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第十八章 瘧

 このところ、内裏のみならず大内裏がずっとざわめいている。

 もう半月ほどになるだろうか、帝が(わらわやみ)を煩ってしまい、ずっと回復しないのだ。

 回復しないといっても、病状に波はある。

 熱がひどくて起きることもできないこともあれば、微熱程度である程度は動くことができることもある。

 動くことができるときなどは、帝は無理を押して仕事をしようとするのだけれども、摩利の蔵人と新の蔵人、それに源氏の太政大臣で、安静にしているよう言い聞かせている。

「……申し訳ありません……

民を統べるものがこのようなありさまで、まったく示しが付きませんね……」

 額に浮かぶ汗を摩利の蔵人が拭うと、帝がほんとうに悔しそうにそう言う。

 悪い癖はあれども、日頃民草のためを思って事を運んでいる帝のことだ、このように伏せってばかりいることに焦りがあるのだろう。

 摩利の蔵人が帝の汗を拭う傍らで、新の蔵人が銚子からかわらけに葛根の汁を注いで帝に渡す。

「それでしたら、今はしっかりとお休みになって病を治されることです。

無理をして万全な状態を作れなくなることの方が示しが付かないでしょう」

 澄ました顔の新の蔵人から、半身を起こしてかわらけを受け取った帝は、葛根の汁を一気に飲み干して息をつく。

「いったい、どのような薬を飲めば治るのでしょう。

藍葉も紫陽花も効きませんでしたし、この葛根も効くのかどうか」

 帝の不安ももっともだ。医者からまず処方された熱を下げる薬である藍葉や紫陽花を飲むと、たしかに一時的には熱が下がる。

 けれども、一刻も経つとまた熱がぶり返すのだ。

 それならばと処方されたのが、いま帝が飲んだ葛根だ。これは逆に体をあたためて体力を付けるという薬なのだけれども、瘧にどの程度効果があるかはわからない。

 かわらけを床に転がし、ゆっくりと身を倒す帝を見て、摩利の蔵人はひどく不安になる。

 審神者が降ろしたあの神の予言は、このことだったのかという確信に心臓を握りつぶされそうだった。

 帝の寝所の周りでは、聖たちが快癒祈願の祈祷をしている。

「吉兆があれば良いのですが……」

 新の蔵人の小さなつぶやきを聞いて、摩利の蔵人は帝に平伏してこう進言する。

「聖に祈祷させてはおりますが、陰陽師に帝の快癒を占わせてはいかがでしょうか。

なにかしらの兆しがあった方が、対策を練りやすいかと思います」

 その言葉に、帝は手を上げて几帳の外を指す。

「陰陽寮へ」

 摩利の蔵人は礼をし、新の蔵人に汗を拭うための布巾を渡して几帳の外へと出た。


 陰陽寮に着き、占うのならばまずは陰陽博士のところかと、早速そちらへと向かう。

 いつもならなるべく音を立てないように廊下を歩くのだけれども、今はそれどころではない。

 廊下をきしませながら陰陽博士の元へ行くと、待ち構えていたかのように御簾は上げられており、中には陰陽博士だけでなく天文博士も揃っていた。

「陰陽博士」

 摩利の蔵人が用件を伝えようとすると、陰陽博士はわかっているといったようすで言葉を遮ってこう伝えてきた。

「天文博士曰く、帝の瘧は歳星が月を離れてからのものなので、良くない兆候だとのことです」

 それを聞いて摩利の蔵人は膝をつく。

 もう為す術がないのか。このまま帝は雲隠れしてしまうのか。そんなことが頭に浮かんできた。

「もう為す術はないのですか?」

 摩利の蔵人が陰陽博士にそう食い掛かると、陰陽博士は深いため息をついて、小声で、医者に。とだけつぶやいた。

 医者にはもう診せているし、聖に祈祷もしてもらっている。これ以上なにをすれば良いのか、摩利の蔵人には見当も付かない。

 思わずうろたえていると、軽やかな足音が聞こえてきて、元気な声が響いた。

「ねえねえあのね!」

 あまりにも場違いな声に苛立ちを覚えながら振り返ると、そこにはいつも以上にご機嫌な笑顔の晴明がいた。

「晴明、どうしたのですか?

