その7
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後漢の現状
189年3月、2月に何進が朝議に於いて、霊帝が病にて職務遂行不可につき、弁皇子に依る職務代行を法に従い提言、董重などの極一部を除いて賛成多数で可決され、即座に施行された。
これによって以降は、離宮に住む弁皇子に上奏が届く事となり、後宮に巣くう趙忠達十常侍から政治権力のパージに成功。
どうにかしようと足掻くも、「霊帝が快癒されて、朝議に御臨席をして頂けぬ限りは、定められた法に則って執り行うのみ」と、素気なく突っぱねた。
以後、趙忠達は一切の国政に携わる事が不可能となり、事実上の失脚状態となる。
慌てて何進や名家閥にすり寄ろうとするも、「只の使用人集団」という、雑魚と化した輩に付き合う義理などなく、何進達はガン無視したのであった。
この一連の動きに依って霊帝の重篤具合と、次期皇帝=弁皇子という図式が浮き彫りとなり、何進の躍進が顕わになったことで、名家・宦官共に行動に変化が発生する。
今までは、霊帝の次子・協皇子に表立って後援していた、宦官の蹇碩と驃騎将軍の董重以外の、趙忠や楊彪などは裏では何進への敵対心と、強力な後ろ盾の居ない協皇子が皇帝になれば、自分達の傀儡にする事が可能という利害得失から、董重等と繋がりを持って協皇子を支援していた。
しかし表では保身で弁・協皇子を両天秤に掛けて中立を保ち、日和見のどっちつかずだったのだが、今回の事態で董重等を負け組として判断し、厄介者扱いをし始めたのである。
宦官閥の趙忠達は、蹇碩の行動をリークする事を餌に、何進にすり寄って歓心を獲る事に懸命となり、名家閥は名家閥で、対何進の鉄砲玉として飼っていた董重が、使い物にならなくなったと見切りを付け、サッサと切り捨てる方針を取ったのであった。
幾ら脳内がお花畑のアホ達でも、潮が引いていくかの様に周りに人が居なくなり、冷淡な対応をとられ出した事に、霊帝が亡くなれば後が無いぐらいの、危機感は流石に持ったらしく、鼻つまみ者同士が一発逆転の目を窺うべく、両名は手を結んで密議を重ねていく。
しかし当然の如く両名の動きは、派閥からスパイとして派遣されている部下や、家臣により情報が筒抜けであり、歓心・恩を得るべく両派閥は、せっせと何進に情報を御注進をしまくり、御注進された何進は「同情する積もりは無いが、なんだかなぁ・・・」と、身内に売られて捨て駒扱いにされる、政敵のあまりにも悲惨な状況に、複雑な表情を浮かべるのであった。
そしてその動きは下にも連動し、西園八校尉の1人で宦官閥に属す下軍校尉の鮑鴻が、十常侍の後ろ盾が無くなった瞬間、不正蓄財・搾取の訴えが上告され、捕縛されてから即決即断で、一族諸共に処刑されるという事件が発生し、一気に十常侍周りの関係者も失脚していったのである。
因みにだが曹操が所属していた事で、名前が残っている西園八校尉だが、結成されて1年処か、半年も経たずに校尉達が不祥事を連発。
他ならぬ自分達自身が、自分達の官職の金看板をドブに捨ててしまい、不名誉な職場にしてしまう。
挙げ句に「公金横領」という当時では、比較的軽い罪科でも当人だけでなく、一族一門も連座で処刑されるのが当たり前といった、半端なく重い職業倫理な役職だった為、「朝廷内随一の大ハズレ官職」として、両派閥から敬遠されてしまうのであった。
結局「皇帝直属の親衛隊長」という、立派な肩書きを持ちながらも、不祥事で処刑された校尉達の、後任者候補が悉く辞退した為、誰一人として残らず決まらず、霊帝の肝煎りで結成された西園軍は、自然消滅する事となる。
