第六章 双六だいすき
ある晴れた日の仕事中に、藤棚の右大将を呼んでくるようにと帝からいいつかった摩利の蔵人は、内裏を出て侍たちの訓練場へと向かっていた。
訓練中はなかなかその場を離れたがらない藤棚の右大将をすんなり連れて行けるだろうか。そんなことを考えているうちに訓練場に着いた。
勇ましく槍を振るう侍たちに号令を出している藤棚の右大将に、摩利の蔵人は大声で呼びかける。
「藤棚の右大将、帝がお呼びです」
それを聞いて、藤棚の右大将は右手を挙げて侍たちに止まるよう号令を出す。
「おまえたちも疲れたでしょう。
私が戻ってくるまで休憩するように」
どこまでも響いていくような大声でそう言われた侍たちは、声を合わせて返事をし、めいめいその場に足を崩して座り込み、おしゃべりをはじめている。
侍たちの緊張が解けたのを確認した藤棚の右大将は、摩利の蔵人の方を向いて駆け寄ってくる。
「では、行きましょうか」
摩利の蔵人は一礼をして藤棚の右大将を内裏へと連れて行く。
帝の元へと向かう道中、なにやら藤棚の右大将のようすが普段と違うことに気づいた。
時折道を間違えそうになったり、時々目を閉じたりと、なにやらぼんやりしているのだ。
それを見て取った摩利の蔵人は、足を止めて藤棚の右大将に言う。
「藤棚の右大将、具合が悪いようでしたら今日の訓練はあそこまでにして、もうお休みになった方がよろしいのでは」
すると、藤棚の右大将は大きくあくびをして、目をこすりながらこう答えた。
「具合は悪くないのです。
ただ、ひたすらに眠くて」
「はぁ……」
このところだいぶ暑くなってきたし、暑さでやられて寝苦しかったのだろうか。
それにしても寝不足だと体調不良につながるなと思った摩利の蔵人は、藤棚の右大将に詳しく話を聞く。
すると、藤棚の右大将うとうとしながらこう答えた。
「実は昨夜、妻の所に行っていまして」
「ああ、なるほど」
それなら寝不足なのも無理はないし、なんなら疲れも残っているだろう。
「それですと、今日はお疲れでしょう。
最近暑くて寝苦しいですし、なおのこと」
なにかを察した摩利の蔵人がそう言うと、藤棚の右大将は、あくびをしてから言葉を返す。
「寝苦しいのはよくわからないのですが、昨夜はついつい妻と徹夜で双六をしてしまって、それで眠いんですよね」
「妻の所に行かれたのでしたら他にやることがあるのでは?」
思っていたのと違う理由が返ってきて、思わず摩利の蔵人がそう言ってしまうと、藤棚の右大将は不思議そうな顔をして言う。
「双六以外の……やること……とは?」
「そうですねぇ……」
そういえば、藤棚の右大将は妻を娶ってからずいぶん経つのに、いまだに子供ができたという話を聞かない。
妻と一緒にいて双六以外にやることが思いつかないとなれば、子供がいないのもそれはそう。と摩利の蔵人は妙に納得してしまった。
どう返したらいいものかわからず言葉を濁したまま、帝の元へとついた。
摩利の蔵人が几帳をめくり、藤棚の右大将が膝をついて帝の元へと進み寄る。
だが、よほどぼんやりしていたのだろう、途中で袍の裾を踏んだのか転んでしまっていた。
大丈夫だろうかと思いながら摩利の蔵人も膝をついて帝の元へと進むと、帝は藤棚の右大将を咎めることもなくころころと笑っている。
「どうしたのですか、藤棚の右大将。ずいぶんとしょぼくれた顔をしていますけれど。
男前が台無しですよ」
その言葉に、藤棚の右大将は焦ったようにこう答える。
「実は、昨夜は妻の所に行っていて寝ていないのです。
不躾な所をお見せしたこと、お許しください」
藤棚の右大将の返答に、帝は身を乗り出して興味深そうだ。
「なるほど、妻の元へ通っていたのですね。
それですと、昨夜はお楽しみでしたでしょう。しかたないですね」
たぶん、帝が想像していることとは違ったことを藤棚の右大将はやっていたのだけれども、それはわざわざ言わなくてもいいだろう。そう思った摩利の蔵人がすました顔で見守っていると、新の蔵人があきれた声で藤棚の右大将に言う。
