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ここを開くとテンプル忍者団があのセリフを決めてくれるぞよ

「そのキレイな顔をフッ⾶ばしてやる!!」(゛゜ワ^o)




 戦略計画を急遽変更し、西の遠江今川ではなく東の駿河今川を討伐することとなった革命軍が東海道を進み始めていた。

 人数は先遣した偵察中隊と合計して九〇〇。対する駿河今川の榛原占領隊は、最大に見積もって八〇〇。

 兵数のみならず、あらゆる要素で榛原占領隊は革命軍に劣っている。戦えば革命軍が必ず勝つ。いつでも踏み潰せる庭先の害虫を、これから踏み潰すと今日の午前に、第二の使者から緊急報告を聞いて決めた。

 今朝、諸井港へ着いた品川からの新たな使者は、関東の最新情勢として、この世界の重要な観測結果を報告した。

 ここは『古代から中世まで、大まかに同じ経過を辿っている世界』ではなかった。噴火のように大きな事象のみならず、小さな事象までも合わせ鏡のごとく再現される並行世界なのだ。

 二日前の夕方、道灌の暗殺が相模の上杉屋敷で決行された。


「堀田関、陥落にそうろう!」


 総司令部会議室の出入口に駆けつけた伝令兵が、大声で告げた。

 会議室に集まっている四人の少佐が「まずは上々」「大儀にござる」などと応じ、参謀大尉の一人が机上の地図から黒色の駒を一つとった。

 今川の旗をさした黒色の駒は、敵軍をあらわす。作戦卓の地図には五〇個ほどの黒駒が置かれていた。大半は今川の旗をさし、駿河州と榛原郡を占めている。遠江西部には室町政府公認の守護代・甲斐の旗が一〇ほど。この戦いに中立を決めこみたい寺社の旗がほぼ同数。遠江同盟軍の旗が三。磐田と曳馬と駿府に青色の駒が一づつ。

 磐田の遠江今川、曳馬の甲斐、駿府の駿河今川は室町政府のインターナルセキュリティであり、土豪とは別格といえなくもない。啓蒙途上の総司令部員はそう思っているため、色分けしてある。静岡県全域を描いた地図にはハイプログラマーズの端くれ、足利 政知の白駒も伊豆に置かれていた。


「あとは横地城だが……佐夜鹿参謀」


 親衛隊を率いる少佐・垂木 淵嶽が、四郎丞に呼びかけた。革命軍は将官が必要となる規模ではなく、最高位階は少佐だ。

 もう一人の少佐は、東海道の梯団を指揮するべく一時間前に会議室を出ている。


「同盟軍から返事は?」

「まだ伝令が帰っておりませぬ」


 今日は革命軍の制服を着ている四郎丞が答えた。金糸織りの飾緒は人気の玩具で、参謀ではない者までつけたがる。


「まだとな? もう一刻……」淵嶽は庭の日時計を見た。「伝令を出して、そろそろ一刻半になり申そう」

「国衆と談議もありますれば」


 堀田の関所は駿河今川の窓口事務所として、あえて残しておいた小規模な砦だった。菊川流域に残る今川の拠点は、この堀田城と、東の横地城だけになっている。

 夜明けに先遣した騎兵中隊は、原始的な通信器で追加した攻撃指令を受け、駿河今川勢力圏の西端である堀田城を陥落させた。


「談議。さようにござるか」

「行動隊はゆっくりしていて困る」

「まあ、同盟軍は横地城へ向かうに決まっておるし、それでよかろうぞ」


 兵站責任者の少佐が淵嶽に同調すると、明るい縁側の作戦卓に坐る第二歩兵大隊長が二人をたしなめるように言った。六〇〇人の長であり、実戦も多くこなしている大隊長は、同じ少佐ながら非公式な序列では親衛隊長の淵嶽より上となる。


