02,わたしは涙腺が緩いオタク
前世の記憶を思い出してから数日が経った。頭を打ったわりに後遺症などは一切なく、わたしの生活はすっかり下っ端メイドの日常に戻っている。前世の記憶は平凡な陰キャ女子高生の短い人生って感じで、なにか特別な能力や知識があったわけでもないし、今世の生活とは全く違うからメイド業務の役にも立たないし、本当に「前世の記憶を思い出した意味ある?」ってぐらい変わったことがない。そもそもレイニーブルー家は平和なのだ。夢色ローズガーデンというゲーム自体がパステルカラーのキービジュアルで彩られた可愛い系の世界観なのだが、中でもクラージュ・レイニーブルーは本人の天邪鬼っぷりに重点に置かれていることもあり、攻略対象の中でもトップレベルに周りの環境が穏やかだと言えるだろう。もちろん個別シナリオ中にトラブルが起こったりはするけれど。その穏やかさの一番の理由はクラージュの父親、つまり当主であるデューン・レイニーブルー伯爵がとてもゆるふわなおじさんであることが要因だろう。どのくらいゆるふわなのかと言うと領民に乞われれば簡単に私財をつぎ込み支援をするし、悪人にすら再起のための資金を渡して追放するというぐらい。だからレイニーブルー家は伯爵家だというのに暮らしぶりはそこらの子爵家と思われるほど貧相であるし、他の貴族からも馬鹿にされている。オタクとしては何に金を払うのか、その価値は自分で決めるものであって他人がとやかく言うもんじゃねぇ!黙っとれ!!と心から思う。とにかくそれを見て育っている跡継ぎのクラージュ・レイニーブルーは反面教師のように幼い頃から周りから舐められないよう、人に厳しく貫禄ある伯爵令息を体現すべく、顔と言葉選びが終わっている男になってしまったのだ。しかし、彼はゆるふわの血を引いている。人に厳しい男は間抜けな下っ端メイドにアロマキャンドルを差し入れたりしない。そういう理想の人物になりきれないところがクラージュ・レイニーブルーの魅力であり、わたしの推しポイントのひとつなのだ。推せるポイントは他にもいっぱいあるのだがクラージュ・レイニーブルーついて語り出すと10万文字の怪文書を書けてしまうので割愛しよう。さて、推しからもらったアロマキャンドル。公式からの突然の贈り物。それに対してオタクが出来ることは当然お礼をすること。前世でいえば公式に貢ぐということ。が、下っ端メイドが伯爵子息に贈れるものなど何があると言うのか。公式とオタクの関係が主従に変わった事で推し活のやり方は前世と同じというわけにはいかないようだ。果たしてどうするべきか。ハッシュタグで応援しようみたいに盛り上げることも出来ないし、推しへのお礼のしかたなんて分からない。考えても良い案は出てこないし、悩んでいるうちに日が過ぎてしまう。こういうときは人に相談してみよう。前世でも相互フォロワーのお姉さま方が色々相談に乗ってくれたっけ。
「メイド長、少しお時間よろしいでしょうか?相談したいことがありまして…。」
「あら、アリエッタ。そんな真剣な顔で一体どうしたのですか?」
「クラージュ様にアロマキャンドルのお礼をしたいのです。でも、どうしたら良いかわからなくて…。」
相談先は頼れるメイド長だ。わたしやコーネリアは下っ端なので同じお屋敷にいてもクラージュ・レイニーブルーと直接関わることは無い。が、メイド長は伯爵様やクラージュ・レイニーブルーの身の回りのお世話をしている。聞いた話ではクラージュのことは生まれた時から知っているらしいし資料集を読み込んだオタクなんかよりもずっと詳しいはずだ。よもや公式スタッフと言っても過言ではない。
「うーん。あの子は物だと遠慮するでしょうし、そうですねぇ……。」
メイド長はしばらく考え込んでいたが、わたしの顔を見るとなにかを閃いたようで、ぽん、と手を叩いてみせた。
「アリエッタ、貴方、本が好きでしたよね?」
「え?はい。読書は好きですが…。」
「では、明日の午前11時にお気に入りの本を一冊もって庭園のガゼボに行ってみてください。1時間だけ、仕事は免除しますから。」
◆
翌日、メイド長に言われた通りに午前11時に仕事を抜け出して庭園を訪れた。庭園はレイニーブルー家に古くから務める庭師の老人が丹精込めて作り上げている。この見事さはひとつの芸術である。わたしのフォロワーにも盆栽にハマってる人いたな。あんまり関係ないか。さて、いったいわたしはここでなにをすれば良いのだろう。免除されているとはいえ本来は掃除をしている時間だ。素敵な庭園で暇を持て余していることに少しの罪悪感もあり、なんだか落ち着かない。それにメイド長から持っていけと言われたお気に入りの本。前世の記憶がなくても、わたしの魂は根っからのオタク気質だったようで今世のわたしも幼少から物語が好きだった。この世界にゲームや漫画はないのでその媒体は小説だ。住み込みで働くことが決まり、ここへ持ってきた本は全て厳選された推し作品であるのだが、その中でも今持っている『薔薇の騎士団』という物語は時代に翻弄される孤高の騎士の一生を描いた壮大な物語で何度読んでも泣けるイチオシ作品だ。そういえば『薔薇の騎士団』にも美しい庭園に佇むガゼボが出てきたっけ。宮殿に迷い込んだ騎士見習いの主人公とお姫様のヒロインが出会うシーン。丁度もっている一巻の、この辺。はあー、何度読んでも美しいんだよなあ。もしここで二人が出会わなかったら主人公は過酷な運命に翻弄されることはなかったのだろうか…。ヤベ、これからの展開と二人の事を思うと涙出てきた……。わたしは涙腺が緩いオタク。思い出し涙をこらえようと顔を上げた時、やっとガゼボにもうひとり客人が訪れていたことに気が付いた。深い青い瞳はずっとこちらの様子を伺っていたのだろうか、視線がぶつかる。
「クラージュ様!?」