まぁ、曹操や淳于瓊の様に真面目に真っ当にしさえすれば、何の問題も無いと思うのだが、それが出来ないのかするつもりが無いのか・・・この時代の派閥連中は、倫理観がどうしようも無い模様。
その様な中央情勢の最中、とある州牧は・・・
涼州漢陽郡隴県州治所執務室
「さ~て・・・これからどうすっかね~・・・。」
筆を口と鼻の間に乗せ頭に両手を後ろ手にして、机に足を乗せて椅子を浮かして前後させるという、不作法な格好で物思いに耽る、涼州のトップ・州牧の糜芳。
ギィギィと椅子が軋む事を無視して、今後の涼州経営の方策に頭を巡らす。
因みにだが、新年早々に仙術紛い(手品)をして騒動となり、大量の道士を涼州に呼び寄せる事態となった事柄に関しては、速攻で事態解決を行っていた。
一時的に混乱状態になった糜芳だったが、
「どないしょー?・・・・・・うん?よくよく考えてみりゃあ、将来的に多大な影響力を持ってる、曹操だの荀攸だのとかなら兎も角、世捨て人でしか無い道士に阿る必要性がねーじゃんけ!」
ポンッと手を打ち鳴らして、自分の立場・地位を思い出したのであった。
押し寄せてくる道士の大軍を、元々私的な交流を断っていたので、直接相手にせずに仙骨等の素質が必要といった、どっかの封神的な内容を明記した上で、「嘘や詐欺と言うなら、荀攸達に確認しろ」と、触れ書きを設置。
実際にそうすれば、(偽りの)奇跡を目の当たりにした出席者が激怒し、間違いなく処罰されてしまい、二度とこっちに来なくなる策謀である。
一定数は肩を落としてすごすご帰ったが、ゴネる者は州軍を繰り出して追っ払い、「祟り」だの「災い」だのと、官爵持ちに対して呪詛紛いを行った質が悪い輩は、普通に「※呪詛罪」として逮捕し、罰金刑や強制労働刑に処して裁いたのであった。
※現代では祟り・災いだのと相手に言っても、「不能犯(実現不可能な犯罪行為)」として逮捕されないが、江戸時代以前までは普通に、「呪い」という概念は実在するとされ、呪詛を言っただけで犯罪となり逮捕された。
そうして道士達を撃退し、ゴネる者には取れるモノはしっかりと取り、呪うアホには「人呪わば穴二つ」を、リアル体験させて上げたのであった。
ビバ権力様々である。
(徐州方面に向かった連中に関しては、何か父・糜董から泣き言が綴られた手紙が来たが、職務範囲外として我関せずを貫いた)
それはさておき、
道士達を追っ払った後、本格的に内政を開始し、先ずは徐州時代に実践した、「5w1H」に依る報告書の簡潔化と、書式の統一に依る簡素化、分野が被る部署の統廃合と、それに伴う書類の裁可の簡略化に拠る迅速化を、涼州全体に矢継ぎ早に発令。
同時に各郡には書式の見本を配り、「これ以外の書式は、州・国に提出する公文書として認めない」と通達し、県から郡に向けての公文書までは規制しないが、少なくとも自分の所以上に届く、公文書の書式の徹底を促した。
郡太守時代みたいに、管理職クラスからの反発が有るか?と、身構えていた糜芳だったが、案に相違してすんなり受け入れられた処か、「明確な基準を作ってくれて、本当にありがたい」と逆に感謝される事となり、正直驚いたのであった。
実は各郡では、先の韓遂達に依る反乱騒ぎで、汚吏・悪吏=管理職クラスが根刮ぎ殺され、マトモに書類管理が出来ずというより、管理処か書式すら議論百出して満足に纏まらない所が多く、「書類書式の基準設定」自体が、手探り状態になっていたのである。
そんな中で基準が定まると、経験不足では有るが、いい意味で固定観念に囚われない、柔軟な発想を持つ若手が多かった為、即座に対応して予想以上に早く各郡県が、行政機能を回復していった。
