第四十一章 南天の客星
このところは夜明けが早くなって、眠る時間が短くなってきた。まだ眠い目を擦りながら起きた摩利の蔵人は、朝食の準備を待っている間に袍を着て、まだ空で輝いている星に祈りを上げる。
目を閉じて自分を守護する星の名を七回唱えてからまた空を見渡すと、南天の空にひどく明るい星が輝いていた。
あれは明け星だろうか。明け星はあんなに明るい星だっただろうか。
そう思っているうちに朝食の準備が整ったので、摩利の蔵人は台盤の前に座って汁粥を食べた。
いつも通りに参内して、いつも通りの仕事をする。なにも変わらない平穏な時間だ。
巻物を読み上げる内侍司の言葉に帝が答える。それを摩利の蔵人と新の蔵人で書き留めていく。そんな中で、内侍司が手を止めた隙に、帝がこんな話をした。
「ところで、今朝は南天の空にとても明るい星が出ていましたね。
みなさんはあれを見ましたか?」
その問いに、内侍司は次に読み上げる巻物を用意しながら返す。
「はい、見ました。
あの明るい星は明け星なのでしょうか」
摩利の蔵人と新の蔵人も、あの明るい星の話をする。今までに見たこともないくらい明るい星であったと。
「あんな星が見えたら、晴明殿は大喜びでしょうね」
摩利の蔵人がくすくすと笑いながらそう言うと、帝がはっとした顔をしてこう言った。
「そう、晴明と言えば。
あの星がいったいなんの兆しであるのか、陰陽師に占わせましょう。
摩利の蔵人、お願いできますか」
その言葉に、摩利の蔵人もそういえば。と思う。あのような星が出たのだから、なんの兆しなのかを占わせないわけにはいかない。
摩利の蔵人は礼をして返事を返す。
「かしこまりました。
今すぐに陰陽寮へ向かいましょうか?」
「はい。今すぐに」
帝の返事を聞いて、摩利の蔵人はまた礼をして几帳の外へと出て行く。それから、足早に陰陽寮へと向かった。
陰陽寮に着くと、中からなにやらばたばたと足音が聞こえてくる。なにかと思ったら、晴明がごきげんな笑顔で走り回っていた。
「晴明殿、どうしたのですか?」
ちょうど目の前に晴明が来たところで摩利の蔵人が声をかけると、晴明はすぐに立ち止まり、体を上下に動かしながら元気に返事をする。
「あのね! 南天のお星様!」
なるほど、晴明もあの明るい星を見たようだ。あれだけきれいに見える星だったのだから、星を見るのが好きな晴明がはしゃいでこうなってしまうのも無理はないだろう。
とりあえず、晴明もあの星を見ていたのなら話は早い。摩利の蔵人はにっこりと笑ってこう訊ねる。
「晴明殿もあの明るい星を見たのですね。
あれは明け星がひときわ輝いていたのでしょうかね」
すると、晴明は頭を左右に振ってこう答えた。
「あれは明け星じゃないよ」
「そうなのですか?
