その4
読んでくださっている方々へ
いいね・感想を押して書いて頂き、誠にありがとうございます!
え~と遅筆ですみません。
漸く書き上げたので即投稿します。
東海郡郡治所執務室
「添殿が亡くなられて、早幾月も経つのか・・・。」
採光用の窓から見える、枯れ葉が舞う様子を眺めながら、物思いに耽る糜芳。
187年5月に天に召された夏侯添を送った後、刻々と世の中の情勢は変化していった。
6月には糜芳が勘違いしていた、張純が史実通りに張挙なる人物と、異民族の丘力居を引き入れて決起、俗に「張純の乱」と呼ばれる反乱を地元・幽州で起こした。
突然の凶事に驚いた朝廷は、西隣の并州で暴れている黒山賊の張燕と、張純が結託して結び付くのを怖れ、なんと張燕に将軍位を授与して和睦するという、予想の斜め上の行動を取ったのであった。
(普通に考えれば、張燕と張純が結び付く筈無いのに・・・ああ、中央視点で観るとそう観えても?
イヤイヤ皇甫嵩や朱儁が気付かない筈がないから、中央閥(名家・宦官)連中の判断だろうな~)
アホだろと呆れる。
両者が結び付かない理由は大きく2つあり、1つはお互いの「成り立ちと立ち位置」である。
張燕は元々は庶民で張純は元は官僚であり、言わば被支配者層と支配者層の間柄で、そもそもが張純達支配者層の悪政・痴政が原因で、困窮して生きる為に庶民が盗賊堕ちになった者が、張燕達黒山賊の成り立ちである。
それに依り支配者層に対する怨恨の念(特に名家・宦官閥)は、黒山賊決起初期でも有るため非常に強く、成り立ち自体が水と油の関係であり、両者の相性は最悪であった。
(後年に張燕が降伏したのは曹操の異民族討伐と、国淵達民部に依る生活安堵の他に、後漢自体が実質的に滅んだのと、黒山賊の世代交代が進んで、怨恨の念が薄れていたのもあった模様)
張純からすれば張燕と手を結ぶのは、「自分の手駒が増えた」=張燕が部下になった(張純視点)事に成るので、喜ばしい事だろうが、逆に張燕からすれば、「腐れ者に媚び諂って下に付いた変節漢」と部下達から見做され、反発が起こって内部崩壊に陥る危険性がかなり高い為、立ち位置的に不当な部下扱い+内部崩壊のデメリットを背負ってまで、手を結ぶメリットが皆無であった。
そして2つ目は、「異民族」の存在である。
ぶっちゃけ異民族の丘力居を引き入れたのが、張純の最大の失策であり、命取りにもなった。
張燕達黒山賊にとって異民族は、「外来性敵対種」(現代日本風に言えば、外国参入の同業他社)であり、自分達の縄張りを荒らす(略奪行為)同類且つ、天敵に等しい間柄であったので、引き入れた張純と張燕は当然反目し、軍事同盟・不戦協定処か敵対関係になっている。
この2つの理由に依り張純と張燕は、手を結ぶ可能性は皆無だったのである。
(ついでに張燕処か州軍閥と、民衆までも敵に回してるし・・・コイツを黄巾賊討伐の司令官に推挙した奴、目ん玉と脳みそ何処にくっつけてんだマジで?)
駄目だこりゃ、と駄目だしをする。
幽州及び并州の軍閥は、涼州の韓遂や董卓の様に状況に応じて、異民族と敵味方に相半ば(離合集散)する様な柔軟性のある間柄では無く、異民族とはガッチガチの仇敵同士であったので、張純は両州の精鋭である軍閥をも、明確に敵に回すという愚行を、無自覚にやってしまっていた。
同時に幽・并州の国境付近一帯を中心とした、軍閥と同じく異民族に深い憎悪を抱いている、大半の民衆も反発してしまい、故郷・幽州でも地元郡周辺しか支持を得られず、地元よりも南側の冀州の方から難民・棄民という烏合の衆が、わらわらと集まってくるのみであった。
高々数百から千単位のマトモに言葉も通じず、連携も取れない異民族を味方に引き入れた事で、数万の軍閥と黒山賊、数十万の民衆を敵に回すという、後漢史上稀に観る致命的な軍事状況を作り出した、軍事音痴兼アホなのが張純であった。
(う~ん、けど政治能力は有って、2年近く持ち堪えてるから、一概にアホとは言えないかな?・・・いや、やっぱりアホか。
軍事経験皆無のド素人の俺でさえ、フツ~にやべえと思い付くぐらいのモンを平然と、2年近くの反乱準備をしておきながら、バカやらかしてんだからよっぽどやぞコイツ)
張純をアホ認定する糜芳。
(張純もアホだけども、張燕に将軍位なんぞを与えるなんて、中央閥連中も同レベルでアホだよな~)
何考えてんだろ?と再び呆れる糜芳。
パッと見は戦略的に観れば、「2つの反乱勢力を結託させない様、片方に将軍位を与えて差別化し反乱勢力を分断、片方を味方に取り込んで、反乱勢力を1つに絞り込んだ」という一般的な離間策であり、その場凌ぎで観ればマトモに観えるのだが、長期的に観れば愚策だった。
因みにだが、決してこの離間策自体が悪い訳ではなく、寧ろ後世の民の時代には、国外に大勢存在する異民族達を制御化して、自国に略奪行為や反乱をさせない様に巧みに使用され、優遇・不遇を明確化させて異民族同士を煽って対立させたり、お互いを唆して戦争状態に持ち込み、支援物資の多寡で有利・不利を均等化させ、戦争状態を長期化させて潰し合いをさせるといった事を行っている。
