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やはりグラビトン持ってないと駄目か 俺もがんばって手に入れようと思ってるがなかなか大変だぜ 一級廃人の証っていうだけの事はあるよな 持ってる人憧れちゃうなー


「とか言ってる範満のとこへ突如として! 超重力砲ズーパーグラビトンカノーネ搭載の潜水艦が!」

「『範満。わたしに、乗って♡』みたいな?」

「今週からそうなる」

「なんたるサプライズアルペジオ理論。そしてハーメルン案件」

「潜水艦は、なんかオリジナル宇宙戦艦に変えとけばオケ」

「メンタルモデルは?」

「エロフに変えとけばオケ。そうだろ? 艦長」

「宇宙戦艦に乗ったエロフは、室町時代人なんか必要ないんちゃう?」

「……なるほど、もっともな指摘ですわね……エロフは、三時間ごとに子宮が痛む奇病を患っている!」

「ポル攻めするだけで年収600万石のイマガワさぁあああああんwww」

「治療薬として……、治療薬注入器? として使えそうなチキューケナシザルの雄を漁っていたら、反抗的な部族に攻撃された。そして戦争状態へ」

「戦争、三時間で終わりそう。駿府でも上京でもズーパーグラビトンカノーネで消し飛ばして、『平伏せ! 虫ケラども!』て言うだけやん」

「そこはプレイヤーの趣味趣向で、こう……お気に入りの武将が敵陣営にいたり? 好感度3000倍にしたり? 手懐けた好感度3000倍の現地軍だけで舐めプしてみたり?」

「お笑いストラテジーで対魔忍で侍コレクションでペシミズム看護夫プレイ、だと……?」

「基本は乙女ゲームだからね。そして最後に待っているのは☆さよ♡教☆」

「ほほう……さよ教」

「範満は壊れた人形。北条 早雲は屋上のカラス。京都の連中はブヨブヨに腐った標本。主人公のエロフはスーパーマリオ・ハピネス錠で妙蓮寺されて『ここは…病院だ~~!!』」

「デュフw 次の日は、おもちゃにして死んだはずのみんなに抱き着かれて最高にゆっくりできるエンディング、と」

「どうですか! そこの、すぐ上とかちょっと下とかにいるゲーム屋さん!」

「ボツ。なにもかもパクリ」

「パクリスペクトと言いなさい。変換候補にあったから」

「そもそも、宇宙戦艦で戦国日本を蹂躙なんて、もうあるし」

「これとか? ……センワ?」

「二〇〇〇話スゲーナwww」

「イア! ファラリス! みたいな主人公とは違うと……それでもセイバーヘーゲンのバーサーカー・マシーンみたいなのがあれば、織田なんかせいぜい三話で一方的に叩きのめして洗脳汁注入アリーナ送りにできるでしょ……?」

「ガチムチなテセウスきゅんならぬ信シリーズが、大入りの熱田アリーナで『産め! 神の子を!』w」

「是非もなしかな?」

「拡張ずみやおい穴からウンコまみれのミノタウロス赤ちゃんが!」

「そーゆーのはやだっつってんでしょおおお! あとブシャアッは羊水! これだから発酵不足は」

「すんまへんwww」



 太陽暦八月二八日。

 一八時を少し過ぎて、小山城の炎上が報告された。

 相良の部ヶ谷支部から「光谺梯団は無事に到着」との通信が一一時。攻城兵器を受けとり、小山城へ出撃が一三時。

 砲兵一個中隊と輜重一個中隊をともなった第二歩兵大隊は、船で相良へ先行していた二個中隊と合流し、一〇〇〇人の光谺梯団となった。相良には交代で、即日の緊急招集に応じられた三〇〇人の予備軍を配置している。

 小山城で白兵戦はおこなっていない。設置式の投擲器を組み立て、ひたすらナパーム弾を投げこんだ。二五キロメートルを歩き、山を一つ越える強行軍につづけての攻撃だが、予定どおり実行できている。陸上自衛隊基準の遠足をこなせるまでに成長した常設部隊は、空軍観測小隊の情報に基づき、機動戦ができる。


 小山城には革命軍の焼夷攻撃にそなえて、大井川沼沢を用いた幅一〇〇メートルの水濠があった。攻略には五キログラム弾を有効射程距離二五〇メートルで飛ばせる投擲器が必要となる。

