第二十四章 歌の腕前
このところ、年末年始の行事の準備で忙しい。いつもの仕事以外にも宮中を駆け回る摩利の蔵人と新の蔵人のことを心配してか、この日は帝が仕事を休みにして、親しい人々を集めて歌合をしていた。
椿の中将の歌は相変わらす流麗で、聞いているだけで頭の疲れが溶けて消えるようだし、源氏の太政大臣の歌は堅実ながらにもうつくしい言葉運びで、それを聞くと忙しさで乱れていた心が整うようだ。
すばらしい歌を二首聞いたところで、帝が歌を詠む。いつもなら摩利の蔵人が次に来るところだけれども、あいにく疲れていて頭が回っていない。それは新の蔵人も同じだし、かといって、椿の中将や源氏の太政大臣に続けて藤棚の右大将に歌を詠ませるのは荷が重すぎる。きっと帝は、それを察したのだろう。
帝の唇から、いつもの笑い声からは想像もできない落ち着いた声がこぼれる。
うばたまの 夢にいでたる姫君の
衣の匂いはいかがなものか
これを聞いた藤棚の右大将は、すこしだけうつむいて耳を赤くする。もしかしたら、いつか話していた天竺の姫君がまた夢の中まで会いに来ていたのかもしれない。帝も、以前聞いた天竺の姫君というものに興味があるのだろう。話し言葉では催促していないけれども、この歌で話を聞かせろと促している。
帝も困ったものだなと摩利の蔵人が苦笑いしていると、帝がころころと笑って藤棚の右大将に言う。
「さて、次は藤棚の右大将の番ですよ」
これは天竺の姫君の歌を詠むのを期待しているな。摩利の蔵人だけでなく、その場にいるほぼ全員がそう察するなか、藤棚の右大将は難しい顔で考え込んでから口を開く。
雪月花 そのとき想う君のこと
今日のごはんをおしえてください
なんとか一首詠んでしたり顔をする藤棚の右大将に帝が、そうではない。といった顔をする。
しかし、そのようすに藤棚の右大将は気づいていないし、件の天竺の姫君の話は藤棚の右大将にとって、心の中のとても柔らかい部分だろう。軽率に触れていいものではないように摩利の蔵人には感じられた。
同じことを考えたのか、それとも思ったことを言っているだけなのか、椿の中将がにこりと笑って藤棚の右大将に言う。
「いやはや、藤棚の右大将の歌はいつも個性的ですね。私には到底真似できません」
嫌味にも取れる言葉だけれども、椿の中将は何度も頷いて藤棚の右大将の歌を噛みしめているようなので、ほんとうに真似のできない個性だと思っているのだろう。
源氏の太政大臣も頷きながら口を開く。
「たしかに。
藤棚の右大将の歌には深い考えがあるように感じます」
それを聞いた藤棚の右大将が気まずそうな顔をする。それを見て、深く考えずに読んだのだなというのを摩利の蔵人は察した。
ふと、新の蔵人が藤棚の右大将を伺いながらこう訊ねる。
「ところで藤棚の右大将、さすがに白氏文集は修めてらっしゃいますよね?」
その問いに、藤棚の右大将はぎくりとした顔をしてから、あきらかにわざと堂々とした態度を作ってこう返す。
「もちろんです。
国破れて山河あり。ですよね」
「それは杜甫ですね」
間髪を入れずに新の蔵人は間違いを指摘する。藤棚の右大将は堂々としたまま固まってしまっている。
そのようすを見た帝が、心配そうに藤棚の右大将に訊ねる。
「右大将、その、そのように歌が苦手でどうやって妻を娶ったのですか?」
それはもっともな疑問だ。藤棚の右大将の歌で心動かされる女となると、なかなかいないだろう。
帝の言葉に、椿の中将が藤棚の右大将に確認を取るように言う。
「きっと、娶るために一生懸命歌を考えなさったんでしょう。
藤棚の右大将はやればできる子ですから」
すると、藤棚の右大将はきょとんとした顔をしてこう答えた。
「『双六やろうぜ』って文を送ったら娶れた」
「どうして」
予想外の返答に椿の中将がくずおれる。
すこしの間そのままみなが黙り込む。それから、摩利の蔵人がおずおずと藤棚の右大将に訊ねる。
「あの、それでどうして娶れたのですか?」
その問いに、藤棚の右大将はしたり顔で返す。
「双六が好きだって噂の姫君を選んだからですかね」
なるほど。藤棚の右大将はしばしば妻と双六をして徹夜をしているけれども、これは藤棚の右大将の影響で妻もそのようになったのではなく、元々そういう気質の姫君だったということかと摩利の蔵人は納得する。
今夜も双六をするんだと意気込む藤棚の右大将に、源氏の太政大臣がため息をついて忠告する。
「双六はたしかに面白いものですし、気晴らしにはとてもいいです。
ですが、あまりのめり込むものではありませんよ。限度があります」
そこから畳みかけるように新の蔵人も言う。
「双六をなさるのはかまいませんが、徹夜はしないでください。仕事に差し支えます。
特に、藤棚の右大将は武士たちの訓練を受け持っているのですよ?
