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第一章 新年彩る大臣大饗

 新年の平安京。年が明けて四日目、殿上人たちは現在の帝の兄で、わけあって幼い頃に源氏の名を授けられた太政大臣の邸宅に集まっていた。

 行われているのは大臣大饗という、新年に大臣へと挨拶をするための宴だ。

 殿上人たちが宴の席に着き、太政大臣に拝礼をしている間、忙しなく宮中から太政大臣の邸宅へと向かっているふたりの人物がいた。

 ひとりは背が高く、器に盛られた蘇を持っている男。

 もうひとりは背が低く、器に盛られた甘栗を持っている男だ。

 背が高い男は黒い袍を、背の低い男は青い袍を着ているので、それなりの地位だというのが見て取れる。

 背の高い人物が、焦ったようすで背の低い人物に声をかける。

「新の蔵人、源氏の太政大臣の邸宅はどちらでしたっけ?」

 新の蔵人と呼ばれた男が、視線で行く先を示しながら答える。

「そこの角を左です。

摩利の蔵人も、毎年のことなんですからいい加減覚えてください」

「申し訳ないです」

 摩利の蔵人と呼ばれた男は、心持ち新の蔵人の後ろに下がり、その後をついて行く。新の蔵人は迷うことなく碁盤目状の道を進んでいった。

 なんとしてでも宴座に間に合うようにたどり着かなくてはいけない。新年早々やらかすわけにはいかないのだ。

 そんな摩利の蔵人の気持ちを察してか、それとも自分も焦っているのか、新の蔵人の足取りが速くなる。

 そうして六条のあたりにある広い邸宅にたどり着き、摩利の蔵人はようやくほっとする。ここが源氏の太政大臣の邸宅だ。

 しかし、ここにたどり着いただけでは安心できない。忙しいのはこれからだ。

 門をくぐり、女房に声をかけて、宴座へと案内してもらう。なんとか拝礼が終わる前にたどり着けた。

 拝礼が終わるまで、几帳の前で少々待ち、宴をはじめるという声が聞こえたところで女房が几帳をめくり、そこから摩利の蔵人と新の蔵人は宴座へと入る。

 宴座では、台盤を前にした殿上人と、奥座に座った源氏の太政大臣が座っている。

 普段なら、源氏の太政大臣は男であっても目を奪われるほどにうつくしいのだな。と、みとれてしまうものなのだけれども、今はそれどころではない。

 摩利の蔵人は蘇を、新の蔵人は甘栗を、源氏の太政大臣に少し献上した後、殿上人たちに配って回る。

 宴座にいる全員に蘇と甘栗を配り終わるとすぐさまに退出し、邸宅内の厨へと向かう。今度は宴座にいるみなに配る酒を持ってこないといけないのだ。

「やることが……やることが多い!」

 思わずそうつぶやく摩利の蔵人に、新の蔵人はしれっとした顔で返す。

「毎年のことなんですから馴れてください」

 しかしそうは言うものの、新の蔵人も焦っているのか足取りは速い。途中、よく磨かれた廊下を歩いていて、襪をはいた足を滑らせたりなどもしている。

 そんな新の蔵人の体を支えて体勢を取り直させ、摩利の蔵人は新の蔵人と一緒に厨へと向かう。厨は宴座から離れた場所にあるので、そこに向かうだけでも一苦労だ。

 なんとか厨につき、手際のいい女房から酒の入った徳利をみっつ手渡され、ふたりはまた宴座へと向かう。

「すいませんね、毎度のことながらふたつも持ってもらって」

 新の蔵人がそう言うので、摩利の蔵人はにこりと笑って返す。

「これもだいぶ重いですからね。

小柄なあなたが持つよりは私が持ったほうが安全でしょう」

 摩利の蔵人が言うとおり、新の蔵人は小柄なせいか力が弱いのだろう、大きな徳利を抱えて息を切らせている。

 しかし、この徳利を運ぶのも新年の蔵人の勤めだ。がんばるしかない。

 宴座の前に戻ると、中から源氏の太政大臣の落ち着いた声が聞こえてきた。どうやら殿上人たちに新年の挨拶をしているようだった。

 重い徳利を持ったまま、その場でしばし待つ。廊下は寒いけれども、厨からここまで徳利を運んできて火照った体を冷ますのにはちょうどいい。

 摩利の蔵人がそう思いながらのんびりと待ちながらちらりと新の蔵人のほうを見ると、徳利がよほど重いのか、早くしてくれという顔をしている。

 そうこうしているうちに源氏の太政大臣の話は終わり、女房が几帳をめくる。そこからふたりは徳利を持って宴座に入り、まずは摩利の蔵人が源氏の太政大臣に、それから、ふたり手分けをして殿上人たちの杯に酒をついでいく。