(まぁ、何事も一長一短だよな~・・・。
簡略且つ迅速に決裁が出来て、今まで滞っていた分が一挙にこっちゃにきてるし・・・もうヤダ)
ちらりと横目に各郡から届いた、最終決裁待ち報告書の山、もとい山脈を観て、涙を零さぬ様に上を向き、「空を見上げる歌」を口ずさむ。
次に各郡に命じたのは、各郡県の管理区域である城市に建造されている、城郭・城壁の不備の有無の点検、非常(籠城)時の際の食糧備蓄及び、武具の貯蔵数の在庫確認である。
現状は韓遂の反乱撃退時に行った、糜芳の策謀に拠る異民族同士の相互不信の余波に、以降の董卓が異民族達に見せつけた武威といった、軍事的威圧に加えて馬騰・韓遂の双方が、贈り物を贈る等の積極的に友好関係を築いて懐柔する軟路線、流言飛語をバラまいて仲違いを誘発する硬路線の、硬軟織り交ぜた表裏一体外交を展開しており、一応は小康状態を保っていた。
しかしながら此処は修羅の国・涼州、他州の如く悪政や天災に拠る、農民反乱がメインの所とは違い、下は流賊から上は複数の部族連合までピンきりの、バラエティー豊かなラインナップで、「某井戸にお住まいの、テレビorスマホ(最近はコッチがトレンドの模様)で目的地にやってくる女性怪異」のテーマソング並みに、異民族が襲撃してくる所である。
つまり涼州は常に、「いつ何時でも、異民族の誰からでも襲撃を受ける」という、某レジェンドレスラーの名言(?)の如きな状態であり、小康状態の今こそが、防衛機能の回復・強化の絶好の機会であった。
糜芳の通達を受けて、行政機能が回復していた各郡県は、一段落ついてハッと気付いたのか慌ててチェックを開始し、各自早馬で現状態を知らせて来た。
各郡県の状態報告を受けた糜芳は、地元出身者故に涼州の事情に詳しい、副官の蔡良と共に、地理的条件(異民族の縄張りに近いか)と在庫状況が悪い順に優先順位を決め、必要な資材と人夫兼護衛兵を順次派遣していく。
コレらに掛かった経費は、着任後即座に撤廃した、アホ共が勝手に作った税制の余剰金と、自分の給料と何進から貰った袖の下(賄賂)、「こういう時こそ協力すれば、浮屠の人気が上がるのにな~」と、さり気な~く呟いた糜芳の言葉の意を受けて、「涼州ガンダーラ(理想郷)」化を夢見るイー達は機敏に反応、全国の浮屠教徒から資金調達を行い、涼州に寄付してきた寄付金で賄った。
その内資材調達に関しては、州内だけで調達すると物価高騰を招いて、庶民の生活を圧迫しかねない為、先の自分の結婚式に偶然招待して居た、飯屋のおっちゃんの娘婿で洛陽の大手商会、「高家商会」に資材調達の外注を委託。
糜芳の委託を受注した高家商会は、
「多数の名士を紹介してくださった感謝を込めて、精一杯勉強させて頂きます!」
そう言って予測した見積もりよりも、結構勉強(割安)してくれたのであった。
結婚式に招待してわざわざ来てくれた、おっちゃんの娘婿で高家商会の若旦那・高鍾に、感謝の気持ちで合間を縫って、荀攸達を紹介した事で顔が広がり又、道人扱いになっている糜芳の紹介と相まって、新規の太客を得たお礼との事。
こうしてリーズナブルに予算を抑えれた分は、非常予備金に回して州予算にプール、災害時に使える様に残した。
そして人夫兼護衛兵は、馬騰・韓遂の両軍閥を指名して、担当場所を割り振って丸投げした。
因みに当初何か両者が、多忙がどうとか抗議して来たので、
「貴君等上層部は確かに多忙かも知れないが、末端の兵士達は貴君等の役割には、ほぼ無用だから遊んでいるだろうが。
それに今回の修繕・復旧に関しては、貴君等がやらかした事(破壊・略奪等)が多数有るんだがな?
