第二十八話 五体不具穢
どうしてこういった雑用を押しつけられてしまうのだろう。
そう思いながら摩利の蔵人は、勝鬨の左大将に託された手紙を持って陰陽寮へと向かっていた。
急ぎの用事かつ、他の者に内容が知られるとまずいものらしく、いつも伝達を頼んでいる女房に今回も頼もうとしたら、今日はよりにもよってその女房が宮中を空けているのだという。
そこで、たまたま通りかかった摩利の蔵人が手紙を託されてしまったわけだ。
そんな重要な手紙を託すほど信頼されているというのは素直に誇らしいけれども、それと同時にやることを増やされてしまうのは困るという気持ちもある。なぜなら、蔵人頭という立場にある以上、なるべく帝の用事を優先したいからだ。
とりあえず、帝のところへと少しでも早く戻るためにはこの手紙を陰陽博士に渡してしまわなくてはいけない。早足で陰陽寮に向かい、そろそろ入り口が見えてきたというところで異変があった。
「イヤァァァァァァァ!」
耳をつんざくような悲鳴。
これはいったい何事かと声の方へ走っていくと、そこでは晴明が大声で泣いていた。
「晴明殿、どうなさいました?
また神祇官にいじわるでもされましたか?」
尋常でないようすに慌てた摩利の蔵人がそう訊ねると、晴明はしゃくり上げながら地面を指さす。
「あのね、ここ歩いてたらね、空からあれが降ってきたの」
なにかと思って晴明が指す先を見ると、そこには肉が腐りかけた人の腕が落ちていた。大きさから察するに、おそらく子供のものだろう。
誰かが賀茂川から運んできたのだろうか。そうだとしたらなぜこんなことを? 摩利の蔵人がそう考えていると、晴明がなおも泣きながら摩利の蔵人の袖を掴む。
「ねぇ、あれは穢れなの?
穢れだったらどうしよう。こわいよぉ……」
本来だったらそれを判断する立場の晴明にそう泣きつかれて、摩利の蔵人は袖で晴明の涙を拭ってやりながら返す。
「穢れかどうか私には判断できませんので、陰陽博士に訊くのがいいでしょう」
「ううう……訊いてくる」
摩利の蔵人の言葉に、晴明は逃げるように陰陽寮の中を走って行く。
できれば摩利の蔵人も陰陽博士の元へ行きたかったのだけれども、これが誰かのいたずらだとしたらこれ以上なにかをさせるわけにはいかないし、もし穢れだったとしたらすぐに清めるための手配をしなくてはいけないので、その場でしばらく周囲を伺うことにした。
しばらくその場で周りを伺うことしばらく。怪しい人影は見当たらない。
これがなにかの呪術だったとしたらまずいことだなと思っていると、陰陽寮の廊下からのんびりとした声が聞こえてきた。
「摩利の蔵人、あのね」
どうやら晴明が戻ってきたようだ。顔を見てみるとすっかり泣き止んでいるので、悪い結果ではなかったようだ。
「晴明殿、陰陽博士はなんと?」
その問いに、晴明は安心したようにこう答える。
「あのねぇ、腕だけで五体揃ってないから穢れにはならないって。
よかったねぇ」
「そうですか。それは良かったです」
穢れでも呪術でもないのなら、特に気にとめるほどのことでもない。しかしそれはそれとして、腐った屍肉を宮中に置いておいて厄介な獣が来ても困るので、摩利の蔵人は陰陽寮で下働きをしている下男に、あの子供の腕を片付けるように命じる。
下男は慣れたようすで腕を木の桶に入れ、どこかへと持って行く。おそらく賀茂川か、そうでなければ大内裏の外の路地にでも捨ててくるのだろう。
これで一安心。そう思って一息つくと、なにか大きなものが落ちる音がした。音のした方を見ると、今度は地面に腐りかけた片足が落ちている。
見ていてあまり気持ちの良いものではないなと思いながら、摩利の蔵人が呟く。
「あれひとつならいいですが、五体揃ったらまずいのではないですか?」
それを聞いて、晴明が顔を青くして叫ぶ。
「いやよ! 穢れになっちゃだめよ!」
なるほど、やはり五体揃ったら穢れになるという見解なのか。
摩利の蔵人が納得していると、晴明は泣きそうな声で陰陽寮の他の下男に声をかけている。
「だれか! だれかあれナイナイして!
