第二十三章 神祇官と陰陽師
真冬にさしかかって宮中のどこもが冷えるようになった頃、御体の御卜の時期ではないけれど、帝が自分の体調を心配していたのでそのことを神祇官に占わせていた。
亀卜はなかなかに骨が折れるものだというのは摩利の蔵人も重々承知しているけれども、帝の健康には変えられないし、なにより帝に頼られるという事実は神祇官たちによろこびを与えるようなので、占わせる流れとなったのだ。
神祇官が亀卜をしている間、摩利の蔵人は冷たい風が吹く廊下に立って待っている。儀式の邪魔をして正しく占いができなかったら問題があるからだ。
冷たい風に晒されることしばし、儀式が終わったようで、中から今回占いをしていた神祇官の樹良が出てきた。
「蔵人殿、占いの結果、帝はまたしばらく健やかに過ごせそうです」
「ああ、それは良かったです」
特に問題はないと言うことがわかり摩利の蔵人が安心していると、樹良はにっこりと笑ってこう続ける。
「先日の瘧は厄介でしたが帝の体からおとなしく退散しましたし、今回も良い結果。
これもまた帝の徳が高いからでしょう」
帝の徳の高さは摩利の蔵人も重々承知している。先日大騒ぎをしていた紅朱の小補と少納言の話を帝に伝えたところ、帝はすぐさまにあのふたりを呼び出して、褒美に衣を与えていたくらいだ。そんなふうに臣民のことを気遣う帝の徳が高くないはずがない。
「帝によろしくお伝えください」
そう言って一礼をする樹良に、摩利の蔵人も一礼をして返す。
「はい、ありがとうございました。
では、このあと陰陽師にも占ってもらいますのでこれにて失礼します」
この後の予定を素直に話してしまった摩利の蔵人は、思わずしまったという顔をする。
目の前では、陰陽師という言葉を聞いた樹良が、明らかに不満そうな顔をしていた。
「この後、陰陽寮へ?」
「えっと、はい」
「なるほど。
止めはしませんが、本来なら帝のことを占うのは神祇官だけで十分だと言うことは心にとめておいてください」
その言葉に、摩利の蔵人はしどろもどろになりながら返す。
「ですが、物忌みに関することは陰陽師でないと……
凶日などは陰陽寮の暦博士に訊かないとわかりませんし」
「たしかに暦博士だとか漏刻博士だとか、そういうのは陰陽寮にいますけどね。
本来なら吉凶を占うのには暦や時間など見ずに、神にお頼み申すだけで十分なんですよ」
胸に刺さるようにとげとげしい樹良の言葉に、なんで神祇官と陰陽師はこんなに仲が悪いのだと摩利の蔵人は思う。
しかしその疑問を口に出さずに曖昧に笑っていると、樹良は語気を強くしてこう言い放った。
「そもそも、陰陽師なんてほんとうはいらないんですよ!」
これはさすがに言いすぎではないだろうか。摩利の蔵人が樹良に反論しようとしたとき、廊下の下から泣きそうな声が聞こえてきた。
「なんでそんなこと言うのぉ~?」
その声にはっとした摩利の蔵人と樹良が声の元を向くと、誰から託されたものかわからない手紙を持った晴明がいた。
晴明はしょぼんとした顔をしたまま鼻をすする。
「陰陽師じゃなくなったら、お星様のこと調べられないよぉ」
それから、声を上げて泣き出してしまった晴明を見て、先ほどまで強硬な態度だった樹良がおろおろしはじめた。
「いや、あのね。星のこと調べるのがだめって言ってるわけじゃなくてね?
