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第十七章 災いの予言

「どうにも、このところは蒸し暑いですね」

 仕事中に珍しく帝がため息をつく。

 このところは雨の日と暑いくらいの晴れの日を繰り返していてたしかに蒸している。帝が仕事中でも袍を着崩してしまうのも無理はない気候だ。

 摩利の蔵人と新の蔵人も、着崩してはいないものの袍の中に着ているものは薄手のものになっているし、内侍司も唐衣と裳は付けているものの、単衣の枚数を減らしている。

 雨の日の冷え込みと晴れの日の寒暖差で体調を崩してしまう者も出ているようで、先日は椿の中将が、どうにも体がだるいと言って珍しくしわしわした顔をしていた。

 帝が体調を崩さなければいいのだけれどと摩利の蔵人が内心不安に思っていると、几帳の外から女房の声がかかった。

 仕事終わりにしては早いような気がする。そう思っていると、女房曰く神祇官から手紙を預かっているとのことだった。

 新の蔵人が几帳をすこしめくり、女房から手紙を受け取る。神祇官からの手紙となると、蔵人が読んで帝に伝えるのが良いだろうと摩利の蔵人は思う。

 新の蔵人も同じことを考えたようで、早速手紙をといて目を通している。

 ふと、新の蔵人の表情がこわばった。

 伺うように摩利の蔵人に視線を送るので、きっとただならぬことがあったのだなと察した摩利の蔵人は、手紙を受け取って目を通す。

 それから、固い声で帝に伝える。

「神祇官から、亀占で凶兆が出たという知らせが来ました」

 それを聞いた帝はすこし目を細めて訊ねる。

「どのような凶兆でしょうか」

「どのようなものかははっきりと示されていないようです」

「なるほど」

 目を閉じてなにかを考えはじめた帝に、摩利の蔵人は続けて伝える。

「つきましては、この凶兆がなんであるのかを確かめるため、審神者に神のお告げを聞かせると文にあります」

 すこしの間黙り込んでからため息をついて、帝が摩利の蔵人に言う。

「神祇官や審神者にも私の許可が必要でしょう。すぐに行うようにと伝えてください」

「かしこまりました」

「その場には私の代理として摩利の蔵人が加わるように。いいですね」

 摩利の蔵人は了承の意を伝えるためにその場に平伏してから、側にいる新の蔵人に小声で言う。

「きっと帝も不安でしょうから、私が出ている間、どうにか帝の心をほぐしてください」

 その言葉に新の蔵人は黙って頷く。

 摩利の蔵人は膝をついて几帳の外に出て、すぐに立ち上がり神祇官への元へと向かった。


 神祇官の元へと着くと、そこではもう儀式の準備が整えられていて、神を祀っている祭壇の前に審神者と巫が、その後ろに数人の神祇官が座っている。

 その場に入るなり、摩利の蔵人は審神者と神祇官たちに伝える。

「すぐに神のお告げを聞くようにと帝が仰せです。

この場には帝の代理で私が同席します」

 審神者が短く返事をして礼をした後、早速儀式に取りかかった。

 まずは審神者から御神酒の入った杯が回され、それを巫、神祇官、それに摩利の蔵人が口に含み身を清める。

 全員が身を清めたら、審神者が背筋を伸ばし朗々と祝詞を上げる。巫は目を閉じて意識を研ぎしましている。それを摩利の蔵人と神祇官たちが黙って見守る。

 しばらくそうしていると、ふと祭壇がゆがんで見えた。次の瞬間、巫がふらりとよろめいてその場に倒れる。

 なにかが巫に降りた。

 その場の全員がそう察し、審神者が固い声で巫に言う。

「どうぞ、面を上げてください」

 すると、巫はすぐさまに起き上がり審神者を見る。

 先ほどと変わったところはなにもないはずなのに、倒れる前とはまるで違う雰囲気を纏っていた。

「なんの用か」

 そう言う巫に審神者が返す。

「要件の前に伺いたい。

あなたの名を教えてください。

そして、あなたが神なのかも」

 その問いに、巫は堂々と答える。

「私は神だ。

名をフワフワノミコトという」

「フワ……えっ?」

