その6
この物語はフィクションです。
実在する人物・地名・団体・組織とは一切の関係性・関連性はありません。
誤字脱字報告及び感想ありがとうございます!
これ以後も誤字脱字が頻発すると思いますが、寛容な気持ちで報告頂けますよう、宜しくお願いします。
出来るだけ無い様に努力しているのですが・・・
申し訳ありません、お手数お掛けしております。
譙県内夏侯淵邸
「・・・はっ!?え~と、士景と申したか。
君が代表なのか?・・・本当に?」
暫し呆然としていた夏侯淵だったが、我に帰りマジマジと怪しい仮面少年を見つめる。
「はい!弟君の添様のお話を聞き、父君の葬儀を恙なく全うさせるべく参上しました!
まだまだ我々「定刻歌宴団」は若輩者ですが、精一杯頑張らせて頂きます。」
(うう・・・。何で俺がこんな事しなきゃいけねーんだよ全く・・・)
仮面少年・士景こと糜芳は、外面は営業スマイルを浮かべつつ、内面は嘆いていた。
何故糜芳偽名を名乗り楽士の代表を務め、仮面を被っているのかは、糜芳の都合と士嬰の都合に拠るものだった。
代表を務めているのは士嬰の都合で、楽士同士の仁義や筋を通す為である。
楽士の仁義と言うのは士嬰曰わく、「地元在住の楽士の仕事を奪ってはならない」だそうだ。
基本的に楽士という職種は地元市町村を縄張りとして活動し、地元の冠婚葬祭や名士や商家の宴会等で演奏を行い、見返りに報酬を貰って生計を立てている人達なので、地元楽士の仕事=生活手段を奪う行為は最悪の仁義破りとされ、周辺の楽士達に回状(手配書・ブラックリスト)が伝達されて、袋叩きに遭う事になるようだ。
「え、それじゃ仕事を受けたら不味いんじゃあ?」と言うと、士嬰曰わく「地元楽士が依頼を断った場合は、余所の楽士が依頼を受けても問題ない」との事。
そういう風にある程度融通性を持たさないと、冠婚葬祭が滞って地元民から恨みを買ったり、名士連中の宴会等が中止や延期になった時に連中に恥を掻かせる事ととなり、怒り狂った名士連中に物理的兼社会的制裁を受ける羽目になるからだとか。
但し、今回みたいに地元楽士の仲介(応援依頼)を経ずに仕事を受けた場合は、地元の仕事を受けた事をキチンと伝え、挨拶をする事が筋らしい。
そうする事で地元楽士に「今回は偶々依頼を受けましたが、お宅さんの縄張りを荒らす意図はありませんので・・・」と受け止められ、無用なトラブル回避になるようだ。
「それじゃあ俺が代表になる必要性が無いよね?こんな面倒な事をしたのは何で?」と聞くと、「万一があった時の念の為の保険」と士嬰は答えた。
士嬰曰わく、どうやら稀に伝達の齟齬・行き違いや、片方あるいは双方の勘違いでダブルブッキングが発生するらしく、地元徐州ならお互い顔見知りなので、なあなあで事が納まる話しでも、余所の場合はそうはいかない可能性が有るので、いざという時には糜芳が士嬰の雇い主という体で表向き装い、「糜芳が夏侯一族に頼まれて了承した為、やむを得ず依頼を受ける事になりました」と言って誤魔化して、逃げ道を確保する算段のようだ。
確認の為に、門弟を地元楽士の所に挨拶に向かわせ、現在情報収集の最中である。
(う~ん、なる程。
どんな職種にも仁義や筋って有るんだな~)
前世の職業(大工)でもそういったモノが普通に存在していたので、すんなりと納得した糜芳であった。
そして、糜芳が偽名を名乗り、怪しい(お多福擬き)仮面を被っているのは、「夏侯一族=リトルジャイアントこと曹操に現状関わりを持つのは、最悪に近い」から、夏侯一族に顔バレや身バレを防ぐ為である。
三国志の覇者であり、歴とした宦官閥出身の曹操を何故避けるのかというと、未だ推定の段階だが「宦官閥トップの張譲と敵対関係にある」可能性が大な為だ。
(確か黄巾の乱前ぐらいに蹇何チャラと揉めて、張譲達と喧嘩になってたんだよな・・・)
うろ覚えの三国志知識を思い浮かべて思考する糜芳。
糜芳の現在目的である「皇帝謁見」に繋がる、最速ルートの十常侍(張譲)と敵対している(可能性がある)曹操と繋がりを得てしまうのは、将来的には最高手でも現状最悪手になってしまうのである。
