ、まるで物語はもう終わったような書き方。
ーー私は、終わってしまった。誰かを愛することを恐れ、今も不安でいっぱいなんだ。どうしたら?いいや。
スフラはページを捲る度に、少しずつ、少しずつ。自分が知っている人だと考えるようになった。一人一人の名前が分かるわけではない。けど、知った名前。聞いた覚えがある。
ーー何故だ?何故か、すごく思い出して・・。
そして、あるページに書かれた人物を名を見て、スフラはその書物を落とした。
ーー・・・・!!!!
弾けるように記憶が戻ってきた。何があったのか、今まで何をしていたのか。どうして全てを失ったのか。
ーー私が、私であったのは間違いない。今世でも、愛人問題に絡まれて。私だけが、彼と同じ正道を進むと決めたのか。
笑みを浮かべた。記憶の中で、エクシエルとの別れを思い出して、またしても書物を読むために拾い上げる。ディランはすでに亡くなった後のことだ。けれど、この書物には生きていた頃の彼女が描かれている。
ーー忘れていたのか?・・・どうだろうか。記憶の蓋が緩くなった可能性が高い。今、現在進行形で、この島に何かが起きている。これは、私の考察になってしまうが・・。生きている。だからこそ、私は間違えてはいけない。
スフラは書物をしっかり持って、家を飛び出した。彼女が向かう場所。いつも一緒にいた場所。
『覚えているか?エクシエル。』
懐かしい声が聞こえてきた、気がする。彼は今もシェイの心に生きた。
ーー愛しているわ、パジー。わたくしは、ずっと変わらず。
想いは糸よりも強固で、鎖なんて言葉では堅苦しい。愛はいつもその人と共にあり、抜け出せない魂を狂おしい程までに繋いでいる。
一歩も踏み出せない。けれど、踏み出す勇気。
死んだ時の冷たい、貴方の手を、わたくしは、二度と、触れない。でも、触れずにはお別れなんて出来ない。また会いたい。また会えるのなら。
『エクシエル様。絶対に会えます。わたくしは、ディランを想いと祈りで見つけ出しました。ですから、強く祈りましょう。会える。絶対に。』
アーナ公妃が力強く言ってくださった。エクシエルの瞳はまた輝くようになった。たった一人の愛する人に出会えることが、どんなに素晴らしいことか。
縁よりも強きもの。気高い魂は、必ず見つかる。命の虎が管理する螺旋の風。嵐の神が全てを包む。この世界は、どこかでもう一度奇跡を起こさせ。奇跡ではなく、必然に変える。
だから、スフラが思い出すことを、夢見た。シェイには見えるのだ。彼が。彼の姿が。誰かと結婚なんていらない。
貴方ともう一度。
シェイは足を止め、民の里から離れた、小さな建物の中に入った。そこは、スフラと共に少しだけ寝泊まりするための簡素な家。
誰かが使った形跡はなく、シェイがしばらくここで身体を休めるのに、丁度いいだろう。それに、もう、何もかもどうでも良くなった。シェイにとって、ようやく見つけた愛する人。裏切りほど彼女の心が冷め切ってしまうことはなかった。
ーーわたくしは、このまま、もう・・・。
シェイは小さなベッドに腰を下ろし、持っていたナイフを取り出した。
ーー彼が誰かの者になるかもしれない。わたくしは・・・。