 聞いたことはないけれどもなんとなく触りたくなるような名を名乗られたからか、審神者が一瞬動揺する。

 なぜか摩利の蔵人の頭には帝がかわいがっている猫の姿が浮かび、あんな感じなのかなと思う。

 審神者はすぐさまに鋭い声でまた訊ねる。

「そのような名の神の話は聞いたことがありませんが、ほんとうに神なのでしょうか。

もしや狐ではありませんか」

 その問いに、フワフワノミコトと名乗った者はこう返す。

「狐だが?」

「あなた、狐のあやかしの割に堂々としていますね」

 いぶかしそうな審神者の言葉に、フワフワノミコトはいらだたしそうな声で言う。

「私は狐であり神である。

狐であることと神であることは矛盾しないだろう」

 矛盾していないのだろうか。

 狐といえば人を化かすものなので、狐の神と言われても。摩利の蔵人にはいまいちうまく飲み込めない。おそらくそれは神祇官たちも審神者も同じなのだろう。

 審神者が険しい声でフワフワノミコトに詰め寄る。

「あなたが神だと言うのでしたら、亀占で出た凶兆がなにを表しているのかご存じでしょう。

お答えください」

 その言葉に、フワフワノミコトはなにか思い当たる節があるらしく、納得したような顔でこう言った。

「ああ、そのことか。

端的に言えば、近々帝に良くないことが起こる」

 その言葉に、神祇官たちがささやき合う。

 摩利の蔵人も、やはり帝になにかあるのかと心穏やかではない。

 この言葉があやかしの妄言であって欲しい。摩利の蔵人がそう思っている間にも、審神者はフワフワノミコトへさらに問いかける。

「良くないことというのはどういったことでしょうか。

具体的にお答えください」

 それに対してフワフワノミコトは、いったん口をつぐんでからこう返す。

「それを伝えるのは奇跡にあたるのでできない。

しかし、人間にそう言っても納得しないだろう。これ以上追求される前に帰らせてもらう」

 次の瞬間、巫の体から力が抜けて倒れる。

 そのさまに全員が目を奪われていると、一呼吸置いて巫がむくりと起き上がり、きょとんとした顔をしている。フワフワノミコトを下ろす前の雰囲気に戻っているようだ。

「どのような神託が下されましたか?」

 巫のその言葉に、審神者は答えない。ただ、代わりにこう言うだけだ。

「あなたはよくやりました。成功です」

 それから、神を降ろした後の儀式を行い、神祇官たちが片付けをはじめた。

 その様を、摩利の蔵人は呆然と見ている。帝に良くないことが起こると言われて、どうしたら良いのかがわからないのだ。

 ぼんやりしている摩利の蔵人に、巫が無邪気に言う。

「早く帝にお伝えした方がよろしいのでは」

「あ、ああ、そうですね」

 そう言われてようやく、帝の元へ戻る決心が付いた。

 神のお告げで災いがあるとわかったところで、理不尽に自分へと怒りを向けるような帝ではないと知っているだけに、このことをどう伝えたら良いのかがわからない。

 亀占で凶兆が出たと聞いた時点で、帝も十分に不安になったはずだ。それが神の言葉で肯定されたとなっては、それこそこれを気に病んで体を壊してしまうかもしれない。

 どうしたものかと考えながら内裏に向かう途中、ふと頭に浮かぶ。

 源氏の太政大臣にも伝えておいたほうが良いかもしれない。

 帝に何かがあったとき、源氏の太政大臣なら心強く支えてくれるだろうと思った。

 摩利の蔵人は、まずは源氏の太政大臣の元へ向かうことにして行き先を変える。

 その道中、あの神と名乗ったものがただのあやかしで、ほんとうは災いなど起こらないでいて欲しい、あの予言めいたものが外れて欲しいとずっと考えていた。

 ふと、虫の羽音が聞こえ手の甲になにかが触れる感触がする。

 反射的に叩くと、手の甲で蚊が潰れていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ふわふわのみことの託宣より潰した蚊の方がなんか不穏を感じさせるのは一体…
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