07,たぶんニチャァッとした気持ち悪い笑顔をしている
「え、あ…、在庫が…ない……?」
王都一番の大型本屋。今までのウキウキ気分が突然どん底に落とされる。本日のお目当ての本であるが、出版社のトラブルにより発行数が予定より大幅に少なくなり、この書店でも予約の冊数を確保出来ずに在庫が足りなくなってしまったというのだ。
「朝に受け取りに来たお客さんたちで全て出てしまいまして、大変申し訳ありません。」
「い、いえ、いいんですよ。…アッ、次いつ王都に来られるか分からないので、予約は…キャンセルで、お願いします……。」
「かしこまりました。ご迷惑をお掛けします。」
「いえ、いえ、行きましょう……。」
ショックのあまりに頭が真っ白になっている。涙をこらえながらおぼつかない足取りで本屋を出る。全てを見ていたクラージュも、まさかの展開に動揺しているようだった。
「他の店も回ってみるか?」
「大人気作家さんの期待の新作です。かなり話題になってましたし、ここに無ければ他のお店も期待薄です…。」
「では、俺の持ってきている本を先に、」
「駄目です!クラージュ様だって楽しみにしていらっしゃるでしょう!!」
購入者より先に読むなんてわたしの美学が許さない。こういうことは時折起こるものだ。前世で楽しみにしていたイベントの前日にインフルエンザになり、布団の中で泣いた時に比べれば、本はまた後日購入すれば良い。ああ、クラージュ・レイニーブルーと同じ空間で同じ本を読みたかったな。
「後日、雨の街で購入しますから大丈夫です。かわりに他の本を、」
「…汽車に乗る前に言っていた店。あそこは一般客が来ない。朝一番で欲しがるような貴族は屋敷に届けてもらうだろうし、もしかしたらまだ在庫があるかもしれない。」
「本当ですか!?」
「行ってみなければ分からないが。」
「少しでも可能性があるのなら。」
「分かった。少々、歩くが平気か?」
「下働きの業務を舐めないでください。」
◆
わたしとクラージュは足早に路地を進む。夢色ローズガーデンではマップ上に出ているアイコンを選択すれば一瞬で目的地に到着出来たのだが、実際に歩く王都は広い。大通りを抜け、普段絶対に歩かないような高級店が並ぶエリアの少し奥まった場所に、その本屋はひっそりと佇んでいた。
「ここだ。」
狭い入口をクラージュが先に入っていく。わたしもすぐについていく。夢色ローズガーデンの聖地に足を踏み入れる喜びと、どうか件の本があってくれという切羽詰まった気持ちで心臓がドクドクと音を立てている。
「新刊コーナーは、あの辺り。」
店内のすぐ右手側。クラージュが指をさした場所に視線を向けると。
「あっ、あった!」
一番目立つ場所にお目当ての本が置かれていた。すかさず本を手に取り抱きしめる。
「やったぁ!ありましたよ!!クラージュ様のおかげです、有難うございます!!!」
「見つかったのならばさっさと購入してこい。俺は奥の古書コーナーを見ている。」
「はい!いってきます!!」
急いでレジに向かうと店主の老婆に「お嬢ちゃん、クラージュ様のお連れさんかい。」と話しかけられる。穏やかな口調に対して、なんだか緊張感のある老婆だ。貴族ご用達のお店らしいし自分が何者なのか自己紹介をしておくべきだろう。
「は、はじめまして。レイニーブルー家で雇われているメイドのアリエッタです。この本を探していて、お店を教えてもらいました。宜しくお願いします。」
「ああ。この本、トラブルがあったみたいだねぇ。」
「はい。駅前の書店で予約していたのですが買えなくて…。」
「そりゃ災難だったねぇ。」
「でも、クラージュ様がここにならあるかもしれないと教えてくださり無事に手に入れることができました。おかげでクラージュ様と読書会が出来ます。」
本を購入出来た嬉しさについ口角が上がってしまう。たぶんニチャァッとした気持ち悪い笑顔をしている気がする。老婆もこのオタク丸出しの顔をみて「はっはっはっ!」と声を上げて笑いだす。ふっと老婆の緊張感がほどけた。そんなに面白かったのかな、わたしのニチャり顔。
「読書会、楽しんでおいで。」
「ありがとうございます。」
老婆と世界に感謝のお辞儀、傾斜90度。踵を返してクラージュを探す。古書コーナーを探して店内をうろついていると、奥の本棚に白髪の少女の姿を見る。少女は本棚の一番上の段にある本を取るために一生懸命背伸びをしていた。
(あの子、は…。)
思わず足を止めて、少女の姿に釘付けになる。すると深い青い目の青年が彼女に近寄り、本を取って渡した。静かな店内なので離れていても微かに声が聞こえる。
「足場を持ってくる知恵も無いのか?」
(ああああああああああっ!)
叫びだしたい衝動をなんとか堪える。駄目だ、決して邪魔してはいけない!だってこの光景は、その一言は、
(クラージュ・レイニーブルーとヒロインが出会うイベントだ!)
やっとヒロインが登場です。