第十一章 冬の日の歌合
今日も仕事が終わった後、摩利の蔵人は火鉢に入れる炭を持って廊下を歩いていた。
帝が源氏の太政大臣と藤棚の右大将、それに椿の中将を呼んでいろいろとおしゃべりをしたいというので、暖を取るための用意をしているのだ。
仕事中も火鉢で炭を焚いてはいたけれども、だいぶ時間が経ったのでほとんど灰になってしまっている。なので、火が消えてしまう前に炭を足したいのだ。
帝たちのいる場所へと行くと、新の蔵人がやったのか、几帳がどかされかわりに御簾が下ろされている。本格的に内緒話をするつもりのようだ。
声をかけてから御簾をすこしだけまくり上げ、膝をついて中へと入る。中では火鉢を囲って帝たちが座っていた。
火鉢の中を見ると火が消えかかっている。火箸で灰をすこしよけて、まだ残っている火の上に炭を乗せて息を吹きかける。新しい炭の端がほんのりと赤くなった。
「さて、新しい火も入りましたし、歌合の続きでもしましょうか」
自分が炭を取りに行っている間にそんなことになっていたのかと摩利の蔵人が思っていると、帝に指名された椿の中将が見事な歌を詠む。
これはほんとうに言葉なのだろうかと思うような、あまりにもうつくしい響き。摩利の蔵人の耳にもしっかりと入っていたはずなのに、復唱することができないほどのすばらしいできだ。
きっと同じ気持ちなのだろう。源氏の太政大臣が目を閉じて味わうように頷いてから、閉じた扇で藤棚の右大将を指して言う。
「では、次は藤棚の右大将に詠んでもらいましょうか」
その言葉に、藤棚の右大将は身を固める。
摩利の蔵人は、源氏の太政大臣も酷なことを言うなとすこしひやひやした。
歌を詠むことにかけては右に出るものがいないと言われている椿の中将の次に、歌を詠むのが苦手だという藤棚の右大将を指名するのは意地悪ともとれる。
源氏の太政大臣がなんでこんなひどいことを。と摩利の蔵人が思っていると、帝がころころと笑う。
「素直に私の次に詠めば、椿の中将の次になることもなかったのですよ」
続いて、源氏の太政大臣もあきれたように言う。
「そうです。あとはあなただけなのですから」
すると、藤棚の右大将がちいさくつぶやく。
「……ぴえん……」
いったいどういう意味の言葉なのか摩利の蔵人にはわからなかったけれど、藤棚の右大将が助けを求めるように摩利の蔵人の方を見てきたので、摩利の蔵人は平伏して帝に言う。
「帝、源氏の太政大臣、よろしければ私も歌合に加えていただけないでしょうか」
それを聞いて、源氏の太政大臣と椿の中将はなにかを察したような顔をして、帝はすこし身を乗り出している。
「摩利の蔵人も詠みますか?」
「はい。今ふっと浮かびましたので」
興味深そうにしている帝にそう返すと、源氏の太政大臣が苦笑いをして扇で摩利の蔵人を指す。
「では、摩利の蔵人に早速詠んでもらいましょうか」
さて、いったいなにを詠んだものかと一瞬だけ考えて、摩利の蔵人は背筋を伸ばし口を開く。
昼時に灰と化したる炭の火に
寒さ厳しく手は赤くなり
摩利の蔵人が咄嗟に詠んだその歌は決してできの良いものではないが、それで逆に藤棚の右大将の心の負担を軽くできただろうと摩利の蔵人は思う。
「なかなかに味のある歌でしたね。
では、今度こそ藤棚の右大将の番ですよ」
ころころと笑う帝の言葉に、藤棚の右大将はぎゅっと目をつむって覚悟を決めてから、歌を口にする。
木枯らしと白きをまとう山の裾
耳に芭蕉が刺さってますよ
どうしてそうなった。
摩利の蔵人が下の句に驚いていると、源氏の太政大臣が微妙な顔で藤棚の右大将に言う。
「相変わらず独特な歌を詠みますね。
これも個性かと思いますが、あの、例の女房に歌の手ほどきを受けたほうがいいのでは」
その言葉に、静かに控えていた新の蔵人が返す。
