「はい… ああ…羅刹丸の様子? 肉便器をイッちゃってる目つきでグリグリしてるぜ ボッチ席でブツブツ言っててつまんねェ スキだらけだぜ」
相良への進攻開始から一時間で、大禍本丸神殿に設置された無線機担当の通信士官が、平田寺の陥落を報告した。平田寺の衆中も悪僧も執行も、逃げこんだ門前町の有力信者もろともナパーム弾でよく燃えているとのことだった。
大江湊を牛耳る平田寺は臨済宗の一派であり、革命宗と敵対している。臨済宗の所有する荘園だった掛川が、『人民の総意により』わたしに寄進された三年前からの関係だ。降伏しないとは予測していた。
二個歩兵中隊での相良制圧につづいて、榛原占領隊の拠点、遠江の南東角に位置する駿河との中継基地を破壊する。
大井川の河口は、一辺が八~一〇キロメートルの三角洲となっている。駿河今川は二年前から、この西岸に船着場とそれを守る貧弱な砦を築いていた。名は小山城。
去年の飢饉では年貢を免除する代わりにかなりの賦役を課した、と範満の代理人は話していた。革命宗は帰依した三〇〇〇人を受け入れたが、それでも少なからぬ榛原住人が冬から今年の春に餓死したらしい。
相良大江湊から大井川の小山城まで、直線距離で一〇キロメートル。大江湊と三角洲をつなぐ陸路はある。戦闘装備を背負った兵士が徒歩で移動するならば三時間の交易道だった。
ウナギではなく塩を運ぶ道が、大井川三角洲や御前崎から相良、相良からは原ノ谷を経由して天竜川へ伸びている。革命宗は石油の道として、海水で選別した実り豊かな加持祈祷米の道として、諸井湖を得るまで利用していた。諸井湖は太平洋とつながっており、船が出入りできる。
小山城攻撃は、この別動隊がおこなう。
東海道を牧ノ原台地へ進む九〇〇人は、現段階では陽動隊だ。榛原へ攻めこむと見せかけ、吹木あたりに集まる榛原占領隊を牽制する。
小山城と横地城に兵員を割いている榛原占領隊は、東海道へは半数ほどしか集められないであろう。この四〇〇人を、夕暮れまでに捕捉し撃破することは難しい。
早ければ明日にも、焼津より今川の援軍が来る。榛原占領隊としても不利な状況で積極的な会敵はするまい。
革命軍の東海道隊は、今日は塩の道こと秋葉道と、勝間田道を押さえればよい。横地城と同じく今川軍に奪われた勝間田城は、要塞としては機能していない。数十人が駐屯する山道のサービスエリアに過ぎず、一時間もあれば占拠できる。
明日には小山城を陥落させ、まずは榛原で、次に志太平野で敵兵力を撃破する。
駿河で最も広い平地、志太平野は大井川三角洲の志太郡と、本流東岸の益頭郡に分けられていた。
情報屋として雇った忍者からは、今川が檄を飛ばせば志太と益頭の二郡合計で一〇〇〇人の軍勢が集う、と報告されている。これは武士団のみの数であり、守護が軍役として徴集できる民兵は含まない。
焼津から島田までを合計して三万~四万石と見積もられる米生産量からすると、一〇〇〇人はやや過大な数値に思われるし、駿河の武家階級がことごとく今川の舎弟になっているわけでもない。ただし範満は、室町政府が敵と認定した勢力に対しては、駿河守護として駿河州に総動員令を発することができた。
今川の舎弟ではない武士団までこぞって加勢し、民兵も動員した場合、三五〇〇~四〇〇〇人が二〇日後には大井川東岸の渡河点へ集まる。
現実的にはせいぜい半数が、数日以内に大井川を渡る。
榛原と志太の一五〇〇人にとっては残念な知らせだが、焼津が戦場になっている段階では、範満は総動員を発令しない。
革命軍が焼津で勝利すると、龍王丸を名誉指揮官とした迎撃隊が安部川西岸の鞠子から瀬戸川へ進出する。
この龍王丸派で構成された迎撃隊も、革命軍に破砕される運命が定められている。
迎撃隊が大敗し、龍王丸が戦死するか失脚した時点で、範満はめでたく講和へ動く。
智謀と武略に優れ、神仏を敬うことも忘れない範満は講和交渉を成功させ、革命軍は駿河から退去し、駿河今川は遠江から完全撤退する。
