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糜芳andあふた~  作者: いいいよかん
40/111

幕間・始動編 登場人物紹介と言う名の設定集

この物語はフィクションであり、創作です。


実在した、或いはする人物・人名・組織・団体とは一切関係ありません。


え~と、すいません。


よく考えたら、沢山の登場人物が登場しているのに、ある程度人物紹介と言うよりは、こういうキャラ設定でいきますみたいなモノを、読者の皆様方に提示してないな、と思いまして慌てて書かせて頂きました。


個人的解釈や想像が多々入っていますが、蛇足的な紹介だと思って、流し読みしてください。

糜芳・・・本編の主人公。 

歳は10歳。


一杯の飲酒により、無意識に酔った勢いで未来の歌曲を披露、後にうっかり絵の上手さも喧伝してしまい、周囲の評判を得てしまう。

それがキッカケで、巡り巡って時の皇帝・霊帝に御目見得まで発展、大騒ぎに。


結果、離籍を認められて父兄とは別に新興の家を興す事となり、独立を果たすことになる。

ついでに五大夫の官爵を貰って中央名士に名を連ね、地元徐州では新興の家なのに、トップクラスの名家の当主になってしまった。

(単純な家格で謂えば、州牧史(刺史)の沈賀と同格)


又、夏侯一族や曹操といった歴史上の偉人とも、幸か不幸か奇縁が出来てしまう。


基本的に善良な性格だが、自己保身の為や敵意を持った相手には、わりかし悪辣な策謀を巡らすのに躊躇しないタイプの人物である。


何気に前世の父直伝の格闘技知識と実戦経験(ケンカ)が有る為、あくまで初見に限るが、的確に急所を狙ってジャイアントキルをする事が出来る事がある。


糜香・・・物語の主人公・糜芳の母。 

歳はに・ポキリポキリ(拳を鳴らす音)・・・永遠の10代。


公私と共に糜家最強の人物。

(糜芳曰く、グラップラーな父レベル)


普段は夫・糜董の妻として、奥の女性使用人の纏め役を担うキチンとした人物で、実子の糜芳が馬鹿をやらかす(結構周りに迷惑を掛ける為尚更)と阿修羅になって制裁を加える厳しさを持つが、褒めるところは褒めて、愛情を持って糜芳を教育的指導する良き母。


継子(ままご)の糜竺の熱狂的ファンな為、糜竺が関わると知能・常識に強力なデバフが掛かり、残念な人になる。


因みにだが、糜竺を性的な視線では一切観て居らず、糜竺が幼少から糜家を父祖の悲願である、名家にしようと努力・奮闘する姿に感動し、応援をしているだけなので、悪しからず。


糜竺・・・主人公糜芳の異母兄。 

歳は20歳。


父祖の悲願である、糜家を名家に押し上げた孝子。


又、幼馴染みの婚約者を、適齢期を過ぎても待ち続けて結婚した情熱家でもある。


糜芳が口を滑らせた「屯田制」がキッカケで、県の役人から州の役人に大抜擢をされる。

その為近々地元朐県から、州都である下邳に移住する予定。


劉備(キ○グボンビー)悲惨人の1人という史実を知っている糜芳によって、「メンタルはオリハルコン級だから大丈夫、大丈夫、イケる」という軽い気持ちから、本人が預かり知らない所で面倒事や、厄介事をばら撒かれている1番の被害者。


元々は出身の影響で金銭出納等財務(商業)を得意とする人物だったのだが、糜芳の所為で屯田制という農業関係の業務も学ぶ事になり、農商知識に長けたスーパー文官になりつつ有る。


因みにだが賤民(せんみん)と言われ、奴隷・犯罪者と同等の扱いをされて、20等爵を法律上得られない商家の出身なのに、糜竺が民爵(1~8位)を得ているのは、ただ単に「家業(商家)を継がなければ賤民にならず、良民(一般庶民)となる」という不文律があるから。


実例として孫呉の初代・孫堅も、親は商家だったが自身は家業を継がず、親の残した遺産(家業を継がなくても、財産相続権・家督継承権は失権しない)を元手に義勇軍を結成したり、民爵を金銭で買ったりしている史実がある。