あのね、占いは神祇官だけで良いよっていう話で、晴明殿が星のこと調べてるのを怒ってるわけじゃないんだよ」
「そうなの?」
「そう、そうだよ」
なんとかかんとか晴明のことをなだめようと四苦八苦する樹良を見て、摩利の蔵人はつい意地悪を言いたくなってしまった。
「樹良殿、陰陽師は気に入らないのではなかったのですか?」
すると、樹良は大きなため息をついてからこう答える。
「晴明殿はなんか憎めないし、なんか勝てる気がしない……」
「わかります」
樹良が晴明のことを憎めないと言っているのは、晴明が星で占うことができないという事実を知っているからというだけでなく、ただただ単純に、いつも無邪気で朗らかな晴明の人柄のせいもあるだろうなと摩利の蔵人は思う。
なぜなら、摩利の蔵人自身も、晴明の人柄を前にしてしまうと、言ってしまえば子供の相手をしているようで憎めないのだ。
そう、晴明を見ていると、五つで死んでしまった息子のことを思い出す。あの子も望月の日などは、月を見てよろこんでいた。
摩利の蔵人が思わずしんみりしている一方で、樹良は晴明をなだめるのに必死だ。
「だからね晴明殿。晴明殿はいっぱい星を見てていいからね」
「お星様いっぱい見てもいいの?」
「いいよ! いっぱい見な!」
勢いよく言い聞かせる樹良の言葉に、晴明は両手でまぶたを拭う。それから、いつものようにお天道様のような笑顔になった。
「わかった! お星様いっぱい見る!」
ようやく晴明が泣き止んで安心したのか、樹良が困ったように笑って、他の神祇官の元へと戻っていく。それを確認した摩利の蔵人は。廊下の下に置いておいた沓を履きながら晴明に話しかける。
「ところで晴明殿、その文は誰の所へ?」
「えっとねぇ、天文博士」
なるほど、これから晴明も陰陽寮へ向かうようだ。それならばと、摩利の蔵人は晴明に微笑みかけてこう言う。
「でしたら、私も陰陽寮に用事がありますし一緒に行きましょう」
「一緒に行くの? いいよ」
にこにこと笑顔を返してくる晴明の隣に立って、陰陽寮へと向かう。
その道中、晴明がたのしそうにどの星がどのような動きをするかとか、あの星の動きを計算するにはという話を延々としていたけれども、なにを言っているのか摩利の蔵人には理解ができない。なので適当なところで相づちを打っていた。
こういう話は源氏の太政大臣に丸投げしたいと摩利の蔵人が思っている間に、ふたりは陰陽寮へとたどり着いた。
入り口で沓を脱いで中に入り、目的通り暦博士の所へと向かう。途中、天文博士がいつもいるところを通りかかったけれども、そこには天文生しかいない。
「天文博士どこ?」
晴明がそう訊ねると天文生が、天文博士は今、暦博士のところに行っていると返す。
それを聞いた摩利の蔵人は、帝の吉日と凶日を占ってもらうのに、暦博士と天文博士の意見を同時に聞けるのはたすかると、なんとなく安心した。
晴明と共に暦博士のところへと行って御簾越しに見ると、そこでは暦博士と天文博士が来年の暦を確認しているところのようだ。
「暦博士、天文博士、失礼します」
摩利の蔵人が中に声をかけると、晴明がさっと御簾を上げたので、摩利の蔵人は中に入る。晴明もそれに続いた。
「天文博士、お手紙来たよ」
にこにこと手紙を渡す晴明に、天文博士は笑顔を返して手紙を受け取る。
それを確認してから、摩利の蔵人は暦博士と天文博士に用件を伝える。
「ところで、お二方に帝の吉日と凶日を占ってほしいのですが」
暦博士と天文博士は一礼をしてから、まずは今年の暦を広げる。
ふと、暦博士が鼻をひくつかせて摩利の蔵人にこう言った。
「蔵人殿、なんだかおかしな匂いがしますが、変な香でも焚かれましたかな?」
その問いに、摩利の蔵人は素直に答える。
「先ほど神祇官に亀卜をさせていま……」
そこまで言ったところではっとする。神祇官のことを口にした瞬間、暦博士と天文博士がいぶかしげな顔をしたのだ。
あまりにもあからさまに表情が変わったものだから、さすがの晴明も気づいたようで、こんな風に訊ねている。
「天文博士も暦博士もどうしたの?」
「ん? なんでもないですよ」
「晴明は気にしなくていいですよ」
とりあえず晴明には笑顔を返してから、暦博士が不満そうに摩利の蔵人に言う。
「まったく、占いをするのは我々陰陽師だけで十分だというのに」
先ほどの樹良と似たようなことを言っている。
陰陽師と神祇官。この両者の仲が悪い理由が摩利の蔵人にはよくわからないのだけれども、両方に関わる身としては、うまく立ち回らないといろいろと厄介だなと、改めて感じた。