 この徳利は摩利の蔵人からすればひどく重いものではないので、易々と酒をつぐことができているけれども、新の蔵人はすました顔をして酒をつぎながらも、重さに耐えるので精一杯なようで手が震えていた。

 酒をつぎ終わったら、蔵人ふたりは宴座の端へと控える。それから、源氏の太政大臣の音頭の元に三献が行われ、台盤を前にしたみなが蘇と甘栗にだけ手を付ける。

 これが終わったら、豪勢な料理が乗せられた台盤を片付けていくのも蔵人の役目だ。

 三献が終わった後、摩利の蔵人と新の蔵人とで台盤を宴座から運び出し、外で控えていた数人の女房に手渡していく。女房たちは入れ替わり立ち替わり台盤を他の場所へと運んで行き、それに合わせて蔵人ふたりも台盤をすこしずつ片付けていった。

 台盤を片付け終わり、穏座はじまる。これでやっと一区切りだ。

 摩利の蔵人と新の蔵人は別の場所へと案内され、そこでようやく一息つくことができた。

 足を崩して摩利の蔵人が座っていると、新の蔵人がなにやら手をさすっている。よく見ると、先ほどの徳利のひもが食い込んでこすれてしまったようだ。きっと、寒さで冷えてしまったせいもあるだろう。

「大丈夫ですか?」

 そう言って、摩利の蔵人がせめてあたためようと新の蔵人の手にその手を添えようとすると、新の蔵人は摩利の蔵人の手をさりげなくそらして返す。

「大丈夫です。少しすれば落ち着くでしょう」

「そうですか? それならいいのですが」

「毎年のことですから」

 毎年あの徳利を運んでいるのに馴れないなんて、新の蔵人の手はどれほどの柔肌なのだろうと摩利の蔵人は思う。

 そうしていると、女房がふたり、湯気の立った器と箸を持ってやってきた。

「蔵人殿、北の方からの差し入れです」

 目の前に置かれた器には、あたたかな汁粥がよそわれていて、かすかに甘い香りがした。

「たすかります。ありがたくいただきます」

「北の方にもお礼申し上げておいてください」

 摩利の蔵人と新の蔵人がそれぞれそう言い、汁粥に手を付ける。あたたかくとろけるような汁粥は、気がつけば冷えていた体をほんのりとあたためてくれた。

 汁粥を食べながら、摩利の蔵人が女房に訊ねる。

「そういえば、源氏の太政大臣は帝と相変わらず仲がいいみたいですね」

 その言葉に、女房は口元を唐衣の袖で隠しながら答える。

「そうですね。帝はずいぶんと太政大臣になついていらっしゃるようですから」

 きっと、帝が源氏の太政大臣になついているから今の立場があるのだろう。

 過去の記録を見る限り、政争で失脚した皇族も決して少なくはない。本人にその気がなくても、周りが勝手にもり立てて争いになり、刺すか刺されるかの状況になることは珍しくない。むしろ多いことなのだ。

 けれども、今の帝は争いを好まない気質であるというのと、よほど兄である源氏の太政大臣のことを慕っているのだろう。自分の周りで源氏の太政大臣を廃そうとしている者たちをうまく押さえ込んでいる。

 それに、源氏の太政大臣もうまく帝のことを立てている。兄だからといって、帝に対して越権するようなことは絶対にしないのだ。

 もっとも、帝がなにかまずいことをやらかしたときなどには、兄としての責任を持って諫めたりはしているようだけれども、

 ふと、女房が話を変える。

「太政大臣は帝だけでなく、北の方も大切になさっておりますけれども、蔵人殿方は妻との仲はどうですか?」

 その問いに、摩利の蔵人はにこりと笑って返す。

「おかげさまで、妻ふたりとの中は良好です。

帝も、なにかと計らってくださいますし」

 一方の新の蔵人はしれっとした顔でこう答える。

「私はまだ妻がおりませんので」

 それを聞いて女房は驚く。

「あら、あら、その年でまだ妻がいらっしゃらないのですか?」

 女房の驚きももっともだ。新の蔵人の歳なら妻がいてもおかしくないのだから。

 妻がいないことを摩利の蔵人は知っていたけれど、理由はまだ知らなかった。

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