糜董・・・主人公糜芳と糜竺の父。 

歳は39歳。


長男の竺が地方名家・名士になったと小躍りして喜んでいたら、次男の芳が主上に召されて中央の名士になって帰って来るという、前代未聞の珍事を目の当たりにして卒倒、寝込んだ苦労人。


ここ最近色々と気苦労が絶えず(ほぼ糜芳が要因)、どんどん痩せていき、ブーさん面から長男竺に似てきていて(?)、周囲の女性に密かにモテ始めている。


商家としての糜家は自分の代で終わるのを、残念に思っている反面、2人の息子が予想以上に出世した事に喜びを実感している子煩悩な人。


田観・・・糜家の女性使用人A。 

歳は16歳。 創作上の人物。 NEW!


美人なのだが表情の変化に乏しく、周囲から無愛想に観られがち。


外見に反して結構なゴシップ好きで、色々な噂を聞きつけて淡々とした表情で噂を流す。

なまじ真面目に見えるので、信憑性が高く観られる。


何気に私兵団の李軻を「馬・・・単純そうで、制御が楽そう」という理由で狙っているようだ。


李軻・・・糜家の私兵団の若手有望株。 

歳は20歳。 創作上の人物。 NEW!


元々糜家と同じ商家の出身なのだが、家業よりも武芸にのめり込み熱中する。


糜芳と同じく次男坊だったので、気楽に武芸で生計を立てようと考え、実家の伝手で糜家の私兵団に入団。


武才もさることながら、一般教養(読み書き)も有る事から、糜竺の次期家臣団・武官筆頭候補に挙げられている。


糜芳には自分の将来と、未来の子孫繁栄に悪影響を及ぼされた為多少の隔意があったが、糜芳から度々「子孫繁栄・夜のリハビリ代」を貰った事で和解、現在は良き兄貴分として糜芳にツッコミを入れるツッコミ役になっている。


豹蝉・・・糜芳が洛陽で見いだし、直接雇用した最初の部下。 通称は大。 創作上の人物。

歳は9歳。 NEW!


没落した名家の子女で、綺麗な容姿をしている為、拐かし対策に男装していた。


母が亡くなる直前の夕時に、偶々林臨の花嫁行列を見かけ、演奏している糜芳を知り、「一杯の麦粥」の噂を聞く。


そして母が亡くなった日に偶然糜芳を見かけて供養を嘆願、丁重に弔ってくれた事に感謝し、糜芳の言い間違いによる誤解もあったが、使用人として雇用される事を承諾する。


糜芳に恩義を感じ、忠節を尽くすべく勉強中。

糜芳に対しては忠義心は在るが、恋愛云々は現在無い模様。


本人も自分よりも妹の幸せを優先して考えている。


豹銭・・・糜芳の使用人・豹蝉の妹。通称小。 

歳は6歳。創作上の人物。 NEW!


姉の豹蝉と名前読みが同じな為、姉が大蝉・妹が小銭と区別されて、略して小と呼ばれる。

姉と同じく、将来美人になる素質有り。


名家の子女だが、彼女が物心ついた時には没落して貧しい生活を送っており、姉よりも数倍現実主義者。


亡母から、「お金が無いのは、首が無いのと同じ」・「好機と有らば、押し倒してでも逃すな」というシビアな教えを受けており、幼女にして理想(容姿)と現実(財産)を理解する恐ろしい子。


糜芳に対しては、「ウ~ン、かいしょがなさそ~。いちおーかくほ?よびこーほーだね」と、水商売のお姉さん視点で観ている。


「だいちゃんは、私がイイ男を捕まえてめんどーをみる!」と自分と姉の幸せを、一緒に考えている。


徐歌・・・糜家と同じ東海郡の商家・徐家の娘。

歳は11歳。創作上の人物。 NEW!


