その7
丁老師邸講堂
(おいおい、どうすんべ?
銭だけせしめてハイ、サヨナラでもいいんだけど流石に後味が悪いし、かといってこの連中に頼むのもちょっと・・・信用がいまいち出来ないしな~)
取り縋って来る軍部連中達を尻目に、糜芳は悩んだ。
本人だけなら躊躇無く切り捨てるのだが、流石に影響が家族や一族一門まで累が及ぶとなると、いくら何でもオーバーキル過ぎる。
(だからといって簡単に赦して軍屯を任せると、甘く見られていい加減な仕事をされかねないしなぁ~、まさか州の軍部関係者だと思わなかった。
精々郡ぐらいだと思ってたんだけど・・・はぁ、こんな奴らが徐州の軍トップ、州軍の軍幹部かよ・・・世襲化して軍人よりも貴族になってやがる)
曹豹達が結構大物だった事に驚くと同時に、利益で動き、元部下達や遺族の窮状を憂いるではなく、他人事の様に憐憫するだけで金銭を惜しみ、参謀兄はぎりぎりで気づいたが、リスクを考える洞察力も乏しい連中が、軍の中枢幹部で在ることに深く嘆いた。
(う~ん。この状況で俺が下手に発言すると強制的になりかねないし、此処は竺兄に取り持って貰おうか?・・・駄目だ、一歩間違うと竺兄が軍部連中達の恨みを買いかねない、民部(文官)だから余計に危険が・・・どないしょー?)
どうこの場をおさめるか、ウンウン唸っていると、
「糜芳君。」
「はい、何でしょう?老師。」
丁老師がおもむろに話し掛けて来る。
「そこで無様を晒しておる曹豹達だが、済まないが一度だけ、一度だけ機会を与えて貰えんかね?
不肖とは言え弟子に違いないし、弟子が不幸に陥るのは、曲がりなりにも師としては見過ごす訳にはいかん。これ、この通りお願い致す。」
姿勢を正し、糜芳に向かって頭を下げる。
「「「「「「「老師!?」」」」」」」
糜芳以外の全員が悲鳴の様な声を上げる。
(おいおい爺さん!あんたの立場上ホイホイ頭を下げて良いもんじゃねぇだろ!?・・・ああ、この場を収める為に、わざわざ下げてくれたのか。
申し訳ない。が、有り難い!)
この面子の中で、一番場をおさめるのに適した人ではあるが、同時に一番頼むのが難しい人でもある丁老師が、自ら率先して動いてくれた事に、糜芳は深く感謝した。
何故なら丁老師に話を振れば、弟子の不祥事である以上、師である丁老師は頭を下げる事になるのだが、これが何よりも一番ヤバいのである。
日本でも江戸時代には、学問や武芸の師匠というのは、父母と並んで第3の親と呼ばれていて、師匠が侮辱されたり、恥をかかされたりすると弟子が怒り狂って、侮辱したり恥をかかせた相手を仇とばかりに襲撃(闇討ち込み)する事が珍しく無かった。
古代中国というか三国志でも、盲夏候こと夏候惇が、自分の師匠を侮辱した人をバッサリ斬り殺して殺害したエピソードがはっきりと人物伝に書かれている。
何が言いたいかというと、糜芳が話を振れば立場上、丁老師は頭を下げざるをえなくなる。
つまり、糜芳が丁老師に頭を下げさせて恥をかかせた事になり、弟子達の怒りを買って殺害リストにランクインしてしまうのである。
どう考えても場をおさめるメリットより、デメリットの方がはるかにでかい。
しかし、今回の様に丁老師から進んで下げた場合は話が別になる。
糜芳から言えば、老師を責める形になってしまうが、老師が自分から頭を下げるのは、師匠として弟子を庇う形に成る為、糜芳では無く、曹豹達が師に恥をかかせたとして他の弟子達の怒りを買う事になるからだ。
「丁老師、おやめ下さい!頭を上げて下さい!