この様に異民族等の対外策としては良策でも、黒山賊等の国内反乱勢力に対する、対内策としては愚策だった。
何故かと言うと、張燕に将軍位を与える=張燕達黒山賊の反乱行為を容認するor正当化する=じゃあ自分達も反乱行為をしても、黒山賊並みに暴れれば朝廷から将軍位を貰えて、容認されるんだ!→よ~し、頑張って反乱を起こすぞ~と、結果的に黒山賊を味方に取り込んだ事で、反乱に対するハードルを自ら下げてしまい、反乱行為を誘発する事になるからである。
つまり国内で今回の離間策を使用すると、反乱を容認する事で、却って反乱を助長させてしまうという、本末転倒な結果を生み出してしまうのだ。
実際の史実でも、張燕に将軍位を与えて黒山賊を容認して以降、急激に反乱が相次ぐ様になり、制御不能な状態に陥っていくのである。
・・・正直バカの極みであった。
(それになぁ、ど~せ張燕に将軍位を与えて、懐柔したのも当然方便で、張純を倒した後に始末するつもりなんだろうけど・・・。
盗賊の張燕に将軍位=軍部(皇甫嵩・朱儁)も同列扱い=軍部を侮辱して、喧嘩売っている行為なのを理解してんのか両派閥共は?
激怒した軍部に確実にしっぺ返し喰らうぞ・・・つうか董卓の時にキッチリ喰らってたわ、そういやあ)
道理で軍部が名家閥を虐殺する董卓に味方して、宦官閥壊滅後も名家閥連中に、味方する軍部連中が全然いない筈だわと、ポンと手を打って納得する。
(後もう1つ、将軍位を与えた者でさえ容赦なく始末したら、他の反乱者達が決死になった上に、二度と朝廷の降伏勧告に、応じなく成っちゃうんだけど、どうすんだ?ちゃんと考えて・・・る訳ないか)
少しでも考えてたら、そもそもこんなぬけ策をする筈もないかと、溜め息を吐く糜芳。
(う~ん・・・ど~も今回のぬけ策を考えたのは、現名家閥トップの楊彪っぽいな。
楊彪が董卓横死後に政権を握った、李傕・郭汜を仲違いさせた離間策と、似たような無責任さと結果が怖いくらい酷似しているし・・・)
腕を組んで推理する。
糜芳が今回のぬけ策の首謀者が、名家閥トップの楊彪と推測した根拠は、楊彪が董卓死後に専横を振るう、李傕達を排除する為に画策した、離間策の過程と結末が、余りにもクリソツだからである。
張燕と張純、李傕と郭汜、それぞれはその場限りでは離間策に成功し、互いに敵対関係になっているのだが、前者・後者共に過程の段階で、制御不能に陥って勝手に暴走した結果、却って事態を悪化させているのであった。
前者は前述の通りであり、何進横死のどさくさで有耶無耶にはなったが、反乱を誘発・頻発させてどう後処理するつもりだったのか不明である。
(少なくとも何進は間違い無く、この離間策とは無関係なのは確実(自分の軍部を貶めて部下に不満を持たれる上に、自身が誘発させて自身で始末する様な、バカをする奴はいないから))
張燕以外を認めず討伐すれば、「なんで彼奴等は良くて、俺達は駄目なんだよ!?」と余計に不満を募らせ、連鎖的に反乱を誘発する可能性が高くなるし、張燕自体を討伐すれば、「将軍位を貰った奴でも殺されるんだったら、俺達が助かる筈が無い!」と死に物狂いで抵抗し、強硬化を招く事になるのである。
どっちに転んでも、現状より悪化は確定的である。
そして後者は史実通りに、流言飛語で李傕達を仲違いさせたまでは良かったが、処理能力が皆無でマトモに対処出来ず、内乱状態を招いた挙げ句に献帝まで危険に晒し、関羽千里行(演義の創話)ならぬ、献帝が長安脱出から洛陽までの逃避行、献帝千里行(正史の実話)を実現させてしまった程であった。
結果、献帝に部下を御する器量が無いと、天下に晒して権威の失墜を招き、益々後漢王朝の没落に拍車を掛けており、楊彪のいらん事しいが原因で、余計に事態が悪化したのである。
しかもこの楊彪さん、コレだけの騒ぎを起こしておきながら責任を取る処か、自分は無関係とばかりにしれっと在官し続けて知らんぷりし、後漢王朝の復興の芽が無いと判ると、「年老いた」とサッサと見切りを付けて退官して隠居。(御年70過ぎ)
バッサリ後漢王朝を見捨てて逃げ出した、ガチの無責任な害悪陰謀家であった。
(李傕達を楊彪は「国賊」って評したらしいけど、李傕達もコイツにだけは言われたかねーわいな~。
やっている事は奸賊・奸臣そのものだし。
そら~曹操も害悪を毛嫌いして、どうにかこうにか因縁を付けて、処刑しようと躍起になるわけだ。
司馬晋の司馬孚(司馬懿の弟で、司馬懿の子=甥が曹魏を乗っ取っても同調せず、最後まで曹魏に忠節を貫いた)に比べて、雲泥の差だよな)
栄華を極めた一族でも、こうも正反対に違うモノかと思考する糜芳。
(・・・うん?良く考えてみたら、王允と董卓の場合も、楊彪が一枚噛んでんじゃねーかおい?