見た目は大和撫子、中身は日本武士(薩摩寄り)。

「綺麗な花には棘がある」の生きた実例。


徐家の側室の子ではあったが、唯一の女の子として生まれ、父や父以上に正妻かつ養母から溺愛される。


歳の離れた異母兄達や異母兄の嫁さん(義姉)、同年代の甥からも可愛がられている。


そういった周囲から蝶よ花よと育てられた環境でも、歪まず・驕らず素直に育った良い子では有るのだが、「自分を大切にしてくれる家族の為に、何か役に立つ事をしたい!」という考えのもと行き着いたのが、武芸だったというちょっと残念な子でも有る。


糜竺の結婚式の折りに見せた、はにかんだ表情に若い参列者から見合いが多数舞い込むが、悪い意味のギャップにより悉く討ち死に。自身も破談続きで凹む。


糜芳に対しては自分の心情を歌ってくれた事や、真剣に稽古に付き合ってくれる事も相まって、かなり好意的な感情を持っている。


因みに糜芳は、「行き遅れたら名短体(曹操)に押し付けよう」と考えているのは、秘密である。


士嬰・・・糜芳の友人で、楽士・士家の跡取り息子。

歳は12歳。創作上の人物。 NEW!


徐州では名の知れた音楽家の家に生まれたのだが、非常識なバカ親父に振り回されて、齢12歳にして実質的に家を背負い、度々泣きをみている苦労人。


損得勘定を抜きに依頼を受けるバカ親父の所為で、楽士としての才覚よりも、値段交渉等の商人としての才覚に優れている。


糜芳の歌曲を聴くのと引き換えに、ロハ(無料)でという糜竺の条件を勝手に受けた阿呆に、一門総出で「クソ親父、事故に見せかけて暗殺・完全犯罪計画」を公然と練っていたのだが、結果的に金銭以上の成果(独自の音楽性)を得られたので、立ち消えとなった。


なんだかんだで糜芳と友人関係となり、お互い気の置けない仲となる。


徐州に帰り次第、家督継承・婚姻をする予定。


因みにだがバカ親父の事は、牢屋に入れっぱなしなのをうっかり忘れて、しっかり放置している。


士謡・・・楽士・士家の次女で士嬰の妹。

歳は10歳。 創作上の人物。NEW!


楽器の演奏よりも、歌を歌うのを得意とする。


言葉はキツい言い方をするが、非常に兄姉弟子を大事に思っている心優しい子。

非は非として認め、謝る素直な子でもある。


同年齢の糜芳の評判に嫉妬し食ってかかるが、異次元の歌曲に唖然、感動する。


糜芳に対しては、「フン!どうしてもって乞われたら考えなくもないわ」とのこと。ツンデレ?


士響・・・楽士・士家の長女で士嬰の姉。

歳は15歳。創作上の人物。 NEW!


ソツなく楽器・歌曲をこなす万能タイプの楽士。


グラマラスなお姉さんで糜芳が御指名をするが、士謡のスネ蹴りの返答が返って来ただけであった。


弟の士嬰が何処ぞの銭投げ名人の十手持ちの如く、捕縛術を得意とするように、士響は何処ぞの按摩の仕事人の如く、笑顔で一撃必殺の関節技を使いこなす。


因みに婚約者がいる模様。


士景・・・楽士・士家の現当主。もうすぐ前当主。

歳は30歳。創作上の人物。 NEW!


楽才が飛び抜けていると同時に、一般常識の欠如・周囲の迷惑度合いも飛び抜けている問題人。


自身の音楽家としての成長・発達に情熱を注ぎ、損得度外視(本人には得だが、士嬰達には一銭にもならない処か赤字)の依頼を受けたり、南船北馬、盗賊が跋扈する危険地帯もなんのその、お供の弟子達を平然と巻き込んで渡り歩き、音信不通になる事もしばしば。


・・・士嬰が当主に熱望されるのも当然の帰結であった。


丁羲・・・糜竺の学問の師で恩師。通称丁老師。

歳は60歳以上。創作上の人物。 NEW!


徐州内では、トップクラスの大学者であり、名士。


文武官両方に広い顔(伝手)を持ち、州武官の重鎮・曹豹や州文官の重鎮・鄭玄を弟子に持つ。


又、武官の適性が無く、文官の伝手が無くて往生していた糜竺を役所に推挙してくれた、糜家にとって恩人でもある。


その事がキッカケで糜芳と出会い、儒教の塾ではなくて政治専門の塾を開き、屯田制の成立に尽力する。


管仲を私淑し、国家に忠節を尽くす愛国者。

糜芳の良き理解者でもある。


曹豹・・・徐州内に於ける州軍の重鎮。次期トップ。

歳は40代中頃。 NEW!