「なあ、佐夜鹿殿」


 笑いかける第二歩兵大隊長に、四郎丞は慇懃に一礼した。


「仰せのとおりで」


 菊川流域は歴代王朝に内田荘園として区分され、天台宗をその名義上の所有者とする。この地で横地一族は平安時代から、大和王朝に与し源氏に与し、大名をやっていたという。

 横地城は彼らが四〇〇年かけて築いた大規模な城砦なのだが、一〇年前、今川 義忠が連れてきた駿河武士団に奪われた。荘園実行支配者としての横地組は壊滅し、残党は各地に散り雌伏した。

 かなりの特攻(ブッコミ)野郎だったらしい義忠も、このときに戦死。後継者となった範満は現状維持を基本方針としている。


 実行支配者として菊川流域には現在、遠江同盟軍の諸武士団と、今川勢の諸武士団と、天台宗と、革命宗が混在している。わたしは同盟軍に喰い扶持として内田荘園を与え(無能な室町政府に代わって、横地を地頭に復職させたという意味である)、特別行動隊を配置した。内田荘園に中世的様相を保たせ、現世浄土と蛮土との推移帯として機能させるためだ。

 革命宗にとって占領に値する土地は、諸井港から御前崎を越え萩間川へいたる海岸一帯であり、内田荘園は同盟軍にくれてやっても惜しいものではなかった。

 わたしの管理下で、遠江の土豪と駿河守護の手下を争わせておくことには、三時間ほど前までは、意味があった。


「部ヶ谷支部の天耳法師様より御報告です」


 会議室の薄暗い奥の間を護衛する親衛兵が、帳のむこうから告げた。


「わかった。ここへ」


 護衛と短いやりとりを交わしていた親衛隊の通信士官が奥の間へ入り、机に紙を置いた。わたしはそれを読んだ。

 革命宗海軍の戦闘艇二〇隻が萩間川大江湊へ進入した、という簡潔な報告だった。石油はあれども発電機がない部ヶ谷支部は、無線機の使用をできるだけ短時間に抑える。わたしは紙を通信士官に返した。


「垂木少佐に渡せ」

「かしこま」


 通信士官は戦場式に短く答え、奥の間を出た。

 萩間の征服は決定事項だ。逆らう者は総て殺す。同時に東隣の大井川にいる今川勢を壊滅させれば、この戦いでの勝利は確定する。

 あとは範満との密約をどうするか。関東の〈品川の金毛〉にどう対処するかだった。

 範満の政敵である今川 龍王丸は、始末してやってもよい。しかし蔦の細道を鞠子城まで進むことに手間どるならば、駿府を陥落させるほうが早い。

 机には〈品川の金毛〉からの絵馬が、昨日から置いてある。

 二日前の夜に大禍へ届けられた絵馬の、地図におおわれた面には『1486.8.24 ←イマココ』と、奉納日であろう日付が書かれていた。

 チラ裏ならぬ地図裏には、翌日『1486.8.25』の日付があった。隠された絵は、道灌の殺害を暗示するものだった。

 秋葉原神宮寺で絵馬が見つかった日と、絵馬に記された日付は、わたしが調べた太陽暦の年月日と一致する。今日は西暦一四八六年八月二七日だ。

 一四八六年八月二五日。秋葉原支部の書記が船で大井川の河口沖を越えたとき、一〇〇キロメートル東では道灌の暗殺が試みられている真っ最中だったということになる。


 風呂場を背景に立つ初老の男。〈品川の金毛〉か、あるいはその仲間は、なかなかに画才がある。

 実物に何度か会っている書記に見せると、股にヤマブキの花を活けた全裸騎士団や森の妖精めいた体はともかく、「顔は道灌にそっくり」との評だった。

 芸術的道灌は、くつろいではいない。もう一人の男が背後で銃を構えている。

 裸の銃を持つ禿髪の若い男のほうは、書記には心当たりがなかった。特注品のXM177E2ではなく、形状に特徴があるクリスらしき小型短銃を構えたフキダシつきの男は、わたしが知っている。

 単発火縄銃が最新技術である現在において、確かに、彼は世界一腕の立つ殺し屋だった。まだ銃がなにかを知らない日本人を相手に、この距離ならば「ちょろいもんだぜ」と本人が言っているとおり、ちょろいもんであろう。


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