敵対関係になって暗殺事件後、王允が暴走して蔡邕を謀殺して、後始末がグダグダで杜撰過ぎて、余計に状況悪化を招いてるって・・・やべえ、今後の宮廷内のゴタゴタな事件に、常に疫病神(楊彪)の影がチラついてしまう)
とりあえず疫病神に近づかない様に、心に誓う糜芳なのであった。
それはさておき、
9月、涼州で暴れていた韓遂が、悪吏・汚吏を殺るだけ殺った後に霊帝の勧告に応じて降伏し、手土産とばかりに同調して反乱を起こしていた、馬騰・王国達に説得をして帰順を促して、帰順に応じた馬騰と共に、応じなかった王国と対峙する。
とある少年の策謀の結果なのか、これは史実と違った動きをしており、涼州の反乱騒ぎを大いに鎮めたとして、霊帝の威光を示す事となる。
何気に霊帝自身の名を使った、初めての成果であり、自身に進言して実現化させた何進を評価し、同時に名家閥が自分達の失政・無能を、霊帝の不徳だのなんだのと貶めていた事で、益々名家閥連中を信用しなくなり、何進をより重用する事となった。
そして11月現在に至る訳だが・・・
(徐州はおしなべて事も無し、平穏無事ってか)
物思いに耽るのを止めて、現実に戻った糜芳。
州境付近一帯で州兵が展開中の徐州は、大規模な賊徒や棄民・流民の、侵入・流入を防いでいるお陰で治安が一定に保たれ、平穏そのものだった。
糜芳の周囲の状況も、先ず屯田制の民屯が国淵の参入に依り、計画が大幅に前倒しされ糜竺に依って予算が確保されると、小規模ながら即座に新田開発が開始され、来年には作付け第1弾が出来る算段にまで、漕ぎ着ける事に成功していた。
又、屯田制から派生した、戦没者の妻子の就業・自立支援を主とする、「虎子商会」も糜燐のひよこスーツ騒動を切っ掛けに、認知度が上がって今の所順調に稼働しており、礼法を習得して使用人に雇用されたり、軍衣・軍袍の縫製作業をメインに、スーツ作製も行っていて、来る「虎子商会展開会」に向けて総出で頑張っている。
そして治安維持を目的とした、職業訓練施設も初期こそゴタゴタしたが、鉱山見学会の後はトラブルも無く、少年部は男は元親方爺さん等の扱きを受けながら、女はマダム達の指導を受けて、それぞれに技能習得に元浮浪児達は必死になっている。
(ま、幼年部は、一朝一夕に結果が出る訳じゃないし、暫くは様子見と言った所か。
後は、役人の福利厚生を目的とした、施療院だけども、まぁ、コレも色々と不備が出るかも知れないから、経過待ちだな)
脳内でツラツラと色々思考していると、
「申し上げます!太守様!」
かなり焦った声音と表情で、バタバタと尹旋が執務室に飛び込んで来た。
「何事だ?」
「は、実は人物批評の大家、許子将先生がお越しになられまして、太守様に面会を求めておられます!
