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第四十六章 中将と天狗

 秋も深まったある日のこと。うららかな小春日和で過ごしやすく、外に見える紅葉もうつくしいので、仕事が終わった後の時間は几帳をどけてゆったりと過ごしていた。

 外の紅葉を見ている帝はどこかぼんやりとしていて、もしかしたら日頃の疲れが出ているのかもしれない。

 帝の側に控えている摩利の蔵人と新の蔵人は、それぞれに餅茶を削ったりお茶を淹れたりして、帝が喉を渇かさないように気を配っていた。

 お茶を淹れるのは内侍司がうまいのだけれど、あいにく内侍司は体調不良でここひと月ほど休みを取っているので、蔵人たちでなんとかやるほかない。

 お茶を注いだ器を新の蔵人が帝に差し出すと、帝はそっと器を手に取ってお茶に口をつける。お茶の渋い香りを風がかすかに広げていく。

 摩利の蔵人もいったん餅茶を削る手を止め、外を見る。今年もなんだかんだでいろいろなことが起こっている。だからたまには、こんなふうにのどかでたわいのない一日があってもいい気がした。

 お茶を飲みながらくつろいでいる帝に目をやると、いつも通りに穏やかな表情をしている。やはり、帝のこの表情を見ると安心できる。

 ふと、勢いづいた足音が聞こえてきた。

 なにかと思って廊下の方を見ると、ただならぬようすの勝鬨の左大将が走り去っていった。

 いったい何があったのだろう。廊下の方に注意を払いながら摩利の蔵人と新の蔵人で目配せをしていると、また足音が聞こえてきて、今度は藤棚の右大将が走ってきた。

 摩利の蔵人がすかさず声をかける。

「右大将、なにがあったのですか」

 鋭い声でそう言うと、藤棚の右大将は摩利の蔵人と新の蔵人、それに帝の顔を見てからこう返した。

「話すより来てもらった方が早いです」

 藤棚の右大将も緊迫したようすだ。

 これはきっとまた、よからぬことが起こったに違いない。そう直感した摩利の蔵人は、帝の身の安全を守っているようにと新の蔵人に声かけをしてから、藤棚の右大将のあとを走ってついて行った。


 藤棚の右大将がたどり着いた先は、陰陽寮の近く。なにか光るものが目に入ったのでそちらを見ると、椿の中将が肩を上下させながら刀を抜いていた。

 不届き者はどこにいるのか。隠れているのだろうか。そう思いながら摩利の蔵人が周囲を見渡すと、椿の中将からすこし離れた場所に、勝鬨の左大将にしがみついている晴明がいるのが見えた。

 晴明も不届き者に狙われたのだろうかと声をかけようとすると、勝鬨の左大将が晴明の背中をやさしく叩きながらこう訊ねている。

「晴明殿、天狗が現れたというのはほんとうですか?」

 その問いに、晴明が答える。

「ほんとうだよぉ……

椿の中将がズバッて刀を抜いたら、天狗がバサッて飛んでどっか行ったのよぉ……」

 横からその話を聞いていた摩利の蔵人は、また椿の中将を見る。椿の中将は周囲をぐるりと見渡してから空も見渡し、刀を納めて肩を落ち着かせる。

 それから、晴明の方を振り向いて微笑んだ。

「どうやら天狗は退散したようです。

もう大丈夫ですよ」

 優しい声色で椿の中将がそう言っても、晴明はまだ怯えている。その様子を見て、摩利の蔵人は椿の中将に声をかけた。

「椿の中将、天狗が現れたとのことですが、どのような天狗だったのですか?

晴明殿がこんなに怖がるほど、おそろしい姿や振る舞いだったのでしょうか」

 その問いに、椿の中将は親指の爪を噛みながら答える。

「そうですね。私からすればそこまで恐ろしい姿ではなかったのですが、烏帽子も被らず、見たこともない服を着ていて、しかも大きな黒い翼を背負っていたともなれば、恐ろしいと思う人もいるでしょう」

 ふと、椿の中将が地面に目をやってなにかを拾い、摩利の蔵人に見せる。

「これは天狗が落としていった羽でしょう。

これだけ大きな翼を背負っていたのです」

 椿の中将が持っている羽は、烏のように黒く、椿の中将の一の腕よりも長く、天狗の恐ろしい姿を思い起こさせるようだった。

 思わず身震いをしていると、椿の中将が殺気立った表情でこう続ける。

「あの天狗はきっと、私の体を乗っ取るつもりだったのです。

あの鳩の血のように赤い目で、じっと私のことを見ていたのですから」

「天狗が、椿の中将を……ですか?」

 椿の中将が言っていることがほんとうだとしたらとんでもないことだ。椿の中将の体を乗っ取ってしまえば、天狗も易々と帝に近づけるだろう。帝の身の安全が脅かされるのはもちろん、源氏の太政大臣やそれ以外の人々にまで災いがあるかもしれない。

