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第十四章 右大将の受難

 今日も女房が仕事終わりの時を告げに来た。寒さを和らげるために焚いていた火鉢を見ると、黒かった炭はすっかり白い灰になっていた。

 今日はこの後どうするのだろう。摩利の蔵人がそう思いながらちらりと帝の方を見ると、その考えを察したのか帝がこう言った。

「さて、今日はこの後歌合をしたいのですが」

 それを聞いて、蔵人たちも内侍司も驚いた顔をする。歌合となれば、上達部たちや、少なくとも公達は集めなくてはいけないので、事前の告知なしに言われても困ってしまうのだ。

 咄嗟に、新の蔵人が平伏して帝に言う。

「歌合とのことですが、あまりにも急なことですので、上達部や公達を今から集めるのは難しいと存じます。

ですので、差し出がましいですが後日にした方がよろしいかと」

 すると、帝はいつものようにころころと笑って新の蔵人に面を上げるように言う。

「歌合といっても、いつもの顔ぶれで軽くやるだけですよ。公達を全員集める必要はありません」

 その言葉に、今度は摩利の蔵人が平伏して言う。

「でしたら、後日上達部や公達を集めた歌合も行わないと摩擦が起こるでしょう。

今年はまだ、そういった歌合を開いておりませんので」

 歌合は、大切な交流の場だ。公達や上達部は帝が催さなくてもそれぞれに歌合をして交流を深める。

 そんな交流の場である歌合を、帝がごく限られた顔ぶれでしか開かないとなると、そこにいつも招かれている藤棚の右大将と椿の中将への妬み嫉みが強くなってしまう。

 さすがに、源氏の太政大臣は帝の実兄ということもあり、妬まれることは滅多にないだろうけれども、それでも万が一はある。

 蔵人たちと内侍司が抱えているその懸念を帝もわかっているのだろう。すこしだけ疲れた顔をして、口元を扇で隠してこう言った。

「では後日、公達と上達部を集めた歌合も開きましょう。

そちらの準備もおねがいします」

「いつ頃にいたしましょうか」

 摩利の蔵人の問いに、帝はすこし考えてから返す。

「桐壺の花が咲き始める頃にしたいと思います」

「かしこまりました」

 桐壺の花のつぼみはまだ固いと内侍司からは聞いている。そのつぼみがいつ頃ほころぶか占ってもらわないとと摩利の蔵人は思う。

 でも、誰に占ってもらおうか。やはり陰陽博士だろうかと考えていると、それを察したのか新の蔵人がそっと耳打ちをしてくる。

「花の予言なら、神祇官の樹良殿が得意だったはずです」

 その言葉に黙って頷く。

 それから、帝が面を上げるようにと言うので、内侍司は源氏の太政大臣を、摩利の蔵人は藤棚の右大将を、新の蔵人は椿の中将を呼びに廊下へと出た。


 それぞれに源氏の太政大臣、藤棚の右大将、椿の中将を帝の元へと集め、一番はじめに戻ってきていた内侍司が用意した炭を火鉢で焚く。火鉢の炭に息を吹きかけると煤が顔について黒くなるので、内侍司にやらせるのも悪いと思った摩利の蔵人が火を入れている。

 炭を焚いてすこしあたたかくなったところで、帝がにこにこと笑って椿の中将の方を向く。

「では、はじめましょうか。

みなさん話は聞いていますよね?」

「もちろんでございます」

 椿の中将が深々と頭を下げ、源氏の太政大臣も頭を下げる。藤棚の右大将も頭を下げているけれどもしわしわした顔をしている。

 まあ、歌合ともなれば藤棚の右大将はああなるな。と摩利の蔵人が思っているところで、帝が扇で椿の中将を指す。

「では、先日のようなことにならないよう、椿の中将からおねがいします」

 指名された椿の中将はすぐさまに歌を詠む。相変わらずその流れるようにうつくしい言葉のつながりは、どうやったらすぐさまに思いつくのかと疑問になるほどのものだ。

 椿の中将が歌を詠んだ後、その場のみなが余韻に浸る。きっと、歌自体は反芻できていないだろう。けれども生まれでてきたうつくしい空気だけを感じているのだ。これには藤棚の右大将もさすがに呆けた顔をしている。できの良さを噛みしめるだけでなく、これを基準に置いた上で自分も詠むという現実に頭が追いついていないのだろう。

