07.忘れ物をお届けに上がります-02-
向かう先は、外へ通じる門ではなく、その反対側。
騎士団員たちの視線をかいくぐるように、彼は無言で彼女を連れ歩き、建物の陰に到着する。
彼は少しセシリアを見つめると、言葉を発した。
「お前の余所行きの恰好を見るのは、夜会以来だな」
その言葉に、セシリアはふと自分の姿を見下ろした。そういえば、アルフォンスと顔を合わせるのはいつも夜遅く、寝巻き姿のままだった。
結婚して彼の前でまともに着飾ったのは、初めてのことかもしれない。
なぜ、アルフォンスが、そんなことを言い出したのか分からなかったが、セシリアは先回りして謝罪する。
「えぇと、私はすぐに帰りますので。お騒がせして申し訳ございませんでした」
怒られる前に予防線を張っておくことは大切なのだ。
幸いなことに、セシリアは何も失うものはない、だから何度でも謝れる。
だが、アルフォンスはゆるゆると首を振った。
「別に、怒るために連れ出したわけじゃない」
「えーっと……?」
「なんでだろうな。俺にも分からない……なんだか勝手に体が動いた。ごめん」
彼の言葉には、嘘偽りはなさそうだった。セシリアの手首が解放され、アルフォンスは自分の行動に首を傾げている。
「なんだか、お前が囲まれているところを見ると……なんというか……」
「……?」
アルフォンスの困惑した表情に、セシリアもまた訳が分からない気持ちになってくる。
だから、もう一度先回りして謝っておくことにした。
「すみません。こんな大事になると思っておらず」
「いや、いい。あいつらは、3日経ったら全て忘れる頭をしている」
「はは…………」
彼の軽口に、セシリアは曖昧に笑い返した。
さすがに、部外者であるセシリアが騎士団員の罵倒に同意するわけにはいかない。
ふと、セシリアの耳に大きな声が響いた。右側を振り返ってみると、茂みの向こう側に訓練場があり、騎士たちが真剣に打ち合っている様子が見えた。
打ち込んだかと思うと、避け。受け身をとったあとに、また打ち込み。まるで、ダンスを踊っているかのような美しい体さばきに、食い入るように見入ってしまう。
「気になるか?」
「はい。領地では、なかなか見ることが無いので……」
彼女の実家であるウィンターズ領にも護衛団はいるが、領民の有志によって結成されたもので、その多くは高齢者である。平均年齢は、70歳だ。
訓練風景どころか、剣を握っているところすらみたことがない。
「……かっこいいですね、皆さん」
セシリアが、感心した様子でそう言うと、隣にいたアルフォンスの表情がわずかに曇った。そして、なぜか少し不機嫌そうに顔を覗き込んできた。
「見せてやろうか、模擬戦」
「えっ」
まさか彼がそんな提案をするとは思わず、セシリアは驚いて顔を上げた。
アルフォンスは「さっさと帰れ」と言うものだとばかり思っていたからだ。
彼女が返事をするよりも早く、アルフォンスは訓練場に向かって歩き出した。
「おい、誰か模擬刀を持ってこい!」
訓練場全体に彼の声が響くと、ざわめきが走った。騎士たちはすぐに動き出し、アルフォンスに模擬刀を手渡した。
「そこで見ていろ」
振り返ったアルフォンスの顔には、得意げな笑みが浮かんでいた。
その笑顔に、セシリアは少しだけ、どきりと心臓が跳ねた気がした。
◇
晴れやかな青空の下、模擬戦闘が始まった。
訓練場の周囲には、騎士たちが円を描くように立って、野次を飛ばしている。
そんな中、セシリアは両手を胸の前で組んで、じっとアルフォンスを見つめていた。自分が戦う訳ではないのに、彼女の手は震えていた。
(なんか、見ているこっちが緊張するんだけども……!)
