「名古屋市民の半数近くが四日市市に行ったことがないんだって! そっかぁ~~。でも先生、掛川なんてもっと行ったことないですよね!?」
「こ、虎眼流とかあるし……いくぅ、いくよー……」
静岡の広域ヤクザ・今川組は、応仁の乱を機に二〇年前から遠江を侵略している。
目的は守護利権であり、侵略初期にはそれを認めない土豪を相手にした小競り合いを挑んでいたらしい。
遠江東部の土豪は今川軍に城から追い払われ、地縁のある村々へ逃れ、それらを拠点にゲリラ戦で対抗をつづけた。
いつの時代であれ不正規軍にはありふれたことだが、便法戦を濫用すると、誰も彼もが敵に見えてくる。今川軍も徐々に攻撃対象を拡げ、武装している者なら特権階級であろうがなかろうが弾圧するようになった。室町政府の利権にたかるヤクザ同士の制限紛争が、より無差別なカタギをまきこむものに激化したのだった。
わたしに随伴して二ノ丸へ登った地侍・佐夜鹿 四郎丞も、今川がおこした戦争の被害者にして参加者の一人だ。一〇年以上前に始まった大規模侵攻のさいに生まれ育った家を追われ、親類縁者に匿われて農夫をしながら、あちらこちらへ出かけては今川派を襲撃する暮らしだったという。
駿河で数千人を集めた大規模侵攻は文明六年から三年間、何度かくりかえされた。農繫期には本隊が駿河へ帰るダラダラとした戦争だが、季節限定でも数を頼みにした劫奪と土木工事はできる。
今川軍は榛原から原ノ谷あたりまでに巣喰う土豪の駆逐を試み、掛川城(と称する土塁砦)は、その広範囲攻勢に必要な拠点として、駿河今川系列二次団体・朝比奈組によって築かれた。
この掛川城を三年前、わたしは六〇〇人の革命軍を率いて奇襲し、新兵器の実用試験がてらに立て籠もった約二〇〇人もろとも半日で焼き払った。朝比奈軍が占領し〝守護税〟を徴収していた掛川、そこから真北に伸びる西郷は、革命宗の支配地域と隣接するため、邪魔だったのだ。
数日後には、さらに一〇〇人以上を討ちとられつつ朝比奈軍は掛川から菊川・横地城へ敗走した。
このときに馳せ参じ掃討に協力した一族が、かつて今川軍に追い散らされ城も奪われた遠江東部の土豪、横地家だった。
没落前は佐夜鹿家を農村の中間管理職として用いていた領主であり、今は遠江同盟軍の看板を掲げた、革命宗の前線集団でもある。
「同盟軍も、五〇〇人を動かせるようになったとは聞いている」
縁側に置いてある籐編みの椅子に坐り、わたしは四郎丞に話のつづきをうながした。
「大井川の制圧は可能になったのか?」
「それは、なかなか……大方は足軽にありますれば」
「内訳は?」
「現有兵力は武者が一四〇。足軽が、まず二〇〇。小笠山道の村々に声をかけてさらに足軽二〇〇か三〇〇が集まるとの由」
朝比奈軍を菊川へ駆逐したあと、わたしは掛川城一帯を横地家にまかせた。革命宗の正体を隠す遮蔽物とするためだ。
朝比奈や今川指導部は掛川での敗北を、抵抗をつづける旧領主残党の逆襲と認識している。彼らにとって革命宗は、横地が運良く味方につけた、新興の武装宗教団体にすぎない。
「住人が減っている小笠で、足軽は三〇〇増えたというわけだ」
「さように申しております。いつの間にやら増えたとは思っておりましたが……」
「逃亡兵か」
四郎丞は苦々しい表情で目を閉じた。
「勝間田や高橋の一揆類縁を、空き村に住まわせたものとばかり」
「朝比奈を見限った駿河者を住まわせたのだろうな」
椅子に頭をあずけ、わたしは夜空を見あげた。
南中した半月は、観察した限りでは、地球衛星の月そのものだった。三週間前にはコンピューターの(機械の携帯コンピューターだ)記録どおりに、月蝕をおこしている。わたしが予言した天変事象に盛りあがる革命宗は、赤く染まった月の下で血の祝祭をもよおし、新たな生贄を求めた。
わたしは戦略計画に基づき彼らに生贄を与えた。それが磐田郡の自称・遠江守護、生贄リストの現在一位、遠江今川家だった。
「横地に査察を出されますか?」
「……前の頭首を粛清したときに、充分な教訓を得たと思ったのだが」
真夏の夜の月蝕祭は難民居住区から狩り出した西郷、石谷、松浦あたりの家臣を物見櫓に吊るし、囲んで歌いながら殴る、楽しい盆踊りになったらしい。
朝比奈と横地による倉真川占領で喰い詰めたこれらの下級武士は、流民を連れて難民居住区へ入りこみ、公共事業として実施している治水工事現場で密かに手配師をやっていた、つまりは給料のピンハネをやっていたとのことだった。
数十人の武士が人民裁判にかけられ、袋叩きにされ、夏祭りらしくバーベキューにされた……餃子だろうか?