「右大将、また双六をなさってましたね」
藤棚の右大将が図星をつかれた顔をする。
「いや、あの、まあ」
しどろもどろになる藤棚の右大将に、新の蔵人はさらにたたみかける。
「しかも、そのようすですと徹夜で」
さすがに新の蔵人はなんでもお見通しだなと摩利の蔵人が感心するようなこわいような心地でそのようすを見ていると、帝が困ったように笑ってこう言った。
「藤棚の右大将、妻と会ったら他にすることがあるでしょう」
それはそう。けれども藤棚の右大将は、妻とふたりですることといったら、双六以外になにも知らないようなのだ。
それでも、双六以外になにをやるのかわからないということを悟られたくないのか、藤棚の右大将は口をとがらせてこう答える。
「その、私は歌を詠むのが苦手で」
きっと、夫婦ともなれば歌の詠みあいでもするのが当然なのかもしれないと藤棚の右大将は考えたのかそう言ったけれども、それはそれで藤棚の右大将以外の全員が、そうじゃないんだよなぁ。という顔をする。
帝がため息をついて藤棚の右大将に言う。
「今度、宿直の時に私の所に来なさい。
あなたには教えなくてはいけないことがあるようです」
「はい、恐縮です。かしこまりました」
なにを教えるつもりなのか、摩利の蔵人はもちろん新の蔵人も内侍司も察したようだけれども、今回ばかりはなにも口を出さない。藤棚の右大将を、遊ぶことが好きな体の大きい子供のままでいさせるわけにもいかないと思っているのだろう。
帝と藤棚の右大将が言葉を切ったところで、新の蔵人が藤棚の右大将に言葉をかける。
「いいですか右大将。
きちんと仕事をこなさないと双六をするために生活もできなくなるのですよ。
ですから、昼間はきちんと仕事ができるように、双六をした後でもちゃんと寝てください」
「あい……」
新の蔵人の言い分はもっともだと思ったのか、藤棚の右大将がしおしおと頷く。
そんな藤棚の右大将に、帝がにこにこと笑って話しかける。
「でも、今度の宿直の時は寝かしませんからね」
「いえ、寝かせてあげてください」
そのときが楽しみといったようすの帝に、新の蔵人がすかさず釘を刺す。一方の藤棚の右大将は、宿直の時になにを教えられるのかまったく見当がついていないようだ。
このままでは帝が藤棚の右大将を呼んだ本来の用件がうやむやになる。そのことに気づいた摩利の蔵人がさっと内侍司に目配せをすると、内侍司は目礼を返して書面を読み上げる。
「ときに、藤棚の右大将。侍たちの訓練は順調でしょうか。
訓練がどのようなようすか、帝が確認したいとの仰せです」
それを聞いて、藤棚の右大将はもちろん、なぜか帝と新の蔵人もはっとした。
案の定、用件を忘れかけていたな。摩利の蔵人はそう思ったけれども、無事に用件を伝えられたので藤棚の右大将の返答を黙って待つ。
藤棚の右大将は表情を引き締めて頭を下げ、帝に奏上する。
「訓練のようすはいつご覧になられても大丈夫なよう、毎日手を抜かずに行っております。
ぜひ帝のご都合がよろしいときにおいでください。
そうすれば、侍たちの士気も一段と上がるでしょう」
藤棚の右大将の言葉に、帝は内侍司と摩利の蔵人に言う。
「でしたら、訓練を見に行く準備をしておきましょう。よろしく頼みましたよ」
内侍司と摩利の蔵人は、かしこまりました。と返事をして礼をする。
帝が侍たちの訓練を見に行くとなれば、それなりの準備を内侍司と蔵人側でやらなくてはならない。どれくらいで準備を終えることができるだろうかと思うと同時に、体は大きいのに子供っぽい藤棚の右大将も、あれはあれできちんと仕事はしているのだなと、摩利の蔵人は妙に感心する。
藤棚の右大将が退出する間際、帝の目の前で大きなあくびをしてしまい、あわてて口元を隠しているのを見た摩利の蔵人は、あれだけそそっかしくても実力があるから右大将なのだよなぁ。と自分を納得させた。




