11.揚げたポテトと上がる花火と-01-
「エリオプス王都制定記念日の祭り?」
「そうですよね、奥様は初めてですもんね」
メイドのマリーがにっこりと笑った。
ここ、エリオプスでは、王都制定の日を記念して毎年祭りが開かれているという。セシリアは、ここ数日、市場の顔なじみの店主たちが慌ただしそうにしていたことを思い出す。
(……でも、良かった。それに合わせた舞踏会なんて開催されなくて)
ヴィオレア国の貴族たちは、何かにかこつけて、すぐにパーティーを開きたがる。
幸いなことに、今回は貴族が集まる、と言った話も無かったため、セシリアはほっと一息ついたのだった。
社交パーティーだけは、もうこりごりである。あまりにトラウマが多すぎる。
「お祭りは、夜も開催されるんですよ! 花火が打ちあがって綺麗なんです!」
「へぇ、私、花火なんて見たことないから楽しみだわ」
「公爵邸の二階から見られますよ!」
近年、王都では式典や祭りの際に、火薬を用いた花火なるものを打ち上げるらしい、と聞いたことがある。ド田舎の領地に帰る前に、貴重なものが見られそうで良かった。
「せっかくなので、お昼間、出店を回ってみたらどうでしょうか!」
「そうね!買い物ついでに見てみるかな」
セシリアは、今日は市場に買い物に行くつもりだった。昨日の夜食の際に、アルフォンスの許可もばっちり取っているため、外に出ることは問題ない。
セシリアが王都を去る日も近いのだ。
せっかくなので散策してみようと、いつものように白いローブを掴み、セシリアは屋敷を飛び出した。
◇
街は普段とは全く違う活気に包まれていた。
家々には、王国の紋章が描かれた旗が掲げられており、大通りにはヴィオレア国の象徴である紫色のガーランドが張り巡らせている。
いつもセシリアが赴いている市場に続く通りには、無数の屋台が軒を連ねている。
(わ、いい香り……!)
どこからか甘い果実酒の香りが風に乗って漂ってくる。セシリアの周りは、花冠を被った子どもたちが笑いながら駆け抜けていった。
浮き立ったような市場の雰囲気に、セシリアも胸が高鳴った。
「ちょいちょい、セシリア様」
「……あれ、肉屋のおばさま!」
連なった出店の一角から、鋭くこちらを見つけたのは、セシリアが毎日のようにお世話になっている肉屋の店主だった。
だが、彼女の店に並んでいるのは、肉……ではなく、色とりどりのアクセサリーである。
セシリアは、彼女に近寄っていった。
「あれ、今日は、肉は売ってないんですね……?」
「ああ、こっちは副業だよ。肉と違って、在庫管理がしやすいから最高だよ。こういう日にがっちり稼いどかないとねぇ!」
「……はは」
素晴らしい商売魂である。
セシリアは木製のテーブルに並んでいる商品をじっと見つめた。令嬢にしては、アクセサリーやドレスに特段興味がないセシリアではあるが、キラキラと輝くそれらを見ていると心が弾んだ。
「どうですか、おひとつ。人工石ですから、お安いですよ」
「うん、確かに可愛い……」
セシリアは、一つのブローチを手に取った。
──中央に、深い緑色に輝く宝石のついたブローチだった。
周囲は、銀色の装飾に囲まれており、まるで花のように見える。
太陽の光を浴びて輝くそれを見つめていると、なんだか胸の奥が温かくなっていくような感覚が広がっていく。
「……これは」
「人工エメラルドですね」
「凄く綺麗……! これをいただきます」
セシリアがそう言うと、なぜか店主は少しだけ顔を赤らめた。両手で頬を押さえ、セシリアのことをじっと見つめる。
「あらぁ、あらあらあら……!」
「……?」
(何かおかしいこと、した?)
店主の行動の意味が分からず、セシリアは首を傾げ、会計を済ませる。人工エメラルドだから、確かに手ごろな価格だった。
「そういえば、セシリア様。この後、騎士団のパレードがあるんですよ!」
「そうなんですか」
「ん、もう。旦那様の晴れ姿、見なくてどうするんですか!」
セシリアは、なぜかドキリと心臓が跳ねた。アルフォンスが自分の旦那であることは、客観的に見ても事実であるはずなのに、こうやって話されると、むずむずと落ち着かない気持ちになる。
「よろしければ、見て行かれては?」
「ええ、もちろん」
セシリアは、さっそくブローチを付けて、パレードが行われる大通りまで向かうのだった。
◇
先ほどセシリアが買い物をした通りの一本奥に大通りはある。セシリアが到着した時には、すでに大勢の人で埋め尽くされていた。
セシリアは、少し乗り遅れてしまったらしい。
シナモンがたっぷり入ったぶどうジュースを悠長に買っていたからである。ずいぶんと温かくはなったが、風が吹くと肌寒い。こんな日は、ホットジュースが染みわたるのだ。
「わあ、始まった……!」
大通りに、太鼓とトランペットの音が響いた。その音楽に合わせて、黒い制服の集団がざっざっと音を立てて歩みを進めていく。
人の合間から背伸びをしてみれば、騎士団本部にお邪魔した時に見かけた顔が目に入った。セシリアが会った時は、ずいぶんとラフだった彼らだが、街の人々に敬礼をしながら進むその姿は、威厳に満ちていた。
「ねえ、アルフォンス様が来るわよ!」
「……団長、かっこいいわよねぇ」
ふと、セシリアの前にいた貴族らしき令嬢が声を上げた。反射的に、セシリアはフードを目元まで下げる。
パレードの中心で、ひと際目を引いていたのが、騎士団長アルフォンス・グレイブだった。黒馬に乗った彼は、いつもの軍服に、紫色と金色の肩章を付けている。彼の表情は、硬く引き締まり、ただ前だけを見つめている。
「でも、アルフォンス様って、結婚してしまっているし……」
「なんだかうまくいっていないって噂よ。別れたら、絶対アタックするわ! 私!」
「ええ、でも、ちょっと怖くない?」
令嬢たちの声を聞き流しながら、セシリアは、アルフォンスを見上げた。綺麗な横顔だった。相変わらず、彼の目線は、ずっと前だけを見つめ続けている。
なんだか、彼とセシリアの間には、大きな壁が隔たっている気がした。
まるで、舞台を見ているかのようだ。
(なんだか、遠い、な……)
今のセシリアの一番近くにいる人物のはずなのに、アルフォンスはこんなにも遠い。
それもそうだ。アルフォンスとセシリアは、もともと住む世界が違う。
(私は、何か勘違いしていたのかもしれない)
自分がアルフォンスのことを少し知っているからって、優越感に浸っていた。けれど、アルフォンスの人生の舞台には、セシリアはきっと出てこない。
脇役ですらない、ひょっとすると、通行人ですらないかもしれない。きっと、ただの観客である。
セシリアは、先ほど付けたブローチをぎゅっと握りしめた。
(だって、私は旦那様に、名前を呼ばれたことすら、無い……)
当たり前のことなのに、だんだんと、苦しくて、泣きそうな気持ちになってくる。自分が惨めで仕方がない。
セシリアはブローチを握りこむ手をさらに強くした。
王都を挙げての祭りとなるならば、騎士団長の彼は当然忙しいだろう。今日は夜食もいらないか。
なぜか、セシリアはパレードを最後まで見ることができず、逃げるように屋敷に戻った。