貴君等が郡県をチャンガラ(散らかした・無茶苦茶)にした後始末は、貴君等自身にやって貰うのが筋と思うのだが・・・おかしな事を言っているかね?」
「「うぐう・・・!?」」
司令官スタイルとド正論で迎撃する。
「それに加えて修繕費用は此方持ち、手弁当(自腹)は流石に悪いので、些少だが賃金を払うと言っているのに、納得がいかないと言うのだな貴君等は?」
「「え~と、その~・・・。」」
「ああ、なる程!」
初手から正大なぶちかまし(正論)を食らって、動揺している両者に構わず、ポンと拳で手のひらを打ち鳴らし、
「自分達の後始末は、自分達できっちり全額負担で無料奉仕して、始末を付けたいのか貴君等は!?
素晴らしい!早速触れ書きを出して、貴君等の献身振りを喧伝しよう!!」
容赦なく追撃を行って、追い込んでいく。
「「勘弁してください!大変失礼しました!
どうぞご自由にウチの兵士達を使ってください!
謹んでやらして頂きますからどうか、どうか、触れ書きを出すのは止めてください!
ウチの軍閥経営が破綻してまいますけん!?」」
半泣きで縋り付いて来る、涼州の英雄達。
「んじゃこの書類に、同意した署名をしてね。」
「「はい・・・。」」
「あ、それと復興支援として、貴君等も何もしないのも居心地が悪いだろうから、内外別駕従事としての給料は、寄付(天引き)にしておくから。」
「「はい・・・了解しました・・・お騒がせしてスミマセン・・・うう、あんまりだ。」」
熱い涙を流しながら了承し、肩を落としてすごすごと撃退されて帰っていく両者。
こうして異民族と戦えて、土方・建築作業もこなし尚且つ、低賃金(無論軍閥からも給料が出ています)で働いてくれるという、現代のスーパーゼネコンが聞いたら、涎を垂らして欲しがる労力を手に入れ、急ピッチで復旧・修繕を行っていくのであった。
(まぁ、防衛力が整ってこそ、初めて落ち着いて内政が行える訳だから、最優先事項だわな。
しかし涼州の内情を知れば知るほど、地元の徐州って恵まれてたんだなぁと、つくづく思うわ)
決裁待ち報告書の山脈の横に積まれた、経過報告書の小山を観て思考する。
故郷の東海郡では、今でこそ黄巾賊の残党が青州を始め、州境付近に蔓延っているので防備を厚くしているが、それ以前は台風等の自然災害を除けば、賊徒の侵略を受ける事も無いので、滅多に改修・修繕される事は無く、城市に依っては10年以上も放置されていた所があった程だった。
それに比べて涼州は毎年の如く、異民族達からの侵略を受け、しかも騎馬主体なので高機動で移動し、近場でも防備の厚い所は避け、遠場でも防備の弱い所を狙って、襲撃をしてくるという質の悪い、有る意味理に叶った行動パターンを繰り返していた。
その為徐州の様に防衛線を張って、水際で食い止める事が難しく(徒歩の黄巾賊残党と違い、騎乗の異民族達に高速ですり抜けられてしまい、追尾も非常に困難な為)、各郡県民は侵略の一報を受けると、各自が城砦に籠もって籠城するしかなく、涼州内のあちこちで、損傷の被害に遭っていたのである。
同じく異民族に接していても、万里の長城にある程度守られている、并州・幽州よりも容易に侵入も可能な為、被害の度合いも桁違いであり、防衛費の大きさが朝議にて議題に上がり、問題視されるのも至極当然であった。
(まぁ、議題に上がる程問題視しているクセに、なんでアホや屑ばっかり寄越して、マトモな奴を派遣しねーのかが、理解不能だけどな。
・・・ど~せ莫大な予算の利権に食い込めねーかとか、しょうもない事しか頭に無いんだろうけど)
洛陽でのうのうと過ごしている、両派閥のアホ共の無能・無軌道さに、呆れ果てる糜芳。
(いずれアホ共にはしっぺ返しが来るから、それは一旦置いといてと。
う~ん・・・後は不正腐敗防止に、「横目付」や「影目付」でも設置すっかね~?)
椅子をギィギィ軋ませながら、内部的な引き締めを思考する。
(とりあえず目付(監視役)を2通り作ってみるか。
俺や郡太守が指名して任命する者を横目付として、派遣するか現場者を登用するか・・・かな?