・・・分かりました。老師が其処までされるのであれば、是非も有りません。
曹豹様達に軍屯の協力をお願いします。」
これ幸いに丁老師のアドリブに乗り、自然な形で場をおさめることに成功する。
「済まないな糜芳君。・・・さて、曹豹達よ。」
「は、はい、老師。」
「今回は情状酌量の余地有りと観て口を挟んだが、次は無い事は判っておろうな?」
「はは!肝に銘じて!師の恩情に感謝します。
必ずややり遂げて見せます!!」
曹豹達は、鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら丁老師に頭を下げる。
「うむ、確かに聞いたぞ。
此処におる皆の者が証人じゃ。私の顔に泥を塗る様な真似はするでないぞ?」
「ヒ、はは!」
恩情を掛けつつも、きっちりと釘を刺す事を忘れ無い丁老師。
(うわ~、助けるついでに、追い込みも掛けてるわ。エグい。まぁ、これで公私共に追い詰められる形になるから、阿呆な事せずに真面目に取り組んでくれるだろう)
老師のファインプレーに内心安堵する。
「さて、糜芳君。曹豹達に軍屯の具体策を教授してやって欲しい。
曹豹達よ、最初に言った様に糜芳君の言葉は私が言ったと同然だと思いなさい。」
「「「「「は、承知しました!」」」」」
丁老師が糜芳に話を振り、改めて曹豹達に念入りに注意をした。
「は、それでは。・・・そもそも資金提供をお願いしたのは、少しでも多くの困窮している傷病兵や遺族達を早く救済する為です。
我が麋家は傷病兵や遺族達100人程の入植者を受け入れる事にしましたが、全体的に見れば微々たるものでしょう。
そして、開拓・開墾の成果が出るのはどうしても間違いなく年単位掛かります。
つまり、開拓・開墾が成功して次の受け入れをするまでの何年もの間、現状のまま困窮している傷病兵や遺族達を放置する事になってしまうのです。
其処で曹豹様達に提供して貰った資金を元手に、その間を凌ぐ事が出来る様にします。」
「ふむ、具体的にはどうするのかね?」
糜芳の説明に丁老師は合いの手を入れる。
「はい、それは・・・まず、曹豹様。」
「は?はは!」
突然名指しで呼ばれて戸惑う様に返事を返す曹豹。
「曹豹様に真っ先にして頂く事は、上司や同僚よりも先に、部下や大勢の将兵達に派閥だのは無視して、軍屯政策を提言・周知して貰い、将兵達の支持を得る事です。」
「え?同僚や上司よりもですか?」
(当たり前だろうが!こいつ本当にリスクを考える洞察力が無いな・・・)
すっとぼけた事を聞く曹豹に内心頭を抱えて呆れる。見れば参謀兄も、同じ気持ちなのか実際に頭を抱えていた。
「そうです!将兵達に周知する前に上司に相談すれば、利権や手柄を横取りされて、成功すれば上司の功績、失敗すれば曹豹様の責任にされてとてつもない損失を被りますよ?
同僚に話すのも同様です。
曹豹様が提案したのでは無く、自分が考案したと吹聴されて、どっちが後先で揉めて利権や手柄の奪い合いになりかねません。」
古代処か、現代でも当たり前に起こり得る現象を、具体例を上げて注意換起を促す。
(まぁ、他の奴に主導権を持たれると、最悪コントロールが出来なくなって、万一失敗した場合、こちらにも飛び火する状況になってはたまらないからな~)
心中でこっそり付け足す。
「た、確かに先に同僚・上司に話のは危険ですな。
承知しました。
しかし・・・派閥を無視しては要らぬ騒動になるし、成功しないのでは?」
曹豹の疑問に本人だけで無く、民部(文官)の人達も「そうだそうだ」と頷いている。
基本的に古来から、こういった政策や策謀などといった類は裏工作(根回し)が不可欠であり、それを上手く出来るか否かに依って成否が分かれるものである。
それを無視すれば、他派閥が一致団結して反発・反対して、確実に失敗するのは誰が考えても解るし、当然の事である。
当たり前の疑問を糜芳に問い掛けたのだが、
「一般的な政策の場合はそうでしょうが、今回に限っては全く問題ありません。
寧ろ他派閥が反発してくれた方が、曹豹様達に大きな利を齎してくれます。
上手くいけば他派閥が消滅するか、吸収合併して曹豹様達の派閥が最大か、あるいは唯一の派閥に成ることも不可能ではありませんよ?」
ニッコリと笑顔で糜芳は答える。
「「「「「「「ええええぇぇぇ!?」」」」」」」