お通し致しても宜しいでしょうか!?」
興奮気味な面持ちで、糜芳に話す。
「許子将?人物批評?・・・それって月旦評(月1で開催されていた、人物批評の会)の許劭の事か?」
「はい!左様でございます!」
糜芳の問い掛けに、大いに頷く尹旋。
尹旋は、「良いな~太守様、そんな大人物とお会い出来るなんて・・・」という、羨望の眼差しを糜芳に向けているが、
(うげげ・・・許劭つったら、後漢を代表する名家閥のプロパガンダ(政治宣伝)要員で有名な、占い師紛いの詐欺師擬きニート野郎やんけ・・・)
露骨に嫌そうな雰囲気を出して顔を顰め、内心で公称・人物批評の大家を酷評する糜芳。
糜芳が活動している後漢時代後期には、人物の善し悪しを評価する「人物批評」が大流行していて、数え切れない程の批評家が存在し、「善し」と評されれば世間から名士認定されて尊ばれ、喜びで天に昇る気持ちで舞い上がり、「悪し」と評されれば世間から侮蔑・嫌悪され、この世の終わりと崩れ落ちたと云われる程である。
有名処では後漢末期に許劭が、三国時代初期には崔琰が名を知られており、誰もが彼等の批評に皆が一喜一憂したと言われていた。
・・・因みに皆というカテゴリー内容は、中央及び地方名家出身者限定であったが。
後漢末期には批評家から評価され、「二龍」だの「八俊」だのと2つ名の、中二病乙な通称を持つ人物が結構居たのだが、殆どがその人の「才能・才覚」ではなく、その人の出自=「家柄・血筋」で評価を「忖度」された人物だった(許劭自体も若い頃に評価されているが、親族に三公になった人物が居るので、お察しの通りである)。
そんな忖度塗れのアホ臭い批評家が、多数存在した理由として、名家閥の思惑と批評家の都合が、互いに一致したからだと思われる。
名家からすれば一族から名士が出れば名誉で、地元での名声アップ・自慢になるし、名家閥に属している批評家からすれば、自分と自派閥のシンパ獲得になり、シンパを通じて名家閥とその他勢力の、印象操作・情報操作が出来るという、WIN・WINの関係性だからであった。
ついでに批評家自身も名声アップになり(後漢末期はコネ社会であり、家柄・血筋の良い人物は当然出世出来る(世に出る)ので、ほぼ間違いの無い鉄板)、良い小遣い稼ぎにもなるといった、口先三寸でボロ儲けの商売なのだから、批評家が大量発生するのも当然の理だった。
現在や後世に於いて宦官閥は兎も角、何進・董卓が出身地や司隷地方以外で、悪印象を持たれているのは、許劭を始めとする批評家達の、プロパガンダによる印象操作・情報操作の賜物である。
まぁ、史実に於いて、批評家から高く評価されて2つ名が付いた人物達は、後漢末期から三国時代初期に掛けての動乱期に、全く存在感皆無な処か、あっという間に姿を消しているのだが。
又、2つ名の逸材だらけの筈の名家閥で、後世で1番知名度が有るのが、在野(プー太郎)の許劭という事実から、人物批評家の評価の信憑性がどれ程のモノか、推して知るべしである。
それ故に血統重視の後漢末期から、実力重視の三国時代に至る過程で、人物批評家が自然消滅したのは、至極当然で自明の理であった。
それはさておき、
(何でバリバリの血統主義者である、糞ニート野郎の許劭が、馬の骨の俺を訪ねて来るんだ?)
意図を図りかね、警戒心MAXの糜芳。
「尹旋、許劭殿の御用向きは何だ?」
「は、いえ、詳しい事は伺っておりません。
兎に角取り次ぎを頼まれまして・・・。」
「では、紹介状等の提示はされたのか?」
「いえ、それも・・・。」
「・・・はぁ。」
尹旋の手抜かりに、溜め息を付いて頭を抱える。
「追い返せ。」
「へ!?し、正気ですか太守様!?高名な許劭様ですよ相手は!?」
予想外の糜芳の返答に、ビックリ仰天する尹旋。
「曲がりなりにも在野の者が、地方とは言え1太守に面会するのに、紹介状も無しに訪ねて来る非常識な無作法者に、高名も無名もクソも有るか。
本当にそいつ許劭殿なのか?とても名家出身と思えぬ非礼な行為なのだが・・・。」
仰天している尹旋に、常識的なド正論を返す。
この時代と言うか日本でも、江戸時代ぐらい迄は面識の無い、一定の身分の者に面会する場合は、面会相手の友人・知人の紹介状の提示が必須(身元証明書と同義)であり、無い場合は不審者として門前払いをされるのが常識であった。
(まぁ、どうせ田舎者の馬の骨だから、高名な自分の名前を聴けば犬の様に尻尾を振って、喜んで飛び付くと舐めてんだろうがな・・・)
許劭の思惑を見透かして、嫌悪感を抱く。
「は、確かに手抜かりでした、申し訳ありません。
しかし宜しいのでしょうか?」
「宜しいも何も、このまま通せば我々の方が、「一般常識を知らない田舎者」と嘲られ、貴君はその最たる者になってしまうぞ?それでも良いのか?」
「あ!確かに左様ですね。」
糜芳の指摘に、大いに納得する尹旋。
「それと私は公務中で多忙だから私用で来たのなら、その辺の配慮をしてくれと郡治所の玄関先で、周囲に此方に非が無い事を周知してから、追い返すようにな。
ついでに、「故実(礼儀作法に詳しい事)な貴公なら、御理解頂けると思いますが」と、口頭で言っておけば黙って帰るだろう。」
無作法者のアホ撃退法を伝授する。
「はぁ、其処まで徹底するのですか?
なんか逆に非礼と言うか、馬鹿にして煽っている様に感じるのですが・・・。」
「如何に高名で名家出身なのか知らんが、無職の分際で公職に有る我々を舐めて、いい歳をして最低限の礼儀も弁えんアホだぞ?