お願いよ!」
普段人にものを頼むときは、お願いがあるの。と言ってもっと丁寧に頼む晴明が、こんな物言いをするのは珍しい。穢れになることをよほど恐れているのだろう。
晴明がこんな剣幕になったことに驚いたようすの下男が、急いで麻布を持ってやってくる。下男は落ちている足を拾い上げ、麻布でくるんでどこかへと行った。
とりあえず、あの足もなくなったので改めて晴明のようすを見てみると、不安そうな顔で摩利の蔵人の袖を掴んでいる。
「どうしよう、またどこか降ってきて、五体揃って穢れになっちゃったらどうしよう」
それから、今自分で口に出したことがよほどこわかったのか、また声を上げて泣きはじめてしまった。
とりあえず、晴明を落ち着かせないと。そう思った摩利の蔵人は、袖で晴明の顔を拭いながら話しかける。
「そうですね、穢れになってしまっては困ります。
そうならないようにするにはどうしたらいいか、陰陽博士に訊きに行きましょう」
「……うん」
「私も、陰陽博士に用事がありますから。
今度は一緒に行きましょうね」
「うん」
なんとか晴明を落ち着かせ、一緒に陰陽寮の中を歩いて行く。先ほどからの晴明の悲鳴が聞こえていたのだろう、陰陽寮の中では天文生も暦生も陰陽生も問わず、陰陽師たちが何事かとざわめいている。
なんとなく据わりの悪さを感じながら陰陽博士のところまで行き、御簾を上げて中に入る。
「おや、蔵人殿もいらっしゃったのですか」
陰陽博士の言葉に一礼をしてから、摩利の蔵人はそっと勝鬨の左大将から預かった手紙を渡す。陰陽博士は手紙に添えられている黄色い花を見て誰からの手紙か察したのだろう、その場にいる陰陽生の目に付かないよう、すぐに手紙を狩衣の袖の中へと隠した。
「ところで陰陽博士、先ほど晴明殿が人の腕や足が落ちているのを見て取り乱していましたが、陰陽博士はこの出来事をどう見立てておいででしょうか」
手紙を渡しに来たのが目的ではないと言うように摩利の蔵人がそう訊ねると、陰陽博士は軽く頭を下げてこう答えた。
「良い兆しとは言えませんが、いちどきに五体揃わなければ穢れにはなりません。
ですので、屍肉の類いは見つけ次第、賀茂川にでも捨てさせるのが肝要です」
「なるほど。では今後、似たようなことがありましたらそのようにします」
用事を済ませるついでにずいぶんと重要なことを聞いてしまった。これはあとで帝に報告した上で、日記にも書いておかないと。摩利の蔵人がそう考えていると、背後でだれかが忙しなく動いている気配がする。なにかと思って見てみると、晴明が落ち着かないようすで御簾を上げては外を眺めていた。
「晴明殿、まだ不安ですか?」
摩利の蔵人がそう訊ねると、晴明は不安そうに返す。
「まだちょっとこわいよ」
その瞬間、廊下の向こうを大きな鳥が地面をかすめるように飛んでいった。
あの鳥は猛禽の類いで、賀茂川に行ったときなどに、たまにうち捨てられた死体を漁っているところを見かける。
もしかしたらあの鳥が屍肉を運んできたのかもしれないなと思った摩利の蔵人は、陰陽博士に向き直ってこう提言する。
「屍肉を漁る鳥が飛んでいるようです。
あの鳥が屍肉を運んできて落としているのかもしれません。
もしかしたら、宮中の他の場所にも同様に屍肉が落ちているかもしれないので、見回りをお願いできますか?」
摩利の蔵人の言葉に陰陽博士は頷いて、陰陽生たちに宮中を見て回るよう指示を出す。もちろん、屍肉を見つけ次第片付けられるように下男も連れてだ。
そのようすを見ていた晴明が、摩利の蔵人の袖を掴みながら陰陽博士に訊ねる。
「私も行ったほうがいいですか?」
陰陽博士はすこし考える素振りを見せてから、にっこりと笑ってこう答える。
「これは陰陽生の仕事ですから、晴明は来なくて良いですよ。
その代わり、星の動きをしっかりと読んでください」
「はーい」
そのやりとりを聞いて、そう遠くないうちに不吉なことがあるのではないかと摩利の蔵人は不安になった。