戦うのは、アルフォンスと副団長の男である。剣を構えたその姿勢から、二人とも只者ではないことが、ありありと伝わってくる。
「はじめ!」
その合図と共に。
アルフォンスは、鋭く目を光らせたかと思うと、相手の剣を一閃で薙ぎ払った。
動きは速く、しなやかである。相手の懐にあっという間に入り込んでしまった。
副団長も必死に応戦するものの、レベルの違いが一目瞭然だった。
そして、アルフォンスの模擬刀が相手の手元に正確に打ち込まれると、相手の剣が無惨に地面へ落ちた。からん、と乾いた音が響く。
「……えっ、はやい」
セシリアは思わず呟いた。その言葉を受けて、隣にいた門番の騎士が、にやりと笑う。
「すげぇっすよね、団長」
セシリアはいつの間にか、その騎士が自分の横にいたことに驚きつつも、アルフォンスに視線を戻した。今まで怖いと思っていた彼が、騎士たちの前で見せる圧倒的な実力。
その厳しい表情の裏に隠された何かが、少しずつ見えてきた気がした。
「よく怖いって思われがちなんですけどね。実は、団長って誰よりも優しいんです」
騎士の言葉に、セシリアはアルフォンスと夜食を食べる日々のことを思い出した。
彼は、外見とは裏腹に、ずっと優しい人なのかもしれない。
そんなアルフォンスの姿を少しずつ知っていく度に、セシリアはつまらない噂に惑わされていた自分が愚かに思えてきた。
「……立て」
アルフォンスの厳しい声が響く。
倒れ込んだ副団長に対し、彼は冷ややかな目で見下ろしているけれども。
「そんな風だと、戦場で真っ先に死ぬぞ!」
その怒号が訓練場全体を凍りつかせるけれども。
「無理、もう、無理ですって……」
副団長が呻く中、アルフォンスはさらに声を強めるけれども。
「立て!」
セシリアはその場面を見つめながら、思う。
「えっと……誰よりも、優しい……?」
セシリアの呟きに、隣の門番の騎士が少し苦笑しながら答えた。
「俺、『誰よりも』は言い過ぎたかもしれないです」
その言葉に、セシリアはふふっと笑った。
やはり、彼は怖い。『戦場の悪魔』、最恐アルフォンス・グレイブなのだ。
けれど。
セシリアは、心の中で静かに確信する。今まで出会ってきた中で、きっと、アルフォンスが一番素敵な男性だと。
未だに、副団長を叱責しているアルフォンスに、セシリアは手を振った。
彼はこちらに気がついたようで、説教を切り上げると、セシリアの方に歩いてきた。
「旦那様、かっこよかったです」
その言葉に、アルフォンスは居心地が悪そうに一瞬だけ目を逸らしたが、ややあって答えた。
「……そうか」
ああ、今日の夜食は何にしようか。もっと、お腹が満たされるものの方がいいだろうか。消化のことを考えて、胃に優しいものにするべきだろうか。
頭の中でレシピを思い浮かべながら、セシリアはにっこりと微笑んだ。
「今日の夜食も楽しみにしていてくださいね!」
「……うん」
そうして彼女は、もう必要ないであろうくしゃくしゃになった封筒をアルフォンスに渡し、市場へと買い出しに向かうのだった。
◇
セシリアが去った後の訓練場。騎士たちは、ひそひそと声を交わし始めた。
「なあ、見たかよ、今の団長」
「うん、見た。俺、あんな笑顔初めて見た」
「お飾りの妻なんて言われてるけどさあ……」
騎士の一人がちらりとアルフォンスを見やった。セシリアは去ったというのに、彼は封筒を手にしたまま、立ち尽くしていた。
彼の口角は上がっている。右側の唇の端が上がっているのは、ご機嫌な時であると騎士団員たちは知っていた。
「ま、そういうことだよなぁ」
騎士たちは口を閉ざし、ただ、その表情を見守っていたのだった。