軍の重鎮なのに糜芳に散々泣かされた人。


糜芳の策謀により、ライバル(他派閥連中)が次々と失脚・破滅する様を観て畏怖、敵対しない事を心に刻んだ。


又、糜芳が官爵を得た事で、公私共に糜芳を上位者と認識、益々平身低頭を心掛ける。


史実では州牧を自称した劉備の配下になり、袁術討伐の際に留守居を任された張飛の副官になったが、酒に酔ってマトモに仕事しない処か、職務放棄している張飛と口論になり、愛想を尽かして当時居候をしていた呂布に、徐州軍全体の意志と共に降ろうとするが、逆ギレした張飛に絞殺された可哀想な人であった。


誰がどう見聞しても張飛が悪い(曹豹絞殺後、張飛に従った徐州軍の人は、誰もいなかった)のに、何故か曹豹に非があるとされ、裏切り者扱いされている悲惨な人でもある。


鄭玄・・・徐州内の州文官の重鎮。次期トップ。

歳は40代中頃。 創作上の人物。 NEW!


曹豹と同じく糜芳に論破され、泣かされた人。


曹豹と同じく軍閥連中が、糜芳の策謀で破滅していく様を目の当たりにして、敵対しない事を内心誓う。


農事関係の専門家で、屯田制の特に民屯の発展に深く興味を示した。


曹操・・・字は孟徳。謂わずと知れた三国志の覇者。

歳は始動編の時点で28歳。 NEW!


政治・軍事・文化と言ったあらゆる分野で才を発揮した、三国志の著者・陳寿曰わく、「破格の人」。


糜芳曰わく、「名短体コ○ン」


同時にドイツ出身の科学者・一石さんが遺した名言、「上半身と下半身は別物」を体現した人でもある。


実際に何処ぞの名探偵の如く、「頭脳は大人、姿は子供」な人で、身長は150センチ代だった模様。

但し、才能は中国史上有数の君主。


人によって好悪がはっきり分かれ、どちらかというと悪のイメージが強いが、剽軽(ひょうきん)な人となりだったと言われている。


因みに現代に残っている「孫子の兵法書」は、曹操の墓から出土した竹簡から復刻されたものである。


夏侯惇・・・字は元譲。曹魏の創始者・曹操の軍事面での片腕。 通称は盲夏侯。

歳は曹操と同じぐらい。 NEW!


曹操を軍事面で支えた、個人的な武勇、部隊指揮官としての統率力、軍総司令官としての後方支援(軍政)の的確さを併せ持つ、非常に稀有な万能軍人。


武勇と統率力を持つ武将は数多くいるが、軍政にまで長けた人物となると、蜀漢では姜維、孫呉では呂蒙ぐらいなのでは?と思われる。


武勇を発揮して奮戦、指揮官として部隊を巧みに運用して敵を撃破、司令官の役割である各前線に必要な物資・人員を不足無く配置・配備する処理能力の高さ。


曹操にとって最大の幸運は、夏侯惇の様な優れた将軍が、初期メンバーにいた事ではないだろうか。


夏侯惇本人は清廉潔白な好人物だったのだが、子には恵まれず、クレヨンじゃないけど(ぼう)さんを始め、人として問題のある問題児だらけだった。


夏侯淵・・・字は妙才。夏侯惇の族弟で曹魏一の弓の名手。 通称弓夏侯。

歳は夏侯惇・曹操よりも下。 NEW!


奥さんは曹操の妻の妹で、曹操とは嫁さんを通じて義兄弟の間柄。


高機動による奇襲を得意とする猛将で、最前線で戦い続けた前線指揮官。


後に定軍山戦に於いて戦死するが、曹魏の初期メンバーの、最初で最後の戦死者となった。


因みに本家の夏侯惇とは真逆に、次子夏侯覇を始めに才子と子孫に恵まれ、三国一のリーディングサイヤー(種馬)に輝いている。(司馬懿達、八達の父は後漢一)

玄孫(曾孫の子)には皇帝になった人物がいた。


夏侯添・・・字は不明。実在はしたが名前は創作上の人物。夏侯淵の弟。

歳は夏侯淵よりは下(当たり前)。 NEW!