俺=州牧の場合は各郡太守の監視役として、郡太守は各県の県令の監視役にって感じかな)
大雑把な概要を検討し、
(う~ん・・・解任権は任命者にしかなく、横目付には問題が有れば、直接任命者に告発出来る様にし、監視される県令や郡太守にも横目付に問題が有れば、任命者に解任要求が出来る様にするか。
プラス、横目付が郡県トップの汚職・不正に気付かず、問題が発覚した場合は職務怠慢で連座とし、逆に横目付に問題が発覚した場合は、任命者が連座で処罰される様にすれば相互監視になるし、適度な緊張感が出て丁度良いかも)
基本骨子を作っていき、
(んでその横目付と郡県トップが、結託する可能性も考えて、非公式に任命するのが影目付であり、両者の監視役って訳だ。
まぁ、影目付は正確には居ても居なくても、どっちでも好いんだけど。
「誰かに常に観られている」という風に緊張感を与えて、不正腐敗抑制効果が狙いだしな。
一応両者に対する弾劾権は持たせるけど、悪用防止で影目付の立場を公に公表したり、洩らしたら処罰する様にしとくか・・・)
肉付けをしていく。
(ちゃんと内部の引き締めをしておかないと、中抜きや横領があっと言う間に蔓延るみたいだし。
この時代の中国って儒教全盛期の筈なのに、職業倫理観がゼロに近いのが逆にスゴいわ~。
とっくの昔に儒教が廃れた前世つーか、未来の日本の公務員の方がマシって言うのが何とも・・・。
まぁ、階級が上になる程、そういう輩のパーセンテージが高いのは、共通項かも知れんけど)
新の竹簡に、目付役に関しての構想を書きつつ溜め息を吐く。
悲しいかな後漢末期は、「朱に交われば赤くなる」・「中央名家が愚鈍ならば、地方名家も同じ」を地でいっていた。
(人の事言えんけど、「大学で、覚えるモノは、役(麻雀)と酒(飲み会・コンパ)」だっけ?そんな川柳も有るぐらいは、人間楽に流されるモンだから、個人的な話だったり、民間企業の話なら民事的なこったから、ご自由にどうぞで放っとくんだけどね。
国民から集めた金を公務員が、ポッポ(ポケット)に無い無い(中抜き・横領)したらアカンやろ?)
東海郡時代から、常々思っていた事を独白する。
(民間だったらバレた途端、即日獄に拷問付きで落とされて、ハイ人生終了~なのに、中央名家のアホ共がやったら、罰金でハイ終了~で済んで、1~2年でしれっと復帰してやがるってどうなん?
おかしいやろがい絶対!?
武官なんか戦地(任地)でソレやったら、軍法法廷に掛けられて、確実に絞首刑になるのに、文官は同じ事を任地(職場)でしても、復活ありの罰金だけのションベン刑・・・理不尽過ぎる)
この国終わってるわと、しみじみ実感する糜芳。
それはさておき、
(とりあえずこの目付方式をやってみて、「ダモクレスの剣」の故事程大げさじゃないけど、それなりの危機感と緊張感を持ってくれたら・・・うん?)
連々と竹簡に書いていると、
「ああっ!?何やってんの俺!?