 現用の投擲器は錘箱式の、西暦二〇〇〇年の公園にあるシーソーに似たものだ。戦う現地で石を拾い集め、計量して弾道表に基づき錘箱につめると、二五〇メートルまでならば五キログラム弾を狙った位置へそれなりに飛ばすことができる。

 重力で動く重力砲といえなくもないため、そう名づけた。軍隊屋が好むハッタリを利かせた珍妙語の一種にすぎないが、しかし、これで笑いをとっておけば、真に重要なものを隠す効果が少しはあるかもしれない。

 これらを輸送艦で運ぶべく、まず大江湊を制圧した。錘石は現地調達とはいえ、投擲器の輸送重量は一台あたり四〇〇キログラムになる。

 大型兵器を山越えさせることは、今の革命軍には難しい。大井川三角洲の浅い湿原へ、三〇〇トン級輸送艦 ミオ型が入ることもできない。海送は、部ヶ谷支部の尽力によりミオ型に対応した桟橋を作った、大江湊までだった。相良からの一〇キロメートルは平坦地であり、輸送車(一牛力あるいは一馬力)を使える。

 小山守備兵は煙に燻されて城を捨て、小舟で水濠を渡り、夏の雑草が生い茂る湿原へ逃れようとしたが、それも弩矢により多くは屍となった。


 残余の榛原占領隊も湯日で捕捉し、勝間田城の在来梯団が撃破していた。

 東海道からやや西へそれた湯日郷には、戦争に適した渡河点がある。

 大井川はその湾曲により、湯日の東側ではなく北側を東へ流れる。湯日の北半分は大井川の湿原で、その北が大井川本流、その北が島田の湿原、その北東が島田の小さな町だ。何本にも分かれて蛇行する大井川が池状にまとまる場所がここであり、小舟を使えば数十分で、藪に姿を隠して渡河できる。

 榛原占領隊は、志太郡の土豪を加勢に得て、ここで会戦を選んだ。人数は五〇〇~六〇〇。半数が戦場で死傷し、残りは湿原へ逃げ散った。

 榛原占領隊は壊滅し、革命軍の勝利は確定した。駿河今川は榛原の占領維持に実力を超えた無理をしており、再建はできない。横地城に立て籠もっている一〇〇人ばかりは、横地隊と適当に遊ばせておけばよい。


 今川との内通者が痙攣する肉虫となった一九時、範満が龍王丸と養子縁組したとの公開情報が届く。

 集合を終えた予備軍三個郡隊の出発に合わせて、今日は女も一〇人ほど追加で切っている。男の肉だけでは、観衆から不満が出るのだ。

 湯日郷と、その北西隣の金谷郷を領する質侶荘園の主・藤原家は、駿府よりの知らせを土産に大禍へ駆けつけ「当家は隉黨の不信心者とは違う」と力説した。


「この一〇〇年におよぶ、今川被官による荘園横領は、末法の世をば我が世とぞ思う傲岸不遜なる悪行」

「御成敗はどちかというと大賛成だな」

「勝間田家が調子ブッコキすぎててゆっくりできませぬ! 制裁オナシャス!」


 などと、いつもの主張を質侶藤原の使者は情報参謀の担当者に語り、加えて「二国平定の暁には、独裁様を本所とし質侶荘園を寄進つかまつりたく存じそうろう」と望んだ。

 質侶藤原は金谷に東海道を抱えながら、武家に対しては独立を保ってきた目敏い一族だった。足元まで火がまわったことに気づいたらしい。


 質侶藤原や駿河に住む革命宗信徒からの知らせによると、範満は養子縁組と同時に、龍王丸を継嗣とした。すなわち龍王丸を駿河守護職継承者なりと認めた。

 義忠の急死から一〇年来つづいた範満派と龍王丸派の対立は、これで円満に解決されたことになる。革命宗の本格侵攻にさいして範満が決行した政治的妥協策であり、見事な仕事だと関心はするがどこもおかしくはない

 今川にとってのこの吉報は、隠されることなく諸方へ伝えられていた。わたしにとっても、範満は順調に計画を進めているという、良い知らせだった。


 八月二九日。

 早朝、相良から補給に戻っていた艦隊が駿河湾へ出発した。一〇時間後には大江湊の次、第二標的群である焼津の小川湊を焼く。三〇日午前中の撤退を予定しているが、余裕のない日程となってしまった。急ぎ仕事の皺寄せが発生している。

