02.あまりに好条件すぎる提案では?
アルフォンス・グレイブは、グレイブ公爵家の若き当主である。ヴィオレア国で彼を知らない人間はいないだろう。
その眉目秀麗な見た目もまた、彼が有名人たる所以であるが、一番はその『強さ』にある。
グレイブ公爵家は、代々騎士団長を務める家系であった。騎士団長、と言っても基本的にはお飾りの肩書きである。当然、戦場に出るはずもなかった。
……彼が、騎士団長に就任するまでは。
3年前にグレイブ家当主が亡くなってから、アルフォンスはわずか14歳にして、後見人も立てずに公爵家当主と騎士団長の座を継いだ。
(そうして、騎士団長自ら乗り込んでいき、剣を振るい、反乱を平定していった……と)
彼は、たった一人で小軍隊を壊滅させたこともあるという。付いたあだ名は、『戦場の悪魔』である。
(……いやいや、待って。そんなアルフォンス・グレイブが、婚約破棄されたばっかりのド田舎の伯爵令嬢に何の用なんですか!)
セシリアは、額から吹き出す汗が止まらなかった。うっかりすれば、気絶してしまいそうである。
彼を目の前にしただけで、威圧感で押されて足がすくんで動かなくなる。獅子に睨まれた小動物の気持ちだった。
人違いであることを祈ったが、ばっちり『ウィンターズ伯爵令嬢』と呼ばれている。
セシリアは唇を噛んだ。
『まどろっこしいのは嫌いだから、結論から言おう。俺と白い結婚をしてほしい。金は出す』
『……金、ですか!』
セシリアは、パッと顔を上げた。
確認したいことも山ほどあるし、突っ込みたいところも山ほどある。
だが、セシリアは『金』という単語に目を光らせた。
白い結婚云々よりも、そちらに先に意識がいってしまうのは仕方のないことだと言える。
ウィンターズ伯爵家は、先ほどの婚約破棄により没落寸前なのである。
『お金って、ど、どれくらい……?』
『俺が言うのもなんだが、お前、もっと先に聞くべきことがあるだろ……』
そう言いながら、彼が指で提示したのは、ウィンターズ家が持ち直すレベルの金額だった。セシリアはさらに目を輝かせた。
フォーン男爵家の持参金よりも、ずっと条件が良いではないか!
『ええ、もちろん、ええ結婚いたしますとも!』
『気が早い。ちゃんと最後まで聞け』
契約を急ぐ商人のようにそう言えば、提案を持ち掛けてきた男は少し呆れた様子で続けた。
『これは、愛のない結婚だ』
『はい、存じております』
『結婚する理由は、あまりに周囲が煩わしすぎるからだ。具体的に言えば、生活に支障がでるくらい。この前はどこかの令嬢に不法侵入された。あれは、大変だった』
『あー……』
遠い目をするアルフォンスのあまりに整った顔面を見て、セシリアは納得した。
顔が良すぎるというのも考え物である。
『一度結婚してしまえば、再婚のハードルも高くなる。そこで、お前と一度結婚し、別れようという算段だ』
セシリアは頷く。
我が国では、白い結婚を理由にしたとても、一度パートナーと離縁した人間は、結婚はおろか恋人を作ることさえ難しくなる。
通常それはデメリットだが、彼にとってはメリットになるという訳だ。
話を進めていけば、セシリアは王都のグレイブ家の屋敷に住むだけで良いという。
屋敷の管理も、貴族との交流も、全く必要が無いらしい。日中は好きに過ごしてもらっていいとのことだった。
しかも、アルフォンスは数日後から長期の遠征に出かけるという。
旦那のいない屋敷でごろごろ、のびのび。
(あまりに好条件すぎない……!?)
さすがのセシリアも、その待遇に怖くなってくるレベルである。
デメリットとしては、婚歴に傷がつき、再婚が難しくなることくらいだろうが、いずれ田舎の領地に帰るセシリアにはどうでもいいことだった。
『でも、なぜ私……?』
『先ほど、婚約破棄をされていたのを見た』
『……お恥ずかしいところをお見せしました』
目を逸らしたセシリアに構わず、アルフォンスは続ける。
『お前は、泣いたりわめいたりせず、真っ先に持参金の心配をしていただろう。金というわかりやすい契約に乗ってくれる人間の方が好都合なんだ。……絶対に、コイツしかいない、と、そう思った』
『あ、ありがとうございます?』
微妙に褒められていない気もしたが、礼は言っておいた。あまり、悪い気はしなかったのだ。
確かに、こんなとんでもない美形と結婚すれば別れたくないと思う令嬢の方が大半だろう。その点、セシリアは没落回避のことしか頭に無い。
『ちなみに、期間はどれくらいにいたしましょう?』
『1年間だ』
『ええ、いちねん!?』
セシリアは思わず両手で口を覆った。提示された金額的に、せめて3年くらいかと思っていたのだ。
『はぁ、なんだ。お前もずっと結婚しろとかいうクチか?』
『いえ、たった1年で、そんな額が稼げるなんて、日割りしたら凄い金額になるなと思いまして……いやぁ、コスパ……いい……!』
『……そうか』
ホッとしたような顔のアルフォンスは、ずいぶんと恋愛のトラウマが多いのだろう。
もはや、可哀想になってきたセシリアは、安心させるために、こう言った。
『もし、私が──』
セシリアは、彼の左腰に下がっている剣を指さした。
『──貴方に恋でもしてしまった時は、その腰の剣で殺してもらってもいいですよ』
その言葉に、アルフォンスは目を見開いた。
『それじゃあ、公平じゃないな』
彼もまた、自分の剣を見つめながら言った。
『では、俺がお前を愛することがあれば、この剣で俺を殺すといい』
そう言ったアルフォンスは、愉快そうに口角を上げたのだった。
夜会終わりに、『アルフォンス・グレイブと結婚することになった』と言ったセシリアは両親から、夢でも見ているんじゃないかと言われたものの。
書面上にさらさらとサインをし、2人は無事に『白い結婚』を結んだのだった。