自分で自分の仕事増やしてどうすんだよ!?」
貴重な休憩時間を潰し、ワーカーホリックな現象を起こしているのに、ふと気づいて頭を抱える。
「うう、アホな事しちまった・・・けど、今の内にやっておかねーと、後で後悔すんのも嫌だし。」
渋々と目付に関する構想を記していき、それぞれ「可」・「不可」・「再考・再提出」・「未決・要相談」と書かれ、部屋の四隅に設置された各大箱の1つ、「未決・要相談」の箱に投げ入れた。
この大箱は目を通した報告書が、入り混じってしまうのを防ぐのと共に、糜芳も投げるだけで済んで一杯になるか呼んだら、後は勝手に担当者達が箱ごと運んでくれて、各分類に応じて処理してくれるという、作業効率を良くする為に設置した物である。
「可」はそのまま決裁済みとして、書庫(資料室)に保管されたり、業務担当者に渡されて施行される。
「不可」はそのまま提出者に返却されるか、付け木(火種)として有効活用となる。
「再考・再提出」はそのままの通り、内容が不鮮明だったりと不透明な報告書を、きちんと推敲をしてから、再度提出を促しているモノである。
「未決・要相談」は糜芳個人での判断が難しく、専門官や蔡良といった人達と、相談しつつ決めるモノと判断した報告書であり、緊急性がない限りは朝の朝議で、各自と相談するのが普通であった。
そして目付構想の書類を投げ入れた途端、休憩時間終了の時を迎え、私的秘書官ポジションに就いているイーが入室し、書類決裁タイムに突入する。
そうしてせっせと書類決裁タイムを毎日繰り返し、4月を迎える頃には効率化を進めたお陰か、大まかな目途が立ち、漸く余裕が出て来たのであった。
(う~ん・・・こうして書類決裁をしていくと、有る程度の涼州事情が解って来るもんだなぁ。
徐州とは問題の内容が異なる事が多いし・・・)
再び貴重な休憩時間で脳内思考する。
先ず徐州と大きく異なる事は意外にも、「傷病に依る元軍人浮浪者や、戦災に依る浮浪児」が、殆どいない事だった。
あまりに意外だったので、管理職武官に尋ねたら、
「日常生活に支障を来す程の戦傷を負った者は、余程裕福で無い限りは、「武人の情け」としてその場でトドメを刺すのが、我々涼州人の常識です。
惨めに生き長らえても、「死に損ない」として死に勝る恥辱を受ける事にしか、なりません故。」
そう言って一旦言葉を切ると、
「又、傷病については、家族にも相当な負担を掛ける事となり、家族諸共に共倒れになりかねませんので、基本的には「山や野に返す(姥捨て)」事となる場合が殆どですな。」
若干言い辛そうに言葉を紡ぐ。
日本の戦国時代を彷彿させる台詞の数々に、口を開けてポカーンとしてしまう糜芳。
「え、じゃあ孤児が少ないのは?」
「男の子の場合は各自の軍閥が引き取り、幼い内は小間使いを経て、一定年齢になれば訓練を施し、一般兵士として使います。
その内で騎兵適性が無い者は、衛兵や州・郡・県の軍部に、転属する者が多いですね。
適性が有る者はそのまま正規兵として、最前線で異民族と対峙し続ける事になります。」
「な、なる程・・・戦漬けの人生を送るのか。」
つくづく徐州に生まれて良かった~と、心底喜ぶ。
何処のキン○ダムだよ!?と脳内で思った糜芳だったが、よくよく考えたら時代は若干ズレているが、全く同じ場所に居る事を今さらに気付き、「そりゃさもありなん」と納得するのであった。
「後は女の子の場合はその~、交易隊が通過する玄関口・敦煌郡や、中継地の漢陽郡とかで利用する宿場町にえ~と・・・お察しくださいませ。」
言葉を濁して曖昧な表現でごまかした。
「・・・ああ、大体察したわ。」
夜の蝶に成ることを理解する。
そうした調査の結果、浮浪者・浮浪児は殆ど居らず、良くも悪くも浮浪に成らない様に、自然というか土地柄的に伝統となっていた。
次に母子家庭の場合も意外と充足していて、そもそも涼州の農業は牧畜業がメインなのだが、実家や嫁ぎ先が牧畜を営んでいる場合は、大概は引き取って家畜の世話をさせる代わりに、食料を提供して糊口を凌げる様にしていた。
そうでない場合も早い段階で、子供が男なら軍閥や軍に奉公に出て軍人を目指し、女なら母親と一緒に宿屋や酒家に日雇いで仕事を得るなどと、食い扶持を自分で見つける逞しさをもっていた。