 三〇日に諸井か相良へ帰還できないと判断した場合、陣頭指揮をとる〝提督〟船戸 碧道(ひゃくどう)の提案により、艦隊はそのまま小川湊を占拠することとなった。

 今日は、まだ良い風が吹いている。しかし三一日には、危険な風速となる可能性がある。

 伊佐貫のむこう、引きずりこまれた市街を探険隊が基地に改造したような廃墟で収集した記録媒体の一つには、数万年間の自然災害についてまとめた草稿があった。天変地異を記述した諸言語の古文書に、不完全な翻訳文をつけた写真集めいたものだ。この資料に、今年の九月初、台風が東海地方を通過すると推定させる一頁を見つけていた。


 在来梯団も昼には駿河へ侵攻し、東海道を西端の牛尾から島田、六合まで制圧した。

 島田の北、大津荘園には今川館がある。円光は二八日にこちらからの返書を得て、駿府へ出立しているはずだ。

 大津荘園を領する今川の分家も五〇〇~七〇〇人ほどを集め、二八日、牛尾山に陣を敷いていた。

 大津荘園は、かつては南朝の厨だったという。南朝勢力を駆逐した功績によって立荘され、大津は今川領となった。八〇年前のことで、今川はその後、二〇世紀後半の島田市にほぼ相当するであろう範囲を旧勢力から奪っている。

 この直轄地を守る大津隊は、湯日から進撃する梯団に背後を突かれながらも「今川御領地での狼藉、あるべからず! 退散せよ! しからずは討つ!」と宣言し、強気に攻撃をしかけた。

 在来梯団の指揮をまかせた第一歩兵大隊長は状況判断により、ただちに反撃した。


 革命軍の歩兵とは、基本的に弩兵である。基本的に弓兵であり散兵戦(スカーミッシュ)をもっぱらとする武士の集団に対して、長槍歩兵陣は効果がない。

 武士団同士の戦いも弓矢の射かけあいで始まり、それで優勢劣勢が決まる。首狩りは負傷者を狙ったその後の行動だ。敵味方が無傷のまま互いに駆け寄り、なにも考えず切りあうわけではない。

 そして合戦における主武器である弓のあつかいに習熟している者は、武士団の三~四割だった。甲冑武者と、腕が二本だけでは足りない主人に代わり槍や盾を持ち最前線まで随伴する従者が、この含有率となる。馬丁は主人の乗騎を連れて一〇〇メートルほど後方に待機し、小者はさらに離れた本陣で荷物や手柄首を預かる。

 数百人を超える規模の〝大名軍〟となると、若党や地侍が集まり本陣を守ることが多い。チンピラを寄せ集めた本陣集団には、予備兵力としての役割がある。戦理として認識されていないこともあるが、これを予備兵力と理解し機能させられる者が、名将なり軍師なりとして評価される。

 わたしが撃滅してきた五〇〇~一五〇〇人規模の軍勢ならば、本陣兵員の含有率も三~四割だった。敵中へ駆け入って首狩りができる熟練戦闘員が多いか、寄せ集めが多いかは、軍勢の質による。

 つまり六〇〇人の武士団がいるとすれば、その二〇〇人、精鋭ならば二五〇人が弓兵となる。


 この六〇〇人が、革命軍の弩兵 六〇〇人と装甲輸送車 五〇輌に挑めばどうなるか?

 まず矢数の差で、弓兵が射負ける。

 これらの二~三割が矢を受けて退くか倒れるかすると、将帥は劣勢を認め退却を指示する。

 交戦相手も武士団ならば、この段階で首狩りが始まる。劣勢側は本陣から救助隊を出し、優勢側も本陣から追撃を出す。優勢側に名将がいれば、伸びた敵軍の側面を突くといった戦術と呼ぶに値する行動をやってのけることもある。

 土豪集団にとって全体の一割が死傷することは、かなりの痛手となる。現実は、どれだけ駒が死のうが勝てばよいゲームの単純化された戦争とは違う。優勢な側の熟練戦闘員も、一応の勝負がついたからこそ手柄首の確保に走る。

 武士団ではない革命軍は、しかし優勢を得たからとて無価値な首狩りなどしない。こうした戦況では、敵本陣から救助に来るチンピラどもを射つづけるのだ。

 かくして、なんの策もなく島田を防衛しようとした愚かな集団は四〇〇ほどの死傷者を残し、北へ逃げ去った。


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