 摩利の蔵人がそう不安に思っていると、椿の中将が晴明の方をまた見て言う。

「晴明殿が、大きな鳥がいると言って天狗のことを教えてくれなければ、今頃どうなっていたことやら……」

 天狗の第一発見者は晴明だったのかと摩利の蔵人が納得している中、当の晴明はまだ勝鬨の左大将にしがみついてあやされている。

 摩利の蔵人も、晴明に慰めの言葉なり褒め言葉なりかけようかと悩んでいると、藤棚の右大将が椿の中将に話しかけた。

「椿の中将、天狗との手合わせはどうでしたか?」

 その問いに、椿の中将は遺憾の意といった表情で返す。

「どうもなにもありません。

なにせあの天狗は臆病者だったらしく、私が刀を抜いただけで逃げていったのですから」

 このようすだと天狗に一矢報いたかったのだな。と摩利の蔵人は理解したが、一方の藤棚の右大将は、いかにも悔しそうな顔をしてこんなことを言う。

「天狗が現れるなんて滅多にないことなのに! 私も手合わせしたかった!」

「いや、手合わせになってませんからね?」

 うっすら微笑んで言葉を返す椿の中将に続き、勝鬨の左大将が藤棚の右大将に言う。

「なにを不謹慎なことを。

下手をすれば帝に災いがあったのかもしれないのですよ」

 それを聞いた藤棚の右大将はしょんぼりしてしまったけれども、それはそれとして椿の中将が、先ほど拾った天狗の羽を摩利の蔵人に手渡してきた。

「天狗が現れたと、帝にお伝えください」

 その言葉に、摩利の蔵人は一礼をしてこう返す。

「でしたら、椿の中将も一緒にいらしてください。今回の功労者ですから」

 椿の中将はすこし驚いた顔をしてから頷き、摩利の蔵人と共に帝の元へと向かった。


「これが、天狗が来た証拠です」

 帝の元に戻った摩利の蔵人は、先ほど椿の中将が拾った天狗の羽を帝に差し出し、天狗が現れた旨を報告した。

 天狗の羽を見て、新の蔵人は明らかに動揺しているし、帝も厳しい表情をしている。

「……なるほど。

それで、天狗は椿の中将が追い払ったのですね」

 帝のその問いに、摩利の蔵人と椿の中将はその通り。と返事を返す。

「でしたら、今回の最大の功労者は椿の中将ですね。褒美を取らせましょう」

 帝はいつも通りの穏やかな笑みを浮かべて袍を脱ぎ、それを椿の中将に賜った。

 袍を受け取った椿の中将は恐縮したように平伏して、お礼の言葉を言う。

 椿の中将の緊張した姿を見てか、帝がころころと笑う。

「そんなに恐縮しないでください。

椿の中将がいなかったら、今頃宮中はどうなっていたことか。

そう、椿の中将に天狗のことを知らせた晴明にも、あとで褒美を出さないといけませんね」

 それから、扇で摩利の蔵人が持っている天狗の羽を指してこう続けた。

「では、摩利の蔵人は天狗の羽を神祇官の元へ」

「かしこまりました」

 命を受けた摩利の蔵人と、下がるように言われた椿の中将のふたりは、揃って帝の前から退出する。

 しばらくたわいもない話をしながら一緒に歩いていたけれども、廊下の分かれ道で摩利の蔵人が立ち止まる。

「では、神祇官の元へ行きますので私はここで」

「はい。それでは」

 和やかな顔をした椿の中将に背を向けると、摩利の蔵人の耳に、かすかに椿の中将の声が入った。

「あの天狗、なぜ私のことを知っていた?」

 それを聞いて咄嗟に振り返ったけれども、椿の中将はすでに廊下の角を曲がっていて姿が見えない。

 あの天狗は、椿の中将を連れ去るつもりだったのではないかと、摩利の蔵人は不安に思った。

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黒い翼の天狗でなぜか†漆黒の堕天使†的なヴィジュアルを想像してしまった…
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