ダンッ
小さな扉が大きく開かれた。
スフラがシェイを見つけ、ナイフをみて、みるみる顔を青ざめて。
「私より、先に、逝くのか?今度は、私よりも先に。」
そう、言った。
「・・・、パジー?」
「エル、私がおろかだった。間違えていた。私は、君を見つけることが出来なかった・・・。」
スフラは涙を浮かべ、ひざまずいた。シェイは慌ててナイフを投げ捨て、スフラのもとに駆け寄った。
「いいえ、違うの。愛している。そう言って。それだけ。わたくしはそれだけが」
スフラは当然のようにシェイを抱きしめ、頬にキスをした。彼の仕草だ。彼は優しく、優しく、エクシエルを愛してくれる。
「すまない、すまなかった。君の結婚する相手は私だ。私だけの可愛くて美人な妻でいて欲しい。愛している。愛している。」
歓喜とは、心の底から震えて、それが浸透し、身体を巡り、それが幸福で出来たものだと理解する頃には、もう一度歓喜が訪れる。
幸せの波。
エクシエルが欲していた相手がパジオノだったように、パジオノの愛する者はエクシエル以外いない。
来世の二人は名前が違い、姿も違う。年齢ですら違った。けれど、気づけば心で気づいていしまっていた。
「エル。結婚しよう。君しかいない。君以外いらない。私が望んでどうしても迎えたい。君が望むなら、里を出よう。私は、君となら、どこにいっても幸せにする自信がある。」
スフラが愛の囁きを伝えたのは、二度目。これまでは記憶がないまま苦しんでいた。もう、それともお別れ。
「パジー。わたくしは貴方以外、はじめからいらなかった。記憶が戻ってくれて、本当に良かった。わたくしが貴方以外愛して言いないことを理解して欲しかった。」
シェイが少しふくれっ面をする。過去の記憶と今の姿は一致せずとも、同じだった。愛する妻の怒りを少しでも和らげようと、スフラは、彼女の至る所に口づけて、最後は彼女の唇に吸い付いた。
シェイは微笑み、笑って許した。
ラフィは青い泉にいる伝説を言い当てようとしていた。けれど難しく、答えは分かるのに、名を当てるという難易度の高い問題を要求される。
ーー名前、か。知らないといって諦めても良いのだとしたら、今私はここにいない。何故だろう。答えを知っている気はするのに。
エイドの頃の記憶の中にはきっと、ない。どうして、それは分かるのだろう。まるで螺旋階段をぐるぐる昇り続けている。
これが、もしも。愛する人の名前なら、いくらでも言える。だがしかし。違うのだ。知っていた。エイドの記憶ではない。
ラフィは答えを探した。照らされているその場所に、きっといる。いつも出会っていた。まるで友達かのように。
『貴方は知っている?私たちが魔法を使えるように、ずっと昔。空を抱いて綺麗な伝説様が私たちに魔法の使い方を教えてくれたの。』
シェリアは嬉しそうに、魔法の話しをしてくれた。シェリアには、その伝説がどこからきたのかを知らない。
ーー孤独とは、寂しいだけではない。冷たくなって凍えてしまう。大好きな人は、それを乗り越えて、私に会いに来た。出会えて、話しをした。時間も運命もきっと意味のない言葉。二人が語らうことに何か意味が必要か?
