幻影
朝、目を覚ましたとき。
ゆいは、ひかりの膝の感触を覚えていた。
柔らかさ。
一定の体温。
撫でられていた感覚。
——夢じゃない。
そう思った瞬間、胸がざわついた。
ゆい「……ひかり?」
小屋の中は静かだった。
焚き火は消えていない。
朝食の匂いもしない。
外に出る。
畑は、昨日と同じ。
罠も、薪も、水路も。
増えていない。
ゆい「……?」
おかしい。
今までのひかりは、ゆいが寝ている間に必ず何かを進めていた。
完璧主義。過保護。ズレた甘やかし。
なのに今日は——何も変わっていない。
ゆい「ひかり、どこ?」
返事はない。
胸の奥に、冷たい感覚が広がる。
ゆいは小屋の中を見回し、ふと気づいた。
帽子がない。
白いワンピースもない。
最初から、ここには置かれていなかった。
ゆい「……そんなはず……」
そのとき、鍋に目が留まった。
昨夜の煮込みの残り。
自分で温め直した記憶はない。
けれど。
火を入れ、味を確かめる。
ひかり「……普通」
美味しいけれど、昨日ほどじゃない。
——ひかりの料理は、もっと「考え抜かれた味」だった。
ゆいは、ゆっくりと腰を下ろした。
ゆい「……あれ?」
頭の中で、ひかりの言葉を思い出そうとする。
声は思い出せる。
口調も、言葉遣いも。
でも。
過去の具体的な行動だけが、曖昧だった。
上下水道を作った?
山小屋を建てた?
罠を仕掛けた?
——それ、本当に「見た」?
それとも。
ゆい「……私が、やった?」
手を見る。
爪の間に残る土。
筋肉痛に近い、腕のだるさ。
覚えがないのに、身体は知っている。
その瞬間、背後から声がした。
ひかり「気づいた?」
振り返ると、ひかりがいた。
いつもの白いワンピース。
とんがり帽子。
落ち着いた表情。
ゆい「……ひかり」
ひかり「正確にはね」
ひかりは、少し困ったように笑った。
ひかり「ぼくは、きみの深層心理が作った“幻影”だよ」
頭が、真っ白になる。
ひかり「きみが“一人じゃ生きられない”って思った瞬間に、
“全部できて、全部許してくれる存在”が必要になった」
ゆい「……じゃあ、流れ星は?」
ひかり「きみ自身の決断を、きみが“外から来た出来事”にしたかっただけ」
ひかりは、ゆいに近づく。
ひかり「魔法に見えた奇術も、生活スキルも」
ゆいの胸に、指を当てた。
ひかり「全部、きみの中にあった」
言葉が、出ない。
否定したい。
でも、どこかで納得している自分がいる。
山を買う前に農業やアウトドアについて必死で勉強していた事実を思い出す。
知識が有っても素人が、最初から出来る訳も無く初日で挫折したことも。
ゆい「じゃあ……あなたは、消えるの?」
ひかりは首を振った。
ひかり「きみが“もう大丈夫”って思えるまで、いる」
ゆい「……甘やかしは?」
ひかり「必要な分だけ」
優しすぎる答え。
ゆいは、静かに息を吐いた。
ゆい「……ずるいよ」
ひかり「それでいいよ」
ひかりは、あの夜と同じことを言った。
「でもね、ゆい」
真剣な目で、続ける。
ひかり「幻影は、逃げ場所じゃない。
“君の心を癒すため”にあるんだ」
その言葉を聞いて、ゆいは初めて理解した。
ひかりは——
ゆいが自分を生かすために作り出した、心の修復機能だった。
夜、星を見上げる。
もう、流れ星は落ちてこなかった。
それでも。
隣には、ひかりが座っていた。