愚か者に義忠の不良債権をその生命で清算させ、賢い二者が得をするこの計画は、榛原難民問題を解決した一年前の夏に、範満側から提案された。
一年前、大井川の氾濫が志太と榛原に飢饉をもたらすと確定した夏の頃、範満は一人の僧を革命宗との交渉役に抱えた。関東よりの怪僧・円光だ。
円光は、優秀な交渉者だった。革命宗が掲げる理想を逆手にとり、現世浄土への往生を求める榛原難民を受け入れさせてのけた。円光の活躍により、大井川の飢饉は無為無策でいるよりは、かなりましになったといえよう。しかし、このせいで去年は、秋に予定していた遠江今川にとどめを刺す一戦をする余裕がなくなったのだった。
円光は範満や革命宗 教義委員会、その他の榛原難民関係者の信望を得ると、すかさず第二手を打った。それが、この和睦計画だ。
わたしは今、範満と合意した極秘計画を、表面的には実行している。堀田城や相良市街の攻撃は明日の朝を待って始めるほうが有利だが、範満に対応する時間を与えるため、あえて拙速を選んだ。
不完全ながら拠点を構築したわたしに吠えかかるほど室町政府が愚かだった場合、京都まで出張してゴミ掃除をする必要がある。それは面倒であり、関東から目を離せぬ現状では危険でもある。
政府のことは範満と甲斐に処理させる。それが彼らをしばらくは生かしておいてやる、わたしの選択だ。オジだとかいう政府の小役人が頼みの龍王丸には、このあたりの新たな力による秩序がまったくわかっていない。
「駿河の腐れタコめら……」
海軍の長を務める〝提督〟が席を立ち、騒ぎ声が大きくなった正門広場を窓から見おろした。
大禍正門広場では今朝より、内田ゲットーと浅羽ゲットーから連れてきた今川との内通者 数十人を枷で固定し、晒し者にしている。その何人か、寸磔刑を受けて立ってやるという剛の者を、出陣に合わせて切り始めるのだった。
「懲りずに隉黨で間者作りとはな。まことにもって」
第二歩兵大隊長が、広場は見ずに軽い口調で言った。親衛隊が管理するゲットーに、歩兵部隊は関わる機会が多くない。
「罰当たりな奴らだ」
ゲットーは革命宗に降伏した搾取階級を集住させた、小規模な隔離城市だ。住める者は荘園寄進に協力する功労者に限られる。
現世浄土が、腐敗した諸悪を地獄めいて業火で煮こんだがごとき旧体制から人民を救済した至福の理想郷なることを、京都の領家などへ手紙で伝えるといった啓蒙活動にいそしんでいれば、一人につき一年二石の扶持米を出す。東京と名古屋へ単身赴任した神職の家族も、ここにいる。
一年に何通か手紙を書けばナマポ暮らしができるこの待遇に不満がある者は、円光が有象無象を手先化した忍者団と接触していた。
「うむ……八閽か。男ばかりだな……お、切り始めたぞ。ぴっこ♡ぴっこ♡と跳ねておるw」
数千人の観衆は、大いに盛りあがっていた。大半は、堤防工事が臨時休業となった愛野の難民街から来ているはずだった。
一日目の今日は、六六刀をもって去勢のみをおこなう。紐で一括りに引っ張り伸ばして、根元から一刀両断! などと粗雑なことはしない。皮膚と尿道を残し、内部組織を丁寧に切り剝がす。肉便器に改造する捕虜も男であれば、この処置をほどこす。
二日目の明日は四八〇刀で四肢の解体。三日目に、まだ生きていれば、一二〇刀で頭胴部を解体する。革命宗は慈悲を重点しているゆえ、火箸による止血も一刀と数える。
そして革命宗は慈悲を重点しているゆえ、ただちに寸磔刑を中止させられる改宗の権利を罪人に認めている。
「難民往生のおりには信心を得たかと見えたれど……しかたないね」
「まことに、しかたないね」
「畏れ多くも、大慈悲心を仇で返すとは、言語道断の亡者どもなり」
淵嶽が冷たい怒りをこめた演説者の口調で、革命宗三信の一つを唱える二人に答えた。彼は革命宗が創始される前から、本職の説法僧だった。
「我らを簒奪者とぬかす匪賊どもは、断じて折伏せねばならぬ」