(それに曹操は未だ下っ端のペーペー役人だった筈だしな~確か・・・うん?名家閥トップ袁何チャラの甥、袁紹と繋がりが在ったっけかなそう言えば。
それなら曹操からバカ坊経由で名家閥トップに取り次いで貰うのも有りか?・・・いやいや万一張譲達に繋がりを手繰られたら絶対にヤバいよなぁ。
・・・うん、やっぱり今回はスルーした方が良いな)
脳内で、パチパチと算盤を弾く。
そうして算盤勘定をした結果、夏侯一族経由から曹操ルートに入るのを避けるのに決定し、偽名と仮面をする事にした糜芳であった。
それはさておき、
「う~む、すまんがちょっと席を外す故、待ってて貰えるか?・・・おい、添。」
悩ましげな表情をしながら、弟の添を顎で促し退席する夏侯淵。
(あ~そら怪しい仮面少年と、若手楽士達しかいない楽団じゃあ不安に駆られるのもしゃ~ないか)
夏侯淵の表情から内心を読み取る。
恐らく一族と相談しに行ったのだろうと思われる。
(ま、士嬰には悪いけど、断られたら断られたで俺的には全然問題ないし)
寧ろ断ってくれねーかな~と願う糜芳。
そうこうしていると、「只今戻りました若」と言って挨拶に向かわせていた若手楽士が、地元楽士の下から戻ってきた。
「ああ、ご苦労様。で、どうだった?問題ないか?」
「はい、それは問題ない処か、先方から喜ばれたぐらいです。」
そう言って若手楽士が士嬰に答えた後、
「・・・若。どうやら此処の夏侯家、かなりヤバい状況のようです。」
声を潜めて士嬰に伝える。
「ヤバい?どういった風にだ?」
「はい、どうも県内外周辺の名家閥連中、果ては宦官閥連中からも敬遠されているようでして・・・。
それもあって、どうやら地元や周辺の楽士達が依頼を断ったのは、恣意的な事のようですね。」
眉をひそめて報告する。
「やっぱり曹操がやらかしたからなの?」
「え?曹操?いいえ、「曹嵩」という人が原因と聞いたのですけど?」
「え!?曹嵩が?何で?」
思ってもみない人物名が出た事に驚く糜芳。
「はぁ、曹嵩なる人物をご存知なので?え~と、私が聞き及んだ話に拠ると・・・。」
若手楽士が首を傾げながら、聞き込んだ情報をヒソヒソと話し始めた。
現在の夏侯家がヤバい状況になったのは、曹操の実父曹嵩=夏侯嵩(夏侯惇の父の弟)の所為であり、そうなった理由は現宦官閥トップ張譲の先代のトップ、曹騰の養子に夏侯嵩がなった事が発端になっているようだ。
元々夏侯家は、漢帝国創始者・劉邦の側近として活躍し、厚い信頼を得ていた夏侯嬰を始祖とする、漢の家臣の中で最古参の家柄であった。
家柄・血筋で言えば現在隆盛を極め、「四世三公」(4代に渡って大臣を輩出)の家と持て囃されている袁家など、爪の先程にも及ばない名家中の名家なのだが、悲しいかな始祖の夏侯嬰以降、これといった人物が夏侯惇・夏侯淵・曹操達が出るまで現れず、夏侯家はドンドン没落していき、夏侯一族の惣領(一門・一族のトップ)だった夏侯惇の父ですら、公職につけずに無位無官(浪人)な有り様であったという。
そうした実家の没落を食い止める為、当時名門の血筋を欲していた曹騰(夏侯嬰と同じく最古参の功臣・曹参の末裔を称していたが、十中八九偽称)の養子に入り、曹騰が持っていた莫大な財力と影響力をバックに、夏侯家の再興を目論んだ夏侯嵩改め曹嵩だったが、結果的に余計に夏侯家を窮地に追い込む形になってしまう。
何故なら曹嵩が養子に入った時は、モロに名家閥と宦官閥が権力抗争を繰り広げていた最中であり、名家閥連中からは、「最古参の功臣(名家)の末裔で有りながら、成り上がりの宦官共に、お金欲しさに尻尾を振った名家の恥曝し、裏切り者」と見做され、大バッシングされたからである。
つまり、夏侯家が唯一と言っても良いぐらい持っていた、たった1つの金看板、「最古参の名家としての名声」を地の底に叩き落とし、なまじ由緒ある名家だった為周囲の名家の嫌悪感が凄じく、夏侯家を名家として忌むべき存在に貶めてしまったのだ。
しかも宦官閥からは、「由緒ある名家の人間が何しに来たのだ?どうせ名家閥の公的な犬であろう?」と見做され、その上曹騰が持っていた影響力も張譲達十常侍に依ってほぼ排除されてしまい、曹嵩自身宦官閥サイドからも忌避され敬遠されて相手にされず、踏んだり蹴ったりな状況になったのであった。