ほぼ全員がビックリ仰天して大声を上げる。
「何故ですか?」
曹豹が心底理解不能だとばかりに麋芳に確認する。
糜竺や老師を除く数人、ごく一部の人は理解したのか苦笑いを浮かべているが、大多数の人達は首を傾げていた。
(あ~、雲の上のボンボン育ち達じゃ、一般ピーポーの将兵達の考えや気持ちなんか理解出来なくて当然か・・・)
糜芳は、セレブ(名家・名士)達と一般庶民の立場の認識に隔たりがあるのを、改めて実感した。
「それはですね・・・。
一般将兵達にとって派閥だの権力抗争だのは全く無関心で、微塵も興味無いからです。」
「「「「「「ええ!そんな馬鹿な・・・」」」」」」
糜芳のぶっちゃけに殆どの招待客(名家・名士)達が嘘だろ?と言った声を上げる。
現代で例えて謂うなら一般社員から観た、会社役員の評価や認識とほぼ同じだろうか。
大多数の社員からすれば、お偉いさん方(会社役員)の派閥だの権力抗争(ポスト争い)だのは、「凄まじくどうでもいい」話であり、ほぼ他人事だから興味も薄く、精々ゴシップネタにするぐらいの関心であろう。
寧ろ派閥争いや、権力抗争をしている役員連中を大多数の社員は、
「遊んで無いで仕事しろよ老害・バ○ボン共が」とか、「職務をキチンと果さんかい給料ドロボー共が」
という嫌悪や侮蔑の感情を持っているのではないだろうか。(フィクションです)
つまり、殆どの一般将兵達にとって、派閥だの権力抗争だのは、雲の上連中達の下らないお遊戯程度の認識であり、無関心かつ他人事なので、誰がトップになろうが誰が栄進・没落しようが自分達に直接影響が無い限り、どうでもいい事なのだ。
糜芳も、軍部達や民部(文官)達に、「貴方達は、将兵達からは幼稚な事をする老害・バ○ボン・給料ドロボーと思われてますよ」とストレートに言うのは流石に憚られたので、
「一般将兵達から観たら派閥争いや権力抗争などは、泥酔した酔っ払い同士がみっともない喧嘩をしている様なものですよ。」
オブラート(?)に包んで説明する。
「我々のしている事は酔っ払い並み・・・」
「みっともないと思われてたのか・・・」
糜芳の説明に愕然とする周囲の人達。
まさか自分達が必死に家門の為に生存(栄進か没落)をかけて行っている事が、一般将兵達からはしょうもない阿呆の所行と思われていた事に、かなりショックを受けた様だ。
(まぁ、どこぞのレジェンドレスラーみたいに、自分の常識非常識と言われた訳だからショックなのだろうけど、一般ピーポーからしたら、そうとしか言いようが無いからな~)
「え~と、それを踏まえて今回の場合は、モロに直接将兵達に影響がある話で、自分達の将来に多大な利益を齎すものですよね?
さて、曹豹様。何の利益も齎さない派閥という存在と、利益を齎す我々の政策、将兵達はどちらを支持すると思われますか?」
周囲がブツブツ言っているのをほったらかしにして、曹豹に尋ねる。
「それは無論我々でしょうな。」
「その通りです。恐らく大半の将兵達が我々を支持する事でしょう。
そして、その時点で他派閥の権力がほぼ消失し、曹豹様達の派閥に協力・賛同という名の実質軍門に降るか、反対・反発して将兵達の顰蹙や敵意を買い、自滅か破滅をする羽目になるでしょう。」
「ええ!?そうなんですか!?」
「はい、高い確率でそうなります。」
糜芳の説明に曹豹は驚き、周囲もザワザワとざわめいている。
何故権力が消失するのかというと、そもそも権力と言うモノは、
「個人又は組織(派閥)に、どれだけの人(下っ端のペーペー=部下)が指示・命令に従うのか」
といったシロモノであり、某アニメキャラでホンマにこいつら兄弟なんか?と疑ってしまう程に似てない兄弟の次男坊が言った、
「数は(権)力だよ兄貴」なのである。
つまり、指示・命令に従う人(下っ端=部下)が多い程大きい権力を持っていると言えるし、逆に少ない程持っていないと言える。
今回の屯田制度(軍屯)については、余程派閥やそれに属する個人に恩義や利益を受けていない限り、ほぼ全ての将兵達、軍全体に支持を得て屯田制に関わる曹豹達の指示・命令に従う事になるのは確実である。
なにせ糜芳が提案している屯田制度は、一種の社会保障制度(労災及び社会保険)を兼ね備えており、再就職したくても伝手やコネが無くて、将来に不安を抱えている将兵達にとっては、涙を流して諸手を上げて喜び、賛同・協力する事間違いナシな提案なのだから。
