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01.真実の愛なんてないですよね



 

 深夜2時。がちゃりと屋敷の扉が開き、大きな人影が入ってくる。

 

 真っ黒な軍服だからか、汚れは目立たない。

 だが、纏う雰囲気だけで、全身が血まみれであることがわかる。

 白い頬にも真っ赤な血が付いているが、それは彼のものではない。

 

 ────すべて、返り血である。

 

 その姿を見てしまったセシリアは、思わず硬直した。

 

(こっわ。こわこわ。絶対話しかけないでおこう……まあ、話すこともないんだけど……)

 

 セシリアは、先ほど焼き上げたキッシュを自分の部屋に運んでいるところだった。


 掃除の行き届いた広い屋敷に一つ文句を付けるとしたら、台所から自室に行くために玄関を経由しなければならない、この構造だろう。

 

「おかえりなさいませ。旦那様。それでは、おやすみなさい」

 

 手にキッシュを持ったまま、セシリアは礼をした。

 特に会話をすることもなく、彼女は上機嫌で自室へ戻る。どうせ()()()はセシリアがどんな行動をとろうと気にも留めないのである。 

 

 彼にとってセシリアは、道端を歩いているアリと同じなのだ。


 セシリアの足取りは軽い。

 

(にしても、今日はよく焼けたんだよなぁ……)

「おい」

(料理長のシュミットさんに今日のあまりの野菜分けてもらって、本当に良かったわぁ。おかげで具材たっぷりだし)

「なぁ」

(いい香りぃ……深夜に食べるこの背徳感が堪らないんだよね……!)

 

「おい!」

「はいぃ!?」

 

 唐突な大声に、セシリアの肩はビクンと跳ねる。

 ぎぎぎ、と壊れた機械人形のように首を回せば、怖い顔をした男が目に入った。

 

 驚くほど綺麗な顔であるが、人を殺しそうな表情のせいで台無しである。

 

「だ、旦那様。私などにどういったご用でしょうか」

「それは何だ」

 

 男は、セシリアの手にあるキッシュを指さした。まさか、勝手に台所を使ったことを怒られるのかとセシリアは身構えた。

 

「それは何だ、と聞いているんだ」

「……焼きたてのキッシュです」

「…………」

 

(ついに殺される、首をねられる……おかしいと思ったんだもの、こんなうまい話があるわけないって!)

 

 せめて殺すならば、この上出来のキッシュを食べてからにしてほしい。あ、それと田舎の領地で帰りを待っている両親と7人の兄弟たちに遺書も残したい。あ、それとそれと、どうせ死ぬなら婚約破棄をしてきた男爵家の次男に一筆恨み言を書きたい。

 

 ……果たして、そんな時間あるんだろうか。

 結構図太いことを考えながら、セシリアは男が剣を抜くのを待った。

 

 しかし、一向に待ってもセシリアの首が飛ぶことはなく、代わりにこんな言葉が降ってきた。

 

「……腹が、減った」

「えっ」

 

 セシリアは、目の前の男をまじまじと見つめた。

 キラキラと輝く金色の髪、エメラルドをはめ込んだかのような瞳、思わず拝みたくなるようなご尊顔。……そして、そこに付随するのは、血まみれの軍服と人を殺しそうな顔である。


 申し訳ないが、彼と『食事』という行為が結びつかない。

  セシリアは首をすくめた。

 

 だがしかし、人を殺しそうな表情は、よく見れば空腹時に不機嫌になる下の兄弟に似ている気もする。

  実家の台所の前で、『ねぇ、姉ちゃん晩ご飯まだぁ?』と駄々をこねる下の子たちの姿が思い浮かんで、セシリアは頬が緩んだ。


 当然ながら彼も人間である。血まみれになるほど体を動かした後に何も食べないというのは辛いだろう。

 

「えーっと、食べますか?」

 

 思わず、セシリアは、手に持ったキッシュを差し出してしまった。

 ああ、白い結婚に、こんな善意は必要ないだろうに。

 

 セシリアは自分が長女であることを少しだけ恨んだ。

 

 ◇

 

 白い結婚。


 我が国では、夜の関係を持たなかったことを理由に、教会に結婚の破棄を申し立てることができる。まあ、つまり、愛の無い結婚は無効にできる。


 それを契約として持ちかけられたのは、とある夜会でのことだった。



 貴族社会が支配する、芸術の国──ヴィオレアでは、年に一度、国中の貴族が参加必須の夜会が開催される。

 

 貴族たちはワインを片手に、『今度の舞踏会がどう』だの『詩の朗読会がこう』だの、わいわいと談笑している。そんな中、セシリア・ウィンターズはホールの端で絶体絶命のピンチを迎えていた。

 

『セシリア・ウィンターズ伯爵令嬢、お前との婚約を破棄する!』

『……えっ。えぇーっ!』

 

 唐突にそう告げてきたのは、セシリアの婚約者であったユリウス・フォーンである。

 男爵家の次男である彼とは、1年前に両家で合意し、婚約式の準備を進めているところだった。

 

 セシリアは驚きのあまり、はしたなくも大声を上げてしまった。そのせいで、周囲の貴族からの視線が痛い。

 

『俺は、アリア・ロンチェスター子爵令嬢と真実の愛を育むことにした……っ!』

 