ではいったいなんの星でしょう」
「知らない」
晴明の言葉に、摩利の蔵人は身を固める。
それから、改めてもう一度こう訊ねる。
「あの、あの星が現れることを晴明殿は知っていたのではないですか?」
晴明は星のことを思い出しているのか、ますますごきげんな笑顔になって答える。
「知らない客星だよ。計算しても出てこなかったもの。
すごいね。急に出てくるお星様ってあるんだね」
嬉しそうに話している晴明とは対照的に、摩利の蔵人は顔から血の気がひいていくのを感じた。
客星というのは突然現れるものだ。けれども、今までどの客星の出現も、晴明はすべて予言してきた。その予言を元に、その都度いろいろと対策を練っていたのだけれども、あの明るい客星のことはその晴明ですら予言できていなかった。それを聞いて平常心でいられるはずがない。
摩利の蔵人はごきげんで上下に体を動かしている晴明の肩を両手でつかんで固い声を出す。
「晴明殿、その話は天文博士にしましたか?」
「お話ししたよ。天文博士のところに行く?」
「今すぐ行きましょう」
軽い足取りで廊下を歩く晴明の後をついて天文博士のところに行くと、なにやら騒ぎ声が聞こえる。
あの客星は何者なのかだとか、晴明でも予言できないのは一大事だとか、そんな声が代わる代わる飛んでくる。
そうなるよなぁ。と思った摩利の蔵人は、中に声をかけてから御簾をめくる。
「天文博士、例の客星なのですが……」
摩利の蔵人がそう声をかけて中をよく見ると、なぜか神祇官の樹良がいた。
陰陽寮に神祇官が来るほどの大事なのかとさすがに驚いていると、天文博士が摩利の蔵人の方を向いて礼をする。
「蔵人殿、あの客星についてはいま陰陽博士や暦博士、漏刻博士とも占っているところなのですが、どうにも難しく……」
続いて、樹良も礼をしてこう続ける。
「陰陽師だけで手に負えないようなら、審神者に神を降ろさせようかと話していたところです」
「そこまで」
摩利の蔵人は思わず呆気にとられる。それから、またじわじわと恐怖がわいてきた。
あの客星はそんなにとんでもないものなのか。吉兆ならばそれでいいけれども、凶兆だったらたいへんなことだ。もしそうであれば、太白が逆に動いたあの時よりも大きな混乱が起こるだろうことが容易に想像できた。
「吉凶がわかりましたら、お伝えいたします」
「とりあえず、帝にはそのように」
あの客星のことでよほど心労がかかっているのだろう。天文博士と樹良がげっそりとした顔で口々にそう言って、摩利の蔵人に礼をする。
そのようすを見ていた晴明が、摩利の蔵人の袖を引いて言う。
「あのお星様のこと、ちゃんと見張ってるからね!」
キリッとした顔でそういう晴明に、摩利の蔵人は、ただ星を見ていたいだけだろうなぁ。とは思ったけれども、頼りにしていますよ。と返して陰陽寮を後にした。
帝の元に戻った摩利の蔵人は、早速陰陽寮でのことをかいつまんで報告する。
あの客星は晴明でも予言できていなかったこと、陰陽師の手に負えなかったら神祇官にも占わせること、吉凶がわかりしだい伝えること、そんなことだ。
報告を聞いた帝は、明らかに表情を曇らせてつぶやく。
「晴明殿でも予言できていなかった客星なのですか……なんということでしょう。
なにかまた、不吉なことが起きなければいいのですが……」
太白が逆向きに動いたときの騒ぎを思い出しているのか、どんどん顔色を悪くしていく帝を励ますように、摩利の蔵人は言う。
「あの客星は、晴明殿が監視しているそうです。
星のことなら、晴明殿に任せておけば安心でしょう」
その言葉を聞いて、帝はすこしだけ微笑む。
「そうですね。星のことは晴明殿に任せておけば安心です」
けれどもその微笑みは強がりなようで、視線は下に落ちている。
どうしたものかと思って新の蔵人の方を見ると、新の蔵人が一度頷いてこう言った。
「吉凶はまだわかりませんが、もしもの時のために、帝と源氏の太政大臣の周りを守りで固めておきましょう。
もし吉兆で取り越し苦労になったとしても、帝や太政大臣の身になにかあるよりははるかにましです」
その言葉に、帝は新の蔵人をじっと見てから口を開く。
「……新の蔵人の言うとおりですね。
ではそのようにはからってください」
摩利の蔵人と新の蔵人、それに内侍司は帝に礼をして、早速警備の打ち合わせをするために勝鬨の左大将、藤棚の右大将、椿の中将の三人を連れてくるために几帳の外へ出る。
藤棚の右大将を呼びに行く道中、摩利の蔵人は藤棚の右大将が狙われたときのことを思い出す。
混乱が起こったとき、命を狙われるのは帝に限ったことではない。そのことをすっかり失念していたことに気づいたのだ。
けれども、それでも一番に守らなくてはいけないのは帝の命だ。
今のうちに、帝の手駒にできる臣下をなるべく多く集めておかなくてはいけない。そう改めて自分に言い聞かせ、内裏の中を歩いて行った。