エイドの記憶の中で、今も寄り添うことが、どれほど素晴らしいことかを思い出させる。
語らったから、答えはそこまで降りてきた。
『私には魔法って素敵だと言えるほど、まだ自信が無くて。それでも、あの伝説様が言ったの。勇気も必要ない。何か必要だというなら、そこに愛しい人を心に留めなさい。魔法は、愛の形。愛がなければ、争いを生む。』
シェリアは笑った。
ーー今なら分かるよ。君が私を求めて、私も君を求めた。繋がった心には争いなんて邪推なものなど入る隙間なんてなかった。今でも、これからも。君が愛して欲しいというなら・・・。
あぁ・・・。なんということだろう。ずっと、気づかなかった。確かに、伝説の話しをしていた。彼女が、伝説だと、思わないよ。思いもしないよ。
何かがラフィの心を駆け抜けていった。
宝石のようにキラキラと光り輝いていた。
エイドには、ずっと不思議に思っていたことだった。どうして彼女は魔法を使っている時、とてもしんどそうにしているのか、と。
彼女が人の姿に留まったのは、愛している人がいるから。その気持ちを遺したいから。シェリアが伝説から人に変わることなど、出来はしない。彼女は妖精や精霊という存在を知らない。彼女にはディランと同じ事は出来ないのだ。
代わりに、彼女は自分の姿を一時的に変化させる魔法が使えた。高度な魔法だ。ラルフレンの一族の一人を装った。それは魔法使いとして、人の姿になれるから。彼女が何故そんなことをしたのか。
宵の世界の王が立ち上がった時、外の世界を見に行けた。そして、見つけた。愛する存在を。エイドという存在を。
伝説は孤独だ。ディランが変わり者なだけ。宵の世界の王は、シェリアが伝説であることを知っていた。遠いトゥバレという土地にわざわざ宵の世界にそれを開拓した。シェリアは伝説の一つだが、獣の姿は持たなかった。魔法を使いこなし、なんにでもなれる特性が、彼女の素晴らしいところ。
けれど、人になれず、愛するエイドの側にもずっとはいられず。子を授かることもできなかった。シェリアは、懇願した。嵐の神に。彼女が心の底で、ずっと孤独と戦っていた。
嵐の神は、彼女が愛を失うことに一抹の不安を覚えた。彼女が魔法を使い続け、暴走したら。彼女が愛することに目覚め、それを失うことこそ、意味のない悲しみを生む。
嵐の神は持ちかけた。来世で愛する者が貴方を見つけ、貴方を今も愛すると約束してくれるなら、貴方に人の姿を与える、と。そして、必ず貴方は伝説の人柱となり、宵の世界を支える伝説になる、と。
「待たせたよ、シェリア。私はここにいる。貴方が愛してくれた。私も愛し続けている。」
まだ幼い彼は、泉に語りかけた。ドゥはそれを見つめて、微笑んだ。
「伝説・・・。俺が知っている伝説っていうのは、目に見える姿ではないって聞いた・・・。どんな姿なんだろう?わくわくするなぁ。」
遠目に、すぐるのような面影がちらほらとみえる、ドゥ。彼は、受け継がれている。彼の先祖がそうであったように。優しさと、お茶目さと。
泉の形は、徐々に変化していく。水が、一つのまぁるい塊になって、やがて、一人の女性になる。
「シェリア。」
「・・・、エイド・・・。」
潤んだ瞳、今に泣き出しそうで。エイドは、彼女を抱きしめた。強く、つよく。愛しい彼女は、ようやく、人の姿になった。
解放を謳った。嘆きを謳った。嵐の神は全てを聞いて、望みを委ねた。
立った一人の男の子に。
愛を誓った。愛を謳った。離したくない。はなれるなんて、そんなことがあってはいけない。
心につなぎ止めるために、存在するのではない。共に育むから、一緒にいたいと思う。歩きたいと思う。離せなくなる。
死がきても、次を願う。未来をみている。気づけば、隣にいると信じる。
不変。変わらない想い。心のリレー。
言葉にすれば、安っぽい。だからこそ、それが真実だ。誰かを失い、泣くなら、前を見て、失った重みを語らおう。
