第十六章 とりとめのない話
無事に上達部と公達たちの歌合も済ませ、汗ばむようになってきた頃のこと。
この日も帝の元での仕事を終えた後、蔵人ふたりと内侍司は源氏の太政大臣、藤棚の右大将、椿の中将を帝の言いつけで呼んできた。
帝たちがお茶を飲みながら歓談しているのを側で見ているのだけれども、時々お茶のおかわりを淹れるために、手のひらほどの大きさの餅茶を小刀で削っている。
餅茶を削ると青くすがすがしい香りがするのだけれども、どうにもこのお茶は苦くて飲みづらい。
だからだろうか、普段芋粥のような甘いものを好んでいる椿の中将はそれとなくお茶に手を付けていないし、藤棚の右大将はお茶を飲んではしわしわした顔になり、出されている唐果物を口直しに囓っている。
一方の帝と源氏の太政大臣は、すました顔でお茶を飲んでいて、その様を見ている摩利の蔵人はさすがだなと思うほかない。
お茶を飲んで体があたたまったからか、それとも単純に暑いからなのか、袍を緩く着崩した帝がゆったりと扇で顔を扇ぎながらこんなことをみなに訊ねる。
「ところでみなさん。妻との仲はどうですか?」
一瞬、摩利の蔵人の方に視線が送られてきたけれど、帝はすぐに椿の中将の方へ視線を移す。きっと、先日息子を亡くしたばかりで摩利の蔵人の妻たちは心穏やかでないことを気遣っているのだろう。
帝にじっと見られている椿の中将は、まずは自分から話せと言われているように感じたのだろう。すこし自慢げに笑って答える。
「そうですね。昨夜は甘夏の所へと行っていたのですが、朝になっても私と離れたがらなくて困ったものです」
それを聞いた帝はころころと笑う。
「おや、北の方のご機嫌が取れたのですね。
ところで石蕗の君は?」
その問いに、椿の中将の表情がぎこちなくなる。
「石蕗とは手紙のやりとりはしていますが、その、相変わらずつれないですね」
石蕗の君は中宮の身の回りのことをしていて忙しいのだからそれはそう。と摩利の蔵人は思ったけれども口には出さない。
続いて、帝が藤棚の右大将に話を振る。
「右大将のところはどうですか?」
すると、藤棚の右大将は難しい顔をしてこう答える。
「昨夜、鈴虫の君の所へ行ってきたのですが、どうしても双六で勝てないんです」
その言葉にその場にいる全員が、相変わらずだな。という顔をする。
藤棚の右大将には妻が三人いて、そのなかでも鈴虫の君はずば抜けて双六が強いと藤棚の右大将から度々聞いている。
「双六でいつでも六の目を出せれば良いのに」
ぽつりとこぼれた藤棚の右大将のその言葉に、源氏の太政大臣が身を乗り出して言う。
「毎回六の目が出る確率を計算して欲しいということですか?」
「兄上、悪い癖が出てますよ」
急になにやら算術をはじめようとした源氏の太政大臣のことを、帝がやんわりと止める。
それから、話題を変えるように帝が口を元扇で隠しながら源氏の太政大臣に言う。
「それにしても太政大臣、あなたも中将や右大将のようにもっと妻を娶ったらどうですか?」
そういえば、源氏の太政大臣は子供がたくさん欲しいと言っていた。そうなると、今の妻である花散里の君だけでは荷が重いだろう。それを考えた上での帝の言葉なのだろうけれども、源氏の太政大臣は不機嫌そうな顔になる。
「いえ、私には花散里以外の女は考えられないので」
相変わらず強情な言葉に、帝がちらりと新の蔵人の方を見る。それを察した新の蔵人が、頭を下げて源氏の太政大臣に言う。
「源氏の太政大臣が一途な方であるというのは承知の上でなのですが、子供がたくさん欲しいとなりますと、北の方ひとりだと荷が重いかと。やはりもうひとりくらい娶った方がよろしいと思います」
その言葉に帝も頷く。けれども源氏の太政大臣は納得できていないようだ。
「いや、私は花散里の子供がたくさん欲しいのです」
「殺す気ですか?」
「う……」
出産は命がけだというのを源氏の太政大臣もわかっているのだろう。新の蔵人の容赦ない言葉にうろたえている。