曹操が旗揚げした時点で居なかった事から、かなり若くして早世したと思われる。


早世した夏侯添の娘が、「上司に絶対したくない武将」部門不動の1位に輝く、三国一の糞上司・蜀漢のス○夫こと張飛の妻となる夏侯氏。

(ロリコン及び誘拐拉致の疑惑有り)


そしてロリコン虎髭と夏侯氏の間に産まれた孫娘が、ヤーさん皇帝劉備の負の遺伝子を色濃く受け継いだ、三国一のドラ息子・劉禅(りゅうぜん)の妻・張皇后である。


糜芳曰わく「・・・あまりの夏侯添の家系の不憫さに、全国レベルで涙が止まらない」とのこと。


因みに張皇后が選ばれた理由は、蜀漢の元勲・張飛の娘だから・・・ではなく、夏侯家の血筋を引くからであった。


劉備が興した蜀漢は、後漢の後継を看板に掲げていたのだが、家臣の中に後漢に(ゆかり)の有る中央名家が1家も居なかった・・・。

つまり後漢王朝の道統を継いでいる、皇帝の配偶者・皇后に相応しい家格の家が全く無く、候補すら居ない有り様。

(諸葛亮の諸葛家でも、地方の田舎名家な為論外)


そんな中で母系ではあるが、唯一後漢王朝の縁の名家・夏侯家の血筋を持っていたのが張氏であり、皇后に擁立されたのであった。


基本的に父系で選出される事が当然の時代に、母系で選出された珍しい例である。(合掌)


曹仁・・・字は子孝。血縁関係は無いが、曹操の従兄弟として活躍した名将。

歳は始動編時点で15歳。 NEW!


主に守城戦を得意とした武将で、曹操から三国の係争地・荊州方面の司令官に任命され、江陵や樊城に籠城して、呉の周瑜・蜀の関羽相手に攻防を繰り広げた。


江陵戦では1年近く籠城するも補給路が断たれ、周瑜に敗れて江陵を放棄したものの、周瑜に重傷を負わせて死因を作ったり、樊城戦では援軍が敗走した後も堅守して、関羽を敗死する状況要因を作ったりと、わりかし名将キラーだった。


そして何気に曹魏随一の武勇伝を持つ人物で、蜀の趙雲の漢中争奪戦と同じく、極僅かな兵を率いて呉の敵陣に突っ込み翻弄、2度に渡って突撃をして敵に囲まれて窮地に陥った味方を救出している。


兄貴分の夏侯惇の死後、2代目の総司令官に就任。


曹純・・・字は子和。曹仁の実弟で、曹操の義理の従兄弟。

歳は曹仁の少し下。 NEW!


武官として曹操に仕えたが、学問をこよなく愛していた文武両道の人物。


指揮官として優秀で、曹操の親衛隊である虎豹騎の指揮を任された。

曹純の死後は虎豹騎の指揮官は誰も指名されず、空席のままだった。


兄の曹仁よりも早くに病死。


曹洪・・・字は子廉。曹仁・曹純の従兄弟。

歳は曹仁兄弟と同じぐらい。 NEW!


曹魏の初期メンバーの1人で、堅実にコツコツと出世した人物。


軍人よりもよっぽど商人向きな人物で、主君の曹操と同じ金額の財産を溜め込んでいた程。


夏侯惇曰わく、「お金が友達の、守銭奴」。


非常にケチで大の女好きという性格だったらしく、曹操の息子・曹丕から借金の申し入れがあったが断り、その為曹丕に逆恨みされて、身内の不祥事に(かこつ)けて、死刑になりかけた。


辛うじて死刑は免れたが、財産と地位を没収されて、庶民に落とされる。

暫くの後に、復権してある程度財産を取り戻した。


曹魏の初期メンバーで1番長生きしたが、1番浮き沈みが激しかった人。


張譲・・・中国史上で悪名を残す、稀代の悪党?