しかし一〇〇〇年の長きにわたり屈従を強いられてきた民衆に、夏祭りの浜松ネギトロ餃子では、もはや足りない。啓蒙された彼らは、復讐する相手を熱烈に求めている。これを正しい順序で与えてやることが救済であり、社会を変革し次なる階梯へいたらしめる方便なのである。
横地家の生贄順位は、今のところ西郷家や石谷家より低い八位だ。
「いや、事後報告でよかろう。時間が惜しい」
「篤と申し伝えます」
今年は、太陽暦で二月と八月、春分の一ヵ月前と夏至の二ヵ月後に、皆既月蝕がおきた。
餃子夏祭りの半年前、この地球らしきものが公転軌道の反対側にあったときにも月蝕はおきている。七ヵ月前の月蝕は夜更けに始まり、天体観測班にしか気づかれず平穏に終わった。
そして二年前の末には、阿蘇山が噴火していた。太陽暦では年を越した一月に相当する。九州での地変のほうは、革命宗の行脚僧を浜松、名古屋まで派遣してようやく確認できた現地情報だった。
阿蘇山は一〇年に一度は煙を噴く活発な火山だが、室町時代内で、二度の皆既月蝕があった前年という条件を合わせれば、符合する年は極めて限られる。
「独裁様。江戸よりの客人の話では、新五郎は待ちの構えを変えておりませぬ」
「ん?」
「むしろ朝比奈を持て余している、とのこと」
駿河今川の現頭領・新五郎 範満は先代の義忠と違い、四郎丞が言うとおり遠江侵略に積極的ではない。掛川を失ってからは、多大な損害によって榛原占領をやめるにやめられない朝比奈につきあっている状態らしかった。
「同盟軍は粗忽者ぞろいなれど、囮は務まると存じます。これを榛原まで先に進め、しかるあいだに朝比奈勢を一息に撃滅あそばすれば、新五郎は大井川を越えず、手仕舞を望むはず」
「……」
「横地の抱えた駿河者は、特別行動隊をおまかせくだされば、拙者が」
「足軽情報屋など、気にするまでもない」
足元で庭に踞す四郎丞に、わたしは縁側の別の椅子を勧めた。
「革命宗の情報は、多かれ少なかれ既に漏れている。新五郎が朝比奈を損切りするつもりならば、我々についてそれなりのことは知っている」
四郎丞の着席に応じて、控えていたメイドが小卓に膳を置いた。黄金の杯と、白銀のカラフェ。氷を入れた陶器の鉢は、金銀器に比べてまだまだ出来が悪い。カラフェの米酒は濾過技術を活かした清酒で、ツマミは肉骨粉で肥育した簒奪ビーフだった。
「客とは、また太田の商人かね?」
「はい。賜り物が、いたく気に入ったそうで」
「そうか、まだ……道灌は息災か」