貴方のために、私は出会った。この先も、言葉を尽くす。言葉が無理なら、書き続ける。
愛した貴方が、私とまた会えるように。
シェリアは伝説であったことと、人になれたことは、宵の世界をもう一度照らした。
目に見えるから、エイドは彼女を愛したわけではない。彼女の魂に触れ、共感し、心で紡いだ。
愛が目に見えていたら、誰もがそれで一喜一憂するだろう。見えないものが、みえないからこそ、どうしても、伝えたいと願う。言葉や文字を使い、伝えたい。
愛している。愛し続ける。
ラフィとシェリアは婚姻した。共に歩くことを誓った。若い二人を祝福したのは、誰でもない、ドゥと、姉や祖母だった。
過去のように華やかではないかもしれない。けれど。暖かな愛は心と心を繋いで、傷つける者がいない、平和があった。
トゥバレの島は、争いなどない。人を慈しみ、愛し合える世界だ。
愛を形にした伝説、シェリアという、形なき魔法使いが求める、古の島。この世界が宵の世界に形作られたのは、宵の世界に潤いを与えたいと願ったいくつかの伝説の願い。
シェリアとみどりは、二人でこの世界を形作った。
みどりが亡くなった後、新たに伝説が誕生している。一方のシェリアは、エイドが亡くなった後、一人でこの島を守り続けていた。孤独ではあったが、すぐるの子孫がこちらに住むようになった。それは、シェリアにとっては嬉しいことだった。
時間がいずれ、シェリアの心を癒やす。そう考えていた。けれど、シェリアはどんどんとその気持ちを溢れさせていく。
会いたい。愛する人に。
彼女の孤独は徐々に強くなった。
嵐の神は、きっかけを与えた。彼女が手にした愛を、もう一度、掴めるように。嵐の神の息吹は、エイドという魂を送り出した。
可能かどうか。それは二人が決める。けれど、そう。二人はお互いを覚えている。
嵐の神は笑った。ディランとアーナがもう一度出会えるように、愛は必ず、出会える。そこに、祈りなんて必要ない。決まったことだから。
愛ってそういうもんさ。
シェリアが再び愛する者と語らい、エイドが彼女を愛し続けるのに、何かが必要か、と問われれば。たまに喧嘩して、笑って、好きなことをお互い見つけて。家族が増えて。
毎日が普通でいいのだ。ディランに伝えたことを、エイドは行っていた。
毎日が楽しかったり。嬉しかったり。寂しかったり。辛かったり。毎日が違う。毎日をなんだかんだで一緒に過ごしている。
愛しているって、積み重なっていく。濃厚で濃密で。気持ちは、伝え伝えられ。
ーーディラン様。俺は、今も幸せです。こうして、愛する人ともう一度会えた。貴方もきっと、アーナ様に出会って。きっと笑顔でいてくれる。俺が幸せなのは、貴方がいたから。貴方たちが、俺に幸せを見せてくれたから。
「ラフィ・・・?」
シェリアが不安そうに大人になったラフィを見つめる。エイドは、彼女の瞼に口づけて、
「幸せだね。」
と、笑った。朱色に染まったシェリアも、エイドの頬に口づけて、
「幸せ。」
と、笑った。
二人の出会いは何度も何度も繰り返されるだろう。毎日が、何度もだから。
夢の中出会うこともある。目を覚ませば、貴方がいる。
とろける光が、この島ではいつも、照らしている。
愛を忘れた貴方へ。
私は、貴方を愛し続ける。貴方は私を愛していると言ったから。
目を覚ませば、貴方の手を掴む直前だった。今はどこにいるのかしら?ディラン。私は貴方を待つのをやめて、歩き出すわ。愛しているのは、貴方だけ。貴方もどこかで探しているのね。そう、きっとあの最強の笑顔が私を待っている。
公王の城付近には、たくさんの人垣が集まっていた。子供が生まれたという。皆が祝いの言葉を述べている。
王が不在になって数百年。皆、王という存在に頼らない生活を送っている。ただ、公王の一族は、今もまだ存在し、彼らが国を動かしている。
誰もが国為に動いている。
そんな中、一人の少年が生まれた。名は、ディーン。彼は朱色の眼を持って生まれた。ジェクシム家の子供で、その髪色が群青色だったのは、ほとんど例がない。ただ一人、レジェンド・オブ・キングと呼ばれた、かの有名な存在を除いては。