後々コッチに非が有るように、話を捏造されても叶わんから、用心で人の目が有る所でキチンと言って、捏造されんように気をつけた方が良い。
それに礼には礼を、非礼には非礼を返しているだけで、馬鹿にしていると思うのは向こうの勝手だ。」
理路整然と尹旋を諭す糜芳。
「まぁ、確かにそうですね・・・承知しました、その様に対処致しまする。
しかしあの一・・・多忙と仰っておりましたが、さっき窓を観て黄昏れてませんでしたっけ?」
「・・・早く処理したまえ。」
尹旋の何気ない指摘に、プィっと横を向いて聞いてないフリをするのであった。
そして少ししてから尹旋が戻って来て、
「あの~許劭先生が、「公務が終わり次第、私的に会う事は可能だろうか」と仰っておりますが?」
困惑気味に問い掛けて来たので、
「紹介状も持っていない状態で会うつもりは無いし、公平無私を期する為に太守を拝命してからは、公職で面識を得た人物とは、私的な交流を断っていて、「清廉潔白を旨とする名家の方なら、理解して貰えると信じている」と言っておいてくれ。」
バッサリ拒絶して断るのであった。
(いや~実際便利な方便だよな~。
大概は「太守」の俺に用事が有る奴ばっかだし、そんな奴らとプライベートまで付き合うのは、面倒で煩わしいだけだしな。
冠婚葬祭も大半は、それで回避出来るから楽だわ~)
脳内で我ながら名案だよな~と、自画自賛する。
実際に糜芳は士嬰や全明・蔡琰と夏侯家等の様に、公職に就く前の人達とは私的に交流しているが、部下達や商家連中の様な、公職就任後に知己を得た人達とは私的な付き合いはしておらず、冠婚葬祭に関しても祝儀や香典・見舞金を出すのみで、1度も出席した事はなかった。
1番は公私に渡っての付き合いが、純粋に面倒くさいのが理由だが、2番は下手に付き合うと冠婚葬祭に出席せねばならず、アッチに出てコッチには出ない訳には行かなくなり、プライベートが冠婚葬祭で潰れてしまうという、何処ぞのヤーさんの大親分みたいな私生活は、まっぴら御免だったからである。
公平無私を保つ為に私的な交流を絶つ、という一見すると清廉に観える言葉は、糜芳にとって非常に便利な使い勝手の良い方便であった。
それはさておき、
糜芳の指示通り尹旋は、許劭を玄関先で理由を述べて追い返し、流石にそれで騒げば「自分が太守に会うのに紹介状も持たずに来た」と、非常識な行為を仕出かしたと周囲に知れ渡り、自身が恥を掻くぐらいの分別は有ったらしく、大人しく帰っていった。
こうして糜芳は許劭の突然の訪問という、明らかに厄介事を回避したかに思えたのだが、約1時間後、
「も、申し上げます・・・。」
「うん?如何致した?」
黙々と書類決裁をしていると、尹旋が言い辛そうな表情で執務室に入って来る。
「は、え~あの~・・・許劭先生が再度お越しになられました・・・。」
「はい?又?紹介状も無いのに来たのか?
非常識を上回る非常識な行為だな・・・正気か許劭殿は?」
またぞろ押し掛けて来たのかと、眉間に皺を寄せて渋い顔をする。
「いえ、今度はちゃんと紹介状を、お持ちになっておられます。」
「へ!?誰の?」
「華陀翁のです。
ついでに本人も一緒に同道しております・・・。」
「華陀翁!?・・・あんの爺ぃ、人物批評を条件に身売りしやがったなぁさては!?」
中央や名士に強い拘りを持つ、欲深な邪爺に対して呪詛を吐く。
「え~と?どうなさいます?」
「チッ、華陀爺は施療院経営に、現状必要不可欠な存在だから、無下に出来んな・・・。
仕方ない、書類決裁に目処が着き次第、面会を致すと伝えてくれ。」
舌打ちをして、渋々面会する事を決意する糜芳。
「はぁ、承知しました。
・・・太守様やたら許劭先生の事を、嫌っている様に見受けますが、因縁とか確執でも有るのですか?」
首を傾げながら、糜芳に尋ねた。
「いんや、因縁だの確執は無いけど、ゴリゴリの名家出身者が、庶民階級出身の私を突然訪ねて来るなんぞ、十中八九禄でもない用事だろうから、厄介事に巻き込まれない様、警戒しているだけだ。
まぁ、嫌っていないと言えば、嘘になるけど。」
「なる程、確かに。
私も太守様の呼び出しが有る度に、「又面倒事か、厄介事か」と、頭が痛くなって胸がざわついてしまうので、よ~く解ります。」
ジト~と糜芳を見詰める尹旋。
「そうだろう、そうだろう?」
「・・・全っ然皮肉が通じない。
それで嫌っている理由はなんです?太守様と許劭先生って初対面ですよね?」
皮肉が通じて無い事を嘆きつつ、許劭を嫌悪する理由を問い質す。
「う~ん、例え話で貴君に尋ねるが、例えば丁老師が「お前は将来立派な国士になるだろう」と言われれば、貴君はどう思う?」
「それは無論、歓喜・感無量でございましょう。」
「そうだろうな、そうだよな。」
尹旋の答えに頷く。