「歌にかけては椿の中将も引けを取りません。女房に気安く会うよりも、中将から習ったほうがいいように思います」
すると、椿の中将は慌てたように手を振って新の蔵人に言う。
「いやいや、私はなんとなくで詠んでいるだけなので、教えられるほどのことはなにもないのですよ」
あれだけの歌を詠んでおいて意外だなと摩利の蔵人が思っていると、帝が口元を扇で隠しながら笑う。
「そうは言っても、歌で石蕗の君を惚れさせて娶ったのでしょう?」
からかうような帝の言葉に、椿の中将は頭を下げて返す。
「実のところを申しますと、私の方が先に、石蕗の物語に惚れたものですから」
「おやおや、ほんとうにお似合いの夫婦ですね」
感心したように帝がそう言うと、椿の中将はすこしだけ声を落としてこう続けた。
「実は、今宮中で話題のあの物語よりも、石蕗の物語の方がすばらしいと思っております」
中宮のお気に入りの物語を引き合いに出してそんなことを言うかと、摩利の蔵人は慌てて椿の中将の方に目をやる。
それから、うかがうように帝の方を見ると、帝は上機嫌でころころと笑ってこう言った。
「たしかに、石蕗の物語もすばらしいものです。
なんせ、あの女房も石蕗の君に憧れて物語を書いていると聞いていますし、あのふたりの仲も良いと聞いていますしね」
どうやらほんとうに帝は機嫌を損ねていないようだと、摩利の蔵人はほっとする。ちらりと新の蔵人の方を見ると、同じくほっとした顔をしているので椿の中将の言葉に緊張していたのだろう。その緊張を感じ取ったけれどもよくわかっていないのか、藤棚の右大将はきょとんとしていた。
ふと、帝が源氏の太政大臣に訊ねる。
「ところで、太政大臣はあの女房と石蕗の君、どちらの物語の方が好きですか?」
その問いに、源氏の太政大臣は苦笑いをして返す。
「私は石蕗の物語の方がしっくりきますね」
それを聞いた帝が興味深そうにまた訊ねる。
「なるほど、どういったところが良いのでしょうか」
「あの女房の物語がつまらないわけではないのですが、その、自分を元に物語を書かれると、こそばゆいというかいたたまれないというか……」
それもそうだろうなぁ。と、摩利の蔵人は納得してしまう。もし仮に自分を元にした物語など書かれて流行ってしまったら、きっといたたまれない気持ちになるだろう。
「石蕗の君の物語も、なにかを元にはしているのでしょうが、それをうまくぼかしていますからね。
さすがの腕前ですよ、そこは」
源氏の太政大臣の言葉に、椿の中将はあからさまにしたり顔をする。それを見た帝がまたころころと笑う。
「おやおや、中将は自慢の妻を褒められてうれしいようですね」
「もちろんですとも」
帝の言葉にうれしそうに返す椿の中将に、新の蔵人が言う。
「ところで、甘夏の君は?」
一瞬にして椿の中将の表情が固まったので、きっと北の方である甘夏の君には相当すねられているのだろう。
そのようすにまったく気づく風もなく、藤棚の右大将がきょとんとしたまま摩利の蔵人に訊ねてくる。
「女房が書いている、源氏の太政大臣を元にした物語というのはどんなものなのですか?」
その問いに、帝から聞かされた物語を思い出しながら摩利の蔵人が返す。
「源氏の太政大臣と帝を足して割ったような人物が主人公の物語です」
「それって成り立つんですかね?」
藤棚の右大将が成り立つかどうかと言っているのは、源氏の太政大臣と帝を足して割ってどうなるのか想像が付かないのだろう。
その戸惑いもわからないでもないなと摩利の蔵人が思っていると、新の蔵人が頭を下げて言う。
「写本も出回っているようですし、藤棚の右大将もお読みになってみては?」
それを聞いた藤棚の右大将は難しそうな顔をしてからこう返す。
「双六のほうがいい」
思った通りの言葉に、帝も源氏の太政大臣もころころと笑った。




