第四十七章 新しい内侍司
「このところ、冷え込むようになりましたね」
冬にさしかかったある日、摩利の蔵人がいつものように参内して帝の元に行くなり、帝がため息交じりにそう言った。
「そうですね。内侍司の体調も優れないようですし」
冷たい風が几帳をめくる。白い息を吐きながら、摩利の蔵人はもうふた月ほど参内していない内侍司に思いを馳せる。
ふた月ほど前、あれは藤棚の右大将から天竺の姫君の話を聞いてから間もない頃、内侍司が体調を崩してしまった。
体がだるくて重いというので、はじめは月のものかと思っていたのだけれども、それとも関係なくだるさと重さが続いたようで、すぐに夫の家で休養するよう帝から命じられていた。
内侍司が家に戻っている間、内侍司の代わりをしていたのは新の蔵人だ。
男に内侍司の代わりをやらせていいのかという疑問はあったけれども、あまりにも急なことだったことと、新の蔵人なら内侍司の仕事を心得ているだろうということで、帝から直々にそうするよう命じられていた。
内侍司の体調が良くなって戻ってくるまでのつなぎならそれでいいだろうと、摩利の蔵人も思っていたのだけれども、つい先日のこと、内侍司から役目を降りさせてほしいという手紙が届いた。手紙の文字は、内侍司が自分で、力を振り絞って書いたというのが伝わってくるほど震えていたのが印象的に残っている。
その願いを帝は聞き入れ、内侍司は役目を解かれることとなった。内侍司が最後に帝から命じられたのは、これより先は体の快癒に専念し、快癒した暁にはおだやかに過ごすようにと言うことだった。
内侍司の安否は心配だけれども、それはそれとして問題がひとつ出てきてしまった。
帝を補佐する新しい内侍司を、一刻も早く任命しなくてはいけないのだ。
そのことに頭を悩ませた摩利の蔵人は、ちらりと周囲を見渡す。いつもなら新の蔵人の方が早く参内しているのに、今日に限って定時になってもまだ来ていない。こういうことを相談するときには、新の蔵人を頼りにしているのに。
新の蔵人も体調を崩して休んでいるのだろうかと思いながら帝に訊ねる。
「帝、新しい内侍司のことですが、早めに決めなくてはなりません。
公達の娘達の中から選ばれますか?」
その問いに、帝はころころと笑ってこう答える。
「実は、次の内侍司にと思っているひとがすでにいるのですよ」
これはさすがに初耳だ。前の内侍司が体調を崩した頃から目星をつけていたのだろうか。
「その方の親に、文をしたためましょうか」
目星がついているなら話が早いと、摩利の蔵人がそう申し出ると、帝は自ら文机の前に座り、墨を摺りはじめた。
「文は私が直々にしたためましょう。
私を補佐する内侍司のことなのですから」
そういうものなのかと思いながら摩利の蔵人が納得したような、不思議なような気持ちになっていると、帝はまたころころと笑う。
「まあ、明日の朝を楽しみにしましょう」
そして帝が手紙を書いた後執務がはじまったのだけれども、摩利の蔵人ひとりで内侍司と蔵人の仕事をやったので、やることが多かった。
そして翌日、摩利の蔵人が参内して帝の元に行くと、今日も新の蔵人の姿はなかった。
いつもの休みにしても、休むという手紙が来ておらず不安になったので、摩利の蔵人は帝にこう訊ねた。
「あの、新の蔵人はまたいつもどおり休みを取っているのでしょうか。
それにしては休みを取るという旨の文が来ていないのですが」
すると、帝はにっこりと笑ってこう答えた。
「そんなに心配しなくとも、もうすぐ来ますよ」
どうやら新の蔵人まで体調を崩したというわけではないようだ。そのことに安心していると、摩利の蔵人の耳に単と唐衣がこすれる、かすかな音が聞こえてきた。
几帳の外から女房の声が聞こえる。
「内侍司をお連れしました」
新の蔵人が来る前に新しい内侍司が来てしまった。
このままでは顔合わせがうまくできないのではないかと不安になりながらも、摩利の蔵人は帝に促されて几帳をめくる。