「じゃあ40近くになってもブラブラと遊んでいて、尚且つマトモに働いた経験も殆ど無い、いい歳して無職の初対面のオッサンに、丁老師と同じ事を言われたらどう思う?」
「え?それはまぁ、無頼の輩に言われても嬉しくとも何とも有りませんし、そんな戯れ事を言う前に、遊んでないでキチンと働けと思いますね。」
「だよな~?貴君が今言った事と、私が許劭に対して思っている事は、全く同じなんだが?」
最早人物批評の大家を呼び捨てにして、どストレートな言葉の剛直球を投げる糜芳。
現代人の感覚を持つ、糜芳からすれば許劭は、「40近くになっても社会的実績処か、労働経験すらマトモに無いクセに、他人様の善し悪しを批評しているニートなオッサン」であった。
正しく何様なんだよテメエは!?である。
こんなオッサンが現代で偉そうに人物批評した所で、ガン無視されるか、「他人様の事をあ~だこ~だ言う前に、自分の事を考えて働けよニート様ww」と突っ込まれて、笑われるのがオチである。
史実でも、諸葛亮・王朗・將済達(全員何故か徐州出身)は、許劭の事を不公平で好悪で批評していると非難していた。
逆に丁老師の場合は、現代風に言えば長年大学の教授を勤めた、実績・経験豊富な知識人・教育者であり、古くは曹豹・鄭玄等を送り出し、最近では糜竺を世に出した様に、何百人と門下生を教育して観てきた、丁老師の人物に関する観察眼・見識を疑う者は、現代でもそうは居ないだろう。
それはさておき、
「貴君に改めて聞くが先程言った通り、社会的実績が皆無で無職の許劭に批評されて、悪しと言われて納得できるか?善しと言われて喜べるか?」
「ううん、そう言われると・・・納得しかねますし嬉しく思いませんな。」
糜芳の指摘で、ガラガラと尊敬の念が崩れていく。
「大体何を以て「人物批評の大家」なんだよ?
それを裏付けする背景が、何一つ無いじゃ無いか。
許劭が人物批評の大家なら、丁老師なんぞ「人物批評の神仙」になっちまうぞ?」
「ははは、確かに左様ですね。
太守様のお蔭で、世間の実の無い評判に踊らされていた事を悟り、目が覚めました。
では太守様の言う通り、執務の目処が立つ迄、待機して貰う様取り計らいます。」
糜芳の言に笑うと、拱手して退室する。
(あ~あ、面倒くさいなぁ。
まぁ、あんまりほったらかしにして置いたら、変な揉め事になっても余計に面倒だし。
サッサと用件を聞いて、とっとと帰って貰うか)
重要案件を中心に、決裁していく糜芳。
早く書類決裁を終わらせて、許劭の用件を済ませようと、それから1時間程頑張っていると、
「太守様申し上げます!」
「今度は何だよ?」
三度尹旋が駆け込んで来たので、又面倒事かよと煩わし気に尋ねた。
「は、許劭殿の供回りが、「何時まで待たせるのだ!?」と暴れて騒ぎ出しており、此方がいくら宥めても聞き入れません!
如何に致したら宜しいのでしょうか?」
思ったそばから揉め事になった様だった。
プツン・・・ダァァンンン!!
必死になって面会時間を作っている、努力を否定された糜芳は、堪忍袋の緒がキレて盛大に机を叩き、
「ヤクザか破落戸か何かか許劭等は!?
・・・よぉ~く解った、そんなに俺に会いたいなら、会ってやるよ・・・クックックックック。
きっちり地獄の引導を渡したるわぁ!ぼけぇ!!」
怒声を部屋に響かせる。
「尹旋従事!」
「は、はは!」
「最早許劭達一党は客人と見なさず、不逞の輩と見なすので、即刻敷地内から叩き出し、先程と同じく玄関先に輩を集めよ!
そして急ぎ叩き出した輩の周辺を、衛兵と獄吏を多数配備して取り囲む様に段取り致せ!」
怒り心頭で指示を出す。
「はは!承知しました!急ぎ整えます!」
「終わり次第報告せよ。
私自身が玄関先に出張って、話を聞く事にする。」
「はは!」
拱手して走り去る尹旋。
しばらくすると、遠くから喧騒が聞こえたが、直ぐに消えて静かになり、尹旋が戻って来た。
「太守様、用意が整いました!」
「分かった。あ、法務官も呼んどいてくれ。」
「は、直ちに。」
出て行く尹旋と一緒に執務室を出た糜芳は、護衛役の衛兵と共に、郡治所の玄関に向かって、てくてくと歩き出した。
東海郡郡治所玄関先
途中で尹旋と法務官に合流し玄関先へと向かうと、多数の衛兵達に囲まれた4人の男達がおり、衛兵達の外回りには、大勢の民衆が見物に集まっている。
ザワザワ・・・ヒソヒソ・・・ザワザワ・・・
(さぁ~て、ボケナス共の一般公開処刑を、ボチボチ始めますかね・・・って、あれ?)
脳内でポキリポキリと、某暗殺拳伝承者の如く指の骨を鳴らす想像をしていると、
「おい、華陀翁が居ないぞ?」
「ああ、華陀翁でしたら、お腹が痛いと仰っていたので、今回の件とはほぼ無関係と判断し、釈放致しましたが・・・何か?」
衛兵隊長が説明する。
「腹痛?神医が?・・・絶対それ逃げ口上だろ。
まぁいい、華陀翁の始末は後だ。」
世紀末爺ぃの始末は、後回しに決める。
「おい、貴様!貴様が此処の太守か!?