つまりは、なし崩し的に他派閥の権力の源泉である将兵達を、曹豹達の派閥に取り込んで、事実上軍部内の他派閥の権力を奪い、軍部内の権力を掌握する事になるのである。
この時点で他派閥連中達は、気が付いたら詰んでいる状態になっている。
何時もの如く「自分達に根回し(貸し借り、利害調整)をして来なかったから」という理由で反対・反発しても、自分達の派閥幹部連中以外誰も従わず、そっぽを向かれるだけだ。
なにせ将兵達から観れば、下らないお遊戯である派閥の論理を振りかざして来る阿呆(老害・バ○ボン)共の為に、自分達の利益を大きく損ねてまで従う理由が全く無いのだから。
かと言って立場や権限を使って、無理矢理従わせ様としても、ごく一部の部隊なら可能かも知れないが、それ以外の殆どの将兵達を敵に回してしまい、猛抗議が上層部に殺到するのは確実である。
そうなると例え軍のトップが所属する派閥の人であっても「指揮官としての資質に問題あり」として更迭にでもしないと収まりが着かなくなるし、下手に庇ったりなぁなぁで誤魔化そうしたら、将兵達の怒りの火に油を注ぐ事になり暴動騒ぎになるのは必至である。
そのような事態を起こしてしまえば、徐州軍部内の話で済まなくなり、軍部・民部の上である州の名目上のトップ・州刺史(州牧と違い、軍部の統帥権、民部の決裁権が無く、皇帝から任命されて派遣された監視役、州牧制度は黄巾の乱以降に制定された)から中央(洛陽)に報告され、中央からお偉いさん方がやってきて、軍のトップだろうが容赦無く派閥連中ごと処断されるのは確実だ。
ついでに反対と騒げば騒ぐ程、
「自分達は将兵達など塵や埃程度のどうでもいい認識しか無く、派閥や己の出世と権力にしか眼中に無い、正真正銘のド屑で~す☆」
と将兵達に無自覚に喧伝してしまい、猛烈な反感と敵意を買った上に、願い事を叶え終わったドラゴ○ボールが四方八方に飛び散る並みのマッハな勢いで、将兵の人心が離れていくというオマケ付きである。
まぁ、一応打開策として、糜芳の屯田制を上回る政策を提案・実施すれば、糜芳の策謀を覆す事が出来るのだが、そんな知恵が有るのならとっくの昔に実施して、軍部を完全掌握しているだろうから、先ずほぼ無策だと予測出来る。
反対・反発すれば例え軍のトップだろうが、最大派閥だろうが軍部内人数の9割以上を占める将兵達を敵に回してしまう事になり、当然勝てる訳も無く、立場を失って派閥連中ごと失脚、一族一門も軍部から叩き出されて没落、徐州から人目を忍ぶ様に行方知れずになればまだましな方で、悪ければ騒乱を引き起こしたとして断罪されて派閥連中ごとクビ(物理)になり、一族一門も同罪に処されて物理的に消滅する事態に成りかねない。
良くても生き地獄、悪ければ地獄行きという救い様のない破滅が待っているだけだ。
かと言って賛同・協力したとしても権力(将兵達の支持)が戻る訳でもなく、ただ単に敵意を向けられなくなるだけで、有名無実化して派閥としての存在意義を失い、自然消滅を待つばかりになるだけである。
とりあえず財布として、目一杯資金を吐き出させて利用させてもらい、断ったり、渋ったりしたら、
「我々は私財をはたいて屯田制実現に向けて頑張っているのに、あいつ等は口先だけで何もしない」
と糾弾して屯田制プロジェクトから叩き出し、反対・反発する連中の同類として、文字通り生き地獄を見せた上で、適当に罪を着せて財産を没収すれば良いだけである。
「・・・という訳です。」
「な、成る程。・・・スゴい、凄すぎる。
一つの政策で此処までの謀を張り巡らし、味方する者には恩恵と利益を、敵対する者には破滅と没落をと、利害調整をここまで行えるとは・・・恐るべき神算鬼謀、まさしく張良・陳平の如し。」
「確かに・・・」
「これほどの緻密な策謀など聴いた事も無い。
恐るべし知謀だ。」
糜芳の説明を聞いて、周囲の人達が感嘆や畏怖の声をちらほらと囁いている。
(???何だ?急にオッサン達が妙にキラキラした目でこっちを見始めたんだが・・・)
当の本人は全く無自覚であった。
「え~、それでは将兵達の支持を得た後の具体的な行動をお伝えしたいのですが、宜しいでしょうか?」
「「「「「「宜しくお願いします。」」」」」」
糜芳の問い掛けに、異口同音にかしこまって返事する一同であった。
続く