そうした曹嵩(恐らく夏侯惇の父も共謀)のやらかしにより、夏侯家が両派閥から敬遠された結果、自然と周囲の人々も次第に敬遠気味になり、下手な関わりを持つとヤバいと認知されて、偶々多忙だったのを幸いに地元楽士達は依頼を断って余所に応援要請もせずに逃げたようだ。
現状夏侯家は絶賛暗黒期の真っ最中のようである。
「・・・という次第だそうで、今ではマトモに付き合いをしているのは、養子に入った曹家ぐらいとか。」
「おいおい、そりゃ確かにヤバいなぁ。
まぁ、俺達からすれば余所事だから関係ないし、報酬さえキチンと払ってくれれば問題ないけどな。」
若手楽士の話を聞いて顔をしかめつつ、他人事と断じて士嬰は相づちをうつ。
(へぇ~、夏侯一族って曹操と行動を共にして、一緒に栄華を誇った一族だから、もっと華やかな印象を持っていたけど、どん底な時期も在ったんだな~)
思ってもみなかった華麗なる有名人の、意外な裏歴史に糜芳は驚いた。
士嬰達とヒソヒソと夏侯家の実情を話していると、部屋の外からガヤガヤと声が聞こえて来た。
「失礼する。」
夏侯淵と添兄弟とは別の人が一声掛けて入って来て、ぞろぞろと夏侯兄弟を入れて計6人が入室して来る。
「この度は一族の葬儀に協力して頂けると伺い、一族を代表して挨拶に参った。
某、夏侯一族の惣領・夏侯惇と申す、見知りおきを。
楽士の方々には此度の葬儀、宜しくお願いする。」
若輩者である糜芳達相手に、丁重な挨拶をして拱手する、盲夏侯こと夏侯惇。
(うぉぉぉ!?生夏侯惇(?)だぁ!
つーか滅茶苦茶丁寧で柔らかい物腰なんだけど?粗暴とか乱暴者の感じがまるで無いんだが)
ゲームとかで登場する夏侯惇とはかけ離れた実物に、良い意味で想像していた人物像が崩壊する糜芳。
「あ・・・こ、これはこれはご丁寧な挨拶を賜りまして、恐縮至極にございます。代表のし~?士景です。
此方こそこの度の仕事の依頼ありがとうございます。
我々え~と?「定刻火炎弾」だっけ?は精一杯勤めさせて貰いますので宜しくお願いします。」
態度は涼やかで有りながら、武人然とした鍛え抜かれた体躯持つ夏侯惇の丁重な挨拶に、糜芳一同は唖然とした後に、慌てて拱手して挨拶を返す。
その場しのぎで適当に名乗った為、素で名前を間違えてテロリスト団体みたいになっている糜芳達。
「うむ、宜しく。
さて早速だが葬儀の打ち合わせをしようか。
おい、淵。
お前が喪主なのだからキチンと・・・。」
「いやいや惇兄、待った待った。
若い楽士って聞いてたけど、若い処か幼すぎだろうが幾らなんでも!?それに風体も怪しいし。
こんな胡散臭せ一子供が団長している楽団で大丈夫なのかよ?」
怪しさ満点の糜芳達に疑問を挟まず、打ち合わせを行おうとした夏侯惇に、一緒に入って来た内の1人が待ったをかけて、胡散臭さげに疑問を呈した。
「そうだ、そうだ。仁の言う通り。
流石に選択肢が無いとは言え、実力を確認せずに雇うのは軽率だろう惇兄。
万一碌でもなかったら、淵だけじゃなくて我等も恥を掻く事になるんだぞ?」
「うん。仁兄や洪兄の意見に賛成。
とりあえず実力を確認させて貰ってからの話だよね。」
残りの2人も仁と呼ばれた人に同調する。
淵と添兄弟は事の成り行きを静観する構えのようだ。
「こら!仁、洪、純。
折角依頼を受けてくれる楽士達に、何て失礼な事を言うのだお前達は。」
「だけどよ~・・・。」
「流石に・・・。」
「ちょっと・・・。」
夏侯惇と他3人が言い争いを始める。
(う~ん、仁、洪、純つったらあの一家だよな~)
又有名人がゴロゴロ出て来たなぁと、現実逃避気味に思考する糜芳。
「あの~其方の方達は一体?」
多分そ~だろうな~と予測しつつ、確認をする。
「うん?ああ、士景君。コレは失礼、未だこの3人を紹介していなかったね。
最初に文句を言ってたのが曹仁。
私とは縁戚で、見た目は強面だけど恐妻家でね、家庭内では最弱で居場所の無い可哀想な奴なんだよ。」
「オイ!?そんな踏み込んだ紹介する必要性ねーだろうが!名前だけで十分だろ!?