歳は始動編時点で48歳。 NEW!


後漢王朝を滅亡に追いやったとされる、宦官閥のトップで、霊帝から「我が父」と呼ばれた人物。


讒言(デタラメな嘘情報)で名家閥連中を陥れ、私腹を肥やして国家の政治を壟断した、とされるが、「後漢書」による捏造の可能性が高い。


そもそも現代に残っているこの「後漢書」、実は三国時代から200年以上も経った、隋の時代に残っていた後漢王朝の記述を基に、編纂されて正史扱いされている、非常に信憑性の低い代物で有る。


日本で例えれば室町時代に書かれた、平安時代末期の武将・源義経の伝記「義経記(ぎけいき)」(武蔵坊弁慶や静御前が登場する伝記)を正史扱いするのと同じである。


「後漢書」を編纂する際に参考資料となった後漢王朝の記述原本自体が、ほぼ100%名家閥連中の子孫が書いたと思われる。


理由としては、宦官閥連中の殆どは董卓によって処刑されているし、宦官の性質上直系の子孫は存在しないから。


又、張譲達宦官閥の悪行は詳細に渡って記されて、明確に扱き下ろしているのに、それに対して名家閥連中は何をしていたの?と言えば、


「誰それ(宦官)の悪行の所為で、天が怒って災害を起こし、結果国が乱れ人心が荒廃しているから処罰(誅殺)すべし!」

声高々に正義の正論として言っていた様だが・・・コレ、讒言だよね?


明確な証拠も無く、「天の怒り」なんて言う曖昧なモノで批判して、処罰を求める・・・宦官閥連中と言っている事と同じなのに、宦官閥が言えば讒言で、名家閥が言えば忠言になるの?ホワイ?


といった風に、宦官閥を悪として存在を非難・否定し、名家閥を正義として存在を称賛・肯定しているのが「後漢書」の特徴である。


まぁ、後漢王朝の記述を書いた名家閥の子孫からすれば、間違っても自分達の父祖の悪行を不孝になるから書けないし、書いたら自分達に恥と汚名が掛かるから、名家閥連中の悪行も宦官に押し付けたのだろうが結果的に、


「名家閥連中は、宦官閥の悪行を知りながら止められず、国政の壟断を指を咥えて見ていただけの存在感皆無、口先だけのどうしようも無い無能集団。」

却って父祖を貶める、阿呆な話になっている。


つまり、張譲の記された悪行の半分とは言わないが、何割かは名家閥の悪行を着せられてはいると思われる。


趙忠・・・張譲と同じ宦官で、宦官閥のナンバー2。

歳は張譲とほぼ同じ? NEW!


張譲が霊帝から「我が父」と呼ばれたのに対し、趙忠は「我が母」と呼ばれた。


張譲の設定と同じ。


皇甫嵩・・・字は義真。後漢4名臣の1人。

歳は不詳。 NEW!


董卓と同じ涼州の出身で先輩。


霊帝に召されて出仕した人物で、叔父が異民族討伐で名の知れた名将だった。


歴とした地方名家出身で、宦官閥連中のことは、


「主上の私的な召使い・使用人の分際で、国政に嘴を挟むのは、言語道断!」

非難して憚らず距離を置いて離れていて、中央名家閥連中のことは、


「下らない足の引っ張り合いを止めて、キチンと職務を全うしろ!」

眉を顰めてこれまた批判して距離を置き、結局どちらにも与せず中立的な立ち位置を保った。


この人物も多少「後漢書」の影響を受けている。


                  幕間・終


















え~と、ちょっと急に気になって書いてしまいました。申し訳ありません。


史実と想像と個人的解釈を織り交ぜて紹介させて貰いました。


本編は次回から書かせて頂きます。


相変わらずの遅筆ですみません。


皆様方も、暑くなって来ておりますので、熱中症にはお気をつけて・・・。


楽しんで読んで頂けたら嬉しいです。


優しい評価をお願いします。



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― 新着の感想 ―
自分のコンプレックスを肯定させる為にこの主人公を作ってそうで読んでてなんともかんともな気分
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