女房の後ろにいた新しい内侍司は、扇で顔を隠したまま、几帳の中へと入ってくる。
内侍司がいったん手前で座ったので、摩利の蔵人も文机の前に座り直す。すると、内侍司は平伏してから帝に挨拶をした。
「これからよろしくお願いいたします」
「はい。よろしくお願いします。
面を上げてください」
にこにこと笑っている帝の言葉に、内侍司は起き上がり、扇を膝の上に置く。その内侍司の顔を見て、摩利の蔵人は目を疑った。
「え? 新の蔵人ですか?」
そう、新しい内侍司の顔は、どうみても新の蔵人と同じものなのだ。けれども、それにしては髪は結うほどに長い。新の蔵人にそっくりな別人なのだろうか。
摩利の蔵人が状況を飲み込めずおろおろしていると、新しい内侍司は澄ました声で帝にこう言った。
「帝、摩利の蔵人に説明していないのですか?」
ますますどういうことなのかわからない。
摩利の蔵人が助けを求めるように帝の方を見ると、帝はいつものようにころころと笑ってこう答えた。
「すこしばかり摩利の蔵人を驚かせたかったので、黙っていました。
摩利の蔵人が言うとおり、その内侍司は新の蔵人ですよ。髪は付け毛を用意させました。
彼女には、今日から内侍司として仕えてもらいます」
「いや、え? あの、新の蔵人は男では?」
そう。蔵人という地位には男でなくてはなれない。だから、摩利の蔵人は新の蔵人が男だと疑っていなかったのだ。
混乱する摩利の蔵人に、帝は穏やかな声でこう説明する。
「だいぶ前に聞かされたのですが、新の蔵人は深い理由があって、今まで男として振る舞っていたのです。
ですが、今は男として振る舞う必要がなくなったので、いい機会ですし内侍司になってもらうことにしました」
それを聞いて、摩利の蔵人は文机に突っ伏す。新の蔵人がいままで、月に数日休みを取っていた理由はわかったけれども、どうして今まで新の蔵人が女だと見抜けなかったのか。
大臣大饗の時に徳利の紐でこすれて赤くなった手を見たときとか、まつげが思いのほか長いことに気づいたときとか、女だと思うような瞬間はいくつもあったのに気づかなかったのは、さすがに間抜けにもほどがある。
状況をうまく受け入れ切れていない摩利の蔵人をよそに、新の蔵人改め新の内侍司は帝にこう訊ねる。
「ところで、私が内侍司になったのはいいのですが、側に置く蔵人をどうしますか。
摩利の蔵人ひとりでは足りないでしょう」
その問いに、帝は斜め上を見てこう返す。
「そうですね。新しく蔵人所から選ぶほかないでしょう。
できれば、新の内侍司と、摩利の蔵人と相性のいい人がいいですね」
「かしこまりました。検討いたします」
そのやりとりの後、新の内侍司が扇で軽く摩利の蔵人の頭を叩く。
「摩利の蔵人、いつまで突っ伏しているのですか。
仕事をはじめますよ」
「あっ、はい!」
とりあえず、現実を受け止めるのが少々難しいけれど、仕事をしないわけにはいかない。
摩利の蔵人は顔を上げて、紙と硯を用意する。その傍らで、新の内侍司にこう訊ねた。
「内侍司の仕事の手はずはわかっていますよね?」
その問いに、新の内侍司は涼しい顔で巻物を解きながら返す。
「もちろんです。ここふた月、多少は内侍司の仕事もやりましたし、前の内侍司から日記もあずかっています。大丈夫でしょう」
やはり新の内侍司は頼もしい。摩利の蔵人は思わず安心したけれど、ふと、あることに気づく。
「そう、女として振る舞うなら、今後はなるべく顔を隠すのですよ」
その言葉に、新の内侍司は当然といったようすで返す。
「わかっています。そのための扇ですから」
「わかっているならいいのです。
ですが、今までの癖というのはなかなか抜けないと思うので」
摩利の蔵人の言葉に、新の内侍司はなにか心当たりがあるのか、視線を泳がせてこう言った。
「善処します」
この分だと、顔を隠さずに宮中を歩こうとして女房になにか言われたんだな。と思った摩利の蔵人だった。