取り込み中ですよ」

 天文博士がそう言うと、晴明は無邪気にこう答えた。

「歳星がぐるんってして、今夜月に入るよ!

たのしみだね!」

 それを聞いた天文博士と陰陽博士が顔を見合わせる。

「晴明、それはたしかですか?」

「ほんとうに、歳星が月に入るのですか?」

 天文博士と陰陽博士の問いに、晴明は両手を頭の上で振りながら返す。

「ほんとだよ。

月が山際と天頂のあいだにあるときくらいに入るよ」

 歳星が普通でない動きをするとなると、さらに凶兆になるのではないか。そう思った摩利の蔵人が気を失いそうになっていると、陰陽博士の声が鋭く耳に入った。

「蔵人殿、吉兆です!」

 一瞬で目が覚めた。

「いったい、どのような吉兆なのでしょうか」

 慌てて立ち上がって陰陽博士に訊ねると、陰陽博士が言うにはこう言うことだった。

 月から歳星が離れたあとに病にかかるのは凶兆だけれども、逆に、病の最中に歳星が月に入るのは病が治る兆しなのだという。

 それを聞いて、摩利の蔵人の目から思わず涙がこぼれた。

「ああ、それなら、きっと帝は助かるのですね」

 突然泣き出した摩利の蔵人に、晴明がきょとんとした声でこう訊ねる。

「帝、どうしちゃったの?」

「あの、瘧が治らないという話は聞いていませんか?」

「そうなの? こまったねぇ」

 ずいぶんと不謹慎な受け答えだ。もしかしたら晴明には瘧というものがどんなものなのかわかっていないのかもしれない。

 けれども、それを責めることはできない。殿上人でもない晴明が、今まさに瘧で苦しんでいる帝の姿を見ることなどあるはずもないのだから。

 ふと、晴明が思い出したようにこう言った。

「源氏の太政大臣ならいいお薬知ってるんじゃない?

すごく詳しいよ」

「源氏の太政大臣……」

 晴明はなぜか源氏の太政大臣からいたく気に入られていて、一緒に話していることが多い。なので、その信頼感から源氏の太政大臣の名を上げているのだろう。

 源氏の太政大臣に対する信頼は摩利の蔵人も同じくある。

 帝に処方する薬は、医者だけでなく源氏の太政大臣にも相談しているのだ。

 すでに何度も訊きに行っているのに、これ以上訊いて意味があるのだろうか。摩利の蔵人はそう思ったけれども、いままさに吉兆の予言をした晴明の言うことなのだから、また言うとおりにすれば道が開けるのではないかとも思った。

「わかりました。太政大臣に相談してみます」


 陰陽寮を出た摩利の蔵人はそのまま源氏の太政大臣の元へと向かった。

「源氏の太政大臣、帝のお薬のことでお話が」

 御簾の前で膝をついてそう言うと、源氏の太政大臣は女房に御簾を上げさせ、摩利の蔵人の側までやってきた。

「瘧の薬のことですね。もう効きそうな薬はあらかた医者に伝えたのですが」

 やはりこれ以上は出てこないか。そう思ったけれども、願をかけるようにこう口にする。

「あの、晴明殿が」

 それを聞いて、源氏の太政大臣は難しい顔をする。

 ところがふと、思い出したように奥へと入り、漆塗りの入れ物から黄色い木の欠片を取り出してきた。

「そういえば、以前晴明殿に話していたのを忘れていました。

隋の時代に渡ってきたものなのですが、この木を煮出した汁をごく薄めて、醍醐と共に召し上がっていただくと良いかもしれません」

 摩利の蔵人は礼を言って木片を受け取り、急いで厨へと行き、言われたとおりに女房たちに用意させた。

 それを持って帝の元へとまた急いで戻る。そうしているうちに空は朱色になっていた。

「帝、お待たせしました」

 摩利の蔵人は陰陽博士の占いの結果を伝え、薬を帝に渡す。吉兆が出たと聞いたからか、帝の表情は和らいでいた。

 帝は、薬を飲んですぐに眠ってしまった。

 しばらくは摩利の蔵人が汗を拭っていたけれども、だんだん汗をかかなくなり、呼吸が穏やかになっていく。

 几帳をめくって空を見ると、歳星が月に溶け込む瞬間が見えた。

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[一言] なんだか猛烈に嫌な予感がしてきたのぅ…
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