泣きそうになっている源氏の太政大臣に、藤棚の右大将が元気づけるように声をかける。
「しかし源氏の太政大臣、妻が何人もいるというのも良いものですよ」
まさか藤棚の右大将がこんなことを言うなんて。思わず驚いて摩利の蔵人が訊ねる。
「藤棚の右大将も、やはり妻が多い方が良いと思うのですか?」
すこし戸惑ったその問いに、藤棚の右大将は堂々と返す。
「双六のしがいがありますからね」
「そうですね」
だいたい想定内の答えが返ってきたので摩利の蔵人は安心して、また餅茶を削る作業に戻る。
削った餅茶の茶葉を内侍司に渡し、お茶を淹れてもらっている間に、椿の中将がくすくすと笑っているのが聞こえる。
「妻が何人もいると、他の妻の所に行っている間にやきもちを焼く妻がいてかわいらしいですよ」
その言葉に、帝もころころと笑って言う。
「わかります。私が忍んだあと、中宮がやきもちを焼くのもまたかわいらしくて。
つい意地悪をしたくなってしまいます」
「そう。そうなんです。
甘夏もすぐにやきもちを焼くのがかわいらしいのですよ」
帝と椿の中将ですこし盛り上がり、ふと、椿の中将がしょんぼりした顔をする。
「まぁ……私がどんなに甘夏と睦まじくしていても、石蕗はやきもち焼いてくれないんですけど……」
なんだか大変そうだな。と思いながら摩利の蔵人が話を聞いていると、帝はまたころころと笑う。
「やきもちを焼いても焼かなくても、女はみな魅力的ですから、相手をしないのは失礼ですよ」
「いえ、帝はさすがに自重してください」
思わず口を突いて出た言葉に摩利の蔵人が自分の口を押さえると、椿の中将は笑いを堪えているし、藤棚の右大将はきょとんとしているし、源氏の太政大臣は重々しく頷いている。帝はにっこりと笑ってお茶をひとくち飲んだ。
ふと、源氏の太政大臣が新の蔵人の方を見る。
「ところで、新の蔵人は妻が未だにいないそうですが?」
その言葉に、新の蔵人はすました顔で返す。
「私はまだ、宿縁で結ばれた方に会っていないので」
「なるほど。宿縁は大切ですからね」
源氏の太政大臣は納得したように深く頷き、ため息をつく。
「それにしても、妻がたくさんいるのはそんなに良いことなのでしょうか」
その言葉に、摩利の蔵人が真っ先に答える。
「そうですね。妻が何人かいると、家のことや子供のことを任せたとき、負担が減りますから。
ひとりであれもこれもとやるのは大変でしょうし」
それを聞いた源氏の太政大臣ははっとした顔をする。
「なるほど、家のことも子供の面倒も大変ですからね。
いくら女房がいるとはいえ、女房を取り仕切るのも妻ですし……
それを考えると、もうひとりくらい娶ってもいいのかも……いや、でも」
急に悩みはじめてしまった源氏の太政大臣に、新の蔵人がたたみかけるように言う。
「ですから、ひとりの妻に何人も子供を産ませようとしないでください。死にますよ」
藤棚の右大将も楽しそうに言う。
「話の合う妻がたくさんいると楽しいですよ」
椿の中将もにっこりと笑って言う。
「なかなか会えなくても、たしなみのある妻と文のやりとりをするのも良いものです」
それぞれに妻が複数いたほうがいい理由はあるようだ。
ふと、女の側からするとどうなのだろうと思って内侍司の方を見ると、内侍司も頭を下げてこう言う。
「やはり、家のことを女ひとりで切り盛りするのは大変ですので」
ひとしきり言い分を聞いたところで、まだ納得できていない源氏の太政大臣に、帝がころころと笑って言う。
「小難しいことはともかく、女はみなすてきですから、兄上ももっと女とふれあったらどうですか?」
「帝がそうおっしゃいますと、逆に説得力がなくなるんですよね」
源氏の太政大臣はそう言うけれども、これは暗に自重しろと言っているのだろう。
ほんとうに、この兄弟は足して割ればちょうど良いのになと思った摩利の蔵人だった。