 ユリウスの横には、ぴったりと腕を組む女性がいた。

 

 緩く巻いた髪は今っぽくアレンジされており、ドレスも最近王都エリオプスで流行っている型だった。腰元のリボンが編み上げになっており可愛らしい。

 

 一方、セシリアの着ているドレスは母のおさがりである。ドレープが美しいドレスではあるが、時代遅れ感は否めない。髪も自分でまとめ上げただけである。

 

『というわけだ。セシリア、婚約破棄を────』

『ま、待ってください!』

 

 セシリアは叫んだ。


 ユリウスという男には、愛情なんてこれっぽちもない。だが、この婚約、もとい結婚は、セシリアにとって死活問題なのである。

 

『持参金は!?』

『は? 持参金? なんでたった今、婚約破棄した人間に金なんて払わなきゃならないんだ』

『……ああ、ど、どうしようぉおお』

 

 フォーン男爵家とウィンターズ伯爵家は、本来家柄としては釣り合っていない。


 この婚姻は家の格を上げたいフォーン男爵家と貧乏で没落寸前のウィンターズ伯爵家の利害の一致から生まれたものである。


 男爵家次男のユリウスは、爵位を継ぐことができない。そのため、彼は司法官を目指していた。婿入りし、ウィンターズの姓を名乗ることで、司法官として格段に出世しやすくなる。 


 伯爵家とのパイプができる男爵家だけではなく、ユリウス本人にとっても、良いことずくめの婚約のはずだった。

 

(それが、なんだって? 婚約破棄?)

 

 フォーン家の持参金が無いと、ウィンターズ伯爵家は没落する。間違いなく。

 おいそれと、『真実の愛』ごときで婚約破棄してもらったら困る。

 

『私はお飾りになっても構いません。ですから、どうか婚約破棄だけは……!』

『アリアは子爵令嬢だ。多少家の格もあげられる。両親も納得してくれたよ』

『いやいや、待って。そんな……!』

 

 クスクスと周囲の笑い声が聞こえる。この調子ならば、この会場のどこかにいる両親の耳に入るのも時間の問題だろう。

 

『じゃ、じゃあ、慰謝料はいただけるんですよね』

『婚約式前の婚約破棄については、慰謝料は発生しない。ウィンターズ伯爵家が突きつけてきた条件だろう』

『あ、あぁ……! そうだったぁ……!』

 

 それは結婚に気が進まなくなった時のために、セシリアの両親が組み込んでくれた条件だった。


 正式な婚約をするまで1年間の猶予期間を設定し、その間にセシリアはユリウスとデートを重ねていたのだ。


 当時は、『何かトラブルがあっても、痛手を負わずに婚約破棄できてラッキー』と思っていたのだが、こんな形で返ってくるなんて思いもしなかった。しかも、1年を迎える直前で。

 

『終わった。私の人生……終わった、ウィンターズ伯爵家。ごめんね、領民のみんな……ごめんねお父様、お母様……』

 

 去っていくユリウスとアリアの背中を見つめながら、セシリアは、ぼんやりとこれからのことを考えていた。

 

 領地を売って没落貴族になったとして、きっとセシリアを雇ってくれる場所なんてない。

 

 一家離散。借金地獄。

 そんな単語が脳裏にちらついた。


(両親にも、下の7人の兄弟たちに迷惑をかけるわけにはいかないもんなぁ)


 セシリアは、ふらふらとバルコニーに出る。人目の少ないそこは、傷心中のセシリアの心を落ち着けるにはちょうど良い。


 バルコニーの手すりに体重をかけ、ぼーっと景色を眺める。

 ふと、空を見上げれば、燦然さんぜんと星が輝いていた。

 

『真実の愛、ねえ……』

 

 昔は、愛のある結婚に憧れたこともあった。素敵な恋をして、ロマンチックなプロポーズをされて、結婚式では永遠の愛を誓って。


 けれど、セシリアも19歳。

 世の中がそんなに甘くないことは、なんとかユリウスとの婚約に漕ぎ付けたのにも関わらず、あっさりと婚約破棄をされた、セシリア自身が一番良く知っていた。

 

『そんなもの、あるのかな……』

 

『──お前、ウィンターズ伯爵令嬢だな』

 

 独り言を遮ってきた低い声に、びくりと体が震えた。


 ふと声の方を見たセシリアは、返事をする前に全身が固まってしまった。

 

 サラサラした艶やかな金色の髪に、エメラルドグリーンの瞳。

 月夜を背景に立つ彼は、神がありとある英知を集合させて作ったと言われてれも、信じてしまいそうな美形である。


 夜空に輝く星のように、キラキラと輝きを放っている彼は、セシリアよりも2歳下の17歳であるというのにも関わらず、堂々とした佇まいで、こちらを向いている。

 

『ご、ご機嫌麗しゅう、アルフォンス・グレイブ公爵閣下……!』

 

 上擦った声で、セシリアは挨拶をする。

 目の前の男は、頭を下げるセシリアを冷たい目で見下ろしていた。




本日より、【『白い結婚』の旦那様と紡ぐ、最後の一か月】長編バージョンを連載いたします。

中編をお読みいただいた皆さまのおかげです!

追加エピソードも、たくさん加えておりますので、ぜひブックマークをして読んでいただけると嬉しいです。

応援のほどよろしくお願いいたします。

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