戦没者の遺族のアフターケアの分野に関しては、徐州よりも遥かに進んでいたのである。
(多分だけど、昔っから戦争に明け暮れてた環境だったから、極々自然にアフターケアが形成されていったんだろうな。
寧ろ黄巾賊までろくすっぽ戦闘した事が無い分、徐州の方が傷病軍人や遺族の対応が悪く、後手後手なのは当然ちゃあ当然か)
あまりの生活環境の違いの差に、同じ国内の話と思えない糜芳であった。
こういった経緯から現状の涼州は、男手は畜産業や観光業といった一部を除き、殆どが軍事関係に集中していて、他分野にリソースを割く余剰が無く、女手の方が定職に就いていない分余剰が有る、といった具合であり、慢性的な男手不足に依る女手で代用といった、第二次戦時中末期の日本みたいな状態になっている。
因みに涼州に於ける文官はかなり裕福な家庭か、世襲化して家業としている家庭ぐらいしか、余程の幸運でもない限り滅多に成れないのと、武を尊ぶ気風故に、なり手自体が少ないのであった。
(稀~に成公英の様に、軍人から苦学して学問を修める者もいるが、結構な少数派である)
その様な武尊気質な地元の気風と、常に戦時中な為に学問を学ぶ環境とは程遠く、結果涼州全体の識字率は相当に低いのであった。
(う~ん男性は最悪軍人になったら、食いっぱぐれは少ないから良しとしても、女性の方はアルバイトみたいな日雇いで食ってるのは、ちょっと不安定な感じがするな~・・・)
ウンウンと唸りつつ、
(そう言や華陀の爺さんが、方士のなり手が少ないって嘆いてたから、いっそのことそういった方面に女性を割り振って、専業化させるのも有りか?
貞操観念が強い時代だから、産婦人や女性の治療なんかとか、需要は絶対に有るだろうし。
後は全明の「虎子商会」も参入させて、アパレル関係の縫い子職人になって貰うのも、職業の選択肢の幅を広げる事になるから、それも有りだよなぁ)
うんうんと、自分の思い付きに自画自賛する。
そのまま思い付きの計画を策定し、「男手が無くてなり手がいないなら、女手に地域・分野産業を担って貰ったら良いじゃない」という、何処ぞのマリーさん的発言(創作)に近い計画名をつけ、せっせと竹簡に内容を書いていく。
「よっしゃ出来た!こんなモンでっ・・・て、何やってんだよ俺は又!?
又々要るけど個人的にはいらん仕事を、作ってしまった・・・脳内思考してると妙にアイデアが浮かぶ、自分が恨めしい・・・うう。」
同じアホを繰り返して、学習しない男・糜芳。
自縄自縛に創生してしまった仕事の書類を、半ばヤケクソで「未決・要相談」の箱に投げ入れる。
すると入れ違いに、
ダダダダッバン!!!
「糜芳殿じゃない糜州牧様!!
一大事です、一大事!!一大事が出来しました!」
ドアを蹴破る勢いで別駕従事の蔡良が、普段の温厚な顔つきとはまるで違う、切羽詰まった表情で部屋に飛び込んで来る。
「え、もう休憩時間終わり?」
「それ処では有りませんよ州牧様!?
洛陽の都から急報が届きましたぁ!!!」
「え、洛陽から?何だろう?」
思い当たる節が咄嗟に浮かばず、首を傾げる。
「お、落ち着いて聞いてくださいね糜芳君!?」
「いや蔡良殿の方こそ落ち着いてくださいよ。
一体何事なんです?」
蔡良の距離感が判らず、義弟として返答する糜芳。
「去る一週間前、主上陛下が、主上陛下が崩御!!
御隠れに為られました!!」
口から泡を飛ばして報告する蔡良。
「へ?御隠れって亡くなったって事?」
「そうです、その通りです!」
「ウソ・・・こんなに早く?
はぁぁぁぁぁ!?嘘でしょうマジで!?」
前世知識でも、正確に没っする月までは覚えていなかった為、突然の訃報に慌てふためくのであった。
189年4月、前漢・後漢併せて約200年以上を誇り、帝国の象徴であった実質上最期の龍が堕ち、霊帝の死に依って漢帝国は後世の史実に於ける、事実上の滅亡を迎えたのであった。
続く
え~と霊帝以後も、子の献帝までつづいてはいますが、事実上帝政の体を成しておらず、個人的には霊帝までで終わりだよなと、思っているので、そう表現させて貰いました。
楽しんで読んで頂けたら嬉しいです。
優しいプッシュ・感想を宜しくお願いします。