期待をしすぎても、彼は重みで潰れかねない。そう判断したシェクシム家の人々は、彼が自由に生きられるよう、田舎で育てることになった。
田舎と言っても様々な店があり、人が住んでおり、ジェクシム家の家の一つを仮住まいにして、何人かが交代で世話をしていた。
田舎町はディーンが住むにはまだ大きくもなく小さくもなく。
ーーここには、私の大切な人が住んでいる。私には、彼女に会いに行かないといけない。
ディーンは妖精に声をかける。妖精達は嬉しそうに頷いていなくなる。
やがて、ディーンの母親が彼の自由な性格に驚くようになった。
「ディーン?昨日はどこへ行ったのかしら?」
「どこへも行かないよ?私が行きたいから行ったんだ。」
にこにこと笑いながら答える。
「それは、そうでしょうね。でもね。みんなが心配するよ。」
「母さん。私は変な場所へは行かないよ。私は、未来の妻を探しているんだ。」
「・・・!!」
ここで、ようやく。母親が気がついた。朱色の瞳の輝きに。そして、その群青色がキラキラと輝いていることに。
「あぁ・・。レジェンド・・・!!貴方の記憶が戻ったのね?」
「えぇ。私はディランだったもの。ようやく戻ったよ。素敵な世界は今も輝いている。私の妻がいれば全てがもっと素晴らしく輝く。」
母親は、すぐに父親や親族に話して聞かせた。誰もが信じられず、誰もが歓喜に震えた。地の底から震えるような、喜びが伝わる。
帰ってきた!我らの王が。この世界が再び、あの景色を思い出す。静かだった今が、もう一度震える。
大地が、森が、川が、泉が。鼓動が伝わる。息吹が吹き荒れる。静かに、徐々に。歩いていた者達は、小首を傾げる。
何かがあったのか、と。
ディーンは、探した。愛する者を。見つけられる自信は、誰よりもあった。だから、彼は田舎町を歩いた。歩いているうちに、人が増えた。彼を見つけると、声をかける。彼は誰が話しかけても笑って答えた。
妖精王がお戻りになった。
誰かが伝えた。流れは徐々に強く激しくなっていく。伝わった。遠くまで。竜王がやってくる。誰かが言う。他の伝説もくるだろう。
戻ってきた彼と話したいから。また、彼の笑みをみたいから。
ディーンは、妻を探した。必ず、いるはず。一人だけでこちらにはこない。迷路のように入り組んだ場所にもいった。
少し足を伸ばそうと、馬を借りた。馬は真っ直ぐにどこかへと歩いた。
ディーンはそれを好きにさせた。撫でて、気がついた。
ーーダラン。
尻尾が嬉しそうに揺れた。
この神獣は、こっそりと彼が戻ってくるまで隠れていたのだ。
ーーディーン様。もうすぐです。
彼がそう言うと、ある店の前で止まった。
母親と、娘が営むレストラン。娘は茜色の髪を二つに結って。二人は忙しなく動いていた。もうすぐ昼が終わる。店じまいは茜色の娘が担当しているようだ。看板を下げに外に出てきた。立派な馬に跨がる少年と目があった。
にこにこと笑む彼が馬から降り、跪いた。
「アーナ。」
そう呼ばれて、持っていたお盆を落とす。
飛びかかんばかりに、ディーンを抱きしめた。もちろん、ディーンは抱き留めた。愛する人が、見つかったんだ。そんなことで驚かない。探し求めた女性は記憶の中にいる自分を見つけてくれた。
「愛しているよ。変わらずに。」
ディーンは伝える。
「私もよ、ずっと待っていた。」
地上のどこかで愛はさえずり、命の瞬きと輝きを教えてくれる。
宵の国でも愛が溢れ、咲き誇る。
国は違えど、どこかで誰かが息をして、誰かの存在を認める。
私は貴方を待っている。どこかで。夢の中で会えたから、きっと現実でも会えると信じて。
さよならというなら、また会いましょうと言わせて。
この国のどこかで、人が人と出会い、導かれるのに、場所も時間も必要ない。
それが貴方ならなおさら。
きっと、会える。その詩を届けるから。