武士たちに情けない姿をさらすわけにはいかないでしょう」
「うい……」
言葉を返せなくなっている藤棚の右大将に、椿の中将が話を変えるように声をかける。
「ところで、藤棚の右大将はもっと歌の練習などしてみませんか?
私で良ければ、できる範囲で教えますから」
詰められているところをなんとかしようと気を利かせたのだろうけれども、その椿の中将の言葉に、藤棚の右大将はしおしおとした顔をしてしまう。
「そうは言っても、椿の中将の歌はできが良すぎて、私ではついていけないのです……」
口をへの字に曲げてそう言う藤棚の右大将に、帝がころころと笑って言う。
「うまい歌がわかるのなら、慣れれば次第にうまくなっていきますよ。
私だって、ずいぶんとたくさん練習したものです」
「そうですよ、帝のおっしゃるとおりです。
私だって、数をこなしたから上達しただけのことですよ」
言い聞かせるような帝の言葉に続けて、椿の中将もそう言い、昔はひどい歌も詠んだものだったと話している。
しかし、そうは言われても椿の中将の歌は圧倒的すぎる。ほんとうにはじめのうちはひどい歌を詠んでいたというのなら、どれだけの数をこなしたのか。それを考えると気が遠くなりそうだなと摩利の蔵人は思う。
もっとも、椿の中将は呼吸をするように歌を詠むので、それほどなじむくらいに夢中になる素質があるのだろう。
同じように、息をするように歌を詠めば椿の中将ほどの高みにたどり着けるのだろうか。それにはどれくらいの時間がかかるのか。そんなことを摩利の蔵人が考えていると、藤棚の右大将が木笏で摩利の蔵人を指した。
「普通の腕前を知りたいから、摩利の蔵人もちょっと詠んでくれませんか」
「はい。少々お待ちください」
正直なところ、摩利の蔵人には普通と呼べるほどの腕前があるとは思えないのだけれども、藤棚の右大将からすれば普通の範囲に入ってしまうのだろうなと思う。
それなら普通なりの歌を詠もうと、摩利の蔵人はしばし考える。
それから、姿勢を正して口を開いた。
妹がきる 単の数も多くなり
三笠の山も 白唐衣
これは普通といえるのだろうか。いささか疑問はあるけれども、藤棚の右大将は目を閉じて頷いている。頭の中で反芻しているのかもしれない。
他のみなからするとどうだろう。そう思って周りを回すと、帝はにこにことしているし、椿の中将もにっこりとしている。源氏の太政大臣は目が合うと一回だけ頷き、新の蔵人をちらりと見るとこう言われた。
「無難ですね」
「ですよね」
できれば歌でも褒められたいものだけれども、それはなかなかに難しい。
それを考えると、この無難な歌で会うことを許してくれた妻ふたりとは、なにかの宿縁を感じてしまう。
今度改めて、妻たちに自分のどこがいいと思ったのか聞いてみようと摩利の蔵人は思いつつ、なんとなく妻たちへの愛おしさが募ってしまった。




