09.ポトフと公爵夫人の矜持-02-
「……これはなんだ」
「これは、野菜で作ったポトフですね」
「こっちは、ニンジンだろう? この野菜は?」
「イモです」
「……イモ」
彼は、外国語を発音するかのようにぎこちなくそう言った。
(ほら、やっぱり知らなかった!)
セシリアは自分の予想が当たっていた、と得意げに笑った。
「ポテト、と言えばわかりますか」
「ああ、付け合わせで食べたことがあるな。マッシュポテトは」
「ずいぶんお上品なもの召し上がりますね」
マッシュポテトなんて、大家族は作っていられない。作るにしても、フォークで雑に潰した『なんちゃってポテトサラダ』くらいである。それでも面倒なのに。
「それでは、いただきます!」
「……いただきます」
いつものように日付が変わる頃、アルフォンスとセシリアは居間に集合する。夕食は別々に摂るくせに、夜食だけ一緒に食べるなんて変な関係だな、とつくづくセシリアは思う。
「ポトフなんて、初めて食べるんだが。見た目は……ただ煮ただけだな」
今回つくったのは、ポトフである。
その他の野菜と牛肉は使いきれそうになかったため、料理長のシュミットに献上しておいた。大変喜ばれた。
「なあ、この材料を買うために、一人で外出する必要があったのか」
アルフォンスは、少し呆れたように言った。
ポトフの中身は、イモ、ニンジン、タマネギと、夕食で余ったソーセージである。
「本来はわざわざ食材を外に買いに行くような料理でもないんですが、市場に向かうのが楽しくてつい……すみません」
彼が怒るのは、当然のことである。
公爵夫人ともあろう人間が、こっそり屋敷を抜け出すなんてとんでもない。護衛とまでは言わないが、せめて、一人は付き添いの者を付ける必要があるだろう。
アルフォンスには、自由にして良いと言われていたものの、さすがに自由を謳歌しすぎたかもしれない、とセシリアは反省した。
「別に怒ってない。王都は治安も良い。昼間であれば、一人歩きも問題ない。そのために、騎士団が巡回をしているんだからな」
「はい……」
「まあ、けど、なんだ。今度からは一応、俺に言うように」
「すみません……」
セシリアが申し訳なさそうな顔をすれば、アルフォンスは「謝る必要はない」と言って会話は終わった。
お互い、黙々とポトフを口に入れる。
優しい味だ。シュミットの開発したブイヨンが、味に広がりを持たせている。個性的すぎる彼だが、やはり料理の腕は超一流なのである。
田舎に帰る前に彼の技術を学びたいものだが、シュミットを先生にするのも、これまた面倒くさそうである。
カチカチ、と振り子時計の音だけが響く。
しばらく無言の時間が続いた後、お前は、と唐突にアルフォンスが口を開いた。
「……ずっと思っていたが、俺に対して、普通に話しかけてくるな」
「……!」
セシリアは背筋を伸ばした。確かに、セシリアの口調は親しい間柄のそれである。
なんで今まで気が付かなかったのだろう。『白い結婚』であるからこそ、上下関係はきちんと示しておかないといけないのに。
「数々の無礼、大変失礼いたしました!」
「いや、そういうことじゃなく……!」
どうやら違うらしい。慌てて否定するアルフォンスを見て、セシリアは肩の力を抜いた。
アルフォンスはカトラリーを置いて、真剣な表情で話し出した。
「夕方の件だ。元婚約者に言われたのだろう。『家族を殺した男の妻になるなんて』と」
「……えっ」
その言葉は聞こえるはずもない。だって、周囲は騒がしかったし、ユリウスの声も、やっとセシリアに聞こえる程度であった。
まして、アルフォンスになどに届くはずもない。
「元婚約者の言いそうなことは分かる。ただの推測だ」
「なるほど、その通りです」
セシリアは納得したように頷く。
「それを聞いてもなお……というか、噂だから、そもそも知っていたかもしれないが。お前は俺を庇うし、俺に普通に話しかけてくる。なんでだ」
「ごめんなさい。旦那様のことを分かったように……」
セシリアは、自分か責められているのではないかと思った。たった数週間で相手のことを理解した気になるな、というアルフォンスの言い分は、その通りだと思う。
セシリアが目を伏せると、アルフォンスは目を吊り上げた。
「ああもう、だから違う! お前は、俺が怖くないのか、と聞いているんだ。家族を殺したと言われている男とこうやって夜食を食べて、会話することが……」
彼の語尾は段々と消えていくように小さくなっていった。不安げな顔をしている彼の意図は読めない。でも、悪意は感じられない。
それならば、取り繕わずに素直に答えるのが礼儀だろうとセシリアは思った。
「……怖いですよ。遠征も終わったというのに、なぜか毎日、血で汚れていますし。常時、凄く怖い顔をされていますし」
「…………」
「でも、慣れました!」
セシリアがそう言うと、アルフォンスは、ぱっと顔を上げる。
今日の軍服の襟元にも誰かの血が付着しているし、ポトフを見た時の彼の怪訝な顔なんて、敵国の騎士を睨んでいるような表情だと言っても過言では無かった。
時折、人間離れしたような能力を見せるし、彼のことなんて全然理解できていない。
それでも。
「……家族を殺したって知っているんだろ」
「それ、噂でしょう?」
セシリアは笑った。
「私の料理を美味しそうに食べてくれる人は、絶対いい人ですから」
「……なんだそれ」
アルフォンスは、少し呆れた顔をして息を吐いた。
思い出されるのは、熱で浮かされた時の彼の言葉たちだ。
アルフォンスが覚えているかは分からないが、あの表情は嘘をついている人間の顔ではなかった。
これでも、アルフォンスよりも2歳長く生きている、伯爵家の苦労人長女である。相手に悪意があるかないかくらいは、わかるつもりだ。
それに、とセシリアは続ける。
「……私は、自分が直接見たものしか信じないって決めてるんです。だから、私は、旦那様家族を殺してなんかいないし、優しい人だと自信をもって言えます」
「もし、噂が本当だったら?」
本当に家族を殺した人間は、そんなことを言わないだろう。セシリアは、にっこりと笑って彼に告げる。
「それでも、私は自分のこの判断が間違っているとは思いません。私は、自分の選択を後悔したことなんて、今までで一度もないですから!」
あの元婚約者と婚約したことも、結果的には間違いだったかもしれないけれど、後悔はしていない。
そのおかげで、アルフォンスとセシリアは、あの夜会で会うことができたのだ。
(……そして、貴方が優しい人間だと知ることができた)
セシリアは、もう知っているのだ。
アルフォンスが使用人たちから信頼されていることも、騎士団員から尊敬されていることも。
お飾りの妻のセシリアに、こんなに優しくしてくれることも。
「そうか」
表情を変えないまま、アルフォンスはイモを口に入れる。無言のまま咀嚼し、そして、また次の食材を口に入れる。
皿の中を空にしたアルフォンスは、ごちそうさまの代わりにこう言った。
「お前と結婚する人間は、幸せだろうな」
それがどういう意味も持つのか、セシリアは尋ねることができなかった。ただ、なぜか少しだけ、胸がざわざわと嫌な音を立てた。
「ポトフ、美味かった」
彼は立ち上がり、美味しかったと言う。それはいつものことのはずなのに。
彼がセシリアに向ける目線は、いつもよりずっと優しい気がした。
「おやすみなさい。旦那様、良い夢を」
彼がぐっすり眠れることを願ってそう言えば、エメラルドの瞳が少しだけ動揺したように揺れた。
みんなは知らない彼の顔を知っていることが、やっぱり少しだけ嬉しかった。