我等が師であり、人物批評の大家と評されている許子将先生を、散々待たせた挙げ句に、この様な仕打ちは何事だ!?
これだから、礼儀知らずの庶民階級出身は・・・。」
許劭の弟子を名乗る、比較的ガッシリした体型の男が、いきなり糜芳に吠え掛かり、あ~だこ~だと罵詈雑言を浴びせていく。
庶民階級云々と罵る度に、周囲の庶民達の殺気がどんどん膨れ上がっているのだが、目の前のバカは全く気づいていない様子である。
一頻り罵った後、息を荒げて静かになったので、
「・・・もう良いか?」
「な、なに!?」
「言いたい事はそれだけかと、聞いてるんだが?」
淡々と応対する糜芳。
「な、なっなっ・・・!?」
「おい、尹旋従事、郡治所内で狼藉を働いたのは、このバカか?」
バカを親指で指差し、振り返って確認する。
「は、いえ、その男と其処の男の2人です!」
「判った、衛兵!
仮にも国家機関の施設である郡治所で、乱暴狼藉働いた其処な不届き者達を捕らえよ!!」
「「「「「はは!」」」」」
即座に取り押さえて捕縛する衛兵達。
「な、なにをするのだ貴様は!?」
「何もクソも、国家施設で乱暴狼藉を働いた、罪人共を捕まえただけだが?」
許劭の残った最後の弟子らしき男が、動揺しつつも質問して来たので、極当然の返答を返す。
「貴様!我等が豫州・汝南郡で袁家と並ぶ名家、三公の許相様を輩出した許家に連なる者と知っていて、やっているのか!?
許家を敵に回してタダで済むと思っているのか!」
「知らんし、此処は徐州・東海郡だ。
権柄(悪代官)ごっこをしたいのだったら、地元の豫州・汝南郡でしろ。
豫州全体なのか、汝南郡だけ国家施設で狼藉しても、三公の身内は無罪なのかは知らんが、此処徐州では国家施設での狼藉は、誰でも普通に犯罪だ。」
弟子の喚きも、一刀両断で切り捨てる。
「法務官!この者達の量刑は如何程か?」
「はは!太守様の裁量次第ですが、百叩きから斬首迄と、幅広く適用されるかと。」
「ふむ、まぁ、初犯だと見なして百叩きとする。
直ちに執行せよ!」
「「「「「はは!」」」」」
衛兵達がしっかりと弟子2人を押さえつけ、木の棒を持った獄吏2人ずつが交代で、振りかぶって全力で殴打していく。
(さて、余興はこれで終わり、そろそろメインディッシュに掛かりますか)
殴打される毎に、悲鳴とも奇声ともつかない、断末魔の叫び声をBGMに、遂に本丸攻略に掛かる。
「さて、大変お待たせした様で、平にご容赦を。
改めて、名乗らせ頂きます。
畏れ多くも主上より、東海郡郡太守を拝命仕っております、糜芳と申します。」
拱手して、恭しく挨拶を行う。
「あ、ああ、許劭と申す。」
完全に動転しながらも、辛うじて返礼を返した。
「して許劭殿、御用向きは?」
「え、ああ、貴殿の人物批評をしようと思ってな。」
漸く調子が戻ったのか、居丈高に上から目線で糜芳に話し始めた。
「結構でございます、とっととお引き取りを。」
即座に拒否して、サッサと帰れとゼスチャーする。
「何だと!?儂の人物批評は要らぬというのか!」
「はい、左様でございますが?
許劭殿の人物批評など取るに足らない、畏れ多くも主上より評価を頂戴致しております。
まさかご自分の人物批評が、主上よりも勝るなどと言った、不遜を仰る訳ありませんよね?」
テメエの評価なんぞ、鼻クソを着けて捨てる塵紙にもなんねーよと扱き下ろす。
「ぐっ!それは、しかし・「ああ、そうそう許劭殿。
口幅ったい事を申しますが、他人様の善し悪しを批評される前に、ご自身の善し悪しを省みられては如何ですか?」
許劭の言い分を遮り、容赦なく満面の笑顔で、追撃を畳み掛ける悪辣少年。
「何ぃ!?どういう意味だ小僧貴様!!」
「どういう意味かと問われれば、第1に貴殿の族兄に三公、国家の柱石がいらっしゃるのにそれを助けずに、斯様な所で無聊(暇)を囲っておられる。
これは貴殿が一族の恩恵を受けているにも関わらず、それを返しておらぬという事で、誰が聴いても不義(理)でありましょう。」
ピッと人差し指を立てる。
コレは古代中国社会では、一族一門から出世頭が出れば、一族一門が一致団結して、出世頭に協力してバックアップをするのが常識なので、現状在野という無職で過ごして、三公の許相を助けていない許劭は、結構な不義理をしている事になる。
「第2に大名家出身の貴殿の立場なら、望めば官職に就くなど容易く、五体壮健にしてそれをせずに無為に過ごし、以て無官なのは我が身を立てぬ事で即ち、父祖の名を立てぬのと同義であり、不孝を成していると言えましょう。」
次に中指を加えて立てる。(ファッ○ユーでは無い)
