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第二章 帝と蹴鞠を

 野の花も芽吹きはじめた頃、摩利の蔵人と新の蔵人は今日も帝の側で執務をしていた。

 宮中の内裏、その中央とも呼べる場所で、帝の側につき、その仕事を支えることが許されている人物は少ない。その人物は、蔵人の地位にいるものと、内侍司だけだ。

 華やかな十二単と裳をまとった内侍司が書面を読み上げていくと、それに対する判断を帝が短い言葉で答えていく。その書面の文言と帝の解答をまた紙に書き留めていくのも蔵人の仕事だ。

 本来なら、帝の言葉を書き留めるこの仕事は、蔵人頭である摩利の蔵人だけで十分なのだけれども、後進を育てるためという名目の元で新の蔵人もこの仕事に当たっている。

 しばらくいつも通りの仕事をしていると、突然帝が内侍司に話しかけた。

「ところで内侍司。今日もずいぶんときれいにしていますね。

そんな姿を見せられると、職務の後も側に仕えていて欲しくなってしまいます」

 その言葉に内侍司は恐縮したようすを見せているけれども、すぐさまに新の蔵人が帝を諫める。

「帝、そのような話は職務の後になさっていただけませんか?

内侍司は内侍司ですし、帝の側に仕えるのが当然なものでしょう」

 新の蔵人のその言葉も、もう馴れたものだった。

 本来なら摩利の蔵人が帝にもの申すのがいいのだろうけれども、いつも新の蔵人のほうが反応が早い。摩利の蔵人がどう諫めたものか考えているうちに、新の蔵人はすぐさまにこうやって帝を諫めてしまうのだ。

 それにしても。と摩利の蔵人は思い出す。

 帝は兄の源氏の太政大臣とはあまり似ていない顔つきだけれども、そのやさしげで整った風貌、それに帝であるということで、帝から声をかけられてよろこばない女はいない。

 その自覚があるのかないのか、帝はずいぶんと手が早く、たくさんの女を相手にしていて、そのうち困ったことになるのではないかと源氏の太政大臣が大きなため息をついていたことがあった。