止めろ!そんな憐れみの目でコッチ見るのは!」
士嬰達の同情の視線に、顔を真っ赤にして吠える恐妻家・曹仁。
(まさか、江陵とか樊城とかの地方守備を歴任してたのって、嫁さんから逃げる為だったんじゃあ・・・)
思わず邪推してしまう糜芳であった。
「次に文句を言ってたのが同じく縁戚の曹洪。
曹仁の従弟で、見た目はお金にがめつそうで、本当にがめつくてね、お金が友人の可哀想な奴なんだよ。」
「誰がだコラ!!友人ぐらい何人もおるわい!
お前等が金に頓着せずにバカスカ浪費するから、金銭管理しているだけだろうが!?
・・・?何で澄んだ目で俺を見るんだお前等は?」
士嬰達の同調の視線に、首を傾げる守銭奴・曹洪。
(あ~、士嬰達は日頃士景のオッサンに振り回されているから、曹洪が同志に見えるんだろうな・・・)
思わず納得してしまう糜芳であった。
「そして最後に仁と洪に同意していたのが曹純。
曹仁の実弟で、見た目も地味で本当に影が薄くてね、派手な格好や言動をして存在感を出そうとしても、結局埋没してしまう可哀想な奴なんだよ。」
「ひ、非道い!そこまで言う!?
仁兄や洪兄の個性が強過ぎるだけで僕は普通だからね!?
見ないで、そんな生暖かい目で見ないでくれ!」
士嬰達の生暖かい視線に、身悶えてジタバタする中二乙・曹純。
(確かに影が薄くて地味だよな。
ポジション的に俺と変わらない感じだし・・・)
思わず夏侯惇に同調してしまう糜芳だった。
そうして曹仁達を涼しげな態度で撃沈した夏侯惇は、困った表情をしながら、
「う~ん、これだけ批判的な言動が続出するのは不味いかも知れないから、念の為士景君達の技量を確認させて貰っても良いかい?
あ、もし技量不足と判断しても依頼料は払うから安心して欲しい。」
糜芳達に技量検査を要請する。
「「「最初から俺らがそうしろと言ってんだろ!?」」」
大声で怒鳴る曹仁達。
(う~ん、涼やかにしれっと天然で毒舌を吐く人なんだな夏侯惇て人は。
・・・「事実は小説よりも奇なり」て本当なんだ)
悪い意味で夏侯惇の想像が破壊された糜芳であった。
続く
え~と、夏侯家暗黒期説は個人的な想像ですので悪しからずご了承ください。
曹操の実父曹嵩が1億銭のお金で三公の地位を買うまでは、無位無官らしかった事と、実家の夏侯家惣領の夏侯惇も無位無官だった事を考えると、そうだったんじゃないかな~と想像して書いております。
後、夏侯淵のエピソードに、飢えに苦しんでいる時に、実の子供を見捨てて亡き弟の遺児を助けたというエピソードが残っており、とても名家出身のエピソードと思えない話も加えて考察すると、直のことそう想像してしまったので。
長々とすみません。
楽しんで読んで頂けたら嬉しいです。
優しい評価をお願いします。