コレは現代でもそうだが、元気で就職口もちゃんと有るのに、プーで遊んでたらご両親が泣くよという、極々一般的な話である。
「第3に我等が漢帝国は今、あちらこちらで反乱が相次ぐ未曽有の危機に瀕しており、その危機を排して主上の下に於いて、国家安寧を齎す有為な人物を欲しております。
その様な状況下にも関わらず貴殿は、人物批評の大家と称される程の、優れた見識・観察眼を持ちながら、国家に献身する訳でも、優れた人物を推挙する訳でもなく、まるで他人事の様にしておられる。
貴殿がこうして居るのも、漢帝国の恩情の賜物でございましょうに。
それなのに斯様な所で逍遥(ブラブラ歩く事)とされて居られれば、「忘恩にして、不忠の輩」の誹りを受けましょうぞ。」
薬指を足して立てる。
コレはまぁ要約すると、「テメエみたいな無駄飯喰らいを、優しい~漢帝国様は養ってくれてるんだから、働いて恩義を返さんかいボケナス」である。
「き、キ、きさ、きキ・・・!」
糜芳の面罵を聞いて、怒りの余り声がマトモに発せられないのか、猿の鳴き声の様な声を上げ、茹でタコの如く顔を赤黒く変色させる許劭。
「許劭殿、私は心配なのです。」
「はぁ!?なにをほざくか貴様は!?」
内心では茹でタコの許劭を、笑顔で嗤いつつ、表面上は困った表情を浮かべ、物憂げに話し続ける。
「あの者をご覧ください。」
見物人の中から行商中のおっちゃんを指差し、「へ?俺?」と指名されて、驚いているおっちゃんを横目に、
「貴殿に取って批評するに値せぬ、庶民ですら納税をして、国家に義務と忠義を立てております。」
凡百のおっちゃんですら、キチンと国家のお役に立っているんですよ?とアピールし、次に、
「あの子をご覧ください。」
「え?ワタシ?」
共同の井戸からの水汲みの帰り道なのか、水瓶に水をいれた状態で見物している、10歳ぐらいの女の子を指差した。
「あのような幼くか弱い童女でさえ、家事手伝いをして、親に孝行をしています。」
幼いのに立派に親孝行してますよねと、許劭に向かって説明する。
「それがどうした!?」
「庶民・童女共に忠と孝を為しております。
しかしながら貴方様は、先程の三不で述べた通り、未だどちらも為しておりません。
このままですと、「童女にも劣る穀潰し」と評されてしまうのでは?と心配で心配で・・・。」
大丈夫なの?と沈痛な面持ちで話す糜芳。
内心では当然大笑いをしているが。
プッ・・・ア~ハッハッハッハッハ~!!
糜芳の話を聞き終えた途端、見物人の1人が吹き出すと、連鎖的に広がって大爆笑となり、見物人の殆どが許劭を指差して、嘲笑的な笑い声を上げた。
散々自分達庶民を侮蔑していた輩の親玉が、実は庶民達が当たり前にしている事すらしていない癖に、偉そうにふんぞり返っていた滑稽さに、嗤いが止まらなかったのである。
「きいさぁぁぁ!!あ?!」
「せ、先生~!?」
怒り心頭過ぎて血管がプッツン逝ったのか、意識が途絶えて倒れて込み、慌てて最後の弟子が抱き起こして背負い込み、
「貴様!この屈辱必ずや晴らしてくれる!
覚えていろよ!どけ!お前ら!」
嘲笑する聴衆を掻き分けて、すたこらと猛ダッシュで逃げ出した。
「汚達者で~・・・お~い、連れを忘れてるぞ~?
衛兵隊長、其処のバカ2人を許劭先生の元へ送り届けてやってくれ。
それと許劭先生は、こんな田舎に居ていい人物で無いから、バカ共々丁重に送ってやってくれ。」
「はは!きっちり州外迄送り届けまする。」
糜芳の意図を読んだ衛兵隊長。
「ふぃ~・・・終わった終わった。
さぁサッサと決裁すっかな~っと。」
わぁわぁと騒ぎが収まる気配のない周囲に背を向けて、グルングルンと腕を回しつつ、スッキリした表情でてくてくと執務室に戻っていく糜芳。
後にこの話は「傲慢無知な批評家の三不と童女」という滑稽話として、徐州であっという間に流布し、許劭は「少年庶民出身太守に、完膚なきまでに論破され、童女にも劣る穀潰し」として嘲笑の的になり、弟子の心ない行動も合わさって、徐州内での名声を大いに落としたのであった。
しかし、思わぬというより当然の如く、面倒なトラブルを呼び込む事になるのであった。
続く
え~と、許劭達批評家の「名家閥のプロパガンダ要員」という解釈は、個人的な解釈ですので、悪しからずご了承願います。
あ、後楊彪の害悪陰謀論も、個人的解釈ですので、悪しからず。
王允と董卓の件と、李寉の件の状況と経過・結果が、酷似している様に観えるので・・・。
長々とすみません。
楽しんで読んで頂ければ嬉しいです。
優しい評価をお願いします。