 その割には、まだ中宮との間に子供もいないし、なんなら相手にしているどの女との間にも子供がいない。一体どういうことなのだろうと摩利の蔵人は疑問に思うことがある。

 摩利の蔵人がぼんやりしている間、帝と新の蔵人で女癖の話をしていたようだけれども、摩利の蔵人が気づいたときには職務は再開していた。

 帝が仕事中に内侍司を口説くたびにこうやって物思いにふけるのは良くないなと反省しながら、摩利の蔵人は帝の言葉を書き留めていく。

 そうしながらしばらくすると、職務の時間が終わったことを女房が伝えに来た。

 それを聞いた帝が、今日の仕事はここまでだと声をかけると、蔵人ふたりと内侍司は一礼をしてその場から去ろうとする。

 すこし名残惜しそうにしている内侍司に微笑みかけてから、帝が蔵人ふたりにこう言った。

「さて、仕事も終わりましたし、いつもの者たちを集めて蹴鞠でもしませんか?」

 それを聞いた蔵人ふたりと内侍司はまた一礼をして、摩利の蔵人が代表してこう答える。

「でしたら、源氏の太政大臣、藤棚の右大将、椿の中将を呼んで参りましょう」

「はい。よろしくたのみます」

 帝の返事を受けて、内侍司は源氏の太政大臣を、摩利の蔵人は藤棚の右大将を、新の蔵人は椿の中将を呼びにそれぞれ宮中に散った。

 宮中で藤棚の右大将を探している間、摩利の蔵人は堂々とした体躯で、厳しい顔つきをした男と出会った。すぐさまに摩利の蔵人はその男に一礼をする。

 男が摩利の蔵人に訊ねる。

「そんなに急いでどうしました?」

 その問いに、摩利の蔵人は少しだけ気まずそうに答える。

「帝が蹴鞠をしたいとおっしゃりましたので、藤棚の右大将を呼びに」

 それを聞いた男は、複雑そうな顔をして言う。

「なるほど。帝は私よりも藤棚の右大将のほうを気に入っておいでですからね」

「勝鬨の左大将には申し訳ないのですが、実際そうですので」

 摩利の蔵人が勝鬨の左大将と呼んだ男にそう返すと、勝鬨の左大将は苦笑いをする。

「まぁ、正直言えば私は藤棚の右大将が苦手ですから、平等に呼ばれるよりはそのようにしていただいたほうが気は楽です」

「ほんとうに申し訳ない」

 そうやりとりしているところに、もうひとり男が通りかかった。背が高く、整った顔立ちに快活な表情をした男だ。

 その男が、勝鬨の左大将を見て気まずそうな顔をする。勝鬨の左大将も気まずそうな顔をして、男に声をかけた。

「藤棚の右大将、帝がお呼びだそうですよ」

「ああ、なるほど。

では行きましょうか、摩利の蔵人」

 藤棚の右大将と呼ばれた男は、勝鬨の左大将を避けるようにして摩利の蔵人の隣に並ぶ。

 今回は手早く探し人を見つけることができたけれども、勝鬨の左大将と藤棚の右大将が鉢合わせたのはなんだか気まずい。摩利の蔵人がそう思いながら藤棚の右大将と懸へと向かう。

 その道中、藤棚の右大将がぽつりと言う。

「私、勝鬨の左大将苦手なんですよね」

「存じております」

 藤棚の右大将も勝鬨の左大将も悪い人ではないのだが、それはそれとして折り合いが付かないこともある。そのことを摩利の蔵人はわかっていた。

 懸に付くと、そこにはすでに新の蔵人と新の蔵人より少しだけ背が高い、愛嬌のある男が立っている。にこにことして雰囲気のいいその男が椿の中将だ。

 懸でしばし待っていると、源氏の太政大臣と従者を連れた帝がやってきた。

「みなさん揃っていますね。

では、やりましょうか」

 他の全員が一礼する中帝がそう言って、従者に鞠を藤棚の右大将に渡すように言う。その間に、摩利の蔵人は沓の足首の部分に通されたひもを固く絞ってしっかりと結ぶ。

「では、いきますよ」

 藤棚の右大将が鞠を高く蹴る。それを受けたのは新の蔵人だ。

 新の蔵人もうまいこと足で鞠を受け、高く飛ばす。その鞠は椿の中将のほうへと飛んでいき、椿の中将も馴れたようすで鞠を蹴る。

 そこで、椿の中将がしまったという顔をする。その鞠は帝のほうへと飛んでいった。

 帝は楽しそうに鞠を蹴り上げる。それと同時に摩利の蔵人が身構える。

 帝が蹴り上げた鞠は円陣を外れてあさっての方向へと飛んでいったので、摩利の蔵人がすぐさまに鞠を追って走り出す。なんとか鞠に追いついて、摩利の蔵人は力一杯鞠を円陣に向かって蹴り飛ばした。

 これだけ高く飛んでどこに行くかもわからない鞠を誰が受けるのか。そう思いながら走って戻ると、藤棚の右大将がうまいこと鞠を受け、源氏の太政大臣のほうへと回す。

 源氏の太政大臣も鞠を蹴り上げ、しまったという顔をする。鞠はまた帝のところへと飛んでいき、帝はまたうれしそうに鞠を蹴る。摩利の蔵人はまた鞠を追って走り出した。

 摩利の蔵人が蹴り返した鞠は新の蔵人のところへと飛んでいき、身構えた新の蔵人の胸に当たって落ちてしまった。どうやら、新の蔵人の負けのようだ。

 摩利の蔵人が歩いて戻っている間、こう聞こえてきた。

「おやおや、また新の蔵人の負けですか」

「お恥ずかしながら」

 くすくすと笑う帝の言葉に、新の蔵人はもう蹴鞠で負け馴れているのか、恥ずかしがるようすもなく一礼をして返す。

「それにしても、やはり藤棚の右大将の腕はいいですね。負け知らずです」

 すました顔でそう言う源氏の太政大臣に、帝が少し上目遣いに訊ねる。

「源氏の太政大臣、負け知らずなのは藤棚の右大将だけですか?」

「……帝も負け知らずですが……」

「そうですよね。私の鞠は必ず摩利の蔵人が取ってくれますから」

 帝は気づいているのだろうか。帝があさっての方向に飛ばした鞠を受け取れているのは、今のところ摩利の蔵人だけだということに。

 正直、帝を蹴鞠で負けさせるわけにはいかないというのがあるとはいえ、帝の鞠を取るのはとても大変なので、もう少し蹴鞠がうまくなってくれないかなと摩利の蔵人は思う。

「なんせ、藤棚の右大将の手ほどきを受けていますからね」

 けれども、したり顔をして自信満々にそう言う帝に、なんと言ったらいいのか摩利の蔵人にはわからなかった。

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[一言] 藤棚と勝鬨は苦手同士で相思相愛…ってこと!?
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