 続いて指名されたのは源氏の太政大臣だ。

 すこし考えるように間を置いてから源氏の太政大臣が詠んだ歌は、優美ながらも堅実な言葉選びで、歌作りの見本とも言えるようなものだった。

 できの良い歌を続けて二首も聞いたせいか、この後に控えている藤棚の右大将はすっかりしおしおしてしまっている。

 この後に来て大丈夫だろうかと摩利の蔵人が不安に思っていると、帝が扇で摩利の蔵人を指してこう言った。

「では、次は摩利の蔵人の番ですよ」

 指名された摩利の蔵人は素早く頭の中で考える。

 とにかく、この後指名されるであろう藤棚の右大将が少しでも安心できるようなもので、しかも手を抜いたと帝に思われない程度の歌を詠まなくてはならない。

 ふと、飾られている菜花が目に入った。

 それを手がかりに摩利の蔵人は歌をひねり出す。


 春冷えに炭は焚けども色かおり

 思い浮かぶは菜花のにがさ


 それを聞いた帝はころころと笑う。

「おやおや、摩利の蔵人は意外と食いしん坊なのですね」

「やはり、春ともなりますと菜花の味が恋しいものでして」

 なんとか帝に失礼にならない範囲で藤棚の右大将の心の敷居を下げられたかと思いながら、摩利の蔵人は藤棚の右大将の方をちらりと見る。すこしだけ安心したような顔をしていた。

 帝が今度こそ、扇で藤棚の右大将を指す。

「では、次は藤棚の右大将に詠んでもらいましょうか。

せっかく、摩利の蔵人が気を遣ってくれたことですし」

 考えていたことが完全にばれている。

 摩利の蔵人が苦笑いをしていると、藤棚の右大将は歌を考えるので必死なようで、難しい顔をしてうなっている。

 それから、ぱっと思いついたような顔をして口を開いた。


 あるめにああぜるばいじゃんうくらいな

 ちゅうおうあじあおよびしべりあ


 これは歌なのだろうか。

 何を言っているのかまったくわからない言葉で詠まれて摩利の蔵人はもちろん、普段はそう簡単に動じない新の蔵人も戸惑っている。

 どうしたものかという空気の中、納得したような顔をした帝が感心しきりといったようすでこう言った。

「もしかして、天竺の言葉で歌を詠んだのでしょうか。

さすがは藤棚の右大将。夢の中で天竺の姫君の手ほどきを受けているだけのことはありますね」

 それを聞いて、その場にいたみなが納得する。天竺の言葉なら、なにを言っているのがわからなくて当然だからだ。

「すごいですね藤棚の右大将。

天竺の言葉で歌を詠むなんて、思いつきもしませんでしたし思いついても私には無理です」

 にこにこと笑う椿の中将がそう褒めると、藤棚の右大将はしたり顔をする。

 そのようすを見て、帝がころころと笑う。

「困りましたね。そのような歌を詠まれてしまうと、後に控えている新の蔵人と私はどうしたものやら。

藤棚の右大将もやればできる子なのですね」

 帝にまで褒められて、藤棚の右大将はすこし緊張気味だ。そして、その後に控えている新の蔵人はどうだろと摩利の蔵人がちらりと見ると、すでに詠む歌を考えはじめているようだった。

 帝に指名された新の蔵人が歌を詠み、帝も歌を詠む。

 それから、みなで品評をして、椿の中将と源氏の太政大臣の歌も甲乙付けがたいけれども、今回ばかりは藤棚の右大将の歌が一番だろうということになった。

 ふと、源氏の太政大臣が藤棚の右大将に訊ねる。

「ところで右大将、先ほどの歌はどのような意味だったのでしょうか」

 すると、藤棚の右大将はそろりそろりと視線をそらす。そのようすを見て、深い意味はなかったんだなと摩利の蔵人は察する。

 歌の意味を答えることなく、藤棚の右大将は曖昧に笑って言う。

「私はどうにも、歌が苦手なもので」

 その言葉に、知っているとみなで笑い合った。

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― 新着の感想 ―
[一言] 平安風世界観だと歌を詠むのが苦手って結構なペナルティだなと思いました(今更)
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